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参拾肆

「この音を聞く度、毎回胸が高鳴りますなぁ。」


「全くです。最後に聞いたのは…えっと、何年前ですかね?」


ラクリマジカ第四ギルドの一室、通称“現物研究所”。

普段は、家具も何もないパーティーホールの様に、ただただ広くて日当たりの良いだけの部屋だ。時々、大規模遠征の際の集会場に使われる程度の代物だ。


しかし今日、この部屋の本当の機能が作動する事となる。

地下に捕縛されたモンスターを、拘束室ごとこの部屋まで上昇させると言う物だ。

モンスターの捕獲と言うのは、冒険者や学者にとっては一大イベントだった。

ましてや今までに例を見ない、魔属性以外の伝説級ダンジョンの物だ。


メモ帳を片手に、その時を待つ一人の青年、テオ。

彼もまた、今日の為に集められた学者達の一人だった。


決して裕福とも言えない商人の家に生まれたテオ。

母は早くに他界し、主にモンスターの素材などの貿易を生業とする父の手一つで育てられた。

父が毎日“商品”として扱っている、煌めいた鱗や、人の手では決して作れない禍々しい装飾品、ボトルの中に入った謎めいた輝きを見せる赤黒い液体や、様々な色や形をした数々のモンスターの骨。

それらに彼は、どうしようもないロマンを抱いたのだ。

この鱗は何故光る?この液体は何故こんな色?この骨は何処の誰のもの?父の倉庫から素材を盗み出しては、一日中それらのスケッチを描き、本を読み漁り、生前のモンスターの姿に思いを馳せていた。


しかし、ある日の事故で、彼の全てが変わった。

素材の中にあった、神獣ルヘドの角片。

当時は神獣の素材に明確な規定は無く(後にこの事件をきっかけに見直される)ぞんざいに扱われていたが、ルヘドの得意とする召喚魔法は、その角の一欠片にさえ宿っていた。

遥か南にある小国との貿易の為に、父は貨物や他の乗組員と共に海を渡り、途中で遭遇した嵐に反応し、ルヘドの怨念、ルヘドの魔法が解き放たれた。

その小国にたどり着いた残骸は、巨大な嵐と言うよりも無数の獣によってバラバラにされた痕跡があり、人の姿を保った物は何処にも無かったという。


無知が引き起こした悲劇。

身寄りを無くしたテオだったが、父の売りそびれた素材を元手に、ラクリマジカにあるモンスター学専門の学校の扉を叩き、見事に首席で卒業。

今はラクリマジカ学会に所属する、神獣専門の一介の学者となっていた。

無知の悲劇を、二度と繰り返さない為だった。


“ガシャン!”


機構の停止音が聞こえ、広間の前方には一つの大きな二枚扉のような物が出現していた。

鎖の擦れるような音と、ギシギシと鉄の擦れるような音と共に、二枚扉はゆっくりと開かれた。


「…!何だ…!?」


身体中を拘束された、恐らく二足歩行と思われる狼の姿をした獣が、鉄格子越しに姿を現した。

彼はすぐさま、メモ帳にスケッチと説明書きを刻み始めた。


[身体はまるで紙の集合体の様だが、所々にある、筆で書いた様な赤い線と、恐ろしくもどこか神秘的なデザインの仮面が、その塊をただの集合体では無く、それを一つのものに見せていた。]


獣は非常に大人しく、気温差による風でその紙がなびく事以外は一切の動きを見せない。


[他の神獣の例に漏れず、平常時は非常に温厚。事前情報により、こちらの敵意が敵対条件にあると推測される。まるで、前衛的な芸術作品の様だ。テーマを付けるならば、“畏怖”か、でなければ、“信仰”だろう。]


と、その檻の前に、二つの巨大な装置が運ばれてきた。

金属製で、それぞれ大の大人四、五人が、車輪を使って押し運んでいる様だった。

長方形の箱型で、前面に空いた穴に、水晶色の球体が、それぞれ二つはめ込まれていた。

捕縛したモンスターの、屠殺用機械だった。


(おっと、急いだ方が良さそうだ。)


テオは少し檻に近づくと、その獣の細部を眺め回す。


[腕部は体格の割には実に細く、手と思われる部分は異様に巨大である。通常の骨格ならば、あの大きな手を腕力で持ち上げる事すら不可能だろう。その点脚部は、胴体と非常に釣り合いが取れている。僅かに反り、見た目筋肉質のその脚部は、兎の後ろ足を連想させる。狼の胴体に兎の足とは、実に皮肉な組み合わせだ。]


バリバリと紙を破り続けるような、若干耳障りに思えてくる音が聞こえてきた。

屠殺用機械に、魔力が充填され始めたのだ。

仕組みは簡単だった。ただ、吸収性が出来ない様に調整された攻撃性魔力を、デタラメな出力で放つだけと言うもの。

外傷を殆ど与えずに屠れる為、素材などを完璧な状態で取得する事が出来る。


テオはその様子を見て、さらにペンを進める。


[尾と鬣は、紙としての特徴が最も顕著に表れている。特に尾っぽは松笠の様な形状をしており、体積に対しての重量はほぼ存在しないと見て間違い無いだろう。]


「えー、では皆さん、激しい閃光が発生します故、少々目を閉じていて下さい。」


テオは、獣の外見的特徴を余す事なく書き記すと、ほっと手を休めた。

次に記録すべきことは、屠殺装置を扱う兵士に対する、彼(彼女?)の反応だ。

敵意と認識して、暴れ出すか否か。


「照射!」


ジジジバリバリと言う只ならぬ騒音が、閃光と共に広間を少しの間支配した。


「……ん?」


閃光が晴れ、兵士はいち早くその獣の様子を確認する。

ピクリとも動いていないせいで、生きているか死んだのかさえ分からない。

兵士は口々に、戸惑いや文句を言っていた。


“バキン!”


その状態が、一番平和だったとも知らずに。


「どうした!」


万歳の体勢で拘束されていた筈の両手が、何事もなかったかの様に振り下ろされている。


“バキンバキン!ギギギ…バギン!”


黒色の超硬質合金は、まるで身体に絡みついた藁か何かの様に呆気なく引きちぎられ、振り解かれていく。


「…!敵意!」


テオは恐怖のあまり後退しながらも、得られた情報を淡々と記していた。


[魔導屠殺装置では屠るに叶わず、恐らく装置を扱った兵士の敵意に反応し、敵対状態に移行した。巨岩龍すらも拘束する黒鉄では、獣の動きを封じるには叶わず。最初から、拘束されてなどいない。ただ、たまたま何もしていなかっただけだ。]


「まずは此処から離れないと…いや、それじゃあ駄目だ!」


テオは、周囲の状況を見回した。


「落ち着け!屠殺装置を再充填し、冒険者諸君は奴を全力で仕留めるのだ!」


「駄目だ!彼に敵意を向けるな!」


先ずは屠殺装置を作動させた兵士が、握り潰される様に肉塊に変えられる。


「倒そうだなんて…考えちゃ…」


護衛に入った騎士達が引き裂かれ、その隙に追撃を仕掛けようとした兵士が、顔面をその爪によって串刺しにされる。

必死に叫ぶテオだったが、広間で始まった騒乱によってかき消されてしまった。


“………”


「ひいいい!」


獣が、テオの顔をぬっと覗き込んだ。

テオは思わず尻餅をつき、壁際まで擦り寄るように後退してしまった。

もはや逃げようにも、足が震え力が入らない。


「…大丈夫だ…敵意さえ向けなければ…敵意さえ…」


[今、目の前で、王国騎士が三等分に引き裂かれた。縦からだ。彼の大きな手は、どうやらその刀の様に鋭利な大爪を収納するためのものだったらしい。ネコ科の生物に見られる特徴だ。]


歯をガタガタと鳴らしながらも、テオは必死に戦況を観察していた。

神獣は、必ず一定のシステムに従って行動をしている。

このおぞましい殺戮獣にも、必ず何かしらの法則がある筈だ。例えばそう、排除する対象の優先順位だ。


「ひ…ひいいいい!」


と、先程まで剣を握り対峙していた一人の兵士が、恐怖のあまり膝から崩れ落ちる。

あの様子までは、彼は先程まで敵意を抱いていただろう。倒せるとでも思っていたのだろう。彼はもう終わりだ。


「こっちだ化け物!」


“………”


不意に、獣は助太刀に来た兵士の方に向く。

数秒の交戦の後、後に来た方の兵士は切り刻まれた。

がしかし、怯える先の兵士には目もくれず、また別のターゲットに向かっていった。


「……!」



「ぐー…ぐー…ぐが!?」


聞いたものを震え上がらせる様ないびきをやめ、とある薄暗い部屋で男は目覚めた。

運命の外のダメ男、幸運の女神の無駄遣い。人々は様々な名で彼を呼んだ。軽蔑と親しみと、尊敬を込めて。

彼の名前はジッド。時には国の為、時には貴族の為、時には野蛮な盗賊の為、金の匂いを嗅ぎつけては、どんな仕事でもやってのける、恐らくこの世界で唯一のフリーターだ。

その部屋の壁には、ドラゴニュートに取り付けることに成功した契約書が、額縁に入れられ飾られていた。


「おいおいー、なんだってんだこの騒ぎぁ…」


彼は魔法仕掛けの望遠鏡で、遥か彼方のギルドをのぞき込む。

肉眼では点にしか見えないそれでも、今はその建物の窓から見える人の、顔の細部までくっきりだった。

何かに怯えている様子で、周囲には損壊した痕跡も見られる。


「っち、あいつら、とーとーやらかしたな。ま、いつかやるたあ思ってたがよ。」


ジッドが指を一つ鳴らすと、部屋中に散乱していたものと言う物全てが部屋の片隅に置かれていたバックパックに収納される。


「ばーーーか。モンスターの捕獲なんて、酔狂な事考えっからだよ。報いって奴だな!」


ジッドはそのバックパックを背負うと、一目散にその借家を後にした。

どんな時も、自分の身が最優先。

どんなちっぽけな脅威からも、全力ダッシュでとんずらし、ののしれる相手が居たら、喉が枯れるまで煽り散らかす。

それが彼の生き方だった。文字通りの最低人間だ。


「ってと、一旦バドリアに抜けますかな。…いや待て、マルスサイファーの娼館で豪遊するってのもありか。あそこで奴隷何人か買って、北に流れるのも良いなぁ…」


しかも彼の子、彼の遺伝子を継ぐ子供たちは世界中のあちこちに存在するという始末。

まずグロリアスで好みの奴隷を買い、しばらくの間共に過ごし人並みの生活をさせる。藁と水しか与えられていなかった者は、大抵の場合ジッドに好意を抱く。彼がどんな存在かを理解してもなおだ。そして彼は自らの子を残し、何かに理由を付けて去って行く。去り際には、親子が四十年先まで食べていけそうな分の金貨を握らせるのが、彼のお約束だった。

これが彼の、“自由に生きたいけど生物としての最低義務くらいはしっかり果たそう”計画だ。

彼はこれを三十回ほど繰り返し、今や彼は自分の後継ぎ(特段地位も何も無いが)の心配は無くなった。


「っと、おいバゼル!なんかすっげえ馬用意しろ!」


ジッドがそう叫ぶと、地面が裂け赤い馬の様な生物が現れた。

彼が子の次に手に入れたのは、朽ちること無き不滅の肉体だった。


無数の悪魔に、全く違う契約を幾つも取り付けた。

勿論騙され防止の為に、悪魔との取引用の特別な契約書を使って。

方法は簡単だった。まず低級の悪魔などに、「俺が使う魔法の威力を、この代償の範囲で上げられるだけあげてくれ」だとか、「ここに魔法の力を込めたタトゥーを入れてくれ」だの、比較的どうでも良い加護を無数に受け取る。


次に「俺に宿る悪魔の力全て差し出すから、火傷のしない体にしてくれ」や、「寿命を千年延ばしてくれ」だとかの大きな取引の材料にして、使い果たしたらまた小物から力を受け取り、これを繰り返した。


そして最後に大悪魔の元に行って、「この契約書通りの状態で、俺を俺の居る世界の終わりまで生かせ」。

これで、九千羽の鶏のみで、彼の不死は完成したのである。

無敵の肉体を手に入れてなお、彼は身の危険から逃げ続けたのだ。

彼は、誰よりも臆病だったのだ。


「おい!もっと急げ!多分この地区も、時期に騒動に巻き込まれっぞ!」

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