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参拾参

若干色っぽい描写が含まれいるかもしれません。

苦手な方はご注意下さい。

「…まさか…そんな、あり得ない…」


ダンジョンが健在であるにもかかわらず、ラクリマジカの冒険者たちの最後の一団が、神話級冒険者を伴い退去していく様子を眺め、グロリアスの斥候は息を呑んだ。



静かなで広い地下室だ。

外壁や床は全て湿った床で、遥か高い場所から鎖が数本垂れ下がっている。

天井付近の壁には、通気の為と思われる横長の穴が開いており、そこから刺す日の光が、カーテンの様にその薄暗い部屋を照らしていた。


"カラカラ…”


その部屋の中心に、一体のモンスターが拘束されていた。

式神の集合体をその体とする、億魂式神だった。



「…また駄目だ…」


生まれた出来損ないの島を見つめながら、伊邪那岐はうなだれていた。

伊邪那美との婚姻を結んだは良いが、どうにも島造りが上手く行かないのだ。


「ごめんなさい…私が…」


「伊邪那美は何も悪くない。……少し、他の神様達に相談してくるよ。ここで待っていておくれ。」


「い…伊邪那岐!…全くもう…」


惰性だけで家を飛び出した伊邪那岐を、伊邪那美は少し戸惑いながらも、暖かな眼差しで見送った。

と、その少し後に、戸の勢いよく開く音がした。


「あら伊邪那岐、早か…」


しかしそこから家に入ってきたのは、伊邪那岐とは全くの別神であった。

銀糸の様な美しい髪に、二本の垂れた耳、宝石の様な紅の瞳に、黒に金の紅葉があしらわれた天女の羽衣を身に纏っていた。

その顔は赤らみ、足取りもおぼつかない。


「酔っ払い!?…じゃなくて、娑雪ヶ主様!?」


杖にもたれかかりながら、娑雪は部屋の隅で座る伊邪那美の方まで歩いて行った。


「ひっく…なんじゃぁ…どこぞの、のろけ神かぁ…?」


「ああ、貴女の住処は一つ上の界層ですよ!もう…」


「…んあ?どうしたぁ?主、腹が出たかぁ?」


「違いますよ!身籠っただけですよ!」


娑雪は、ふらりふらりと揺れながら、酔いの回った頭で状況を整理した。

整理になっているかどうかも分からぬ、ぐちゃぐちゃの思考を少しかき回しただけのものだったが。


「おおそうかぁ!イザナミに、ついに子かぁ!おおこれは、立派な島が出来そうじゃのぉ。」


「それが、どうも上手く行かなくって…伊邪那岐に調べてもらっている最中なんです。」


酔っぱらった彼女に、果たして説明が意味を成すのか。

そんな事を考えながら、伊邪那美は事の成り行きを彼女に話した。


「何?ヒルコやら淡島しか出来んじゃと?おかしいのぅ…」


そう言うと娑雪は、その杖で空間を“引き裂き”、伊邪那美を連れて一気に地上まで降り立った。


「ひい!海が…あれ?」


娑雪の力の恩恵だろうか、伊邪那美はその海の上を、まるで舗装された道路の様に歩くことが出来た。


「ひっく、どれ、こうやって印を組むじゃろ?」


「えっと、印?」


「そして叫ぶのじゃ。神の力で、天地を開くぞーとな。」


「はあ?」


完全に酔っ払いの戯言でしかなかった。

がしかし、伊邪那美の背にそられた彼女の手からは、ただならぬ力の流れを感じていた。


「ええっと…神の力で…天地を…」


「違う違う。もっとこう、力を籠めるのじゃ。腹のもの全部吐き出す勢いでな。こう、どんとじゃ!」


「ええ?…すう…【神術・天地開闢】!…え?」


「っふ、なんじゃそれ、まあ、ゴロが良いのぅ。」


海の底から、何かとてつもない力の奔流が、徐々に海面に向けて吹きあがっている。

地鳴りと地震が巻き起こり、海では無数の大波が巻き起こっていた。


「ひいいいい!」


「ふふふ…来るぞぉ。」


海の底から、巨大な島が一つ誕生した。

湯気が立っており、材質は複数の岩石の混合物らしい。


「え…うそ…出来た…」


「む?主に子が居るのか?」


「え?あれ?」


「しかしそうじゃな、此処は随分と暗いのぅ…そうじゃ、その腹の子に、天照とでも名付けようかの。」


「暗いのは今が夜だからでは…えっと、あまてらす…?」


「おお、この私に名付けられたのじゃ、きっとここらの主神となるじゃろうな。ふふふ。」


娑雪がそんなことを言った直後、伊邪那美の背後から、ドボンと言う水の音が聞こえた。

慌てて振り返った伊邪那美だが、彼女の背後にも、海の中にも、娑雪の姿は無かった。

その少し後だろうか。


「此処に居たのか。やはり、我から告白しなければいけなかったようだ。早速二度目の婚姻を…はぁ?」


伊邪那岐が見た者は、夢にまで見た出来たての大きな島と、清々しい表情をした伊邪那美の姿だった。


「あら、おかえりなさい。…二度目の結婚式?良いわね!やりましょう!」



「ふぐあ…?」


(何じゃ…私は…酔っている間に何という事を…)


彼女の奥底に眠る記憶を夢として見た彼女は、少しけだるそうに、何も考えずにその真っ暗の空間から抜け出した。


「…む?」


彼女の背後には、天井から伸びる鎖で手を拘束され、無数の枷でがんじがらめにされた億魂式神がある。

そしてすぐに自分の格好にも気が付き、やっと全てを思い出した。


(成程。此処が阿奴らの留置所か。しかし、随分とかび臭い場所じゃのぅ。)


娑雪の服装は、胸には、胸の上部も下部も見える程の少しのサラシ、腰には一枚の白い布をパレオの様に巻くだけと言う、実にシンプルな物だった。

それ以外の物は、備品含め一切身に着けておらず、彼女の暴力的なまでに抜群のプロポーションが露わになっていた。


その胸は、相変わらずボリュームと形質美とを兼ね備えており、その肩は、まるで水晶玉の様に、薄明かりを微かに反射していた。

優美な曲線を描くボディラインに、美白と言う概念そのもので染められているかのような肌。普段は大体隠れている、そのすらりと長い手足に、その長い髪の間に見え隠れする、目を焼くほど麗美な背中。普段から露出していた、引き締まるべき場所が引き締まった腹部は、普段とはまた違った魅力を放っていた。


何故彼女がこの様な際どい格好かと言えば、億魂式神の中に載積出来る者の質量に、ある程度の制約があるというだけの話だ。

具体的に言えば、中にある物の1グラムの違いが、走行時の時速1キロの違いに繋がる程度に。


「…む?」


と、娑雪は億魂式神から一つ式神を抜き取る。


「おお、荒犬神か。元気かの?」


『やっと見つけたぞうさ耳!いったいどこで何をしている!』


「まあ、色々あっての。心配するでない、じきに戻るぞ。…そっちはどうなんじゃ?なんだか騒がしいようじゃが…」


『これか?お前が居ないことを良い事に、阿奴らめ祭日を延長してしまったのだぞ!全く騒がしいたら無いわい!』


「ふふふ、好きなだけやらせておけ。どうせ飽きたら勝手に収まるじゃろ。」


『そういう問題でも、まあいい。急ぐのだぞ!』


「ああ、分かっておる。」


荒犬神との通信が終わり、娑雪はその式神を億魂式神の元の位置にそっと戻す。

その後は、特に何気もなく周囲を歩き回っていた。


(地下室かの…見たところ、牢獄と言うわけでもなさそうじゃが…)


ひたひたと、彼女の素足の乾いた足音だけが、だだっ広い地下室に響いていた。


「ふむ、しばし隠れるかの。」


彼女はそう呟くと、ふわりと靄の様に消えてしまった。

正確には、再び億魂式神の中に戻ったというのが正しいか。


「…でさあ、それで結局…お、着いたぞ。」


唐突に鉄格子の様な物が、入口から別通路までを囲うように降りてきた。

まるでその部屋に捕縛されている物から、立ち入る者を保護するかのように。


“ガン!ガラガラガラガラ…”


重苦しい鉄扉の機構が作動し、ハッチか何かの様に右方向にパカリと空いた。


「ほら。こいつが例のモンスターらしい。」


「へえ。いかにも神獣って感じだな。今は眠っているのか?」


その部屋に入ってきたのは二人の騎士だった。

どちらも鎧兜に身を包み、少し前に付いたであろう薄い土埃が、あちらこちらに散見出来た。

都内巡回の帰り際、好奇心半分で見物しに来たのだろう。


「違う。どうやら、敵意に反応して襲ってくるらしいぜ。」


「へえ。じゃ、今から俺がこいつに喧嘩打ったら、俺はこいつに殺されちまうのか?」


「流石に無いと思うぜ。何せ、ヘンツ産黒鉄製拘束具に、アダマンタイト合金の檻だぜ?」


「へへ、ま、俺は試そうとも思わないんだけどな。」


二人は談笑混じりに、その捕縛室から踵を返し、再びその鉄扉の向こうに消えていった。

それからしばらくすると、ガラガラと音を立てながら、鉄格子も天井に上がっていく。


「…」


娑雪は再び億魂式神の中から抜け出すと、まずはその鉄扉を調べ始めた。

どうやら、暗号の無い金庫の扉の様な造りらしい。


(敵意に反応して襲ってくる…か。)


彼女としては、ただ“襲われそうだったからその前に倒す”だけの事だが、此処の者達にはいつの間にかそう認知されている様だ。

彼女は、下着(代わりの布とサラシ)以外の衣服はおろか、今は一切の術具や武器を持ち合わせてはいない。

しかしこの状態でも、新技やら式神やら何やらで完全武装してきた阨無に術勝負で負けることは無いし、一騎当千の荒犬神に、肉弾戦でも一本たりとも取られることは無いだろう。


「すー…はー…」


彼女は一つ、深呼吸をした。

式神や娑雪が呼吸を行うのは、極めて限定的な状況下だけだ。

肉体が疲労や損傷した際に、空気中の気を掻き集めてその身体を修復したり。逆に、広い建物などの中に自らの気を張り巡らせ、地形や人の気配などを把握する際などだった。

ただ単に、気持ちを落ち着かせるだけの場合もある。


「此処は…城か何かの地下か。一つ上の階層に、大量の人間がおるな…」


その時だった。


“ドン!ガラガラガラガラガラガラ…”


重苦しい金属音と共に、彼女は少し重力が強くなるのを感じた。

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