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参拾壱

「…」


隊長はまた一歩、獣の佇むほうに歩み寄る。

ダンジョンは朝焼けに染まり、また違った神々しさを帯びていた。


「無茶ですって!そいつはきけ…」


「近づくな!」


「…!」


止めようとする部下すらも振り切り、隊長はとうとう獣の、億魂式神の目の前まで来ていた。

仮面越しの赤い瞳が隊長を睥睨するが、その爪は振り上げられない。

今度は、彼は手を伸ばして、その獣の頭に触れ、軽く撫でた。

獣はやはり動かない。


「…お前の役目は、あくまでも番人か…」


隊長はそう呟くと、一目散に部下の待つほうまで駆け抜けていった。


「隊長!何を…」


「やはりそうか…分隊長を集めろ!会議を開くぞ!」



「さて、作戦を発表するにあたり、一つだけ留意してほしいことがある。」


机を囲み並ぶ分隊長に向けて、隊長はためらうこともなく、その作戦を言い放った。


「奴を、捕獲する。」


「!?」


テント内に、どよめきが走る。


「正気か!?あんな奴、近づいただけで…」


「その点は検証済みだ。調べたところ、奴の手によって引き裂かれた冒険者たちは、皆アタッカーとしての役割を受けた者ばかり。逆に、それ以外…奴に対して直接的な攻撃を行っていない者達は、一切の傷を受けることなく帰還することが出来た。…奴のトリガーは、こちらの殺意だ。」


モンスターの捕縛。

仮に成功すれば、完全な状態での素材の取得や、急所やそのモンスターの属性などの究明など、得られる利益は数知れない。

しかし、その一方で多大なリスクも生じる。

基本的には討伐よりも難易度が高く、消費する資源や魔力も決して少なくは無いため、判断のためには得られる利益と天秤にかける必要があった。


ただ、今回は例外であった。


「我々の戦力では、到底奴には叶わない。よって奴の特性を利用し、捕獲に回るのが得策と考えたのだが、こちらにはもう一つ、神話級冒険者と言う選択肢もある。…此処は、皆に多数決で決めてもらいたい。」


テントの中は、一気に紛糾を見せ始める。


「お…俺は神話級に頼めばいいと思うぜ!その特性ってのも、確証が持てるわけじゃないからな!」


「何を言っている!彼らに頼んだ戦闘の、我々の取り分はほぼゼロだぞ!絶対に捕獲すべきだ!」


「今更報酬の事気にしてる場合かよ!」


と、魔導士の一人が杖で机をたたき、強引に鎮めた。


「静かに!…はあ、多数決だって言ったでしょう!」


眼鏡を掛けた、理知的な印象のその青年は、先の戦いで生き残った六人の分隊長に、投票用の紙を配った。

偶数となるため、有力な冒険者も多数招集し、投票は行われた。


「…隊長。結果が出ました。」


青年は、票を記した紙を隊長に渡す。

僅差ではあるが、結果は捕獲派に軍配が上がっていた。


「…協議の結果、奴の捕獲作戦を実行する事となった!詳細な手順は既にアナライザーたちに伝えてある為、詳しくは彼女らに確認してくれ。」


結果発表後、テント内では僅かに口論が起こったが、眼鏡の青年魔導士の働きもあり、無事に会議は終了した。


「君の働きに感謝する。君、名前は?」


「エルと言う者です。ええ、今回招集された、三人の神話級冒険者のうちの一人です。ああ、こんなことを言ってしまっては、少し自慢っぽく聞こえてしまいますかね。」


水色の僧侶法衣を身に着け、首には十字架のあしらわれたネックレスがぶら下げられている。

髪は短い茶髪で、長旅だったろうにも関わらず、しっかりと整えられていた。


「ああ、では貴方が、今朝到着したという…」


「すいません、フリットン山脈からここまで、思いのほか距離がありまして、いやはや…」


っと、エルはそのダンジョンのある方角に目をやる。


「…それにしても、奇妙ですね…」


「?」


「今まで出現が確認された伝説級ダンジョンは、どれも秩序とは無縁の邪神系モンスターばかり出現していたのですが、今回はまるでその逆です。…門番とやらは、種類は分かりませんが、恐らく神獣の類でしょう。この時点で既に、歴史に残る新発見ですよ。」


「おお。では、本国に戻れば、俺も偉人の仲間入りと言うわけですか。」


「ふふ。ええ、きっと。その後のことは、我々にお任せ下さい。神話級冒険者に、僕の師にかけて、あのダンジョンを攻略してみせますよ。



「隊長!魔法陣の最終準備、完了しました。」


隊長がその現場に到着する頃には、既にダンジョンの入り口前に巨大な魔法陣が完成していた。


「そうか、何か奴に動きは。」


「それが、魔法陣を描く僧侶の一人が…奴に観察されたと証言しております。」


「観察?…やはり、敵意が無いものに対しては温厚なのだな。」


条件的な敵対。

それは、紛れも無く神獣の特徴と一致していた。


「では、全5地点での詠唱を開始してくれ。」


「かしこまりました。では、こちらを渡しておきますね。」


報告官は隊長に、一つの魔石を手渡した。

いびつな形をしており、若葉のような緑色をして、氷のように透き通った手のひらだいの石であった。


「……お。」


隊長はふと、魔石に反射した自分の顔が目に入った。

手入れのされていないボサボサの茶髪に、土埃で汚れた中年男の顔。

いつのまにか、被っていたヘルメットは欠けており、かなりみすぼらしく見えてしまっていた。


「…帰ったら、シャワーと行きますかな。」


「隊長、全5地点での詠唱、および魔法陣への魔力装填、全て完了しました。」


「何!?」


「ええ、私も驚きましたよ。まさかこんなに早く終わるなんて。しかし、いかんせん儀式の妨害も無ければ、ここに集うのは曲がりなりにもラクリマジカ直々に指名した有力者ばかりです。当然の結果といえば、それまででしょう。」


隊長は少し驚いたが、すぐに軽い足取りで魔法陣の前に移動した。


“………”


魔法陣の内側には、先日殺戮の限りを尽くした獣が、うろうろと歩いている。

特段暴れたりする様子も無い様だ。


「…起動!」


隊長はその掛け声とともに、手に持っていた魔石を魔法陣に向けて掲げる。

魔石はすぐさま氷のように溶けていき、魔法陣の中に染み込んでいった。

不思議と、隊長の手は一切汚れなかった。


“………”


魔法陣は淡い緑色の光を放ち始め、魔法陣とともに少しずつ収縮して行く。

獣は相変わらず、ただ事の成り行きを見守っているだけであった。


「…神獣というのは、本当に呑気なものだな。」


魔法陣は最後、一本の光柱を放つ。

光が晴れた先には、魔法陣も、億魂式神の姿も無く、ただ一つ魔石が落ちているだけであった。

隊長はそれを、そっと拾い上げる。

物自体は先程使った魔石と同じだが、体積は倍ほどに膨れ上がり、形も長方形に変わっていた。


「本当に捕まえちまった…」


「思ったよりも呆気なかったわね。」


周囲の冒険者は多少困惑しながらも、皆安堵した様子であった。


「よし、では、今回の戦果はこの獣とし、第十二分隊以外は、私と共に直ちに帰還する。…ああ、皆も気付いているように、どうやらラクリマジカの手に負える代物でも無かったらしい。」


と、戦場の緊張が途切れた為か、冒険者たちの中に少しずつ、涙を流す者が出始めた。

先の戦いでの犠牲の実感が、少しずつ広がっていったのだ。


「…ああ。しかし、彼らが命を賭して証明したやつの特性が、今回の戦果をもたらしてくれた。後日、私から国葬を手配しよう。」


隊長には、奇妙な安堵感があった。

もし自分達ラクリマジカがダンジョンの財宝を受け取ってしまえば、ただでさえ危うい国の情勢が、完全に崩壊してしまうからだ。

ラクリマジカにある財宝目当てに、他の諸国が連合を組み、戦争を勃発させる恐れがもある。


「世の中、上手く出来てるもんだな。」


半分以下にまで減ってしまった大隊を率い、隊長は馬を駆った。



「…てと、ねえ、起きてよ。僕たちの出番だよ。」


木の上で眠っていた翡色の剣士を、エルはその杖でトントンとつついた。


「ん?…ふわぁ…大分静かになった…」


「ああ、補助専門部隊のなんとか分隊以外は、みんな帰っちゃったからね。…もういいよ、ディアン。」


「そっか。」


翡色の剣聖、もとい、神話級冒険者ディアンは、先程まで寝床にしていた木から飛び降りる。

それと同時に、彼の人相は一気に変わった。


「…たくよぉ…全力で支援しますー…とかほざいてた癖に、いざことが起これば尻尾巻いてトンズラかよ…これだからお国ってのは信用できねぇわ…」


「まあまあ、彼らは一応冒険者産業には力を入れてはいるけど、所詮はピンキリだからね。…あれ?そういえばカナちゃんは?」


ディアンはけだるそうな目を擦りながら、此処から少し行った場所にある森林を指さした。

次の瞬間には、何かが爆発し、そこはただの焼け野原へと変貌していた。


「あは…あはは…」


吹き上げる炎の中から、赤いローブを着た少女が現れる。

フードからは若干カールした金髪が零れ落ち、容姿は十二歳そこらの、青目の少女だった。

その口には、丸焼きになった何かの動物が咥えられていた。


「ははひは(ただいま)」


「ねえ、君の辞書に緊張感って言葉は無いのかね。無いなら僕が書き加えようか?」


「へふひひふほふへほはひへひょ(別に必要でも無いでしょ。)」


「はあ…死んじゃっても知らないよ。」


「ほほふ…」


カナと呼ばれたその少女は、先ほどまで口にくわえていたその動物を、超高速で平らげてしまった。


「その時は、貴方がお葬式やってね。プリーストなんだし…火葬でも散骨でも、何でもいいからさ。」


「そんな縁起でもない…」


と、二人の会話を黒光りする大剣が遮った。


「いつまで駄弁ってんだ。とっとと行くぞ。」


ラクリマジカの冒険者は、唯一第十二だけが支援と言う名目で残っていた。

がしかし実際は、彼ら自身はダンジョンに入るようなことはせず、周囲の監視などが主な役割であった。


“コンコン”


ディランは、律儀にその木扉をノックする。


「おーい、誰かいませんかー。…オラよ!」


直ぐにその扉を蹴り破り、ダンジョンの中へと侵入していった。

娑雪が用意した、偽の都に。

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