弐拾捌
「……?」
エルピは、再び目を覚ます。
龍の襲来、家族の死、その全てが、ただの悪い夢である事を願った。
が、失った両腕が、それが現実に起こった事だと少女に証明した。
「おお!目を覚ましたんだね!」
「…此処は?」
「第6管区の医療院だ。いやー獣人ってのは強いもんだね!」
清掃の行き届いた、日の光の当たる木造りの小部屋。
傍には、一輪の白い花が飾られた、丸机だけがある。
カルテの様なものを小脇に抱えた、黒い単髪の青年が少女の顔を覗き込む。
「…シアは…ダルクスは…クレンは…」
「…第四管区に居た冒険者は、君以外は皆…」
「……そう……ですか……」
ふと、彼女は自分の身体の変化に気が付く。
無事であったと記憶しているもう片方の腕も、失ってしまっていたのだ。
「………」
「蛇飛龍の毒に侵されてしまっていて…斬らなければ危険な状態だった。済まない…」
「そうですか…救って頂き…ありがとうございます。」
「え?ああその事だが…いや、何でも無い。」
「……?」
青年は何かをぼやかす様な余韻を残し、少女の病室を後にした。
「……」
(これから…どうしよう…)
この身体では、一人では自分自身の面倒すらも見ることは出来ない。
間違い無く、冒険者も解雇になるだろう。
「…とっとと此処から逃げちゃおう…」
治療費を払える自信が無い為、少女はこっそりとその医療院を抜け出していった。
〜
「粥じゃ。食え。」
粥で満たされた土鍋を、娑雪は自らの寝室に運ぶ。
そこで休む、富季の為の物だ。
「……ありがとうございます……」
式神は、基本的に肉体的な死の概念は存在しない。
故に、精神的な死が式神の死となるのだ。
「明日は祭りじゃ。元気出せ。」
「…私のせいで…家族が…」
「心配は要らぬ。仮に肉体が駄目になろうとも、人の魂と言うのはそうやわじゃあ無い。輪廻し、またどこかで生を始めるじゃろう。」
「…そうですね…きっと…」
れんげに掬い、富季は粥を食べ始める。
式神が摂った食事は、分解され気化し、糧となる。絶対必要と言う物では無いが、無意味でも無い。
(明日は祭り…か…)
「…?主様?娑雪様?…どうされました…?」
「む、何がじゃ?」
「…あそこには確か、面が掛かっていた筈…」
「ああ。」
娑雪の部屋の床の間に、無数に面が飾られている場所がある。
付ける物に神格を宿す、神聖な物とされる此処の面は、基本的には、人間より娑雪への捧げ物だ。
「ふむ…何処かで無くしてしまったのかの…?心配要らぬ、必要な時は、直ぐに見つけ出せるからの。」
「そうですか…なら、良いんですが…」
自分の持ち物に対しては、至って几帳面な娑雪。
富季は、紛失したなどと言う事は、直ぐに嘘だと見破ってしまった。
しかし、富季はそれ以上の詮索はしなかった。
「…お粥、ありがとうございます。元気が出ました…少し、散歩に行ってきても良いですか?」
「おお、それは良かった。…しかし、出来れば都の外には出ないでおくれ。少し術の検証がしたいのじゃ。」
「分かりました。では失礼します。」
部屋を後にする富季を見送ると、懐から漆塗りの木の板を取り出し、垂らした耳と口元に当てる。
「どうじゃ、何か見つかったかの。」
『あーんと、何かちょくちょく人間みっけるが…それ以外は特に何もねーな。おい水叉、そっちは?』
『ににに似たような感じっす。…あれ、まま前もこんなににに人間…い…居ましたっけ?』
「そうか、そろそろ帰ってきて良いぞ。妙な事を頼んで済まなかった。」
『へへへ、あ、そうだ水叉!ここなら、制限速度なんてもんはねえだろ?』
『へえ…じじじ自分と勝負するつもりっすか?良いんすか?本気で行くっすよ!』
『決まりだな。先に神社に戻った方が勝ちだ!行くぜぇ…』
水叉と、いつの間にやら神社に現れていた京ノ皇には、神社周辺の偵察を依頼していた。
彼女達のカーチェイスで怪我人が出ないように、富季には境内から出ないように指示したのだ。
「…人が数人見つかった…か…」
懐にしまってあった面を、彼女はそっと取り出した。
陰陽玉を模した、白と黒の勾玉をぴったりと組み合わせた様な配色の面である。
目に当たる部分に、丸い穴が二つだけ空いている。
「…あまり気が進まぬな…」
〜
「はあ…はあ…ぜえ…」
「へへん!見たか!あたしのドライブテクニック…」
「明らかにその速度は、おおおかしいっすよ!」
「え?別にそんな事無いと思うが…」
不自然な敗北に納得の行かない水叉は、京ノ皇のバイクに近づいて行く。
「ちょ…あんまり近付くなよ…」
「…何すかこれ…このバイク、おおおお酒の匂いがするっすよ!」
「いや…それは…」
水叉は、強引に京ノ皇のバイクのガソリンキャップを開ける。
「ん…うわ!?」
その瞬間、水叉はほんのり顔を赤らめ倒れる。
「ここここれって…ましゃか…しゃぁ…しゃゆきしゃまの…」
「…誰にも言わないでな。一滴垂らしてそこに火い付けただけで、二ヶ月燃え続ける燃料なんてそうそうねえと思ってな…バイクも、ちと細工したんだ。」
と、京ノ皇の太ももを、小さな手がポンと叩く。
「その酒は、どこで手に入れたんだ?」
「そりゃ…え?……荒犬神…様…?」
◇
〜
「おお、これは…」
荒犬神は、水叉と京ノ皇の案内の元、京ノ皇の家に訪れていた。
京ノ皇の自宅。二階建ての、現代風の一軒家の裏庭には、ブルーシートで覆われた何かが置いてあった。
「…頼むから、あたしがこれ持ってたってこと、誰にも言わないでくだせえよ。」
ブルーシートを剥ぎ取った中には、一つの大きな酒壺が置いてあった。
そのすぐ近くに、酒造りの為の、町の外れにある田に繋がる転移陣もある。
「うーむ…しかし、人里から醸造設備を持ち出し、造った酒をガソリン代わりに使うとは…」
荒犬神は、京ノ皇の顔をじっと見つめる。
目を丸くし、冷や汗も垂らしていた。
相手が家神となると、下手をすれば祟られかねるのだ。
「まあ、状況が状況だ。今回は多めに見てやろう。」
「あ、ありがとうございあす!」
「ただし、もうガソリンに使うのは無しじゃ!幾ら何でも危険過ぎるぞ!これは貰っておくぞ。」
「す…すいません…」
荒犬神は、剛鬼を一体練ると、煉龍酒で満たされたその酒壺を運ばせ、去っていった。
「?煉龍酒なんて、人間共に作らせときゃ良いんじゃね?どうして必要になんて…」
「ええっと、いい…色々あったんすよ…」
「ふうん。…よっしゃ水叉、そこのレンチ取れ。」
「ん?」
「あたしのバイク、元に戻すぞ!」
「ええ…じじ…自分もやる…や…やるんですか…?」
「あたりめえだろ!ほら、初めっぞ!」
「めめ…面倒臭いですね全く…」
〜
「なーるほど。大体分かった。」
龍の襲撃から暫くして、龍の住処に調査員が送られた。
いざとなれば直ぐに帰還できる様に、ワープ用アイテムを無数に携帯している。
『何か分かったか。』
「ああ。理由は良くは分かんねえが、理屈は分かった。」
調査隊の隊長が、龍の住処、岩山の洞窟にある、大きく軽い骨を拾い上げた。
「此処にはシグルムの骨、そっちには魔族系モンスターの武器片。多分だが、何らかの理由でダンジョンから中型、大型モンスターが抜け出し、魔力の多い所に集まった。その結果ドラゴンとの戦闘になり、ドラゴンの一部が負傷。その結果、いつもより獲物が多く必要になったってとこだろ。」
富季が追い払った巨鳥に、娑雪が制圧した魔王城の残党。
それらが立て続けに、魔力の力点であるこの洞窟に辿り着いたと言うのだ。
“グルルルル…”
「おっと失礼マダム。俺たちゃそろそろ帰還すっぞ。これ以上いては、巣にいる雌竜達のランチにされちまいそうなんでな。」
『了解した。これは初めてのケースだな…人里離れているからといって、ダンジョンをのさばらせる理由が無くなったな。』
「はあ、まーた冒険者達の仕事が増えそうだなーこりゃ。」
部下を帰還させた後、隊長はポケットから、テレポートの為のカードを取り出す。
「…はあ…はあ…早く…帰って来て…」
「?」
隊長は、恐る恐る声のする方に歩いて行った。
そこには、雌竜に守られる様に眠る、一人の少女の姿があった。
(ドラゴニュート!?すげえ、初めて見たぞ!…しかし…もう長くは無さそうだな…)
「……?」
と、ドラゴニュートの少女は、その隊長の姿に気が付いた。
「何の用だ人間。此処を竜の巣と知っての侵入か。用が無いなら帰れ。喰うぞ。」
「いつでもこいつで帰れるのでね。まあ、もう少しゆっくりさせてくれよ。」
長く紅い髪と瞳。
頭からは二本の短い角が生え、腰のあたりからは赤い鱗で覆われた尻尾も生えていた。
身体には、麻の布切れの様なものを纏っている。
「失礼お嬢ちゃん。まずは自己紹介をしよう。俺の名前はジッド。あんたらのとこの竜に襲われた国の、調査員…まあ、使者みたいなもんだな。」
ジッドは帽子を脱ぎ、顔がよく見える様に前髪を掻き分けた。
パサついた短い茶髪に、ピアスや首飾りなどの高そうな装飾品の数々。キザな不青年といった印象だった。
「ふん。人間風情が、大人しく餌になっていれば良いものを…待て、ならば何故奴らは…」
「ああ。因みに、やってきたドラゴンは皆んな纏めて喰われちまったぜ。」
「…何…?嘘を付け!あいつらが人間如きに負ける筈が…」
「勿論。お前らからしちゃあ餌にしか見えねえ人間じゃ、束になっても敵わねわな。ただ、お前らの事が餌にしか見えねえ奴が、地の底から現れちまったのさ。お互い災難だな。全く。」
「我々を誑かすつもりか…いい加減に…!?」
ドラゴニュートはふと、彼の身につけている首飾りに目を奪われる。
別々の種類の竜の瞳が連なった、色鮮やかな物だった。
「…ンエフ…?…エイジド…?…ィニン…?嘘だ…」
「そういや竜の目ってのは、まるでガラス玉だな。奴さんも、皮とか鱗とか骨と一緒に残していっちまったんだよ。ま、俺たちからしちゃあ有難いとこばっかなんだがな。」
「貴様…良くも…人間の分際で…!良くも!」
周囲の空気が熱され、あたりに陽炎が現れる。
周囲の雌竜達も、彼女の怒りに呼応したかの様に唸り声を上げる。
(おっと、流石に煽りすぎたか。仕方ねえ、帰る…ん?)
立ち上がろうとしたドラゴニュートだったが、変色した傷口から湯気の立つ血を吹き出し、再び地面に伏してしまった。
雌竜達の唸り声が、不安そうな鳴き声に変わる。
「くう…何故だ…こんな傷如きで…何故…」
「おうおう。じゃ、せいぜい短え余生を楽しむこったな。」
ジッドはテレポートカードを再び取り出す。
「うう…ぐっふ…」
「………」
(何考えてるジッド…相手は人喰いのバケモンだぜ…?おい、やめろ、お前らしくねえぞ!おい、何でカードしまっちまうんだ!俺は何考えてんだ!?)
「良く聞け嬢ちゃん、そいつはただの傷じゃねえ、呪い属性の傷だ。ほっときゃそのうち…」
「うるさい!貴様ら人間と一緒にするな!ドラゴンの血を…甘く見るな…ぐふ…」
「受けた時はただの傷だが、すこーしずつ周りが変色してきただろ。ドス黒く。で、その辺りがポロポロ崩れ始めただろ。」
「!?…だったら…どうなる。」
「最終的にゃ体が壊れて死ぬ。へっへっへ、結局、ドラゴンもフツーの生き物ってこったな!…ん?」
良く見れば、周囲の雌竜達にも同様の傷がある事に気が付く。
「…おのれ…このままでは…子供達が…!」
「あ?ガキだ?」
彼が耳を澄ますと、最奥部の方から微かに高い鳴き声が届いて来た。
(…落ち着け、今ほっときゃここらのドラゴンは全員死ぬぞ。お前も見ただろ!あの酷い惨状をよ!あいつらに同情する事なんてねえ!おい!そっちに行くなー!)
「おらよ。」
ジッドは、背負っていたバックパックから、台座に乗った透明な宝石を取り出す。
まるで木漏れ日の様な優しい光で、薄暗い洞窟を微かの照らしていた。
「“聖者の祈り”だ。こいつを使えば、ワンチャンその傷をどうにかできるかもしれねえ。」
「…!それをよこ…」
「おおっとタダとは言ってねえ。俺を喰うかも知れねえ奴を、そう易々と助ける訳ねえだろ。」
「……何が欲しい。」
それを聞くと、ジッドはバックパックから、今度は羊皮紙を取り出した。
「契約書にサインしな。一に、もう二度と人間を喰わない襲わない。二に、俺の言う事は大体聞け。三に、なんか対価をくれ。」
「…………」
少女は、しばし周囲の様子を眺める。
本当に、ただ誑かされているだけかもしれない。
「…どっちみち死ぬだけだ。良かろう。」
ドラゴニュートがそう答えた瞬間、ペンも無しに契約書にサインが現れた。
「クラン=フィーナ…か。可愛い名前じゃねえか。ほらよ。魔力を流しこみゃ、聖属性の治癒魔力が湧き出る仕組みだ。じゃ、あーばよ。」
男はそう言い残すと、ワープカードを使い国へと帰っていった。




