弐拾陸
陰陽世界を、獣の様な轟音が鳴り響く。
ピンクや黄緑で、サイケデリックに装飾されたバイクに跨る圭ノ皇は、早朝の住宅街にも関わらずトップギアで走行していた。
「ひゃっふーーー!風が気持ちいいぜー!」
一見すると、彼女の着る服掃は、元は黒い着物の様だ。
がしかし、極限まで短い衽や、背中部には巨大なリボンが付いており、袖もノースリーブと、至る所が改造されている。
既に元の着物とは、全くの別物となっていた。
赤と青のその瞳は、少しづつ祭りの装飾で彩られていく神社を見据えている。
彼女はそのまま、座席の上に立ち上がった。
一切の操作をされていないにも関わらず、そのバイクは彼女の思う通りの走行を続けていた。
“パシン!”
「?」
と、唐突にそのバイクは動きを止める。
彼女が背後を向くと、後輪に布のような物が絡みついていた。
「げ、辻神!?」
「貴様…今何時じゃと思っとる!」
目の模様が描かれた白い布の姿の妖怪が、彼女を引き留めていたのだ。
「クソ…離せよジジイ!あたしを誰だと思ってる!」
「この不良が!役場に来い!ガツンと説教を…」
彼女が思い切りハンドルを捻ると、突然パイプから半透明の炎が噴き出し、辻上を振り切ってしまった。
「うおお!?すっげえ!やっぱあの燃料やべえや!じゃあな爺さーん!」
「こら!待て―!…?この匂い…」
置き去りにされた辻上は、彼女のエンジンから発せられた微かな気体にあてられた瞬間、ふらふらとその場に倒れてしまった。
~
「…………」
いくら壁の上で座り、平野を眺めていようとも、娑雪の不安が払拭されることは無かった。
もしかしたら、気にも留める必要が無いほどの小さな被害しか出ないかもしれない。
ただ何かしらの手を打たなければ、少なからずは確実に、都に被害が出てしまう。
(『多』とは何じゃ…誰か…教えておくれ…)
兎耳ごと、彼女は自分に髪の毛をぎっと握り締める。
祭りまで、あと4日。
予知した者の責任は、彼女が一番良く理解していたのだ。
「どうしたのマスター!」
「のあ!?」
突然の不意打ちに、彼女は思わず壁から都側に転落してしまう。
仰向けに倒れた彼女を、凪の少し眠そうな瞳が覗き込む。
「あ、空からマスターが。…はあ…奴瞰ー。」
「はいはーい!あ、マスター!そこに居たんだ!」
「…」
いつもと変わらぬ二人の様子に、娑雪は少し安堵した。
「ねえねえマスター!最近ずっと壁の上に居るけど、どうしたの?」
「何でもないぞ。少し…考え事をな。」
防御結界で事足りるかも知れない、又は、彼女がどうあがいても避けられない災厄かもしれない。
神であっても、彼女であっても、未知に対すしては畏怖を抱く。
更に、既に彼女は一度、読みを外しているのだ。
「…のお、多と聴いて、うぬらは何を連想するかの。」
「?」
「?」
二人は突然の事に少しきょとんとした。
と、先に口を開いたのは奴瞰だった。
「多いってのは、幸せだと思う!お饅頭は一個よりも二個のほうが良いし、沢山あったら友達に分け合ったりもできる!多いって幸せ!」
「ふむ…成程。」
と、凪も直ぐに答えを出す。
「多いって、私は怖いかな。可愛いものも、同じものがいっぱいいたら怖いし、虫とか小動物とかは、多ければ多いほどそれだけ気持ち悪いし…それに、同じ生き物がいっぱいいたら、それだけ沢山の食べ物とか寝るところとかも必要になるでしょ?例えば…人間とかがそんな感じだと思う。」
「…む?今何と?」
「えっと…同じいきも…」
「その次じゃ。」
「人間とかが…」
娑雪は、唐突に凪の事を抱きしめる。
「うぷぷ!?」
「あ!凪だけずるーい!」
「ふ、主も来い。」
奴瞰も、娑雪の胸に飛び込む。
「っぷは!何がどうしたんですかマスター。」
「ふふふ…主のお陰で、私のやるべきことが見えたぞ。感謝するぞ、凪。」
「は…はあ…」
っと、娑雪は突如、血相を変えて式神を一枚引き寄せる。
「……」
「ま…マスター?」
彼女はそのまま、黙ってその式神を胸に抱く。
「…そうか…富季…可哀そうに…」
「?」
~
「……」
悲鳴が飛び交い、周囲のあちらこちらから火の手が上がる、雨の降る街道の真ん中。
富季の鼻を、少々腐敗した人血の臭気が突く。
彼女の目の前に広がっていたのは、歩道を埋め尽くさんばかりのどす黒い血の池と、彼女に出来たばかりの、もう一つの“家族”の無残な姿。
「お前、早く逃げな!」
「…」
「ああ…彼らは、学院から避難してきた子供たちを守って、そこで戦っていたんだ…立派だったよ。彼らを想うのなら、一刻も早くこっから離れろ!」
「…どうして…」
「ドラゴンだ!ドラゴンの群れが飛来してきたんだ!どういうわけか有力な冒険じゃはみんな国を出ちまったんだ!良いから…っち、こっちに一匹来やがった…喰われても知らねえぞ!」
荷物と赤子を抱えた男が、街の外の方へと走っていった。
事が始まった当初は、彼女は陰陽世界で祭事の準備をしていた。
もしこの街に残っていれば、何かが変わっていたかもしれない。
「……」
一粒目の清らかな涙が、彼女の頬を伝う。
彼女の左の頬に、一筋の赤橙色の亀裂が走る。
「…」
二粒目の涙。
粘性を帯び、溶鉄の様な橙色をしていて、雨に降れた時には水蒸気も立ち上った。
「…家族を…私は…」
ただただ骸を見つめる彼女の元に、緑色の鱗を持つ龍が一体飛来する。
“ギャアアアアアアア!”
獲物を見つけたとばかりに、龍は彼女に向けて、その鋼鉄をも切り裂く風の元素を帯びた爪を振り下ろす。
“ガキン!”
しかし、彼女はその爪を素手で受け止めてしまう。
彼女の右手の外皮はボロボロと崩れていき、赤橙色の基質が露になっていく。
“ギャアアアアア!?”
そのあまりの高温に、龍の爪が焼けただれる。
龍の方に振り返った彼女の顔は、既に半分崩れ、左目は猛獣の様な輝きを湛えていた。
「すううう…“ガアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!”」
まるで地の底から響くような、低くおどろおどろしい雄叫びをあげる。
地上最強の種族であるドラゴンが、彼女の威圧に後退した。
ただ、彼女はその雄叫びを最後に、外皮は紙となって焼かれ、溶鉄の様になり地面の中へと消えていってしまった。
~
「嘘だろ…」
男がかつて目指してた、街はずれの避難所。
底は既に、巨龍達の食卓と化していた。
(ああ…あいつにかまってなければ…俺は…この子は…今頃…クソ!)
今は亡き友より託された子。
男は踵を返し、貴族街の方へと向かっていった。
もし馬車が乗り捨ててあれば、まだ希望があったのだ。
“ギャオオオオオ!!!”
「!町は小龍だらけか…これじゃあ無事に戻れるかも分からねえ…」
男は、腕の中で不安げに呻く赤子に目をやる。
「…この世界に…神は居ねえのかよ…返事しろよ!この臆病者!」
と、男の背後から、木々や建物を粉砕しながら、岩龍が迫ってきた。
“ゴオオオオオオ!!!”
「うう…なんでもいい…誰でもいい…誰か…誰か…!」
突然、男と岩龍を阻むように、地面に黒い五芒星と、無数の梵字が、まるで見えない筆で描かれているかのように現れる。
次の瞬間、陣の刻まれた地面が下側から突き破られるようにして破壊され、それは現れた。
「…あ…?」
赤黒い眼光を湛え、体には注連縄。
白い体毛に包まれ、四足獣であるにも関わらず、その背丈は4メートルを超えていた。
“………”




