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弐拾肆

「…ふうう…」


先ほどまで机に向かっていた娑雪が、糸が切れたように机に伏す。


「輕陀よ、これを彼女の元まで運んでおいておくれ。」


「これって…まさか…」


「思いのほか簡単で助かったぞ。」


輕陀が渡されたのは、まさに字海と化した巨大な巻物。

漢字やひらがなと言った日本語と、グニャグニャとした未知の記号の様な物が入り乱れていて、輕陀は直ぐにそれが何かを理解できた。

娑雪は、この世界の辞書を作ったのだ。


今までも式神とこの世界の人間の交流があったが、その度に、即席の翻訳術によって何とか会話を成立させている状態であった。

言葉を一度、その中に込められている思いまで分解し、次に相手が最も親しい言語に作り替えて再び伝えるという方法。

この術の術者は娑雪ではないため、それ相応の労力なども生じ、当然完璧でもない。

故に冒険者を調べる為に遠くに送り出したのは、比較的口数の少ない富季なのだ。

そして娑雪は、各地から彼女たちが集めてきた“言葉”を調べ上げ、言語の基盤となる辞書を書いたのだ。


「…かしこまりました。」


輕陀はそのずっしりと重たい巻物を抱えると、娑雪の部屋を後にした。


「…?」


娑雪の部屋に、一羽の小鳥が入り込む。

それは、いつか造り放った小鳥の式神だった。

彼女は、懐から折りたたまれた和紙を取り出し床に置く。と、その小鳥は徐にその上に飛び乗り、和紙に溶ける様に消えていった。

和紙は独りでにパラパラと開く。そこには、今まで世界中のどこにも存在していなかった、この世界の世界地図が描かれていた。


(ふむ、此処のほかにあと二つ大陸があるのか。富季は今この大きなほうに居るらしい。)


と、彼女はふと奇妙なことに気が付く。

人為的とも自然発生ともつかない不自然な地形が、地図の至る所に見受けられるのだ。

この現象には、彼女は覚えがあった。


(…この世界は、まだ神話時代なのか?)


神が地上に対して頻繁に干渉を行っていた世界の地図にも、この様な特徴が現れていた。

神話の時代に名を挙げる事が出来た神は、数千年先まで安泰だったというのも彼女は聞いたことがある。


「…」


力量はどうであれ、彼女はどこまで行っても付喪神。

前の世界では、せいぜい村一つか二つに信仰される程度の存在だった。

しかしこの世界なら、或いは。





輕陀が襖を開くと、一面畳張りの部屋にたどり着いた。

その部屋の中心には四角い穴があり、梯子で下まで降りられるようになっていた。

彼女は当然のごとく、その穴に飛び降りていく。


“パシャ…”


「ひゃ!?み…水!?」


穴の底は光がほとんど無く、地面には薄く水が張っていた。

しかし不思議なことに、木製の壁や、水の下にある畳に腐食やカビなどは見当たらない。

穴の底の壁には鳥居の絵が描かれており、水はそこから現れているらしかった。


輕陀は最初少しためらったが、直ぐに闇の中ぼんやりと佇むその鳥居の絵を“くぐって”いった。


「…京我(けいが)様、ご主人様より物品を預かっております。」


どこまで広いのか見当もつかない暗い空間。

背後には本物の鳥居が聳え立ち、その鳥居の後ろにも淡い闇が広がっていた。


「シュー…シュー…」


鳥居からしばらく直進したところに、一体の家神が眠っている。

口には、四方八方に浮遊する何かしらの器具にパイプで繋がった呼吸器を付けていて、下半身は足の代わりに、蓮の花を模した台車になっている。


「…輕陀…か…?」


四角い箱の様な無数の器具がその家神の周囲に浮遊していて、機材に守られるようにして彼女の上半身がある。

台車の辺りまで伸びた銀髪に、僅かに開いた青い瞳。

華奢な腕や胴体は包帯で包まれており、腰には体と台車の繋ぎ目を隠すように布が巻かれている。

老婆の様なしわがれた声とは裏腹に、その体格や顔立ちは幼女のそれであり、久戒丹とはまた違った異様さを帯びていた。


「御体の調子は如何ですか?京我様。」


「…早く…それを寄こせ…」


「申し訳ございません。只今。」


輕陀はその巻物を、京我の前に降ろす。

と、京我の周囲の器具から無数のワイヤーの様な物が伸び始め、開かれた巻物の文字を辿るように動き始めた。

チチチチと、微かな電子音の様な物が聞こえる。


「…もう…良い…お前の熱で…気分が悪くなる…」


「申し訳ございません。失礼します。」


輕陀は京我にお辞儀を一つすると、足早にその空間から去っていった。


(…京我様はやっぱり不愛想で苦手…あんな暮らしをしていればああなるのかもしれないけれど…)


他の有我式神がデバイスだとすれば、京我は言わばサーバー。

彼女の記録が式神たちの“常識”となり、彼女に届いた命令が、全ての式神にも届く。

ただ彼女自身は酷い人間不信で、ああしていつも、自身の幽世の中に閉じこもっているのだ。


(…ああ、情報が手当たり次第に頭に叩き込まれている気分だ…)


こうして式神達は、京我の術ではなく自身の知識に基づいての、この世界の住人との会話が可能となったのだ。



「…そうだったんすか…たたた、大変でしたね…」


「シイイィィィィィィ…」


水叉と久戒丹は、陰陽世界の公園のベンチに座り、自身らの身の上話を語っていた。

二人とも、明日から多忙となる。


遠い昔、久戒丹はとある高名な寺にあった大仏だった。

が、産業革命の際に不足していた金属の確保のため、気付けば溶かされ何かのエンジンに変えられていたという。

消え入りそうになっていた所を偶然娑雪に発見され、その廃エンジンを依り代に家神として生まれ変わったのだ。

最初は自身の姿に嫌悪し、娑雪の地下空間にほとんどの時間こもっていたが、とある事柄をきっかけに地上に出ることを決心したという。


水叉は、千年前の都の、とある貴族が代をまたぎ愛用していた馬具の付喪神だった。

そこを、当時手が足りず、方々から式神となる者たちを集めていた娑雪に目を付けられ、紙と気で出来た新たな肉体を受け取るに至ったのだという。

吃音は、その馬具の持ち主に起因するとか。


「………」


「そうすか。じじ自分もそろそろいいい行きますね。」


二人はゆっくりと立ち上がり、水叉は神社の方に、久戒丹は反対方向に歩いて行った。



バドリアの王室の中は、重苦しい空気で包まれていた。


「…城塞型ダンジョンが、破壊されたか…」


「どうやら、山岳ダンジョンと敵対関係にあったらしく…」


「つまり、魔王クラスのボスが、出現から一日で敗北したという事か。」


ダンジョンの難易度も、冒険者などと同じようにクラスが存在する。

初級、中級、上級までが、騎士級冒険者以下で対応できるクラス。

そこから先、超級、魔王級、伝説級は、此処からは隊長級や、その上位の英雄級冒険者が対応に当たらなければいけない。

特に伝説級は、方々から屈強な冒険者たちを集め、その上犠牲を覚悟しなければ攻略に当たることも出来ない。


「…やむを得ぬ…ラクリマジカに伝令を出せ。」


「かしこまりました。」



「…私が…冒険者…」


「研修終了おめでとう。トキちゃん。」


ラクリマジカギルドの建物の一室、クレンのパーティの部屋の中。

他の仲間に見守られながら、クレンから剣と魔法が交差した様なモチーフの刻まれたエンブレムが、富季の服に取り付けられる。

ラクリマジカの、冒険者の証だ。


「?」


クレンのつけているエンブレムは金色だが、富季の渡された物は白色をしている。


「ああ、君は今は兵士級だからね。でも心配は要らないよ。君の実力なら、直ぐに昇格できるさ。」


「そう…なんですか…」


「それで…この間の話なんだけど…」


「……」


「うちのパーティに…俺達には、君の俊敏さと瞬間火力が必要なんだ。…加入してくれないかい?」


「…私で…良ければ…」


「本当かい?ああ、ありがとう!」


それを聞くや否や、シアは座っていた椅子から富季に向かって飛び込む様に抱きついた。


「これでこれでこれで、あたしたち本物の仲間だね!」


「うげ…くるち…」


ダルクスはあいも変わらず部屋の隅で武器を磨いていたが、その口元はどこか微笑んでいる様に見えた。

と、エルピが恥ずかしそうにしながら、部屋の中心に集まる三人の元に向かう。


「あ…あの…」


震える手に握られていたのは、5枚の細長い紙。


「よ…宜しければですが…トキちゃんの冒険者認定のお祝いでも…近くの宴会場をとっておきましたので…よろしければ…」


シアが、エルピの震える手を握る。


「おお!流石エルピ!そういうとこ大好きだよ!」


ダルクスは、巨剣をそっと部屋の隅に置く。


「…たまには、騒音の中呑むのも悪く無いな…クレン、お前はどうする。」


「決まってるだろ。皆、出掛けるぞ。」

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