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拾肆

その日、バドリアの船舶案内所に、不思議な少女が訪れた。


「お嬢さん。親はご一緒じゃないのですか?」


カウンターを挟み、係員は少女に声をかける。

その船舶案内所は、切符売り場と待合のための沢山の長椅子だけというとても簡素な内装の割には、最近立て替えられたらしく非常に明るい雰囲気だった。


「...はい。」


その少女は人見知りらしいのか、係員と目を合わせようとはしなかった。

よく見るとその少女は、レザーの服に肩や胸を守るための部分鎧、金属製の小手にブーツと言う服装で、その装備はまぎれもなく冒険者のそれであった。

深くかぶっているフードの奥から、おどつきあどけない青い瞳が覗く。


「…そうですか。その年で冒険者とは…苦労されていますね。」


「…どこか…大きな街はありませんか?」


「大きな街ですか?此処も十分大きいとは思いますが...」


と、窓から吹き抜ける海風が、少女の被るフードを捲ってしまった。

係員はそのフードに隠されていた犬耳を見るや否や、大急ぎでカウンターに敷いてあったテーブルクロスを少女の頭に被せた。


「…!」


「さっき言ったことは取り消します。お嬢さんは、どうやらこの国でやっていくのは無理そうですね。」


少女はフードを被りなおすと、係員にその布切れを返却する。


「…?」


係員は少女に近寄り、小声で話す。


「この国には、まだ獣人に人権はありません。それどころか、精肉店で獣人肉が売られているような場所です。貴女が安全に暮らせる人間国は、ラクリマジカくらいでしょう。」


「らくり…」


「銅貨30枚で、ラクリマジカ行きの切符を売っております。そこに渡れば、貴女のような亜人種でも安全に暮らせます。あそこは冒険者産業も発展しておりますので、いいお仕事も見つかるでしょう。」


「…ありがとう…ございます…」


少女は懐から、中心に四角い穴の開いた、古びた銅製のコインを三十ほど取り出し、カウンターに置く。


「これは...通貨が違いますね。これは持っていますか?」


係員はカウンターの引き出しから、一枚のコインを取り出す。

何かの植物が精巧に刻印された、手で包み込めるほどの大きさの銅のコインだった。


「…」


少女が困惑している様子を見ると、係員は少女の手に切符を押し込める。

剣と杖が交差する絵の描かれた、長方形の紙切れだ。


「では出世払いと言うことで。」


係員はそう告げると、今までの少女とのやり取りをかき消そうとするかのように、通常の業務に戻って行った。


「いらっしゃいませお客様。今日は何をお探しで?」


「…ありがとうございます…」


少女は係員に頭を下げる。


「出向は午後からとなっております。くれぐれもお忘れ物の無いように。」



予定されていた時刻を大幅に過ぎて、ラクリマジカ行きの船が港に到着した。


「ボウケンシャ...剖検者?冒険者?」


娑雪に調べてくる様に頼まれた、冒険者という存在。

富季はその単語の意味を模索しながら、木製の大きな船に乗り込んだ。案内所とは対照的にこの船は随分と古びており、所々に修繕の跡が見受けられる。


「到着は明日の朝となっております。皆様、ごゆっくりお過ごし下さい。」


宿泊室から、富季はぼんやりと異界の海を眺めていた。

海の底を通り過ぎるクジラほどの魚影に、遠くのほうに見える巨大な鳥らしき物の群れ。

彼女の知る海とは、此処は大きく違っていた。


『調子はどうじゃ?富季よ、体は痛むか?』


「主様?いったいどこから…」


『主のふーど?の布に式神を縫い込んでおいたぞ。我ながらいい出来じゃろ?』


「は…はい!主様の声が聴けて、とても安心しました。...遠い異国で一人ぼっちになるかと…」


『私の可愛い式神を、独りにする訳が無かろう。』


「はい。安心しました!...本当に。」


『ふふ、何かこ困りごとがあれば、主の着る服に気を流せ。私の式神が勝手に拾って起動するじゃろ。」


彼女のフードから神気が消え、何の変哲もない布に戻る。

それでも、彼女はしばらくの間フードを手のひらで触れていた。


「…?」


微かに不自然な風を感じた瞬間、船体が大きく揺れる。


(高波?その割には外が騒がしい...)


不思議に思った富季は、客室から甲板に出てみる。


「金目の物を出せ!そうすれば女子供は生かしてやろう!」


「ぐ...グロリアスだあああ!!」


大きな鳥のような生き物に乗った、黒鎧の集団が、甲板へと飛来してきていたのだ。


「皆様船内へ避難してください!お客様の中に冒険者は居ませんか!?どなたか…」


「っち、うるせえぞ!」


避難誘導を行っていた船員の女性が無残に切り殺される。


(...ボウケンシャ...きっと、自警団のような物かな。何もなかった場所に突然山が出来ては、そりゃ怪しまれる...よし。)


客室に入ろうとしていた一人の襲撃者の足を蹴り上げ、盛大に転倒させた。


「何だ!?」


フルプレートアーマーが木床に打ち付けられる音に、他の襲撃者が一斉に反応する。


「……私には大事な御使いがあるんです……こんな下らない事で、航行を邪魔しないで下さい。」


ただただ略奪だけを目的としていた集団が、少女を中心に波紋の様に交戦体制に入っていく。


「やっぱり居たか冒険者!…おまけに、中々綺麗な顔じゃねえか。お嬢ちゃん。」


「…………」


富季は腕や肩の鎧を近くに脱ぎ捨て、黒鎧の集団の前に立ちはだかる。すぐ背後には、乗客の避難している


「すー…【基術・気装】」


彼女の手足が、薄灰色の軽装甲で包まれる。

質感は練物式神に似ており、戦国の武士の付ける小手や足装具を模した形をしていた。


(…たんかを切ったは良いけれど…)


敵の力量は、今の彼女では到底見極めることは出来ない。ましてや、彼女の苦手とする一対多の戦い。


「…装填。」


彼女の手足の装具が僅かに光を放つと、装具内部に淡く白い蛍火のような物がそれぞれ宿る。


対する黒鎧の集団は、相手が冒険者である以上迂闊な動きは出来なかった。冒険者と戦う上で最も重要な事は、相手の役職を瞬時に判断し、その役の苦手とする戦略をとることであった。

と、集団の中心部から、大斧を担いだ大男が彼女の前に歩み出る。


「そろそろ、そこどいてくれねえか?お嬢さん。」


「…この船に、乱暴しないのであれば…」


「…悪いね。これが俺たちの仕事なんだよ。」


次の瞬間、大男が右に横跳びをする。

すると、先ほどまで男の居た場所の後方から富季に向けて波動が放たれる。


「…!」


「今だ!殺れ!」


その実体のない攻撃を合図に、黒鎧の集団が一斉に彼女に向けて攻撃を開始する。


(...微かに体が重くなったような...運動不足って奴かな...)


彼女は手を床に付け、四足走行にて第一波の剣撃を全て回避する。

前方の近接兵集団を縫うように抜けて、一気にその後ろに居る魔道兵の元に到着した。


「あの動きはまさか…ファクトドッグ!?」


黒鎧の集団は、はじめ彼女を一般的な格闘者と想定して、素早さを落とす【スロウ】の呪文を初動に戦闘を仕掛けた。

が、当然のことながら富季にはこの世界の役職などには属しておらず、その戦法も彼女特有の物であった。

しかし、四足戦闘方と言う特徴がこの世界のファクトドッグと言う役職に共通していたのだった。


「ぎゃあああああああああ!」


硬い鎧を持たない魔法兵は、彼女の正拳突き一つで簡単に落ちる。


「クソ…奴を捉えろ!」


「一体どこに…ぎゃあああああ!」


パニック状態に陥った近接兵達が魔法兵の援護に来たところを見計らい、近接兵の脛や膝裏を打ち、転倒させたところで、頭部に拳の一撃を加える。

鎧越しでも昏倒する一撃だった。


「ふー…ふー……!?」


次の瞬間、彼女は右方向からの大きな衝撃によって甲板の端に吹き飛ばされる。


「良いぞマックス!」


彼らが船へ乗り込む際に騎乗していた、巨大な鳥のような生き物が、攻撃に使った足をゆっくりと降ろしていた。



(...阿奴の事じゃ。まさか死ぬことは無かろう。...死か...)


夕方少し前の神社の中、娑雪は自分の手のひらをそっと見下ろしていた。

四千年を過ごしたとは到底考えられない、タコ一つない白魚の様な美しい手であった。


(私も、いつか死ぬのかの…あとどれくらい生きていけるのかの…)


ふと、傍らに浮かぶ紙の式神から異様な気配がする。


「…なんじゃ?」


黄色がかりどこか粘着感のあるオーラが、その式神に纏わりついていた。

この式神は、富季の服に仕込んだ式神とリンクしており、何かあった時の為の身代わりとして機能するようになっていた。

その式神がこの状態になっていると言うことは、同じことが富季の身に起こるはずだったと言う事。


「…気では、無いな。まさか!」


すぐにその式神を捕まえ、手に取ってみる。

紙一枚分とは到底思えないほどの重量を帯びており、浮遊感も失いかけているその式神を、彼女は大事そうに気を練って作った球体で包む。

球体内部の時間を一時的に固着するかなりの大術であったが、彼女は意識せず、反射的に術をやってのけたのだ。


「…魔力じゃ…きっとこれが…!」


近くに居た侍女式神を呼つける。


「寺子屋に連絡するのじゃ。魔力の研究が始められると。」


「は。」


侍女式神の懐から一枚の式神が現れ、陰陽世界側の窓から飛び去って行った。


(娑雪様のあんなお顔を見るのはいつ振りでしょうか…)


娑雪の興奮冷め止まぬ様子を見た侍女式神は、ふとそんな物思いにふけっていた。



「シイイイイイイィィィィィ……」


「…そそ、そんなことがあったんすね。大変でしたね。」


始めは久戒丹の言葉を聞き取るための特訓として一緒に居た水叉は、次第に久戒丹の人柄、否、神柄に惹かれて、好んで彼女と共に過ごすことが多くなっていた。


「.....」


「そそそ、そんな事無いっすよ!自分はまだ穢れ無き乙女っすよ!…一度縁談が持ち込まれたんすけど、なんかうううう上手く行かなくて……その、仲人さんを消しちゃったんすよ。バズーカで…」


「シイイイィィ.....」


「な、いいいいい色々あったんすよ!別に破棄したかった訳じゃなくて…そそ…その…」


「.....」


「え?ななな何て言ったんすか?」


「...........!」


久戒丹は精一杯の速度で、水叉を自分の後ろに投げる。

水叉の立っていた場所に、巨大な怪物が降り立った。重い地鳴りが辺りを揺らし、怪物を中心とした窪みが現れる。

屈強な肉体を持つ二足歩行の犬の様な姿をしていた。


「久戒丹!今日という今日は、100貫と48文21銭、耳そろえて返して貰うぞ!」


「シイイィィィィィィ……」


「お前・・・街中で良くそんな下品な口が叩けるな!こうなったら力づくで・・・」


久戒丹は、水叉に何か合図をする。

水叉は何かを察したように、懐から木炭を一つ取り出し久戒丹に手渡す。


“バリ!バリ!ボリボリ!バリバリ!”


木炭を、主に鋼製の下あごを使いかみ砕く。

次第に、彼女の腹にあるストーブの様な開口部に炎が宿り始め、彼女の口からは僅かに水蒸気が漏れ出し始めた。


「シイイイイイイィィィィィ!」


「俺とやろうってのか?良いだろう!今日という今日はたっぷり痛めつけ…」


先ほどまでそこにいた筈の怪物が、気付けばはるか後方の建物の壁にめり込んでいた。

久戒丹は僅かに煙を上げる拳を解くと、再び水叉の隣に座った。


「シイィィ…」


「あ…あの大丈夫っすか?しゃしゃしゃ借金取りっすよね、あれ。」


「シイイイイイイィィィィィ……」


「成程、で身に覚えのない借金を背負ったと。闇金って奴っすね。きききっと。」


「...........」

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