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拾参

娑雪は、木材を組み合わせただけの、地下へと続く簡素な階段を降りている。

コツンコツンと、巨大な地下空間に、下駄と木の板の奏でる素っ気ない音が響く。


「……」


まだまだ先が長そうな事を悟った娑雪は、階段から飛び降り一気に最下まで降下した。

湿った石の地面に着地する瞬間に一瞬だけ彼女の身体は浮き上がり、400mほどの高さから小さな下駄の音だけをたてて着地した。


円筒形の巨大な地下空間で、壁を伝う様に古びた階段が螺旋状に設置されていた。

地下深くともあって年中湿っぽく、少し薄ら寒かった。壁には所々に御札が貼っており、広大な部屋の割には、ほんの数本の蝋燭だけで照らされている。

彼女のみが自由に出入りの可能な、本当のプライベートルーム。


“キィィィ…“


最下層の壁には、いくつもの木製の扉がある。彼女はその内の一つを開け、中に入って行く。

そこは“エントランス”よりも更に不気味な空間が広がっていた。


おびただしい数の地蔵が、薄暗く巨大な部屋の中のあちこちに並べられている。

地下であるはずなのに、その部屋には木や鳥居、さらには社や祠、小さな神社までもをいくつも内包している。

廃墟と化した神社や寺は、よからぬ存在の住処となってしまう事が殆どである。彼女はそういった物を出来るだけ回収し、別な事の為に再利用していた。


“ガガガガガ…”


傍に狐火を浮かべて周囲を照らしながら、彼女は目的の小さな寺を見つけ、歪んだ扉をこじ開ける。

塗装の褪せた大仏に見守られる様に、梵字の入った包帯に巻かれた、人型の物が静かに横たわっていた。


ミイラの様な状態のその人型の物に、彼女はそっと手を触れる。

と、包帯は白い光を放ちながら、焼ける様に消えて行く。


「…安定したの。」


包帯の下から現れたのは、9歳ほどの少女の様な姿をした眠れる式神。

服などは身につけておらず、銀色の長い髪から、垂れた犬耳が僅かに覗いていた。


久戒丹(くかいたん)よ。彼女への気の提供、感謝するぞ。」


狐火に照らされていない暗い所から、人影がゆっくりと明かりの元に現れる。


久戒丹も、娑雪に仕える家神の一柱だが、その姿は異様と言う他なかった。

黒灰色の肌に、2メートル程の身長。その顔は、一見娑雪の様な円熟した美女に見えるが、その下顎は薪ストーブの扉の様な、縦長の通気口の空いた分厚い金属製であった。

花魁の着るような華やかな赤い着物を着ているが、その服は全体的に煤けており、背中や胴体…もとい、上半身の殆どを露出していた。

胸にはサラシを巻いていたが、腹には蒸気機関の燃料露の様な物が付いている。背中からは二本の鉄パイプが、彼女の頭上まで伸びている。

その、明治時代の蒸気機関を思わせる機構の割には、何処にも蒸気や炎は灯ってはいなかった。


「シイイイィィィィィィィィィィィ……」


「そうなのか?済まぬ…最近は忙しくての。」


「シイイイイィィィィィィ………」


「何?主…地上に出たいのか…?」


「シイイイイイイイイイィィィィィィィィィィィ………」


「…私のせいで、主は物言えぬ身体になってしまった…その様な姿になってしまった…それを、主は私を許すと言うのか…?」


「シイイイイイイイ!……シイイイィィィィィィ……」


「久…戒…た…」


娑雪は居ても立っても居られなくなり、目に涙を湛えながら、その無機質な美女に抱き着いた。

その身体は堅く冷たかったが、とても、暖かかった。



「エイレン!」


“バン!”


怒号と共に、事務室のドアが叩き開けられる。


「騎士団長、どうしました?」


いつもの事とでも言うように、エイレンは落ち着き払った様子で騎士団長の方を向く。


「オードリス平原の新設ダンジョン偵察、確か貴様だったよなぁ?」


「はい。調査の結果、我々騎士団の手には余るので、攻略は諦めろと。確かに言いましたよね?」


「…!」


「当てて見せましょう。瀕死の兵士が数名、ここに逃げ帰って来た。と言ったところですか?」


「…6人が、ほぼ無傷の状態で帰ってきた。」


「そんなに大人数が。…しかしその様子では、やはり攻略は叶わなかった様ですね。」


「………」


「そんなに焦る必要もありませんよ。我々に無理ならば、バドリアも到底叶う筈がありません。攻略の可能性があるとすれば、ラクリマジカのみでしょう。」


「…そうだ…何故ラクリマジカは、これ程のダンジョンを放置しているのだ?」


「ラクリマジカの本土は海の遥か向こうです。いくら彼らと言えど、探知するには時間を要するかと。」


ラクリマジカ共和国。

四大大国の中で最も広大な国土を持ち、剣と魔法によってその国力を形成した、この世界で最も古き大国。

どの国も冒険者の数はほぼ一定であるが、ラクリマジカは冒険者に対する優遇が最も手厚く、わざわざ他国からラクリマジカに移住する冒険者も少なくない。

人間、獣人、魔族や精霊などの、様々な種の住人も大きな特徴である。


「しかし何を間違えたのか、あのダンジョンは間違い無く伝説級。眠る財宝次第では国力の天秤、もとい、この世界の均衡すらも揺るがしかねます。ここは、秘匿魔法によるダンジョンの隠蔽が得策かと。」


「…貴重な意見、感謝しよう。さっきは怒鳴って済まなかった。」


「敗北とはいつも辛い物です。大事なのは、冷静さを欠かさない事です。」


と、事務室のドアが再び勢いよく開けられる。

そこから現れたのは、慌てふためいた様子の一人の騎士団員。


「た…大変です!ダンジョンが!膨張を始めました!」


「!?」



「シイイイィィ…」


久戒丹が神社に現れた瞬間、仙山の周囲の地形に変化が現れる。

仙人を中心とした半径数十キロの円形に、2メートル程の漆喰の壁が出現する。壁の内側では地面が変質し、長屋などの江戸風の建物が、みるみるうちに自然に発生していく。陰陽世界の地区の一つを、そのまま写し取った物だ。


「あ…あああの!」


仙人の広場から、完成していく街並みを眺める久戒丹に声をかける少女が居た。


「新しい家神様っすよね!じじじ自分、水叉って言います!よろしくお願いしま…し…します!」


石臼の擦れる様な重苦しい音を立てて、久戒丹の顔がゆっくりと水叉の方に向く。

彼女の様な独特の容姿の家神を見るのは、水叉にとっては初めてであった。


「シイイイィィィィィィ………」


「…?」


「…………」


漣の様な、小豆を箱に入れて振った時の様な久戒丹の言葉を聞き取る事が出来るのは、今は娑雪だけである。娑雪だけしか居ないのだ。


「…………」


石の様に硬い掌で水叉を二、三回撫でた後、石臼の様な音を立てながら、ゆっくりと山を降りて行った。


言葉とは、声帯を使って空気を揺らす事で放つが、久戒丹の場合は空気ではなく気を揺らして言葉を話す。

特別な修行などは無くとも、慣れる事が出来ればどんな式神でも聞き取る事ができるようになるが、気を扱えぬ者には決して聞き取れない。少し特殊な発声法である。


(あれは…気震声法…あの家神様と一緒に居れば、その内分かるようになるかも!)


「まままあ待ってくださいっす!ご一緒するっす!」


遠目から見れば、背の高い美女だが、近づけば近づく程、黒灰色の肌や金属部品と言った人ならざる特徴が目に留まり、一瞬だけ不気味と感じてしまう。

水叉にはそれがどこか面白く感じ、しばらく一緒に居ようと決心した。



「…………」


久戒丹の気を受け取り続けながら、梵字と包帯に包まれ眠っていた、幼い式神。

彼女は、娑雪が山奥で見つけた、捨てられた神社に祀られていた犬神であったが、その像が木製だったため、かなり腐食していたのだ。


「体の調子はどうじゃ?富季(とき)よ。」


「………」


雨風、それに白蟻により、もはや形を保っていた事が奇跡に近かった犬像。

犬像の修復は不可能だったため、その犬像から魂を切り離し、紙の式神に移し形を保った物が彼女であった。


「素敵な部屋ですね………」


「そうか。私の神社じゃ。気に入ってくれたかの?」


「はい………とっても………」


彼女の青い瞳に見つめられ、ふと娑雪は山奥で始めて彼女を見つけた時の事を思い出す。

完全に崩壊した石階段、倒壊した鳥居の先に、背の高い木々によって日の遮られた、真っ暗な神社。

六つあったと思われる木製の像は、盗まれたのか移動されたのか、一つを残して全て何処かに消えていた。


(あの悍ましい場所に、たった一人か…)


娑雪は自分で式神を作るような事は基本的にせず、よそから拾ってくる事が殆どだった。


「………」


何処か不安そうな富季を、娑雪はそっと抱きしめる。


「心配するで無い。主には自由に動ける体もあるし、此処はそう簡単には寂れはせぬ。」


「……違います。一体……どう恩をお返しすればいいのやら……」


「そんな心配はしなくとも…待てよ?」


娑雪は部屋の隅に行き、少しの間思考を巡らせる。


「……主様?」


「よし。ならば一つ、御使いを頼んでも良いか?」


「……私に出来る事であれば…」


娑雪はそれを聴くと、穏やかな微笑を浮かべた。

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