2021/7/10 愛が足りない?
まだまだ油断はできないが、イタチの姿は久しく見えない。
だが、そこはかとない気配は感じるので、たぶん、縄張りを転々としているのではあるまいか。
イタチ要素が薄らいだとたんに、ネズミの足音が戻って来てしまった。
……対応早い……
これでネズミが増え始めると、今度は、それを獲りにイタチが現れる。
もう、ホント、イタチごっこである。
ちなみに「イタチごっこ」とは、リアルイタチの生態に基づく言葉ではない。
昭和中期な世代にはわかる人もいるだろう。
これは、手遊び、つまりは「せっせっせ」の一種が元なのだ。
二人で手を交互に重ねて、引き抜いた手で相手の手の甲をつねる……というのを延々繰り返すのであるが、その、つねる手の形がイタチに似ている、それ故の呼び名なのである。
最近見かけたところによると、この手遊びは暴力的要素を軽減し、「手重ねごっこ」として息を継いでいるようだ。
とはいえ、ツネって攻撃してくる手を「イタチ」と認識されていたあたり、イタチの凶暴さは今昔変わらず人間を恐怖させてきたのであろう。
そんなワケで、ぴーちゃん宅の厳戒態勢は依然、解除されてはいない。
昨晩など、ちょっと怯えてバタバタしていたりしたので、イタチが姿を見せたのかも知れない。
今後採りうる手段としては、最低限5方を囲った金網部屋を作ることくらいしかない。
ベランダに作りかけていた日光浴小屋も、根本的に安全基準を見直す必要アリだ。
やや心が折れて来たので、当面の目標を変えてみることにしてみた。
逃避ともいう。
逃げつつも目指すは、カラスの散歩だ
リードをつけて、外に連れ出してみようと思っている。
そのためには脚にジェスを着ける必要があるのだが、正直、これのハードルは高い。
多分というか絶対に一人では無理なので、おっさんの協力は不可欠だ。
とにかく、近日、チャレンジしてみようと思う。
ここで、ふと思った。
ワタシには、ウチのカラスの見分けがつくのであろうか?
ぴーちゃんには、さしたる特徴はない。
クロちゃんには、よくよく見れば足指に変形があるのだが、至近距離で目を凝らしてやっと「これ?」というレベルの、確認段階で逃げられるかつつかれるかするのは必然な、些細な違いだ。
正直言って、見分けがつくのは、ハシブトかハシボソかの区別くらいのものだ。
なんなら、公園で仲良しのカラスも、みんなぴーちゃんに見える。
カラス歴の長い偉大なる先輩に至っては、カラスの個体認識もできていたりする様子だが、はっきり言ってワタシには永遠に無理そうである。
もしかしたら、愛が足りないのかもしれない。




