守るもの
守るものがある人は強い。守るものがない人は弱い。そんな言説を未だに耳にすることがあるが、守るものとは、この社会一般では、家族、恋人、世間体といったものが大勢だろうか。もちろん、この複雑多様化した現代では、広い意味での家族、友達、動物、おもちゃだったりするのかもしれない。ただ、守るものがない人など本当にいるのか問われれば、なかなかそんな人はいないのではないか。誰でもこの社会で生きていれば、何かしら守るものはあるはずだと信じたい。そして、それがたとえ世間ずれしたものであったとしても守るものがあるなら強いと信じたい。
都筑一太郎は、幼い時から野球を始め、野球以外には全く関心を示さないノースキャンダル少年であった。しかし、甲子園を目指して入学した高校では3年間、公式戦に出場することなく幕を閉じたため、この段階で彼の人生はお先真っ黒になった。小学、中学とエースで4番でさくらんぼ。自分はプロ野球選手になることが当然だと信じていた彼にとっては到底受け入れられない現実だった。高校野球の3年生は夏の県大会の予選敗退と同時に引退することが常である。周囲の部員達の大部分は2年半の厳しい規律から解放され、「とりあえず海行ってこい」と先輩方から色々と卒業を勧められる。もちろん、都筑は、全ての誘いを断り、夏休み中ずっと家で夢想している日々を送った。その後、都筑はこのままでいけないという想いが自然と湧いて大学受験する決意をしたのは、ある程度真面目な家庭で育ったせいか、天性の感受性の強さが影響したのかはわからない。ただ、単純にスポーツが駄目なら、スポーツに代わるわかりやすい目標が欲しかったという単純なものだったのかもしれない。ただ、挫折を代替するのに大学受験は野球で培った一つのことに対する集中力がある都筑にはまった。浪人したものの、高校3年で初めて受けた全国模試の偏差値30半ばから約1年後には60越えの結果を出して、周囲を唖然とさせた。しかし、都筑にはそんな世間の評価などばかばかしく感じた。浪人が決まってからこれまでひたすら野球ばかりやっていたことに対する周囲の軽蔑の眼差しだけでなく、一方では浪人して勉強をすることに対するひやかしの眼差しを少なからず感じたからである。他人の結果を自分のことのように語り、自分の視野の範囲内の社会的レールに乗ることを要求してくる人達に対してのある種の諦めもこの時代に身に付いた。
視野が狭い人間が視野の狭い人間の可能性を奪うドリームキラーになることの怖さを実感した都筑にとって目指すべき道は、誰よりも広い視野をもって何でも自分で経験して自分で道を選択していつかその人の立場になって様々な可能性を示せる人間になるということだった。その影響からか安定状態が逆に不安を増長させ、自ら安定環境から離れていくという(心理学でいえば積極的分離)傾向を常備するようになった。また、都筑が入学した大学の校風も彼の特性を幸か不幸か強化したことは間違いないだろう。他者に人生を所有される(コントロール)されることに対する拒絶反応。つまり、都筑にとっての守りたいものとは、世間の常識に対する完全な受け入れの否定とやったこともない人からの助言と同調圧力に対する反抗なのかもしれない。失敗をした時の自分に対する他者の言動が一番、人の本性を垣間見れる場面という真実も知ってしまったことはあえて失敗が多い都筑にとってはその人物の徳操の度合いをもっと深いところで感じる機会でもある。これは、悲劇的なギフトの犠牲者の真実発見目的達成手段の一部でもあってノースキャンダル男、都筑の価値判断の基盤として生きる上での強みでもあって恋愛においての弱みでもある。
「守るものがない人はいない。だから、人は強い。政治家にとって守るべきものは表面的な体裁。不正や不道徳をしてまでも保身に走ることはある種の強さか。港北も…」
「不正や不道徳が強さの源であるなら、正義と道徳が強さの源とどっちがこの社会では強いのか」
ノースキャンダル男、都筑のチェリー好奇心スイッチがオンになった瞬間であった。
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