スーパースター
「スーパースター」とは一般的に人気抜群のスポーツ選手・芸能人等を思い浮かべる。
例えば、今でいうあの2刀流のメジャーリーガーは、間違いなくスーパースターである。
芸能人で言えばあの話題のスキャンダル女優も子役時代から活躍して何かと世間の注目を浴びる存在であることからスーパースターの部類に入るのかもしれない。
知名度という点で言えばこの両者は、間違いなくフルネームとセットで一般の人々の話題になることからもわかる通り、かなりの高さがある。
一般的に選挙は知名度が大事と言われる。極端に言うと知名度さえあれば当選するとも言われている。
ただ、地方選挙ぐらいだと、候補者含め現職議員にスーパースターなどいないに等しいから圧倒的な知名度など持つ者はいない。
あるとしたら、政党の名前と力を借りた●●党の●●という形で特定の支援者や選挙区内の有力者にの間での知名度というように限定される。
そうすると、地方議員になるにはまずは知名度のなさを認めることから始まり、特定の党の公認候補になることに邁進することになる。
そして、だいたいの地域では党の支持者の組織票の数での勝負になるため、党の公認さえ得られれば当選するのが現実であり、真の意味で選ばれるという意味での不公平さに加え、その前段階の公認を得る過程にさえ公平性があることは少ない。特に未来市のような政令市ではこの傾向が強く、18ある選挙区ごとに定数が決まっていることからあからさまに顕著になる。
たとえ党が公認候補を決めるために公募という名の手段をとっても、既定路線は常套手段。
世襲や後継といったことに加え、その地域の国会議員の力関係による恣意的な目論見が跋扈することに対する批判を交わす手段で行われる。この事実が昔より公然となっていることも不気味であるが、面白いことになぜか選ばれた人たちはこの公然の事実いうことに鈍感であるから時としてとんでもないことを世間に向けて語り、とんでもないこと事件に遭遇したりする。そして被害者ずらをする。
世間は選ばれさえすれば認めてくれるはず。
形式さえ整えれば、認めてくれるはず。
私に歯向かうものはいないはず。ましてや襲うなんてことはないはず。
スキャンダルがあっても時間と謝罪さえすれば全ての国民が認めてくれると本気で思っている。
いやそれぐらいの図々しさがないと政治家というもの務まらないのかもしれない。
コロナ禍で高級飲食店に行こうが、詐欺集団に関わろうが組織内の判断で認められれば、全て許されると本気で考えているのだから本当の公平性などあるわけがない。
ただ日本の中で言ういわゆる中間層で育った人達は、機会の平等の言えるのは純粋な学力試験ぐらいということに受験期よりも社会人になってから気づく人も多いが、長い者や強い者にゴマを擦っていいポジションを得る機会を勝ち取るということは出世や昇進、相対評価の学校も含めて今も歴史上もよくあることであり、評価される行為であるのも事実である。
何もない者が上という何か立場に行くためにはむしろそれしかないのかもしれない現状がこの国にはあるのかもしれないということであり、この厳しい社会を生きる手段でもあるのか。
しかし、それも何かのきっかけで崩れるようなハッとされる機会が訪れる。
何か長い者や強い者に巻かれていると、自分も偉くなったような錯覚が人間の真理として芽生えてしまうのかもしれない。本当は実力などないのになぜか人を馬鹿にするようになっていた。
そのことに気づくときは本当の社会の弱者の存在を目にした時、実は自分自身こそ現在、未来の弱者そのものであるという真実に気づいた時であるのかもしれない。
強者の世界と弱者の世界という境をルーティン的に行き来するという生活はなかなかないのかもしれないが、ある時突然、その深いギャップがマリアナ海溝ぐらいの断絶したものだと気づく瞬間というものがある。
もはやその絶望の時に願うのは揺るぎないスーパースターの登場である。
犯罪でも暴力でも宗教でもない。スキャンダルでもない…存在。
「久しぶりだな。一太郎」
街頭演説中の一太郎に満面の笑みで近づいてくる一人のハスキーボイスの男。
その名は「スーパースター チェリーマン1世」
今話題のチャンネル登録数50万を誇る動画投稿サイトの有名シモチューバーである。
動画の内容は以外にバリバリの下ネタではなく、
意外に真面目に恋愛妄想ネタをハスキーボイスでささやき、モテない人達の
共感と支持だけでなく、モテるひとからの笑いの対象として再生数と
チャンネル登録数を爆上げしている。
「マイクかせ。一太郎。スーパースターチェリーショーの始まりだぜぇ!」
次号
スーパースターの力




