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チェリーエレクション  作者: 今できる犬
16/38

事前審査

3月下旬のある午前8時45分くらいのことであった。


一太郎の携帯電話が鳴った。


「もしもし、都筑さんのお電話でお間違いないでしょうか。私、希望区役所選挙管理課の泉と申します」


区の選挙管理課からの電話は、先の立候補予定者説明会で配布された立候補手続き書類の事前審査のため、区役所に一度手続き書類一式を持って来て欲しいとの連絡であった。


この事前審査の目的は、4月1日の告示日、つまりは選挙運動解禁日に立候補手続き書類を提出することになるのだが、当日に不備があると受付ができないため、立候補者にとっては訂正等で大幅な時間を失うだけでなく、選挙管理課にとっても当日の混乱を防ぐために全立候補予定者にお願いをしているのである。


もちろん、この事前審査は立候補予定者本人でなく、秘書等の代理人が来てもいいが、一太郎はひとりなので必然的に自分が行かなければならない。


「承知いたしました。では書類は既に完成しているので本日の午後2時にお伺いいたします」


一太郎は、書類作成が得意であるが、几帳面な性格なので手続き書類を何度もチェックすることに午前中いっぱいを費やし、希望区役所へ向かった。


途中、コンビニで大好きな「からあげちゃん」とエナジードリンク「ピンクブルー」を購入し、店外に出てそれらを2分で消化したが、急にお腹が痛くなり、結局は店内のお手洗いで20分くらい格闘していた。


「痛い。一気に食べ過ぎたわ。やばいよ。間に合うかな」


時計の針は、午後1時40分。区役所までは残り徒歩15分かかるため、一太郎は、持ち前の俊足を活かし、走り出した。


「セーフ」


一太郎は、プロ野球NPBアンパイア審判ばりにセーフのポーズを取りながら希望区役所に到着し、すかさずエレベーターに乗り込んで選挙管理課がある6Fのボタンを押した。


時刻は既に午後1時55分を回っていた。


「ギリギリスで大変申し訳ございません。立候補予定者の都筑一太郎。35歳独身です」


汗っかきの一太郎は冬だというのに滝のような汗を大好きな人気キャラクター「キニー」のタオルで拭きながら、余計な文言とともに窓口の女性に挨拶をした。


女性は少し、いやかなりドン引きしている様子であったが、悲しいかな。幼い頃から女性からごみ扱いしてされてきたことに慣れた一太郎には日常なことでスルーできた。


もはや神である。


「少しお待ちください。担当の者をお呼びいたします」


しばらくすると、40代半ばくらいであろうか。姿勢のいい、いかにも真面目そうだが、ある種の色気が漂うインテリ系の女性が現れた。


「はじめまして。私、希望区役所選挙管理課係長の佐倉です。ではこれより事前審査を開始いたしますのでまずはお掛けください」


一太郎は、緊張とともに汗が止まらない(もはや滝太郎である)。


手を震わせながらリュックの中から手続き書類一式を取り出し、手前の机上に置いた。


「すいません。汗が止まらなくて」


と一太郎は言うと佐倉は、


「大丈夫ですよ。時間はたっぷりありますから。ゆっくりで大丈夫ですよ」


となぜか甘えた声で囁いたように聞こえた。


一太郎は、上半身と下半身の血液循環センサーを脳で感知したことで、咄嗟に上半身のみ真面目モードに切り替えた。


そしてすかさず、鋭い目つきになった一太郎は、滴る汗も気にせず、書類一式を佐倉に差し出した。


佐倉は一つ一つの書類を丁寧に確認しながら、質問をしてきた。特に選挙公報で使う写真(白黒)のサイズが適合しているか、内容文の点字用フリガナが正しいかどうかを細かくチェックされた。


選挙公報は、地元の新聞社で校正され、選挙期間中に各選挙人の世帯に無料で配布される(主に町内会ごとに配布され、各世帯に配布されるのが主流)。


また、視覚障害の方々にも読めるようにプロフィールや公約が障がい者団体によって点字に変換されるため、告示日には原稿を出していなければ間に合わない。


ちなみに各新聞社に独自にお金を払って自分の選挙広告を出せるが、これがかなり高い(小さくても1社20万くらい)ので一太郎には決して手が出せない。


「チラシやホームページのURLはありますか」


と聞かれ、一太郎はきっぱり


「ありません。お金もありません。供託金50万でいっぱいおっぱいです」


二人の間に一瞬沈黙が流れたが、佐倉は立ち上がってコピーを取ったり、電話を掛けたりした後、一太郎の前で手続き書類を茶色の封筒に入れて封をして印鑑を押した。


「では、告示日まで当日開けないでこのままお持ち下さい。あと、選挙立会人の申し込みはいたしますか」


選挙立会人とは、選挙開票日に投票用紙が大体100束で分けられるのだが、不正がないかチェックする人を各陣営から申請できるのである。


これは1票で選挙結果の行方を左右することが少なくない地方選にあっては(同投票数であれば抽選)、疑義のある投票がないようにするための重要な役割でもある。


ただ、この選挙立会人は同一選挙区に選挙権がある者にしかできないため、残念ながら一太郎には、頼む人がいなかった。


「ひとりなので大丈夫です。本日はお忙しい中、本当にありがとうございました。公示日当日よろしくお願いいたします」


「お疲れ様でした。告示日当日は、予備抽選が8時30分から開始いたしますので、10分前には8Fの会議室まで直接お越しください。予備抽選は本抽選の引く順番を決めるためのものですので、どんなに早く来ても本抽選の順番は影響しませんのでご了承下さい」


佐倉は座ったまま、一太郎が席を立つのを待っていたが、一太郎がなかなか席を立たないことに不思議な表情をしたが、すぐに一太郎が前かがみに会釈をしたまま、後ろを向き、エレベーター方向に向かっていたことに今度は驚いた表情をした。


「これで立候補できる」


一太郎は、前かがみのまま、エレベーターに乗り込んだ。


乗り合わせたご高齢の紳士もまた前かがみ姿勢であったが、その原因は全く別であることは言うまでもない。


※尚、供託金は、党所属の場合は党で納めてもらえるが、無所属の個人の場合は自ら法務局の供託課に行き、50万円を納めて手続き書類に記入してもらう。


<次号>

告示日










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