洗礼
なぜ政治家になりたいのかという問いに対して、「社会を変えたいからとか。平和を守りたいからとか。…」様々な回答がある。
哀しいかな。現代において政治への不信、ある種の諦観、無関心ともいえる状況では、
「でも社会なんて結局変わらない」「綺麗ごとばかり言っている奴ほど信用ならない」と言われるのがオチであろう。
「綺麗ごとを言えない政治家はいない。ただ、綺麗ごとを言えるに値する政治家がいないだけである」
一太郎はずっとそう思ってきた。現実は厳しい。だからこそ現実を耐えるための綺麗ごと(理想)が必要なのではないか。しかし、権力を握る者の発言が謝罪やスキャンダラスなものだと、現実は現実のままである。SNSやマスメディアの偏向報道によるスキャンダルの過剰反応を普遍化する風潮が大きい部分も否めないが、やはり綺麗ごとに信用性がない政治家は真の政治家ではない。
理想や綺麗ごとであるとわかっていたとしても主権者である国民の今あるそれぞれの現実が理想や綺麗ごとで緩和させることができる真の政治家がいるとすれば、それは教科書に出てくる人物を探すしかないというのは言い過ぎか。それ程、権力者への不信が止まらない。
それにも関わらず、権力は基本的に自ら積極的に決して流動性を持たない。
つまりは、権力は受け継がれ固定化し、流動性を持つのは外部的事情か自滅的事情がある時だ。
その外部的事情がもし災害等の自然発生的なものや自滅的なスキャンダルなものではなく、人(対抗馬)だとしたら、既存の権力はどうするか。
潰しにかかるのが常套だろう。
一太郎が、朝立ちを始めてから1週間が経った頃、ある出来事が起こった。
朝立ちで演説している最中、一人のシニア世代の女性が一太郎に向かって笑顔見せながら付けながら近づいて来た。
「選挙ごっこは済んだでしょ。ここはあんたみたいな素人が立つ場所じゃないから。今後もこの地域で生きていきたいならあまり調子に乗らない方が身のためよ」
とぼそりと言い放ち、去っていった。
その女性になぜか初対面ではないような気がしていた。
その日以降、一太郎が朝立ちをする時に今度は中年の男性に始まり、同じような出来事に遭遇することが増えていった。
一太郎は、正直、朝立ちで目立ちすぎたかなと少しハッとしたくらいでその時は、朝のたちが縮むような危機感はなかった。
それらの出来事がやがて来る朝立ちマックスのジャブだとは知らず…
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ハニートラップ