07 過去の愛
かつて天才と謳われた騎士の輝かしい人生は、こうして決定的に破たんした。
(くそ、くそ、くそ……!)
溢れかえった後悔を悪態に変換しながら、クルーゼは駆ける。
こちらが抵抗する事は予定通りだったのか、王都はあっという間に厳戒態勢となっていた。重武装した騎士たちに、暗殺に特化した諜報部などが、そこら中に溢れかえっている。
あげく、王を殺そうとしただなんて尾ひれまでついて、たった一時間でクルーゼは逆賊として王都中に知れ渡ってしまっていたのだ。
「クルーゼ!」
裂帛の叫びと共に、鋭い風の刃が頬を裂いた。
クルーゼは足を止めて、こちらに魔法を仕掛けてきた敵を見据え、
「シャイナか」
と、苦々しい表情を刻んだ。
灰色の髪をした切れ長の瞳が印象的な美人。
彼女は、かつての恋人だった。
カイトに負けた件がきっかけで、別れる事になったが、今でも彼女に対して未練がないとは言えない女々しさが、クルーゼの中にはあった。
「貴方を尊敬していた。だが、墜ちたな。嫉妬に駆られて王を手にかけようなどと」
その恥すら責めたてるように、彼女は言う。
「……下らん誤解だ」
冷めた口調でクルーゼは吐き捨てた。
精神的にはかなりのダメージを負っていたが、それが表面に出る事はけしてない。
「誤解だというのなら、大人しく投降しろ」
「そして誤解に殺されろというのか? 冗談ではない。救いようがない莫迦共の為に、何故私がそんな事をしなければならない? ……堕ちたのは貴様たちだ!」
元恋人に剣を向けて、クルーゼは叫んだ。
「……残念だよ。クルーゼ」
哀しげにシャイナが呟く。
そして彼女もまた剣を構えた。
「……莫迦が。貴様如きが、私に勝てると思っているのか?」
「私は騎士だ。勝てる勝てないで戦うわけではない」
(……あぁ、そうだろうな)
その気高さに心を奪われたのだ。
同時に、だからこそカイトへの敗北の際に無様な心を晒した事が許せなかったという心情も、理解出来た。……いや、そう納得してこれ以上惨めになりたくなかっただけだったのかもしれない。
どちらにしても、もう昔の話だ。
(――思い知らせてやる)
くつくつと、昏い感情が広がっていくのを感じる。
こういうのを自棄というのかもしれないが、身を委ねるのも悪くはない。どうせ、自分はここで終わりなのだ。
だったら、いっその事、この場でこいつを徹底的に凌辱するのも悪くはない。
「では、行くぞ!」
獰猛な笑みをうかべて、クルーゼはシャイナに襲い掛かる。
彼女は必死に抵抗をするが、その言葉のままに出来るのは抵抗だけだ。勝機などありはしない。
都合十手で剣を弾き飛ばし、切っ先をシャイナの喉元に突き付ける。
そして、暴力の熱と嗜虐心に促されるままに太腿に剣を突き刺した。
「ぐぅ、ぁあ……!」
「声を殺すな。貴様は人質だ。よく鳴いて、同情心を誘うための人形だ」
言葉がすらすらと出てくる。
苦痛に歪む彼女が、この上なく愛おしい。
「次は、腕だ。……あぁ、その前に、邪魔な鎧は外すとしようか」
まずはこの気高い女の自尊心を踏みにじる。
これは自分のものなのだというマーキングをつけていく。
「ふ、ふふふ」
歪んだ笑みがこぼれた。
そうだ。最初からこうすればよかったのだ。最初からこうしておけば、こうやって永遠に消えない傷を刻むと共に縛りつけて置けば――
(―ーそれでいいの? 本当に)
頭の中に、知らない誰かの声がした。
それが刺すほどの痛みを伴って、理性を連れ戻す。
そして目の前にあった光景に、愕然とした。
騎士の鎧を剥ぎ取り、あまつさえ服を切り裂こうとしている自分に、悲鳴をあげたかった。
「……たすけて、カイト」
涙を滲ませたシャイナが、呟く。
直後、激しい魔力がクルーゼの全身を叱咤した。
「お前、最低だな」
「――っ!?」
いつのまにか、目の前にカイトがいた。
咄嗟に剣を盾にしようとするが、間に合わずに蹴りをくらって後方に吹き飛ばされる。
「カイト・インフィニティ!」
憎悪がそのまま音になった声をあげながら、クルーゼは離された距離を詰めるように地を蹴った。
そして大上段から渾身の一撃を放つ。
その途中で、自身の右腕の感覚が激痛と共に消しとんだ。
「君じゃ僕には勝てない。それくらいわかっていると思ったけどね」
斬り飛ばされた腕が地面に落ちる鈍い音が届く。
「これで、終わりだよ」
カイトは振り抜いていた剣を袈裟懸けに振りおろし――
「――舐めるな!」
裂帛の気迫と共に、クルーゼはさらに一歩前に踏み込んだ。
振り下ろされていた剣の柄を肩で受け止めながら、健在の左腕でひじ打ちを狙う。
それは確実に当たるはずのタイミングと距離だった。
だが、当たらない。
瞬き一つの間もなかった筈なのに、カイトは遙か後方に移動していた。
「……時間操作、か」
つくづくふざけた話だ。
腕を犠牲に行った決死の一矢が、結局何一つ報われないとは……。
「だから言ったでしょう? お前じゃ僕には勝てないって」
憐れみをもった眼差しで、カイトはゆっくりと右手をつきだした。
なにか魔法が来る。クルーゼは直感的にそう判断したが、それは正解したところで為す術の無いものだった。
突然、身体が一切動かなくなったのだ。
「君の時間を止めた。これで終わりだよ」
突きだされていたカイトの右手に漆黒の炎が宿る。
当たれば即死だろう。
だが、命乞いなどする気はなかった。
なかった筈だった。
「や、やめてくれ、私が、私が全部――」
口が勝手に動きだす。
無自覚な本能が、そこまで死を恐れていた?
いや、違う。そんな筈はない。にも拘らず、自分ではコントロールできない事態がまた起きている。
あげく、そのタイミングで知らない記憶までが脳裏に流れ込んできた。
『王国の要が、我ら魔族と協力したいと?』
『目障りな奴がいるのは同じだろう? それに、こんな国などどうでもいい。私を求めているところなどいくらでもあるのだからな』
片方は全く知らない魔族。だが、もう片方は……間違いなくクルーゼだった。
場所はぼやけていてよくわからない。やり取りだけが鮮明で、それがいつだったのかどうかも定かではなかった。
それでも、自分が関与していたという認識はもう否定できなくなっていて。
(不都合な記憶だったから、今まで忘れていたとでもいうのか……?)
わからない。わからないが、これに呑み込まれるのは不味い。
勝手な命乞いに続いて、罪の告白まで勝手に始めそうな自分に明確な恐怖を覚えながらも、クルーゼはその恐怖に抗うように憎悪を滲ませて、勝手に動く自らの舌を噛み千切った。
これ以上耐えがたい言葉を吐露したくはなかったし、なにより、どんな力が働いていたとしても、心までこんな奴に屈服するなんてことは、絶対に許せなかったからだ。
口内に熱い血が広がるととも、少しだけ自身のコントロールを取り戻せた事を把握しつつ、クルーゼは呂律の廻らない口調で言う。
「……誰が貴様などに、命乞いなどするものか」
「こいつ、僕の魔法を解いたのか?」
微かに、カイトは驚きを表情に示す。
それから不愉快そうに眉を顰めて、
「といっても、出来るのは喋ることだけか。なら、特に問題もないね。……さよならだ」
漆黒の炎が解き放たれ、それはクルーゼの身体を呑み込んだ。
その肉体が消失するまでに、一秒と掛かる事はなかった。