09 神殺しの鉄槌
逆賊は始末した。
凱旋に水を差されたのは残念ではあったが、自分に反発する目障りな存在が排除された事は、それ以上に悦ばしいことだ。
その日の夜に行われた祝勝会にて、カイトの機嫌は上々だった。
まあ、さすがに色々な人間に声を掛けられ過ぎて疲れてはいたが、それくらいの苦労は避けるほどのものでもない。
(……とはいえ、もう十分かな)
魔法を使って周囲の認識から自分を外して、カイトは悠々と人の輪から外れて、一人になれる場所に移動した。
そこでちびちびと酒を飲んで時間を潰して、そろそろ魔法を解こうかなと思ったところで、
「英雄さん」
と、声を掛けられた。
魔法はまだ解けていない。にも拘らず自分を見つけられるものがいるという事実は、本来驚愕するべきものだったが、酒に酔っていたという事もあってか、カイトは不用心に音の方に視線を流し――思わず、唾を呑んだ。
虹色の髪に、金色の瞳。
そして、この世のものとは思えないほどの、理不尽とすら感じられる美貌。
視線の先に居たのは、カイトがこれまで出会ってきた美女たちを一瞬でくすませてしまうほどの、超絶的な美人だった。
「少し、話をしない?」
その声もまた、非の打ちどころがないほどに美しい。
ただ、どこかこちらを小馬鹿にしているような感じだったのが、カイトの心を冷めさせていた。
「悪いけど、もう戻らないといけないから――」
「私の名前はルインっていうんだ。これ、私の世界では虹って意味なんだけどさ。さすがに安直過ぎって思わない? もう少しいい名前を付けて欲しいもんだっていうか、まあ、トアなんて悪趣味な名前じゃないだけ、マシではあるんだけどさぁ」
カイトの事を無視して、ルインと名乗った女性はぺらぺらと愉しそうに喋りだす。
「っていうか、この髪の色ってそもそもどうなんだって話よね。悪目立ちするっていうか、光の当たり具合で印象変わりすぎるっていうかさぁ、目に入るとちかちかするし、ウザイっていうか。だったら髪切れよって話だけさ、私は長いのが好きなのよ。まあ、トアの奴がショートも似合うとか言ってくれたら考えるけど、あいつ私の髪にまったく興味ないし。私がこんな風にナンパしてても、きっとどうでもいいんだよねぇ。なんか、想像したらムカついてきたわ。こうなったらヘリエルにでも呪ってもらいましょうか? 或いはエルタリアの加護でも頼るか。神の威光は恐ろしいものね。少しは堪えてくれるかしら。ふふふ」
(……あぁ、この人、アレだ)
電波とかメンヘラとか、きっとそういうタイプだ。
どれだけ美人だとしても、出来れば関わりたくはない。
「あ、今、この場からどうやって逃げようか考えてるでしょう? 解るよ。そういう風に振る舞ってるわけだしね。でも、まだダメ。もう少し付き合いなよ。日本人」
「――へ?」
思わず、間の抜けた声がもれた。
続けて恐怖が胸の内に広がっていく。
「お前、なんでそんなこと……」
当然の事だが、カイトは自分が日本人だったなんて情報をこの世界の誰にも口にした事はなかった。
知っているのは、ダインストという名の神くらいの筈で……
「ダインスト。そう、ダインスト! 思い出したわ。始まってからずっと、ムカつきまくってて消す事しか考えてなかったら、名前ド忘れしてたのよね。ありがとう。お人形さん」
優艶な微笑を浮かべて、ルインは言う。
「お人形……?」
その言葉が、どうしてか酷く胸に刺さった。
それが何故なのかを考える間もなく、
「――おいおい、今更逃げられると思ってるのぉ? 莫迦な人形があんたとの繋がりを示したんだ。もう手遅れなのよ。ふふ、あははは、くふ、ふふふふ」
気味の悪い笑い声をあげて、ルインが真っ直ぐにこちらに近づいてきて、そのたおやかな右腕をずぶりとカイトの胸の中に突っ込んだ。
水の中に手を入れるみたいに、それは何の抵抗も痛みもなく心臓にまで届き。
「ほら、捕まえた」
瞬間、カイトの視界は真っ白に染まった。
その中で、
「……あぁ、もうお前は用済みだよ。今のうちに愉しいことでもしておくといいわ。もうじき破滅するわけだしね。くふふ」
という、ルインの歪んだ笑い声が響いて――
「――さま、カイトさま!」
姫の声で、カイトの視界は正常に戻った。
彼女以外にも、女騎士や魔女が心配そうな顔でこちらを見ている。
「急に黙り込んで、どうかしたのですか?」
「い、いや、なんでもないよ。うん、なんでもない。ちょっと疲れただけだ」
そう言いながら、カイトはふと自分の言葉に疑問を覚えた。
今さっきまで、やけに特徴的な誰かと話をしていたような気がしたからだ。
だが、そんな記憶はどこにもなかった。
カイトの記憶は、この場を抜け出そうとしたその瞬間で、更新が停止されていたのだ。
それほどの事が出来る何者かが、ルインという女の正体であり――
§
「――ありえない」
と、ダインストは呟いた。
そこはこの世界を管理する、制御ルームだった。
彼だけが知る、なによりも特別な空間だ。たとえ反則を与えたカイトであっても、この場所に辿りつくことは出来ない。自分だけの絶対世界。
「ありえないって、なにが?」
……だというのに、さも当然のようにルインという女はダインストの目の前に佇んでいた。
いつ現れたのか、どうやって現れたのか、想像すら出来ないデタラメさ。
「貴様は、一体何者だ?」
「それ、本気で訊いてるなら、マジでブチ切れそうなんだけど……それでもいいってこと?」
「……」
「よかった。中枢に叛逆してる自覚はあったわけね。じゃあ、つまり、上手くやってきたと思ってたんだ。あはは、凄い自信! 最高だわ! 最高に反吐が出る!」
眉間に縦皺を寄せながら、ルインは口角をあげて嗤う。
笑顔とは本来攻撃的な反応だという事を、嫌というほどに思い出させてくれる威圧感。
「――爆ぜろ!」
それに呑まれたらそのまま殺されてしまう、という本能に従って、ダインストは先制攻撃を仕掛けた。
核爆発にも匹敵する熱量が、制御ルームを蹂躪する。
この場所に損害を与えるのは望ましい行為ではないが、それよりも現状を打開する事の方が重要だ。ダインストは間髪入れずに今度は、次元すら切り裂く斬撃を無数に放つ。
それは、神と呼ぶにふさわしい絶対的な暴力だ。たとえ同格の神が相手でも簡単に凌ぐことは出来ないだろう。その程度の自負はあった。
あったが故に、ダインストは驚愕に目を見開く。
「なに驚いてんの? まさか、その程度の力が私に効くとか本気で思ったりしたわけ? だとしたら、マジで湧いてんのね。……でも、まあ、そりゃあそうか。そうじゃなきゃ、身勝手な世界の改竄だなんて胸糞の悪いことしないわよね」
髪の毛一つ傷つくことのなかったルインが、侮蔑を露わに吐き捨てた。
その直後、
「ひ、ぎぃあいあああ!?」
信じられないほどの激痛と共に、ダインストの身体が地面に叩きつけられた。
抵抗は叶わなかった。そんな事が許されるような相手ではない。
格の違いというものを、一瞬のうちに嫌というほどに自覚させられる。
「おい、神ってのがなんなのか答えてみろ」
そうして身動き一つ取れずにただただ痛みに痙攣するダインストに、ルインが問う。
「ほら、早く!」
沈黙など贅沢だと言わんばかりに、さらなる苦痛が全身を駆け巡った。
魂の器がエラーを訴えるように、涙があふれ鼻水と涎が垂れる。
「……か、神とは、与えられた世界を管理するもの、です」
震える声で、ダインストは何とか答えた。
するとルインはにこやかに微笑んで、
「はい、よく出来ました。じゃあ、管理ってのはなに? 余所からつれてきた脳味噌ってやつがスカスカそうなどこかの餓鬼を煽てて操って好き放題に遊ぶこと? それとも気に入らない奴の記憶や感情を弄繰り回して、不当に貶めて悦に浸ること?」
「そ、それは――」
ブチっ! という音と共に両手足が圧潰した。
これではまるで蓑虫だ。お前なんて人間以下だと言われたような気分だった。
いや、事実その冷たい瞳は、ダインストを下等な生物としてしか見ていなくて、
「お前に与えられた管理っていうのは、庭師のそれでしょう? 主の要望に合わせて世界という可能性の樹の成長を妨げるものを断ち、よりよくなるように整える。主体は樹であって、お前じゃない。……本当、嫌になるわよねぇ。たかが数千万年とか数億年程度の時間で、そんな当たり前の事も忘れて、自分が世界の支配者だとか嘯きだす莫迦が多くて。おかげで私は大好きなゲームをする時間を割いてまで、お前らゴミの始末をしなきゃならない」
「た、助けてくれ。私が悪かったから……」
世界の神になって、初めて誰かに縋った瞬間だった。
それを、ルインはどこまでも冷たく嘲笑う。
「あのさぁ、ゲームの中ですら非難される行為をさ、生きてる奴等でやってるお前に、余地なんてあるわけないでしょう? ……大体、それは一般論で、さっきも言ったけどね、私はゲームが大好きなの。愛しているといってもいいわ。少なくとも、これが個性だって自信をもっていえるくらいには」
そこで妖艶に目を細め、ルインは優しい口調で続けた。
「ねぇ、そんな神殺しにとって、一番胸糞の悪い存在ってなんだと思う? そういう存在に対して、私はいつもどう思ってると思う?」
……これは、死刑宣告だ。
もうなにを言っても無意味だろう。
だが、この女は感情的だ。自分の感情に振り回されて、ダインストを拘束していた力を緩めていた。
力量差からきている傲慢さなのだろうが、それはこちらにとっては唯一の勝機だ。
「お、お願いだ、私が、私が全部悪かったから―ー」
もう一度、嘲笑を誘うように惨めな懇願を並べながら、ダインストは渾身の不意打ちを仕掛け――
「チート野郎は死に腐れ!」
――そうした小細工の全てを蹂躪する、本当の意味での絶対的な力が、ダインストの肉体どころか存在までも、完膚なきまでに消滅させた。
その余波で、制御ルームが崩壊をはじめる。
「あはははははっは、BAN! BAN! BAN! ……あぁ、地球ってところの知識がちょっと混じっちゃったよ。あはは。くふふ、あっはははは、けけけ!」
破綻した世界の中で、ルインはお腹を抱えて大声で嗤った。
涙を流すほどに嗤い続け。
「あははは、あああっは、ごほっ、ごほっ!」
と、途中で咽たところで、冷静になった。
攻撃的で狂気じみた表情が、一気に引いていく。
「……さてと、私の仕事は終わったけれど、トアの方はどうなったかしら? まあ、心配するようなことはないか、うん。むしろ相手が可哀想よねぇ。あいつ、私なんかよりずっと……」
そこでふと、ルインはカイトとかいうお人形とのやりとりを思い出した。
まあ、こちらが一方的に喋っていた内容ではあったが。
「でも本当、酷い名前を与えられたものよね。私の場合、日本だったら山田虹とかって感じなんだろうけど、あいつの場合、山田後悔だものね。まったくもって、ヒトに付ける名前じゃないわ」
ふふ、と可笑しそうに微笑んで、ルインは壊れた世界を後にした。