9、やまもりクエスト・すりー
翌日の朝なのです。
今日もがんばって行きましょう!
……と、意気込みたいところなのですが
多分、異世界に転生して一番ショックな出来事が、起き抜けに待ち構えていました。
「こ、こんな……。こんな無慈悲な事って……」
「主殿、お気を確かにっ!?」
宿の割り当てられた部屋の中で、ガックシと床の上に膝から崩れ落ちる私。
その姿に動揺するレガシーさん。
彼の心配する声は、今は私の耳に届きません。
なにせ、私の思考は今、たった一つの事で埋め尽くされてしまっているのですから。
「これが……、異世界のお風呂……ですか……」
私の前にある小さなテーブルの上には、ホカホカと暖かそうな湯気を立ち上らせている、湯で満たされた桶が置かれていました。
そうです、これが異世界のお風呂代わりなのです……。
どうやら、この世界には湯船の中に浸かるタイプのお風呂文化が無いそうで。
基本的に体を洗う行為は、川で水浴びをするか、水に濡らした布で体を拭くだけです。
因みにこの宿は、宿泊客の方たちにサービスで、沸かしたお湯の入った桶を毎朝用意してくれるそうです。
でも、これも相当稀有な例らしく、普通の宿ではまずありえないとの事。
女将さんのお婆さんのご好意に、落涙の感謝です。
と、いいますか、現在進行形で実際に泣いてます。
湯船に浸かれない絶望の悲涙9割と、女将さんのご好意への感涙1割の比率で。
「うぅ……。私の……、私の至福のお風呂タイムがぁ……」
「な、泣くほどに、入浴するのが大好きで御座りましたか……」
はい、大好きです。
私の人生最大の楽しみは、可愛いお人形さんに囲まれる事と、ゆっくりとろけるほどに、暖かい湯船に浸かり続けることですから……。
絶望と悲哀の朝を越え、私は今日も労働の徒として、身を粉にして働かさせていただく所存です……。
「おい。この小娘、大丈夫なのか?」
「あはは……。なんか朝にショックな事があったらしくて、今は無心で働きたいそうだよ」
「ほぉう。まぁ、ちゃんと働いてくれりゃあ、ワシはなんでもいいがな」
ところ変わって場面は、ゼパルドさんの薬屋さんの調合室。
昨日と同じで、ギルド内で合流したライラさんと一緒に、朝からゼパルドさんの調薬作業のお手伝いにやってきました。
因みに、相変わらずレガシーさんは自分の分の大量のクエスト用紙を抱え、一人スタスタと現場に向かってしまいました。
完全に仕事のデキる派遣社員と化しています。
恐ろしい。
今日のクエスト内容も初日と同じく、
1、薬草を、薬研で挽く作業。
2、狩猟小屋で、薬草系統の採取物の仕分け。
3、木工品店で、傷薬の入れ物のヤスリがけ。
の、以上3セットをこなすのが、主な目的です。
やはり、討伐隊の方達への治療薬の供給は必須事項のようで。
どうしても、この三つを優先する関係上、他のクエストは後回しにせざる負えなく。
ライラさん一人では、以上の三つをこなすだけで一日が終わり、その結果としてあの山積みのクエストが出来上がってしまったそうです。
ふと、ここで一つ疑問が湧きます。
ゼパルドさんの調薬作業と、狩猟小屋での薬草仕分けは、毎日大量に消費される都合上必要なのは分かります。
ですが、木工品店での薬品容器の作成は、果たして毎日行う必要性があるのでしょうか……?
こう言ってはなんですが、木製容器なのですし洗って再利用すれば、万が一討伐中に容器をある程度紛失したとしても、数日置きに作成するだけで十分足りると思うのですけれど。
流石に使い捨てではないと思いますし、私の想像が及ばない、何か特別な理由でもあるのでしょうか。
不思議です。
薬研挽き、薬草の仕分けの二つを終え、三つの必須クエスト最後である、『シーナの木工品店』へやってきました。
なんだか今日は、時間の流れが早い気がします。
二日目になので、少し作業に慣れた関係でしょうか?
あ、因みに看板名にも書いてある、シーナちゃんとゆう方は―――
「―――来たわね、スズカ。今日もいっぱい、擦って、擦って、擦りまくってもらうわよ!」
……と、開幕早々、目の前で両手を腰に当てて胸を張り、声高らかに宣言する女の子。
まるで輝いているように明るいロングウェーブの金髪に、赤のリボンカチューシャと宝石のエメラルドを思わせる緑眼が特徴的な彼女が、この木工品店の看板娘であるシーナちゃんです。
その姿は、お人形さんのようにとても可愛らしくて、ちょっとだけ禁断症状のお人形さん欲を抑えるのが大変です。
「あはは……。今日もお手柔らかにお願いします」
「任せなさい! シーナお姉ちゃんが、ばっちりアドバイスしてあげるわ!」
因みに、シーナちゃんの年齢を昨日伺ったところ、
『私は10歳、アナタより年上、つまりはお姉ちゃんなのよ!
お仕事で何か分からない事があったら、“ぅお姉ちゃん!!”である私になんでも聞いてちょうだい!』
と、凄まじくハイテンションで、お姉ちゃん部分を主張しながら答えてくれました。
その時の表情は、嬉しさが爆発しそうなのを必死に耐えながら、頼れるお姉さんを装うとしていました。
多分、私の身長を見て年下だと判断されたのでしょう。
シーナちゃんは、私より20cmほど身長が大きい、130cmくらいでしょうか?
対して私は、110cm。
まあ、普通に考えて、年下だと思いますよね……。
ですがすみません、私12歳なのです。年上です。
ですが、これだけ力いっぱいお姉ちゃん主張している子に、真実を語るなんて残酷なこと、私には出来そうにもありません……。
続いて、店内の作業場で、ヤスリがけの工程に移ります。
傷薬を入れる容器の形は、六角形の小箱タイプ。
側面部には滑り止め用の溝が等間隔で浅く彫られています。
私がヤスリをかけるのは、内側の部分を滑らかにし、他は六面構造の角と、側面の滑り止め部分に出来たささくれを、軽く取り除くためです。
これは他の二つのクエストでも言える事ですが、作業自体は非常に簡単なので誰でも出来ます。
ただ量が量なので、それ専用の担当者がいないと大幅に時間を取られ、結果として他の事へと回す時間がなくなるようです。
「……」
「……? どうしたのですか、シーナちゃん」
私が黙々とヤスリがけをしていると、いつの間にかシーナちゃんが、背後からじーっと私の作業の様子を覗っていました。
「スズカってさ、まだ二日目なのに、やたらと手馴れてるわよね。
(……そのせいで全然アドバイスすること無いのよねぇ)」
「そ、そうですか?」
すみません、最後の方の小声、全部聞こえてしまいました。
もうちょっとなにかについて、伺った方がよかったのかもしれませんね。
「あの、ちょっと気になった事があるんですけど」
「なになに、何が気になったの!? 何でも聞いて、お姉ちゃんが全部答えてあげるわ!」
ずっとアドバイスしたくてうずうずしていたのか、私の問いかけに対し、シーナちゃんはグイグイっと身を乗り出して、物凄い食い付き方をしてきました。
か、顔が近い……。
「このお店ってシーナちゃん以外だと、私とライラさんしかいませんけど、他の人はいないのですか?」
異世界だとどうかは分かりませんが、流石に10歳の子が一人でお店を出しているとは思えなかったので、地味に気になっていたんですよね。
「あー、なんだ、そんなことね。ここは本当はパパのお店なの。
でもパパったら、最近定期的に大怪我して帰ってくるから、ぜんっぜん仕事できる状態じゃないの。
だから、パパの一番弟子である超!天!才!……に、なる予定……の!私が! パパの代わりにお店を乗っt……、手伝ってあげてるのよ!」
今、確実に「乗っ取って」って言いかけましたよね?
看板も『シーナの木工品店』になっていますし、確信犯ですね……。
その上、自称超天才になる予定を名乗られています。
今天才だと言わない当たり、とても謙虚な方だと思われます。
しかし、定期的に大怪我をするとは、一体……。
「因みに、その大怪我の原因というのは……?」
「なんか、私には説明してくれないから、よく分からないのよね……。
ただ、この前の大怪我した時は、『もう森には行くな!』って、助けてくれたおじさんに怒鳴られてたわ」
森には行くな。ですか……。
「森。と聞いて、何か心当たりはありませんか?」
「森って言ったら……、いつも木材を調達してきてもらってる、採林場の西の森と。
あとは、南のそこそこ離れたとこにある、緑の森くらいかしらね」
「緑の森?」
「うん。緑の大精霊さまがいるって言い伝えの森。
でも、あそこは今魔物がうじゃうじゃ湧いてて。
ウチの弱っちいパパじゃ、怪我する前に丸呑みにされちゃうから、行ってるのはそっちじゃないと思うわよ?」
娘さんから、まさかの弱っちい発言。
シーナちゃんのパパさん、ドンマイです……。
それにしても、緑の大精霊さまの森ですか。
ライラさんも精霊さんを呼びながら魔法を使ってましたし、やっぱりファンタジー世界のここは、精霊さんがポピュラーな存在なのでしょうか。
私も、精霊さんが一体どんな姿をしているのか、いつか見てみたいです。
ストーリー進行が亀の歩みだけど、許してくだされorz