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飛鳥  作者: 石燈 梓(Azurite)
第三部 白き蓮華の国
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第五章 荒野の少年(3)


            3-5-(3)


 戦場を直接みていないレイ達には、詳しいことは判らなかったが。どうやら、トグリーニ族は、奇襲をかけて来た敵を撃退しおおせたらしい。

 日が暮れて暫くすると、避難していた民の元へ、騎乗した男達が、続々と帰って来た。

 全員が無事というわけにはいかず、辺りは、負傷者の呻き声や看護人のばう声、新しいユルテ(移動式住居)や天幕を建てる槌音で、一時騒然とした

 それでも、夜が更けるにつれ、徐々に落ち着いていった。


 隼は、タオと一緒に人々の間を駆けまわり、レイは、雉と鷲と一緒に居た。

 負傷者が出たと聞くと、雉は、そちらを支援しに行った。鳩も、オダ少年とともに彼を手伝いに行ったので……レイは、仕向けられたように、鷲と二人きりになった。

 トグル・ディオ・バガトルは姿を見せなかったが、族長の指示を受けた男達が、彼等のためにユルテを建ててくれた。

 鷲は、『雨を降らせた』ために酷く疲れていたが、彼等の作業に加わった。その間、レイを観ないよう努めていた。二張のユルテが完成すると、一方の炉に火を熾して部屋をあたため、なかに入るよう、身振りで彼女を促した。

 二人は、同じユルテに入った。レイは、濡れた外套を脱いで入り口に掛けた。雨は冷たかったが、これのお陰で身体はぬれずにすんでいた。

 天窓をわずかに開けて煙突を出した丸天井の下、炉を挟み、向かい合って腰を下ろす。


 鷲は、片胡坐をくみ、彼女に横顔を向けていた。彫りの深い端整な顔立ちも、伸び放題の長髪と髭も、レイが夢でみた通りだ。

 雉と隼とおなじ銀髪は、濡れそぼり、火明りを受けて鈍い黄金色に輝いていた。輪郭を縁取り、肩から胸元へ流れている。肩幅は広く、身体のどの部分にも無駄はない。

 トグル・ディオ・バガトルが《草原の狼》なら、彼は獅子のような人だと、レイは思った。――切れ長の眼は白眼が多く、銀の睫にけぶる眸は、澄んだ翡翠(ひすい)色をしている。炎を反射する明るい輝きに隠されていたものの、レイは、彼の眼差しに剥きだしの刃のような危うさを感じた。それが、とても恐ろしい。

 無言のいかりを突きつけられているようで、彼女は、逃げ出したくなる気持ちを抑えていた。

 鷲は、黙っている。

 疑心暗鬼であると承知していたが、レイは――彼が《タカ》でない自分を憎んでいても、不思議はないと感じていた。彼から《タカ》を奪った自分を……。


「……寒くないか?」


 揺れる炎を見詰めていたレイは、それが彼の声だと気づかなかった。おもむろに面を上げる。

 鷲は腕組みをして、彼女を観ていた。低い声は、柔らかく耳に届いた。


「『雨を降らせる』のは、魔法じゃないんだ。地上の熱を集めて風をおこし、雲をあつめている……。火が燃えているとやり易いが、一時的に寒くなる。大丈夫か?」


 レイは、眸を大きくみひらいて、頷いた。鷲は、続けて訊ねた。


「飯は喰ったか?」

「…………」

「そうか……俺も、まだなんだ。ってことは、雉と隼も、鳩もまだか。タオに頼んでおけば良かったな……」


 舌打ちして、ぼりぼり頭を掻く。

 レイは、かるく拍子抜けした。右手で顔をおおう鷲は、本当に困っているようだった。


「雉と隼は、何を考えているんだ? こんな所にお前を連れて来て、どうするんだよ……」

「あの」


 レイは思い切って話し掛けたが、彼の顔をまともに見られず、項垂れた。


「あの……。ワシ、さん?」

「……その呼び方は、止めてくれ」


 呟いて、それから彼は、再び彼女に横顔を向けた。眉根を寄せる。

 レイはドキリとしたが、鷲は穏やかに囁いた。


「悪いが、それは、あいつの呼び方だ……。鷹の顔をして、鷹の声で、俺をそんな風に呼ばないでくれ」

「ごめんなさい」


 レイは、ふかく項垂れた。戸惑いを含んだ恥ずかしさに、身体が熱くなる。

 鷲は首を振り、長い前髪を掻き上げると、その手を首の後に当て、濁った声で言った。


「謝るようなことじゃない。俺が、変なんだ。混乱している。正直言うと、未だに自分の置かれた状況を、把握出来ていない……。気に障ったら、許してくれ」

「…………」

「お前を――あんたを、あいつでないと判っていて、混同しそうで困ってる。どう扱えばいいんだか……。慣れるまで、妙なことを口走るかもしれないが、見逃してくれ」


『それは、私も同じだわ』 頷きながら、レイは思った。

 鷲の態度は落ち着いていたので、レイの気持ちも鎮まった。奇妙な感覚だ。――彼を知らないはずなのに、この親近感は何故だろう。雉より、隼よりも、彼が身近な存在だと解る。

『タカ?』 心の中で、もう一人の自分に呼びかけた。


「……ごめんなさい」

「どうして、謝るんだ?」


 鷲は怪訝そうに振り向いた。レイは頬が火照るのを感じ、目を伏せた。彼の瞳のなかの自分を、直視できない。

 鷲は、やや慍然と言った。


「あんたに謝られても、困るんだ。こっちは自分(てめえ)の気持ちだけで手一杯で、あんたを思い遣ってる余裕がない……。どうせなら、放っておいてくれ」

「ええ。判るわ」


 レイは囁き、そっと微笑を呑んだ。彼の率直さが心地よかった。


「貴方じゃないの……。《タカ》に、謝りたかったの」


 思い切って顔を上げ、透明な若葉色の瞳と向き合いながら……レイは、この人の前なら、正直になることを許される気がした。


「本当は、全て思い出してから、ここへ来るべきだった。貴方に会っていても、私は思い出せない……。だから、《タカ》に謝りたいの。彼女は私を救けてくれたのに、私は彼女に、何もしてあげられない」

「…………」

「逃げずに貴方に会うことしか、私には出来なかった。それも、ハヤブサさんとキジさんに、助けて貰わなければ……。気を悪くさせてしまうかもしれないけれど、私は今も、《タカ》にたすけて貰っているわ」

「…………」

「貴方たちにとって《タカ》が大切な人だから、私も大切にして貰えるの……。記憶なんて、戻らなければ良かったわね」

「それは違う」


 毒気を抜かれて彼女の言葉を聴いていた鷲は、顔を背け、舌打ちした。頭を掻き、ぼそりと言う。


「あんたにだって、あんたのことを大切に思っている、誰かが居るはずだ……。同情してくれるのは嬉しいが、そんな風に考える必要はない。あんたの仲間達に、酷だろう」

「…………」

「判ってるんだよ、俺達にも。あんたこそが、本当のあいつなんだって」


 レイは、瞬きを繰り返した。彼が自分の気持ちを理解してくれているということが、にわかには信じられなかった。口にしていない想いを。

 鷲は、彼女から視線を逸らしたまま、独り言のように続けた。


「あいつは、自分が誰か判らないから――《鷹》でいたかったんだ。俺と離れ離れになったら、やっていけるんだろうかと、心配していた。とびや隼に、そんな風に思ったことはない」

「…………」

「俺達は、欠けた者同士だった。あいつが本当の自分を失っていたのと同じように、俺にも、本来あるべきものが欠けていた。俺は――」


 鷲の声はくらかった。ぎりりと奥歯を噛み鳴らす横顔は苦悩に満ち、口調は抑制されていたが、ひとことひとことが苛烈だった。

 レイは、茫然と聴いていた。


「――俺は、家族がよく解らない。親に殺されかけたからなんだが……殆ど、憎んでいると言っていい。そのくせ、自分(てめえ)はまるで幼児(ガキ)だから、ザマはないが……。対等な他人なら、認められるんだ」

「…………」

「俺は、自分が一人で生きて行けると知っている。だから、常に、どこかへすっ飛んで行きかねない。そのせいで、とびを殺した……」


 鷲は天を仰いだ。白い喉があらわれ、豊かな髪が背中へと流れる。溜め息を呑み、再び、視線を足元に落とした。己を見据える厳しい眼差しを。


「俺は、つまり、自分(てめえ)の都合がいい時に、戻れる場所が欲しかったんだ。どこへでもついて来る、俺が何をしようと、疑問一つ抱かずに。――俺を必要としてくれる《鷹》は、その点、都合が良かった。だから俺は、あんたが本当は何者だろうが、どうでも良かったよ」

「…………」

あいつにも友人が居て、家族が居て……本来の人生があることを、俺は、認めたくなかった。記憶のことを、考えるのも嫌だった。――その大切さを判っていなかったからじゃない。そいつを認めることは、俺自身の欠けた部分の大きさに直面することになるからだ。俺には、欠けた《鷹》でいい。完全なあいつと――あんたと生きてく自信なんて、なかった」


 曖昧に苦笑して、鷲は視線を逸らした。炉の焔に照らされる横顔は、透けて、透けて、融けてしまいそうにレイには観えた。

 彼の言葉が、一語一句、真実なのだと判る。哀しみが、レイの胸に流れ込み、水のように浸して、彼女の心を麻痺させた。

 炎に揺らめく影を映す壁を見詰め、鷲は続けた。


「俺があいつの過去を考えることを嫌っていたせいで、鷹も影響されたのかもしれない。だが、今なら判る……。俺達は、一緒に逃げていただけなんだ」


 レイに向き直り、鷲は、一度、瞼を伏せた。それから、静かな眼差しを彼女にあてた。


「鷹であったころのあんたは、現実の辛さから逃げていた。それは、酷い目に遭ったせいで――。言ってみれば、病気だったんだ」

「…………」

「俺達がとびもずを喪って、自分を見失っていたように。あんたも、苦痛を忘れ、なかったことにしてしまいたかったんだ……。だけど、どんな辛さも苦しみも、認めなければてないということを、俺は知っている。その力がなかったあんたは、鷹の中に逃避した。そうして、時間が経ち、現実に直面できるようになって、あんたは帰って来た」

「…………」

「あんたが自分を取り戻した以上、《鷹》は消えなきゃならなかった。あいつが消えたのは、あんたが健康に戻った証拠なんだよ。――《鷹》はもう、あんたには必要ない。あんたにとって、俺が必要でないように。それだけのことだ……」


 レイは、何も言えなかった。

 鷲は眼を閉じ、頭を振った。濡れた髪が肩を滑り落ちる。項垂れ、片手で顔をおおい、うめくように言った。


「傍に居てやれなくて、済まなかった……」


『そんな、哀しい――』

 首を振って言いかけ、レイは言葉を呑んだ。心を浸し、胸を塞いだ哀しみが、遂に呼吸を止めたのだ。

 彼女は喘ぎ、やっとの思いで息を継ぐと、囁いた。


「どうして、ここに?」


 鷲は、眉間に皺をきざんだ。しばらく言葉を探した後、溜め息混じりに答えた。


「……俺は、あんたのなかに《鷹》を捜そうとして、もうちょっとで、あんたを壊すところだった。俺の能力(ちから)は、雉やルツとは違う。役に立たないうえ、目覚めたあんたに、また同じことをしかねなかった……。それに、」


 決してレイを観ないよう視線を逸らし、鷲は、ぎりっと奥歯を噛み鳴らした。


「頭に血がのぼっていた時は、タァハル族のところに乗り込んで、片端から仇を討つくらいの気分だったが……すぐ冷めた。それどころか、俺は、同じだと気づいた。奴等と」


 胡坐を組んだ足首を両手でつかみ、叱られた子どもさながら肩を落として、鷲は悄然と続けた。


「俺は、容姿(ナリ)はこんなだが、親も故郷(くに)もない根無し草だ。王女様(・・・)……俺達は、本来、出会うはずがなかった。あんたがタァハル族に襲われて、記憶を失わなければ――〈黒の山(カーラ)〉へ行くことも、妊娠、なんてすることも」

「…………」

「王族のあんたと、あんたの仲間にとって――俺は、タァハル族の野郎と同じだ。あんたを凌辱した……。『あの記憶』の後で、目覚めたあんたに俺がどう観えるか、考えると恐かった。俺に出来るのは、シジンとナアヤとかいう仲間を捜して、会わせることくらいしかない……」


 声がどうしようもなく震え、鷲は、両手で眼を覆った。

 レイは口を開けたが、声を発することが出来なかった。『違う』と言いたかったのだ。《タカ》にとって、彼はそうではなかったはずだと――。しかし、判らない。想い出せない罪悪感が、喉を塞いだ。

 彼から《タカ》を奪い、ここまで傷つけたのは、他ならぬ自分なのだ……。

 鷲は、関節のめだつ手で顔をひとなでし、感情を鎮めた。


「トグルと一緒に、ここへ来れば……離れて時間が経てば、頭が冷えると思ったが。無駄だったらしい」

「……何か、私に、出来ることはないですか?」


 苦虫を噛み潰す彼の横顔に、レイは問いかけた。理由の分からない切なさに、口走っていた。

 鷲は唇を歪め、ゆっくり首を横に振った。酷く疲れていたが、口調は優しかった。


「今は、その気持ちだけで充分だ。俺も、あんたに何もしてやれない……。ただ、一つ頼みたい」


 赤く燃える炉の焔ごしに、鷲はレイを見詰めた。眸は淋しく、透けていたが、穏やかだった。


「……こんなことは言いたくないが、俺は、以前にも、女房と子どもを亡くしている」

「…………」

王女様(・・・)には、理不尽極まりないだろうが。今、あんたのはらの中にいる子ども……そいつは、俺と《鷹》の子だ。あいつが幻でなく、俺の傍に居たことの、唯一の証拠だ」

「…………」

「今後、あんたのことは、俺が全力で護る。シジンとナアヤを捜し出して、ミナスティア国へ送るところまで、やったっていい。だから……その子を、俺にくれ」


 レイに、断ることなど出来るはずがなかった。


「ありがとう」


 レイが頷くと、鷲は身体のなかみを全て吐き出すような溜め息をつき、壁に寄りかかった。

 突然、泣きだしたい気持ちに襲われて、レイは両手で顔を覆った。

 鷲は、自身も泣きそうな表情で、肩を震わせている彼女を見守っていたが、やがて、そっとその場をあとにした。



               **



 ユルテ(移動式住居)を出た鷲は、しばらく扉を背に佇んでいた。土に汚れた自分の靴を見下ろし、何度目かの溜め息を呑み下す。

 疲れていた、ひどく。二十五年間の人生で覚えがない程。とても立ち直れるとは思えない。無防備に殴られ続けた後のような痺れが、頭にあった。


『何を言っているんだ、俺は』


 ぎりぎりまで抑制してきた感情が、限界に達している。砕け散り、ふいになってしまいそうに思われた。そうなったとして、何の不都合があるというのだろう。

 鷲は、己がしていることの意味を見出せず、天を仰いだ。ぞくりとする寒気に、自分の腕を抱く。

 夜空は吸い込まれそうに深く、星々は冷たく輝きながら、こちらを見下ろしていた。雨のにおいの他は、夕暮れの嵐の名残は無い。

 無論、そこに答えがあるわけでもない。

 鷲は、ふいに、わらいたくなった。


『嘘だ……』 判っていた。大嘘だと。


 心の中に、嵐がある……憎しみが。やり場のないいかりと悲しみに身を委ね、倒れ伏してしまいたい。子どものように我を忘れ、大声で泣き叫びたい。

 衝動を抑える為に、鷲は、口のなかを噛んだ。そうしなければ後悔すると知っている、己が憎かった。

 そろそろと、息を抜く。これと同じ思いを、以前も抱いた。とびに――『どうしてそんなことが出来るんだ。俺を残して、どこへ行ってしまったんだ』

 ちっぽけな自分の力では、どうすることも出来ない。判っているからこそ、行き場を無くした感情は、自我を傷つけた。心を裂く苦痛に、鷲は呻き、強く歯を食いしばった。口の中に、血の味が広がる。


『俺に、どうしろと言うんだ、鷹……』 たか、助けてくれ。手を差し伸べてくれ。俺を、抱き締めてくれ。そうすれば、落ち着くことが出来る。

 俺は、きっと、こんな風にお前を失いたくない。こんな形で、置き去りにされるのは沢山だ。

 心の一部をお前に預けたまま、持って行くのは止めてくれ。何も残らなくなってしまう……。空っぽになって、この先、どうしろと言うんだ。また、あんな日を繰り返せと言うのか。

 お前に出会う前の……鳶を喪った後の。

 いや、戻れない。もう二度と、戻れるはずがないんだ。


 溜め息を呑み、鷲は、そっと眼を開けた。髪が頬にかかるのも構わず、天を仰いで立ち尽くす。――いつかの、トグルのように。

 夜空は、虚空の冷気をもって、彼を圧し包もうとしていた。






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