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飛鳥  作者: 石燈 梓(Azurite)
第一部 太陽の少女
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第二章 草原の民(2)


           2-(2)


 翌朝。驢馬(ろば)の牽く荷車の台に腰かけたオダは、新しい革靴に包まれた自分の足を、夢をみているような気持ちで眺めた。昨夜のうちに、鷲が作ってくれたのだ。

 となりには、すっかり顔色の良くなったイエ=オリが、晴れやかな表情で坐っている。

 鷲と隼は隊列の前方でエツイン=ゴルと一緒にいるが、雉はイエ=オリを気遣い、荷車の傍らを歩いていた。オダと交代で歩く予定の、鳩とタパティも一緒だ。

 どうやら、本当に具合は良くなったらしい。まじまじとイエ=オリを観察した後、そう結論づけた少年は、真顔で雉に問うた。


「雉さんは、魔法使いなんですか?」

「えっ?」


 イエ=オリと話していた雉は、柔和な眼をみひらいた。明るい翠色の瞳に、光が差す。

 神官(ラーダ)の息子は、しごく真面目に彼を見詰めた。


「それとも、ルドガー神(嵐の神、医療の神でもある)の化身(アヴァ・ターラ)ですか? 鷲さんと、隼さんも?」


 雉は呆れたように絶句していたが、イエ=オリが笑って口を挟んだ。


「そう言われても、仕方がないと思うよ、ケイ。ごらん」


 左肩の傷痕を、得意げに、少年に見せる。鎖骨から胸にかけて無残に斬られていた刀傷は、綺麗にふさがり、赤ん坊のごとく瑞々しい桃色の皮膚でおおわれていた。


「折れた骨までくっついている。本当に凄いよ。……いてて」


 ぐい、と腕を持ちあげた拍子に痛みがはしり、青年は顔をしかめた。

 雉は、疲れた苦笑を浮かべた。


「薬は飲んでくれよ。まだ、完全に治ったわけじゃないんだ。血を失い過ぎている」

「承知」

「魔法なんてものが、この世にあるのかどうか、知らないけれど……」


 雉は、眼を瞠っているオダに、躊躇いつつ話しかけた。イエ=オリから視線をそらし、やや俯く。


「おれは、子どもの頃から、生きものの中に在る……何て言うか、生きているしるしみたいなものを、ることが出来るんだ。あわい炎か、光のような」


 視線をオダに戻し、肯いた。


「オダのなかにも……視えるよ。どうやっているのか自分でも分からないけど、おれは、それを動かしているらしい」


 オダは、溜息まじりに問い返した。


「隼さんと、鷲さんもですか?」

「さあ」


 雉は、肩をすくめた。


「隼は、視たことはないと言っていた。鷲に訊いたことはないけれど、ないんじゃないかな……。ただ、あいつと一緒に居ると、やりやすいんだ。昨夜みたいに」


 驚きのあまり言葉を失っている少年を見て、雉は、唇に自嘲をひらめかせた。


「気持ち悪いよね……。おれ達は、自分が何者か、分からない。どうしてこんな姿をしているのか、こんなことが出来るのか……。〈黒の山〉に行けば、何か分かるんじゃないかと思って」

「そんな。気持ち悪いなんてことは――」


 気弱な台詞に、オダは反論を試みたが、何と言えばよいか分からなかった。


「あんたが悪魔(マーラ)でも、神の化身(アヴァ・ターラ)でも、構わない」


 イエ=オリが、朱色の髪を揺らして首を振り、きっぱりと言った。


「あんたは、オレの命の恩人だよ、ケイ。あんたと《鷲》は。心から、礼を言う」


 雉は、戸惑ったように数秒だまりこんだが、やがて、ぎこちなく微笑んだ。


 ――この会話を聴いていた鷹(タパティ)は、鷲の言葉を思いだした。

「自分が何者なのか、分からない。なら、俺たちと同じだ」

 あれは、そういう意味だったのか、と。

『え、でも……』 怪訝に思う。初めて会った時、雉の撒いた水飛沫をあびた鷲は、当然のごとく彼に抗議していた。雉も平然と応じていたが、

『水は、生きものではないわ』

 生あるものの徴を動かすのが彼の力と言うのなら、あてはまらない。しかし、今、敢えて問う気持ちにはなれなかった。イエ=オリに感謝されているにも関わらず、雉の微笑は、ひどく悲しく、辛そうに見えたのだ。

 未だ、明かされていない事情があるらしい。オダもアレを観たのかどうか、後で確認しておこう。と、考える鷹の耳に、木鐸(もくたく)の音が届いた。


 道は、草木がまばらに生える荒地を通り、丘の斜面をゆるやかに曲がりながら登っていた。既に、標高はずいぶん高くなっている。行く手から、仲間に報せる声が響いた。


明水(めいすい)だ! 国境だぞ!」

「めいすいって?」


 呟くオダに、雉が説明した。


「ニーナイ国とキイ帝国の国境を流れている川だよ。いったん北へ流れてから、リブ=リサ河に合流している」


 雪融け水に削られた谷を一望できる場所にさしかかると、カールヴァーン(隊商)は足を止めた。赤褐色と黄灰色の山肌が交互にかさなる谷底に、青碧色の川がほそく流れている。この時期、水量は多くはない。流れに沿って繁る草とタマリスク(ギョリュウ)の緑が、砂礫に慣れた目には眩しかった。

 そして、その遥か向こうに、


「〈黒の山(カーラ)〉だ!」


 誰からともなく、声があがった。安堵の声、賞賛の声、羨望の声……。目陰をさして眺める者、両手を組んで祈る者、跪き、道中の無事に感謝を捧げる者もいた。

 オダは荷車から降り、自分の足で立った。両の拳を握り、背筋を伸ばして、天空にそびえる峰々のなかから聖なる山を探す。

 マハ・カーラ、カイラス、カラ・ケルカン、大神ルドガーの居城……周辺の国々、幾多の民族から、複数の名称で呼ばれる共通の聖地。

 〈黒の山〉は、灰色の雪雲の上に、峻厳なるその頂をのぞかせていた。


               *


 うるさく鳴く駱駝(らくだ)と、ぎしぎし車輪を軋ませる荷車の行列は、ゆっくり谷へ降りて行った。明水(めいすい)の川岸に添う巡礼の道を、すすんでいく。

 昼下がり。オダと交代して荷車に乗った鷹(タパティ)は、疲労を感じ、うつらうつら居眠りを始めていた。鳩がその様子に気づき、雉の外套の袖を引く。雉は、ふわりと微笑み返した。

 イエ=オリも、今は薬を飲んで眠っている。

 くつろいでいた彼らのところへ、鷲が、自ら駱駝を駆ってやって来た。


「何事だ? 鷲」


 雉の声に目を醒ました鷹の視界に、いきなり、鷲は飛びこんだ。外套の頭巾をはだけ、豊かな銀髪をなびかせた彼は、駱駝に乗るといっそう大柄に見える。圧倒されて赤面することも忘れた鷹を、鷲はちらりと見遣ったが、すぐにオダに向き直った。


「オダ、村を見つけた。間もなく到着する。それが、どうも様子がおかしくってな」

「村?」


 少年は、空色の瞳をみひらいた。


「ついて来い」


 鷲は、駱駝の首を巡らせると、隊列の前方へと走り出した。オダと鳩が続く。雉は、鷹が荷車から降りるのに手をかしたが、自身はイエ=オリの側にとどまった。

 異変を察し、隊列は、徐々に進む速度をゆるめていた。男たちが警戒して、荷物から剣や弓を取りだしている。

 列の先頭では、エツイン=ゴルが不安そうに佇んでいた。隼もいる。彼らのところへ戻った鷲が、駱駝から降りて隣にならぶ。駱駝の首に片手を置き、仲間が追いつくのを待った。


「あれだ、オダ。隼、どう思う?」


 鷲は手を伸ばし、明水のほとり――タハト山脈の山裾に佇む、こじんまりとした集落を示した。


 段々に削られた川床を、国境の川が流れている。浅い流れの上に、木製の橋が架かっていた。欄干はなく、橋げたは狭く、荷車がやっと通れるくらいの粗末なものだ。

 対岸に、日干し煉瓦造りの家が、数件、集まっている。まるで、強風に耐えて身を寄せ合い、斜面にへばりついているかのようだ。キイ帝国の人々の棲む村だろう。柘榴や(すもも)の木の下に、きれいに耕された畑がひろがっていた。

 一方、

 集落と川を挟んだこちら側の緑地に、見慣れない、椀を伏せたような円形の、白い建物が並んでいた。表面を羊毛布(フェルト)で覆っているらしい。どう見ても、この地方の農民の住居ではない。


「ユルテ(移動式住居)だな」


 エツイン=ゴルが、小声でつぶやいた。ナカツイ国の商人は、珍しく険しい表情をしていた。

 鷲は、片方の眉を持ち上げた。


「ユルテ?」

「キイ帝国の言葉では、パオと言う。遊牧民の――〈草原の民〉の、移動式住居だ」


 オダは息を呑んだ。エツイン=ゴルは、当惑して鷲を見上げた。


「連中は、村を占拠しているのに違いない。どうするべきだと思う?」

「……落ち着けよ、エツイン」


 鷲の代わりに、隼が応えた。眼を細めてユルテを眺め、毅然と言う。


「まだ、そうと決まったわけじゃない。ユルテの数は少ないし、川のこちら側だ……。おそらく、ニーナイ国の民を渡らせない為に、国境を見張っているんだろう」

「俺もそう思う。……離れた所に、天幕を張ろう。明日の朝、こちらから様子をみに行ってもいい――」

「その必要は、なさそうだぜ、鷲」


 隼が顎をしゃくり、一同は、息を呑んだ。


 四・五頭の馬が、こちらへ向かっていた。みな、人を乗せている。オダとエツイン=ゴルが、さあっと蒼ざめる。

 鷲は、早口に囁いた。


「鳩、オダを隠せ。俺がいいと言うまで、荷車の陰にいろ。慌てるなよ。まだ、敵と決まったわけじゃない」

「はいっ」


 鳩はオダの腕を引き、隊列の後方へと走った。男たちが、顔を見合わせてざわめき始める。エツイン=ゴルは両手を挙げ、彼らを宥めた。

 鷹(タパティ)は、駱駝の後方に控えた。


 馬足は速かった。鹿毛と青鹿毛の馬たちだ。脚も太く、たてがみと尾は長く、つやつやしている。

 乗っている男たちは、一様に大柄だ。鷲ほどではないが、エツイン=ゴルを始めとするナカツイ王国の人間より、頭一つぶん背が高い。全員、黒い外套を着ていて、服も靴も馬具も、殆ど黒ずくめだった。

 五人の〈草原の民〉は、エツイン達の表情を確認できるところまで近づくと、馬を止め、次々に降りた。一人が、他の四人を指揮しているらしい。

 彼等の靴は長く、金具が着いていて、歩くとガシャガシャ音がした。外套から時折のぞく剣の柄にも、装飾がある。

 無言で迎える隼の頬に、不敵な嗤いが浮かんだ。


「*******!」


 指揮官らしき人物が、鷲の前に立ち止まり、何事かを叫んだ。予想より高い声に、鷲は眼を細めた。しかし、聴いたことのない言葉なので、返事のしようがない。

 残る四人の男たちが、指揮官の背後に跪く。うち一人が、身を屈めたまま進み出た。


「……我は、トロゴルチン・バヤンとアラスイ・ゴアの子、メルゲン・バガトルとエゲテイ・ゴアの娘。……第十七代トグリーニが族長、トグル・ディオ・バガトルの同腹の妹、タオ・イルティシ・ゴアである。……お前達は、何者か? 何故、チャガン・ウスへ立ち寄る? 巡礼者か」


 進み出た男が通訳をした。流暢な南方の公用語を聴いて、エツイン=ゴルが眼を瞠る。

 鷲は、興味深そうに、この少年のような若い女性を見下ろした。

 タオと名乗った娘は、臆することなく彼を見上げ、毛皮の帽子を無造作に取りはらった。幾本もの三つ編みに編まれた長い黒髪が風になびき、エツインと隊商の男たちが、息を呑む。

 彼女の瞳は、鮮やかな緑色をしていた。






雉:「おれが気持ち悪いって言ったのは、素性が分からないことじゃなく、『鷲と一緒にいると能力を使い易い』ってことなんだけど……」

オダ:「えっ、そっちですか?」

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