第四章 藁で作った狗(2)
6―4―(2)
『何か、話して下さい……』
オダは、声をかけようとして躊躇した。トグルは無言で、黒馬と鹿毛の手綱を引いて歩いている。オダは上目遣いに彼の横顔をながめ、数十回目の溜息をついた。
道はタサム山脈と天山山脈の峠を越え、南へと伸びている。
隊商の行列は、のんびりシェル城を目指していた。〈草原の民〉の護衛は列の先頭に二人、なかほどに二人、最後尾にオダと若長老ジョルメと、トグルとセム・サートルがいる。彼等の両側には、なだらかな高原が広がっていた。黄色い花の咲く野原を万年雪をかぶった山々がふちどり、蒼天がおおう。頬を撫でる風は冷たいが、乾いて清々しい。雲雀も鳴いている。
しかし、オダは景色を楽しむ気分になれなかった。
トグルが無口だと、知らなかったわけではない。――だいたい、彼と対等に話ができた記憶はない。だが、こうも一日中黙っていられると苦痛だった。
トグルは、必要とあらば決して言葉を惜しむ男ではない。まだ少年だったオダに戦争の理由を語ってくれたときは、丁寧に、こちらの理解を確かめつつ話してくれた。あれがなければ、いつまでも心に憎しみを抱え、〈草原の民〉を理解出来なかったろう。今の自分があるのは、彼のお陰だ。
必要とあらば。――問題は、これだった。必要がなければ、トグルは殆ど喋らないのだ。
無駄口を叩かず、めったに感情を表さない。〈草原の民〉の(特に男性の)美意識は承知している。『お前は喋り過ぎる』とタオに叱られたこともあるから、彼等にとってはオダの感覚の方が奇妙なのだろう。
けれども。
しかし。
だからと言って……。
オダは肩を落とした。
朝から晩まで、にこりともしない。愛馬とジョルメに合図をする時以外、声も出さない。黙然として茫漠たる内面の荒野を吹きすさぶ風の音に耳を傾けている相貌は、オダ達が傍らにいることなど忘れているように観える。
食事の時も、移動の時も、寝る時も。
――無論、オダは努力した。トグルが話してくれないのなら、こちらから話しかけようと。選んでくれた栗毛の牡馬の名を訊ねると、トグルは不思議そうに瞬いた。
「お前は、三百頭の馬に名前を付け、憶えていられるのか?」
言われてみればもっともだ……。神矢は特別だが、葦毛と鹿毛は毛色でしかない。名などなくとも区別できるのが、遊牧民の遊牧民たる所以なのだろう。
トグルは面倒そうに告げた。
「栗毛は、栗毛だ。好きに呼べ」
それで、オダの馬の名は栗毛に決まり、会話は終わってしまった。
セム・サートルが追いついて来た時も、トグルは素っ気なかった。葦毛を観て一瞬みがまえ、やや困惑気味に呟いた。
「……俺に学ぶところなど、ないぞ」
「決めるのは私です」
毅然と答えるサートルに反論はせず、同行を許した。
万事この調子で会話が続かず、オダは発狂しそうな気分になった。武辺者なサートルは苦にならないらしいが、隼やタオはよく彼と一緒に暮せると思う……。尤も、隼の前ではトグルもこうではないのかもしれず、それはそれで何だか悔しかった。彼にとって自分が取るに足らない存在なようで。
いや。隼に比べて自分の方が重要だなどと、自惚れるつもりはないのだけれど。
オダがぐるぐる悩んでいると、トグルが立ち止まった。
「……どうした。疲れたのか?」
オダははっと我に返った。
トグルは、相変わらず無表情に続けた。
「休みたいのなら、そう言え。黙っていては、解らない」
周囲をみまわして、休憩場所を探し始めた。
『それは、俺の台詞です』――言いかけて、オダは言葉を呑んだ。彼の言う通りだ。言われなければ、他人の考えは解らない。それなのに、自分は何を甘えているのだろう。的外れな嫉妬を抱え(隼を引き合いに出すなど、嫉妬以外の何でもない)、悶々としているなど……。
頬が火照るのを感じた。オダは己を恥じ、慌てて言った。
「大丈夫です。考え事をしていただけです。……すみません」
トグルは平板な眼差しを彼にあてたのち、再び歩き始めた。
『俺は、この人に認めて欲しいだけなのかもしれないな……』広い背を見上げ、オダは思った。栗毛の手綱を引いて横に並ぶ。
「あの」
思い切って話し掛ける。声が掠れたので、一度唾を飲まなければならなかった。
新緑色の双眸が、無愛想に一瞥する。
オダは、おずおずと切り出した。
「何故、鷲さんを連れ戻そうと……?」
トグルはすぐには答えなかった。前方を見据えて歩き、数秒のちに、ぽつりと言った。
「……今、奴に死なれては、困る」
答えになっていない……。
何故、トグル自身が行くのかと訊ねたかったのだが――さすがに正面から問いなおすのは躊躇われ、質問の形を替えることにした。
「僕たちは、ミナスティア国の敵ではありませんよ。助けたいと思っている隣国です。交易はしてきたのですし、言葉も通じるんですから、危険とは限らないじゃないですか?」
トグルは表情を変えず、また呟いた。
「言葉が通じるからといって、話が通じるとは、限らない」
確かにそうだ。
オダは些か不安になったが、楽観を心掛けた。
「無理はなさらないと思いますよ。そういうのは嫌いだと、ずっと言っている人ですから」
フッと、トグルは嘲った。なめらかな声に苦い響きが交じる。
「……あれは、そういう意味ではない」
「え?」
「奴の――『頑張る、努力するのが嫌だ』という台詞は、お前が言うような意味ではない……」
「どういうことですか?」
トグルは革靴の爪先を見下ろして考えた。言葉を探す横顔を、オダは固唾を飲んで見守った。やがて、トグルは彼を振り返り、穏やかに問い返した。
「お前は努力していないのか?」
……やはり、意味が解らない。オダは辛抱づよく彼を見詰めた。
トグルは、鼻を寄せてくる愛馬の首に腕を回し、撫でながら続けた。珍しく冗談めかした口調だった。
「神矢も栗毛も、俺も……頑張ってはいないのか?」
「それは――」
オダは口ごもった。彼の言わんとすることをおぼろげに理解したが、言葉が出てこない。
戸惑う空色の眸に、トグルは単調に語った。
「己の望む結果を得るために努力するのは、当然のことだ。責任を果たすために『頑張る』、『努力する』……そんな言葉は言い訳にならない。結果が得られなかったとして、赦されるのか」
「…………」
「――ならば、黙って全力を尽くす。奴は、そう言っている」
オダは立ち止まった。
トグルは同じ歩調で先へすすんだ。揺れる辮髪を見送りながら、オダは身体から血の気が引くのを感じた。甘えを言い当てられた気分だった。
『頑張る』、『努力する』……簡単に口にしてきた。そう言えば、周囲は見守ってくれる。自分もまた、どこかで自分を赦している。頑張ったのだから、上手く行かなくても仕方がないと。
鷲やトグルが負う責任に、安易な言い逃れは許されない。国や人の生命を左右する問題に、出来なかったも何もない。
『嫌いなんだよ。信念とか、努力とか』
『無理するのは俺の性分じゃない。そんなことをしなくても、出来るのが理想』
常に飄々として冗談半分に生きているような、鷲。彼の内面の厳しさを垣間みて、オダは黙り込んだ。それは、トグルの世界の厳しさでもある。言葉を言葉どおりにしか理解してこなかった己の浅はかさに気づき、冷汗をかいた。
また引き離された。オダは、急いでトグルを追いかけた。
「だとしたら。鷲さんが心配です」
蒼ざめる青年を、トグルは肩越しに見下ろした。
「シジンさんが……。あの人達は、目的のために生命を懸けることを厭わない。ミナスティア国の現状で、それは危険だ」
『やっと解ったのか』とは、トグルは言わなかった。
「……果たせるアテのない責任を負うことを、無責任と言う」
緑柱石の瞳は深い。オダの裡に言葉の意味が浸透するのを待って、トグルは囁いた。
「それくらいは、解っているはずだがな……」
オダは絶句していた。
トグルは再び沈黙して、歩き続けた。
雪嶺に、隊商の靴音と蹄の音が響いた。
*
太陽は峻厳な山々の尾根をはいのぼり、南中に達した。
丈の短い草の生えた野を歩いて来た隊商の一行は、無花果の古木をみつけて足を止めた。駱駝と驢馬が、さっそく草を食みはじめる。トグルが弓に矢をつがえたので、オダは呼吸を止めた。
慣れているのか、ジョルメは驚かない。サートルも端然と構えている。トグルはゆるやかに尾を振る神矢の影から歩み出ると、西の草原へ矢を放った。
オダには何を狙ったのか判らなかった。ジョルメが嬉し気に頬をゆるめたので、中ったのだろうと推測する。
トグルはジョルメに手綱を預け、自分の射た方向へと歩いて行った。山々がおとす巨大な紫の影を突っきって進み――どこまで行くのだろうと、オダは不安になった。――野兎を一羽提げて戻って来た。
オダは目を丸くした。
「よく、あんな遠くのものを射られますね」
心から感嘆したのだが、トグルは冷静に一瞥しただけだった。乗馬と同じく、彼にとっては造作ないことなのだ。『いちいち騒ぐな』 と窘められたようで、オダは肩をすくめた。
トグルは地面に直接胡坐を組んで、野兎を捌きはじめた。腰帯にいつも挿している短刀を使って毛皮を剥ぎ、手際よく切り分ける作業を、オダとサートルは感心して見守った。ジョルメがさっそく火を熾す。羊を捌く時もだが、彼等のこういう器用さに、他民族は及ばない。新鮮な野兎の肉を鍋に入れ、水と岩塩の欠片をくわえて火に架ける。
分担を決めたわけではないのだが、毎回、トグルとジョルメがてきぱきと料理を作ってくれるので、オダとサートルは恐縮するばかりだった。
警護をしている他の〈草原の民〉の男達がやってきて、火を囲んだ。隊商の夕食が始まる。馬たちは勝手に草を食んでいた。
「では、アドレにいらしたのですね?」
「はい」
オダの問いに、サートルは微かに微笑んだ。
太陽が西の尾根に隠れると、辺りは急に寒くなった。男達は外套や毛布を身体にまいて焚き火の傍にうずくまった。茶をわかす者、寝支度をはじめる者、酒を飲んで話しこんでいる者など、さまざまだ。
トグルは銀製の煙管に火を入れて煙をくゆらせつつ、考えに耽っている。
セム・サートルは、トグルに劣らぬ長身だ。彼等の間にいると、小柄で年下のオダは子ども同然にみえる。かといって軽んじることはなく、サートルは礼儀正しく応じていた。
話題は四年前、トグリーニ族とリー・ディア将軍(ヴィニガ姫の兄)との戦い――オダが鷲達と出会った頃のことだ。
「私は父と弟とともに、アドレ城におりました。ディア様が亡くなられた報せは受けましたが、砦を空にするわけにはいきませんので」
「鷲さん達に会ったことはないのですか」
「ありません。残念ですが」
当時、トグリーニ族はニーナイ国に侵攻していた。鷲とオダは、《星の子》とリー・ディア将軍に援助を求めた。その結果、リー将軍はタオとトグルに殺され、妹のヴィニガ姫とトグルが対立することになった。鷲と隼の尽力で、トグルと姫将軍は同盟を結んだのだ。
ここにいるのは、かつて敵同士だった男達だ。自己紹介を兼ねて昔話をしながら、オダはトグルが気を悪くしないかと少し緊張していた。サートルも、皮の外套を着た背を時折うかがっている。
「私と弟は、〈草原の民〉と直接戦ったことがないのです」
「貴方を草原へ預けるなんて、リー姫将軍は、随分期待なさっているんですね」
二人の声は決して大きくはなかったが、澄んだ空気を伝わり山に木霊した。トグルは我関せず、という態度だ。オダは、羨望の交じった眼差しをサートルにあてた。
「留学ということでしょう? いいなあ。両国の関係を深める、先駆けになるのですね」
「ご期待に添えるかどうかは、わかりませんが……」
曇りのない声音に、ちらと、トグルが彼等を振り向いた。サートルが口ごもる。トグルは何も言わず、焚き火へ向き直った。
オダは会話を再開した。
「ところで、キイ帝国にはルドガー神派の方が多いのですか? 貴方の名前――サートルとは、マハ・バーイラヴァ(ルドガー神の尊称)のことでしょう?」
「はい。我が国では軍神です。弟のルドラも同じ意味で、父がつけてくれました。でも、私達は信徒ではありません」
火明かりをうけて輝く金赤毛を見上げ、オダは首を傾げた。
「信徒でもないのに、他国の神の名を名乗るのですか?」
サートルはわずかに眉根を寄せ、生真面目に答えた。
「信じていないから、かもしれません……」
「どういう意味ですか?」
彼の呟きを、オダは聞き咎めた。サートルは、ひかえめな口調で続けた。
「自分達の信仰に関わらないので、名乗れるのでしょう。キイ帝国では、偉大過ぎる神の名は呼べません。私達の天子は現人神であらせられるからです」
オダは眼を瞠った。サートルは、頬骨の張った険しい顔の筋肉を一切動かさない。
「今上の諱(真名)を、私達は口に出来ません。崩御なさった後に、諡を奏します」
オダは眉間に皺を刻んだ。君主を戴かないニーナイ国民には、神より皇帝が畏れの対象になることは理解しがたい。
サートルが補足する。
「帝は天帝の子孫です。地上の生を終えられれば、天に還って神となられます。決して、貴方がたの神を軽んじているわけではありませんが」
「そんな――」
神官の息子は、するどく息を吸い込んだ。彼の混乱を察したトグルが、静かに口を挟んだ。
「民族によって、仰ぐ神は異なる……。オダ。お前達のルドガー神と、奴等の神は異なるのだ」
「おかしいですよ。帝は人でしょう? 人は神ではありません。なのに、神より偉いなんて――」
オダは、やや慍然として抗議した。サートルは困り顔で黙っている。
トグルの声が、さらに低く圧し殺された。
「控えろ、オダ」
「だって」
「……俺の祖先は、オオカミだ」
トグルが舌打ち交じりに言ったので、オダは眼を丸くした。こんな話はしたくないと言わんばかりの濁った声で、トグルは続けた。
「天の命を享けて降臨した黒狼と、天山の霊獣の子孫だ。……常識で考えれば、獣が人を産むはずはないがな」
オダは、ごくりと唾を飲んでトグルを凝視めた。トグルはサートルを横目で見遣り、陰鬱に囁いた。
「同様に……常識で考えれば、天から人が降りて来るはずもない」
サートルは彼の意図を理解し、ぎこちなく頷いた。トグルは、困惑するオダに無表情を向けた。
「それが起きたのは、《星の子》だ。不老不死ゆえ、キイ帝国の皇帝さえ彼女を敬う。俺達も」
「…………」
「だが、ルツは己を人だと言っている。あれほどの超常の能力をもつワシと、キジも……。いったい、神と人との区別は何だ? 何をもって神を神とし、人を人とする」
オダは、なんと言えば良いか判らなかった。問いの意味が理解出来ない。――否、解っていても頭が拒否してしまうのだ。受け入れを拒んでいる。
トグルは軽く首を傾げてオダの答えを待っていたが、返事がないとみるとサートルへ言った。
「キイ帝国の帝を認めない俺達は、天帝を冒涜する狗と呼ばれていた。今も、お前達と俺達の天は異なっている」
「そうです……」
サートルは苦渋に満ちた声で答えた。オダの眼が、こぼれおちんばかりに見開かれる。
トグルは早口に囁いた。
「草原もキイ帝国も、人の集まりだ。人が人を支配するには、根拠が要る。帝は天帝に、俺は天に拠っている」
「…………」
「民族を民族たらしめるのは、その神話だ……。オダ、お前の言いたいことは解るが、常識が違うからと軽々に否定するな。結果がどうなるかは、観てきたろう」
「でも、」
『神は神です』――オダの台詞は、真摯な緑柱石の瞳に遮られた。同時に悟る。
これは、神の話ではない。人の問題だ……。
トグルは、地底から響く声で告げた。
「人が、神の在り方を定めるのか? お前が」
口調は極めて穏やかだったが、苛烈ともいえる言葉に胸をつらぬかれ、オダは呼吸を止めた。
彼の反応には構わずに、トグルは焚き火に向き直った。溜息というほど深くはない息を吐き、首を振る。一本に編まれた黒髪が、肩でゆっくり揺れた。
オダは項垂れ、唇を噛んだ。
「すみません。私が余計なことを……」
サートルが恐縮して謝ると、トグルは皮手袋をはめた片手を彼の肩に置いた。『お前の所為ではない』と言うように。
四人はしばらく黙っていた。ジョルメが、各々に乳茶をいれた椀を渡してくれる。やがて、サートルは独りごちた。
「私は、〈草原の民〉にはなれませんね」
その言葉は彼等の間に横たわる深い溝を彷彿とさせ、オダはドキリとした。トグルが眼だけで振り返る。サートルは剣を持つ大きな両手で茶のはいった器を支え、苦々しく続けた。
「オルクト氏族長に言われたのです。『草原に学ぶのなら、草原の民になれ』と」
フッと、トグルは息を抜いた。眸は笑ってはいない。
サートルは口調を和らげ、淡々と言った。
「私はキイ帝国の人間で、天帝から離れることは出来ません。どんなに努力しても、所詮〈草原の民〉のフリをした〈石の民〉で終るでしょう。生まれは変えられません」
トグルは炎に視線を戻し、煙管をくわえなおした。サートルは面を上げ、その横顔に語りかけた。
「しかし、そう言ってしまったら、私達が理解し合うことは永遠にできないではありませんか……」
今度は、トグルは振り向かなかった。サートルは、黙って茶を口へ運んだ。
山の神々は、平然と其処に座している。キイ帝国の青年の言葉をトグルが歓迎しているかどうかは、解らなかった。
陽が沈むと、足元から冷気がのぼってきた。男達は風を避けて簡易の天幕を張り、順番に焚き火の番をしながら眠りについた。夏だというのに吐く息は白く、襟に霜が降りた。馬たちも身を寄せ合っている。
月のない夜だ。
夕食後から、オダは黙して考え込んでいた。話し好きな彼が沈黙しているので、サートルは声をかけずにいる。トグルはいうまでも無い。
オダは毛布で体を包み、サートルと並んで天幕に寝転んだ。焚き火の傍で煙草を喫しているトグルを眺めながら、オダは、頭の中で繰り返す声を聴いていた。
『人が、神の在り方を定めるのか?』
神官である父の後を継ぐために学んで来た。知識には自信がある。まして、信仰する神のことで異教徒に遜色があろうはずがない。――どこかで自惚れていたのだ。己の常識が他人にも通用すると思っていた。
神々さえ自分の枠のなかで見ようとしていたのだ。
トグルはそれを見逃さなかった、彼自身は意図していなくとも。増上慢を指摘され、オダは身の内が冷えた。情けなく恥ずかしいと感じ、目が離せないとも思う。
トグルの言葉は少ないが、いつも正面から心に入って来る。忘れていた事柄を喚起し、死角から警鐘を鳴らす。オダは打ちのめされ、同時に熱い想いに気づく。
この人に認められるのは、大変なことだ。だからこそ『認められたい』と……。
オダは毛布を引き上げて顔を覆った。自分の思いなど、トグルは知る由もない。出会った頃も今も、彼が先を歩んでいることを痛感する。
「…………」
ふと、オダは視線を上げた。サートルも外套の中で身じろぎする。
澄んだ優しい音色が流れていた。夜の濁りを祓い、やわらかな手でそっと頬を撫でる、馬頭琴だ。弾いているのはトグルだった。口にくわえた煙管の先の明かりが、闇のなかで揺れている。神矢が鼻を鳴らし、駱駝も首を揺らして聴いている。
たかぶった感情を鎮め、ひび割れた心を慰める調べに感謝しつつ、オダは眠りにおちた。
タオ: 「凄い形容だな。『黙然として茫漠たる内面の荒野を吹きすさぶ風の音に耳を傾け』……ておられたのか? 兄上」
トグル:「いや。ぼうっとしていた」
オダ: 「えっ?」
タオ: 「『忘れていた事柄を喚起し、死角から警鐘を鳴らす。……(中略)……先を歩んでいることを痛感する』そうだぞ」
トグル:「話が長くなると面倒だからな」
オダ: 「面倒……だったんですか?」
トグル:「眠かったのだ」
オダ: 「…………(呆然)」
タオ: 「あのな、オダ、そう緊張することはないのだぞ。兄上は無愛想だが、悪意はない。お前を認めていないなどということもない。出会った頃を思い出してみよ、随分マシになったろう?」
オダ: 「…………(うるっときている)」
トグル:「…………?(何故 俺がオダを苛めているような話になっているのだろう? と考えているが、分からない)」




