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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

二人旅行

作者: 宮森マヤ

予想より長くなってしまいました。どうしても最後のシーンを書きたくて考えた物語です。

 空が好きだった。車で直線を走るのも、寂れた映画館で煙草に煙されながら映画を見るのも好きだった。これはわたしじゃなくてミーちゃん。

 わたしは星空が好き。歩いて買い物するのも好きだし、あとは……ぼーっとすること?

 ミホのことを「ミーちゃん」と呼ぶのはわたしだけ。近寄りがたいオーラというか、いっつも投げやりっぽい態度の彼女をちゃん付けするのがみんな怖いみたい。

 逆にわたしのことを「アヤ」と呼び捨てにするのもミーちゃんだけだ。みんなはわたしに「ちゃん」をつけたがる。

 そんな関係は、大学四年生になった今も変わらない。

***

「ねぇ今どの辺?」

 助手席から声をかける。ちらっと盗み見たスピードメーターは八十キロを超えていたから慎重に。

「んー? 富士山見えるからY県入ってんじゃね」

 特徴的な頭の山を指差すミーちゃん。ちょっやめて。ハンドルから手離さないで、前見て運転して。

 そんな風に怯えていると、ミーちゃんのヴァンガードをとなりの車線の車がものすごい速度で追い抜いていった。ダメ。やっぱわたしに運転は無理かも。

***

 ミーちゃんに初めて会ったのは高校生のとき。前髪を片目が隠れるくらいまで伸ばした彼女は、入学初日から近寄るなオーラびんびんだった。肩につくかつかないかくらいの髪はところどころ長さがバラバラで、髪のあいだから覗く目は鋭く世界睨んじゃってるし。きっとわたしとは接点ないなーって当時は思ってた。

 でも五月に入った辺りから、少しずつミーちゃんの印象が変わってきた。例えばそれは、授業中に先生に指されたときの「あーわかんねぇっす。ヒントください」だったり、「弁当忘れた。死ぬ」って呟きながらハンバーグを描く午後だったり。

 わたしだけじゃなく、クラスのみんなからの印象が変わったのは多分中間テストのとき。最後の国語のテスト。開始五分で居眠りを始めたミーちゃんは終了十分前に先生に起こされた。

「やりきります」

 そう言ってものすごい速度で問題を解き始めたのを、わたしは二つ後ろの席から見ていた。むしろ回答を終えたクラスの大半が見てた。

 テスト返却の日。ミーちゃんは先生にやっぱり怒られてた。

「こんなミミズがのたうち回ったみたいな字は読めん!」

 急いで解くあまり、文字がかなり雑になっていたらしい。ミーちゃんは小さく「はあ」と呟いて教壇に向かい、一言「すみません。つい筆記体で書いてしまいました」と言った。

「っ」

 クラスの何人かがつい変な声を出して笑い、何人かが静かに震えた。わたしも震えていたけど、誰かの「せめて草書体じゃね」でわたしを含めたみんなの限界が来た。クラスのみんなが笑う中で「じゃ、それで、草書体」と言ってテストを受け取る姿を見て、わたしは何故がミーちゃんが好きになった。

 いつも周囲に流されていたわたしは、その日からミーちゃんみたいになりたいと憧れている。

***

「高速降りてご飯食べよーよ」

 まだ十一時過ぎたけど、とりあえず声をかける。お腹がすいたというよりちょっとゆっくりしたい。

「いーけどY県の店なん知らねーぞ」

「探せばなんかあるよ」

 それから十分ほどして、わたしたちの車はようやく一般道に滑り込んだ。

 ホッと一息ついたわたしは自信ありげなミーちゃんの横顔を見ながら「ミーちゃん」と呼んだ日のことを思い出す。

***

 わたしは彼女のことを最初はミホさんと呼んでいた。でもミーちゃんは空返事ばっかりで、事務的で必要最低限以外はあまり話さなかった。それはクラスのみんなともおんなじで、クラスの輪には入っているけど「おしゃべり」をするほどにはならなかった。

 なんとかミーちゃんとの距離を縮めたくて、わたしはあだ名で呼ぶことを思いついた。

「ねぇミーちゃん。お昼一緒に食べない?」

「っな……はっ? ミーちゃんって……おま……」

 そのときのミーちゃんの顔。いつもは鋭い目が両目とも大きく見開かれて、口をポカンと開けて驚く顔。わずかに照れてるような顔が、ようやくわたしを認知してくれた顔に見えた。

 そんな顔が見たくて、わたしは彼女をミーちゃんと呼ぶことにした。……ミーちゃんからは「恥ずかしいから勘弁」って言われるけど。

***

「チェーン店は嫌だよな?」

 大きめな道を走りながらミーちゃんが訊く。

「そうだねぇ。せっかくだからもっとご当地っぽい方がいいな」

「もも?」

「ぶどう」

「飯じゃねぇし」

「そっちが先に言ったじゃん」

 とりあえず富士山の方に向かって車を進めるけど、目に入るのは地元にあるようなお店ばかり。

「思い出したよミーちゃん」

 スマホをこっそりポッケにしまいながらわたしは言った。

「とりもつとほうとうだよ」

「検索してたのばれてんぞ」

「だから前見て運転してってばぁ」

 わたしの頭良く見せる作戦失敗。

 はあーあ。死ぬ前にかっこいいところ見せたいのに。

 山の麓に広がってるであろう樹海を思って、わたしは目を閉じた。

***

 この旅行を計画したのは大学二年生の冬。

 高校のときは帰宅部だったわたしたちだけど、ミーちゃんだけは大学でサークルに入った。特にやりたいこともないわたしと違ってミーちゃんは目標があったから。

「いつかあのスクリーンに映って街中から歌を響かせてやるよ」

 渋谷のスクランブル交差点。ビルボードに向かってミーちゃんが叫んだのは大学に入ってすぐのことだ。

「そういうのって武道館じゃないの」

 ビシッとビルに向けてポーズを決める姿がどこかおかしくてわたしは笑った。

「はぁ? ぶどーかん? あそこはけっきょく人数制限あるからダメだな。その点街灯スクリーンなら誰にでも届く。それに、」

 それに、ぶどーかんは無謀すぎるからな、と小さく漏らしたのを聞き逃さなかったわたしは、そっぽを向くミーちゃんの頭をちょっと乱暴に撫でた。

 ミーちゃんが通っていたボーカルセミナーの教室が火事になり、取り残された生徒を助けるためにミーちゃんが火の手に飛び込んだのは、二回生の七月だった。

 煙のせいでかすれてしまった声で、ミーちゃんはサークルを抜ける趣旨を上級生に伝え、翌週ライブで披露するはずだった歌を歌いながら、楽譜や音楽関係の諸々の入ったバッグを燃やした。

 ミーちゃんは無言で灰を踏みつける。その姿をわたしは無言で見ていた。

「軽くなったわ」

 そう言って腕を振るミーちゃんは、いつもかけていたバッグがなくなった分小さく見えた。

 そのままぼんやりと夏が終わり秋が過ぎた。声は薬で少しだけ元に戻ったけど、激しく声を張ると咳き込んでしまうのは治らなかった。年を明けてもそれはなにも変わらなかった。

 成人式の朝はいつもと変わらず寒かった。普段よりもずっと早く起きて、布団から無理矢理抜け出す。

「アヤーもうミホちゃん支度終わってるわよ」

 階下からのお母さんの声で飛び起きた。

 どんな事情かは知らないけどミーちゃんは大学進学を機に一人暮らしを始めていた。おそらく親と不仲な彼女は着付けをわたしの家ですることになっていた。

「うわぁーミーちゃん綺麗。しかもそっち着てくれたんだぁ」

 リビングには黄色い振り袖を纏ったミーちゃんが立っていた。一緒に振り袖を見に行ったときにわたしが勧めたやつ。ミーちゃんは黒いのを断固として推していたけど今は黄色を着てくれてる。

「あたしじゃなくて服がキレイなんだよ。まぁなんだ、一応お前の保証付きだからな。似合うかもしれない」

 いつになく語気が弱いミーちゃんは気恥ずかしそうに手をさすっている。

「お前も早く顔洗って支度しろ」

 やっぱりいつもより迫力ないミーちゃん。そんな彼女の髪でかんざしがキラキラ揺れていた。

 成人式というからには、そこにいるのはみんな同い年なわけで、同じだけの時間を生きてきた人たちの中間発表みたいな場だ。それに気がつくのが少し遅かった。

 すでに働いて社会に出ている人、県のスポーツチームにスカウトされてる人、有名大学に通う、都内のお店で云々、家業を継いでる、サークルのリーダー云々、持ち込んだ漫画が掲載、海外留学でちょうど帰国、結婚。

「ウチらバンドやっててさ、今度ライブやるんだ。よかったら来てよ」

 同級生達の会話の途中で、スッとミーちゃんの目から光が消えた。

 わたしはわたしで、自分がこの二十年でなにも成し遂げてこなかったことを思い知らされた。

 その日の夜、近所で事故があった。わたしもミーちゃんも事故現場の近くにいたからよく覚えてる。成人式を終えた男子四人がガソリンスタンドに突っ込むという大きな事故だ。当然近隣住民にも被害はおよび、巻き込まれた人たちの名前にわたしのお母さんの名前もあった。

 後日、四人は直前までアルコール類を一切摂取してないことがわかり、なぜこんな事故になったのかと誰もが首をひねった。

「あたしにはわかるな」

 ニュースを見たときのミーちゃんの言葉。不思議なことに、わたしにも事故の原因がわかった。

「きっとさ、生きる意味をなくしたんだよ。同じだけの時間を使って、どれだけ他人と差が開いたか察しちまったんだ」

 そして、この時点でなにもなかった自分たちに、今後なにもあるわけないんだな、って。

 わたしは無言で続きの言葉を拾う。ミーちゃんはきっとわたしのことを思って口にしないから。

 しばらくぼんやり画面を見つめてから、どちらともなく提案した。

「ねぇ。自殺旅行行こうよ」

 時期は四回生になった春に決めた。それまでバイトしてお金を貯める。そのお金を全部使いきる旅に出る。

 下半身付随になったお母さんの面倒は、今はおばあちゃんが看てくれてるから。

***

「やっぱもつは食えねぇ。見た目が無理だ。てか部位を想像するから無理だ」

 少し値の張るほうとう専門店を調べて向かう。お店に入ると、わたしは早速とりもつとほうとうを注文する。ミーちゃんは迷わずほうとうだけを注文した。

 運ばれてきたとりもつをみて早々にミーちゃんが毒づいた。

「えぇーなんか不思議な食感で美味しいのに」

 わたしは気にせずどんどん食べる。

「お前ってふわふわしてそうな雰囲気のくせに食うもん気にしないよな」

 平たい麺にも難色を示しながらミーちゃんがすする。

「そんなことないよ? カボチャとか嫌いだもん」

 ひょいっと一切れカボチャをどかす。ミーちゃんの器に。

「大学一年の時の合コン忘れたか?」

 わたしが移したカボチャを素直に食べてくれるミーちゃん。優しい。

「とうせまたあれでしょ。隣の大学との合コンのことでしょ」

「そうだよ。あの時お前一番人気だったんだぞ。なのに急にエスカルゴとかひょいひょいつまみ始めて」

 誰も手をつけなかった六人分をひとりで平らげたわたしをみんながなぜか白い目で見てたっけ。そりゃ食べ過ぎたとは思うけどね。

 そんな風に大学に入りたての頃の話をしながらお昼を食べた。

 そのまま当てもなくY県を一度抜け、わたしがどうしても行きたかったハンバーグ屋さんがあるS県に向かう。樹海の横を通り過ぎるとき、後部座席のロープとナイフが不気味に揺れた。

「噂どーりだね」

 二時をかなり回った時間に着いたにもかかわらず、そのお店は外まで並ぶ行列だった。

「アヤ、降りて予約だけしてこいよ」

 わたしは言われるより早く助手席を飛び出す。

 混み合う店内をなんとか進む。なんでこんなに入り口狭いの。たどり着いた帳簿にはずらーっと名前名前名前。

「とりあえず書かないと」

 自分の名字を書こうとしてわたしは一瞬ためらった。

「どうせなら」

 わたしはカタカナでナカムラと書いてから店員さんを呼び止める。

「待ち時間ってどれくらいですか?」

 外に出ると駐車場の真ん中でミーちゃんが車をふかせていた。

「停めるとこねぇわ。待ち時間どんくらいだった? 一時間くらいか」

 胸元を煽るミーちゃんにわたしは答える。

「四時間だって」

「はあぁ?」

 後ろの車にクラクションを鳴らされ、慌てて乗り込んだわたしを乗せて車が動き出す。

「さすがに予想外だぞそんな時間」

「噂以上だね。二時間は覚悟してたけど」

 わたしはスマホを操作する。仕方ない予定変更。

「ミーちゃん。先にアウトレット行こう」

「そう来るだろうと思ったよ」

 S県を選んだもう一つの目的。

 ヴァンガードのアクセルをミーちゃんが思いっきり踏み込んだ。

 正直、四時間は長いと思ってた。いくら買い物にかけても四時間はないかな、と。甘かった。わたしたちは自分たちを舐めていた。だからあえて開き直る。二百店舗以上あるのに四時間で足りるわけないでしょ。

「指が千切れそうだアヤ」

 空も暗くなり始めた六時過ぎ。後ろからミーちゃんの情けない声がする。

「駐車場までもうちょいだよ。ミーちゃんがんば!」

 励ますわたしの両手も買い物袋でいっぱい。

「がんば! じゃねぇ。あたしが持ってる荷物の半分はお前のだってこと忘れるな」

「忘れてないよぅ。でもこれ以上持ったらわたしの手が取れちゃうよ」

 アウトレットモールに着いたわたしたちは、漫画のお嬢様みたいにお金を使った。一年以上バイトして貯めたお金だけど店舗を回るごとにみるみる消えていく。

 買い物途中、トイレで二人とも着替えた。ミーちゃんはゆったりしたワイドパンツに薄い黄色の麻シャツ。わたしは白いスカーチョにピンクのニット。

 それからもクレープを食べたりサングラスをかけ合ったりしているとすぐに時間は過ぎていった。もう一度服を見終わる頃には、すっかり財布がさみしくなっていた。

「ちょっと休む? アイス買ってくるよ」

 近くのベンチに荷物を置く。手の開放感がすごい。

「チョコとラムネの二段」

「りょーかいです」

 財布を出そうとするミーちゃんを置いて売店を探す。このくらいは罪滅ぼししないと。

 移動式のお店で約束通り二段アイスを買う。わたしはハンバーグのために我慢。

 わたしがベンチに戻るとミーちゃんが怪訝そうな顔で待っていた。

「なんで一個? アイス買う金も残ってないのか?」

「お金じゃなくてお腹の問題」

 ふーん、とアイスを舐めるミーちゃん。あっという間に一段食べ終える。

「ほれ」

「ん?」

 突然目の前に差し出されたアイスにわたしは疑問符。

「一人で食べてると視線がなんか痛いんだよ。一口だけだからな」

 ほんとミーちゃんは不器用だ。

 わたしは「ありがと」と言って少しだけかじる。ラムネの爽やかさが心地よかった。

 ハンバーグ屋さんには少し遅れて入店できた。何組かに順番を抜かれていたけど遅れてきたわたしたちが悪い。

 名前を呼ばれたとき、ミーちゃんが不思議そうな顔をしてわたしに訊いてきた。

「なんでナカムラ?」

「知らない? 追憶の森」

 席に案内されると、わたしは店長おすすめ、と書かれたメニューを頼む。うーんとあごに手を当ててたミーちゃんは、けっきょく同じのを注文した。

 ハンバーグに関しては、一口食べたミーちゃんの反応で説明できる。

「ほわぁ。うはぁ」

 それだけ。あとはカットアンドイート。

 わたしも無言で食べた。すんごく柔らかくて美味しい。それ以外に表現できないから仕方ない。美味しいって言葉のさらに上を知らない。

「よかった」

 運転席に乗り込むなりミーちゃんが人間の言葉を発した。

「そうだね。さすがは行列のお店」

 さすがはわたしが選んだお店。満足。

 お金もほとんど使い切ったし、予定も消化できた。

 わたしたちは明かりから逃げるみたいに街を出た。

 いよいよそのときが近づいている。

「ミーちゃんすごいよ~。星が後ろに飛んでくぅ~」

 周囲に他の車もない山道。窓から顔を出したわたしの声が風に流されて飛んでく。

 ミーちゃんの車が出してる速度はわかんないけど、窓から乗り出して見上げた星が飛んでく速さはかなりのものだった。

「こっちは普通だけど」

 言われて車内に戻る。フロントガラスから見える星は大した感動もなかった。うーん仕方ない。

「ミーちゃん運転交換して」

 これだけ広々した道ならわたしでも運転できる。

「そんなに星すごいのか」

 わたしがミーちゃんの車を運転するなんて滅多にない。でもあの星空だって滅多にない。

 ほどなくして選手交代。ミーちゃんの手ほどきに従って車を動かす。

「まだ駄目だよ。もっと速くなってからだから」

 視線を横に逸らすほどの余裕はないけど警告する。一番すごいのを見て欲しいから。

「そろそろいーよー」

 デジタルの速度メーターが三桁に近づいたときわたしは声を張る。こんな速度出したの産まれて初めて。すると直後に

「うっおーすげー! すげーよアヤァー」

 いつになく興奮した声が聞こえた。

「星が後ろにとんでくでしょ!」

 風にかき消されないようにわたしも声を張る。

「こんなの見たことない!」

 言って、窓から首を戻したミーちゃんが咳き込んだ。

「だいじょぶ?」

 慌ててアクセルから足を離す。徐々に速度を落とす間も、ミーちゃんは咳き込んでいた。

 道路の端にヴァンガードを寄せたとき、ようやくミーちゃんは落ち着いた。

「へーきへーき。ちょっと叫びすぎて喉にきただけだから」

 少し苦しそうな顔をして入るけどミーちゃんの顔はキラキラ輝いていた。

「すごかったよアヤ。あれは最高!」

 そう笑うミーちゃんを見て、わたしはとある提案を思いついた。いや、思いついてしまった。

 すなわち、この旅行最大の目的を中止することだ。

「ミーちゃんはまだ体調が万全じゃないからここからもわたしが運転するよ」

「ん? そうか。たまにはたまには頼むか」

 そう言ってくれたミーちゃんも、わたしと同じ気持ちだと願っていた。

 だから。

 わたしは目的の樹海を通り過ぎ、来るときに見かけた氷穴の前で車を停める。

「? どうした。道間違えたのか?」

 わたしは黙って車を降りる。

「おいってば」

 ミーちゃんも慌てて追いかけてくる。

「なんだ……氷穴? でもこれ入れねーぞ」

「いいじゃん。もしかしたらこっそり入れる場所あるかもしれないし」

 軽くぐるっと歩いても氷穴に入れそうなところはなかった。それでもわたしはしばらく歩き続けた。何度かミーちゃんがしゃべりかけてきたけど、考え事をしていたわたしは無視する。

 ミーちゃんは煙草に火をつけながらも黙ってついてきてくれた。

 氷穴からのすきま風か、冷たい空気が足下に当たる岩場でわたしは立ち止まった。

「ミーちゃん」

「んー?」

 星空を見たときほどじゃないけど、笑顔で向かい合ってくれるミーちゃん。

「今日は楽しかったね。一日好きなことやって」

「そうだなぁ。うまいもん食ったしあり得ねぇくらいの金で豪遊できたしな」

 だからさ、

「もっと生きよう」

「もう死のうぜ」

 声が重なる。真逆の意味の言葉が、あちこちに反響する。

 きっとポケットに突っ込んだままの右手にはナイフが握られてる。

 そう思った瞬間、ミーちゃんがナイフを引き抜く。

 わかってたよ。親友だもん。

 ここにナイフを持ってきたってことは、わたしが「生きよう」って言うのわかってたんだよね。親友だから。

 わかっていたから、わたしは一歩も引かずに笑う。

「自分たちで楽しもうとしたら楽しめたじゃん。きっと生きてて絶望ばっかじゃないよ。まだまだ楽しいこといっぱいあるはずだから、生きようよ」

 わかっていたから、ミーちゃんは臆せずわたしに向かって歩いてくる。

「今日一日はすっげー楽しかった。あたしだけじゃなくてアヤもそうだと思う。だけどこれ以上なんてない。きっとなんて甘い願望に縋っててもまた辛い目に遭うだけ。アヤには苦しい目になんて遭って欲しくないから殺す、あたしには生きる目的なんてないから死ぬ。一番しあわせな今、死のうぜ」

 目の前にミーちゃんがいる。怒ってる顔でも、笑ってる顔でもない、高校で出会った時みたいな無表情のミーちゃんがいる。

 振り上げられたナイフが力なく棒立ちしてるわたしに振り下ろされる。

 そして、

 パン!

 わたしが平手でナイフをはじき飛ばす。

「ア、ヤ……なんで」

「わたしは殺されないよミーちゃん」

 最後の一歩をわたしが詰める。

「ううん違う。殺されてあげないの」

 真っ直ぐ視線をぶつけて、ゆっくりしゃべる。

「ミーちゃんが目的にした行為、『わたしを殺す』をさせてあげない」

 それがわたしの答え。

 生きてれば楽しいことはあちこちにある。それでも生きる目的が欲しいなら、叶えられない目的をわたしが定めてあげる。

「わたしはミーちゃんのために生き続けるし、ミーちゃんも目的のために生き続けよう」

「っは……」

 その顔だよミーちゃん。仲良くなったときに見せてくれたその顔。そんな風にびっくりするようなことが人生にはいっぱいあるよ。

「もし辛いことばっかりだったら?」

 きっとそんなことばかりだろうけど。

「そしたらまた後先考えず遊ぼう」

「もし遊ぶような時間がなかったら?」

 たぶん、社会で生きていくことって自分の時間を売るってことだけど。

「学校でも仕事でもやめちゃおう」

「もしやめられなかったら?」

 そうだよね。規則とか体面とかって名前の、誰かが決めた当たり前が縛り付けてくるもんね。

「そしたらあたしが無理矢理引っ張ってあげる。その代わり、ミーちゃんもわたしを引っ張ってね」

 そのとき、初めてミーちゃんの涙を見た。夢が潰えたときも泣かなかった彼女の涙。

「いつの間にそんなに強くなったんだよお前」

 しゃがんで嗚咽を漏らすミーちゃんにわたしは寄り添う。

 ずっとミーちゃんに憧れてたんだよ? わたし。ミーちゃんだって同じくらい強いんだよ。

 二人なら、もっと強くいられるよ。こんな世界に負けないくらい、強くいられるよ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] アヤの語り口調で紡がれたテンポのいい話運びに、時折挟まれる過去話がいいアクセントになっていて最後まで飽きずに終われました。
[一言] 夢がない、とか、夢が潰えた、とか、絶望の要素は様々あって。で、自殺しようと考えに至るのは、ある意味当然のことかもしれません。 アヤの気持ちもわかるし、ミーちゃんの気持ちもわかります。でも最後…
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