肆 家に棲む鬼
突然飛び立った陰摩羅鬼が一軒の古民家目掛けて突っ込んでいった。生暖かい風が吹き荒れる。
「何だ?」
「あの家に件の鳴家がいるのではないでしょうか」
「そいつを捕まえればボクは帰れるんですね!」
古民家から鳴家達の叫び声が響く。激しく暴れる音がした後、一匹の鳴家を足で掴んだ陰摩羅鬼が戻ってきた。鳴家は大事そうに石を抱えている。小さな鳴家には小石すら大きいようだ。おそらくこの小石が陰摩羅鬼の探しているものだな。
「これは外国に行った記念に拾って来た石だ。おいらのもんだ」
鳴家は抱きしめた小石を離そうとしない。地面に放り投げられても抱いたまま着地するほどだ。陰摩羅鬼は怒りをあらわにし、小鬼を追い駆け始める。
「こら待て! それは我のものだ。返せ! 返さんと汝の仲間を焼き払うぞ」
ちょこまかと逃げ回る鳴家のことを陰摩羅鬼が追いかけている。陰摩羅鬼が羽撃くたびに熱風が吹き荒れ、コロコニが吹き飛びそうになる。というか、翻る紫苑のコートにしがみ付いているので今にも飛んでいきそうだ。俺もどうにか踏ん張っているが、この風にいつまで耐えていられるか。
逃げ回っていた鳴家が転んだ。小石を抱きしめたままころんと回り、陰摩羅鬼の足にぶつかって止まる。陰摩羅鬼は尖った口を愉快そうに歪めていたが、鳴家は恐怖に満たされた顔をしている。このままにしていては本当に鳴家を襲いかねないな。俺は二人に歩み寄って鳴家を拾い上げる。
「ぎゃあ、人の子だ! おいらが見えるのか」
鳴家は小さな顔にくっ付いた大きな目を零れ落ちそうなくらい見開いて俺を見上げた。小石は大事そうに抱えられたままだ。
「おい、それをどこで手に入れたんだ」
「……う。外国に旅行した時、落ちてるのを拾って来た。綺麗な石で、持ってるとぽかぽかするんだ。これはおいらのもんだ! おいらが拾ったんだからおいらのだ!」
俺の手の上で叫んでいる鳴家の姿はスーパーのおもちゃ売り場で駄々をこねる子供のようだった。背後から陰摩羅鬼が近付いてきて、俺の肩越しに鳴家を見下ろす。
「それは我が人の子から貰ったものだ。返して貰おうか」
「嫌だい嫌だい! そんなら証拠を見せろよ!」
「ふん、いいだろう」
陰摩羅鬼は得意げに笑う。この近距離でおっさんのこんな顔を見たくはないが仕方ないな。
確認の為だ、と言って鳴家から小石を取り上げ陰摩羅鬼に渡す。鶴のような長い足が俺の手から小石を受け取ると、刻まれた細かな文様がぼんやりと光りだした。鋭かった陰摩羅鬼の目が優しそうに笑い、とても愛おしそうに小石を見つめていた。鳴家は小さな口をぽかんと開けてそれを見ている。
「鳴家さん、それは陰摩羅鬼さんが人の子から貰ったとても大切なものなのです。探して探して、ここまで来たのですよ」
コロコニを抱きかかえながら近付いてきた紫苑を見て、鳴家が更に驚いた顔になる。
「ぎゃあ、カラスだ! しかも神だ!」
「返していただけないでしょうか。そうしていただかないと、こちらのコロコニさんも困りますので」
小脇に抱えられているコロコニが手を振り上げる。
「そうですよ! ボクは貴方のせいで陰摩羅鬼に疑われて、コタンから連れ去られちゃったんですからね」
「うう、そんなに迷惑かけてたのかよ、おいら。むぎゅう、すまねえな」
見るからにしょんぼりした様子の鳴家に俺はビスケットを一袋差し出す。小さな妖ならばお菓子でもやればおとなしくなるだろうと思って持ってきたのだが、効果はあるだろうか。鳴家は俺の手をじっと見て袋の臭いをかぐ。
「甘い匂いがするー!」
「代わりにこれをやるから、仲間と分けて食べろ」
「石よりお菓子の方がいい! 貰うー! その石はもういらないや!」
ビスケットの袋を抱えた鳴家が「お菓子! お菓子!」と言って古民家の方へ戻って行った。
「やれやれ、これで陰摩羅鬼の探し物は終了か」
「ふむ。人の子、そして八咫烏、世話になったな。小人も疑ってすまない。我は国へ帰る」
小石を大事そうに掴み、陰摩羅鬼が飛び上がる。飛び去ろうとしたところに紫苑も飛び上がって声を掛けた。
「陰摩羅鬼さん、コロコニさんをどこから連れてきたのかは覚えていらっしゃいますか」
「確か西の方だな」
「そうですか。呼び止めてしまい申し訳ありません。無事に国まで辿り着きますように」
「ははは、神様に願われてしまったな。ありがとな」
紫苑が降り立ったのを確認してから、陰摩羅鬼は二三度旋回して飛び去って行った。
「西の方か。それでも結構アバウトだな」
紫苑は整った顔をわずかに歪めて何やら考えているようだった。コロコニが俺の足にしがみ付く。
西の方。俺達とコロコニが出会った場所より西と言っても、絞り込めるような広さではない。星影はそれなりに大きいのだ。人口数百の村のように自転車で楽々一周できるなどという場所ではない。何かないだろうか、候補として挙げられる場所は。コロポックルの住んでいる場所。
あれ、そういえば……。
「まさか」
「晃一さん?」
「西の方。確か、アイヌの資料館があったはずだ。小さくて古くてぼろいし、あまり見学者もいないんだが」
小学生の時に一度だけ行ったことがあった気がするが、ほとんど覚えていない。西側と言われるまで忘れていたし、印象に残るようなものでもなかったのだろう。コロコニの話を聞いて博物館かもと思ったが、博物館ならば俺はコロポックル達の姿をはっきり見ているはずなのだ。シャチの女神の一件の際に訪れたのだから。アイヌ関連の展示がある場所としては博物館を思い浮かべてしまうが、資料館の可能性もあったのだ。
「コロコニ、近くに建物はあったか」
あるならば資料館に行ってみた方がいいだろう。ないのならば別の候補地を考え直せばいい。
「おんぼろがありました、たぶん」
「行きましょう晃一さん。アイヌ資料館です」
俺達はバス停へ向かって歩き出した。