叢雲
これまでも、剣の使い方の訓練などをする時に、軽く木剣でコン、という感じで叩かれることはあった。
それは訓練ということを考えれば当たり前のことだし、少し痛くはあったけども女神たちに悪意や憎しみがないのは分かりきっていたことなので、何を思うこともなかったしもちろん恐怖などもなかった。
だが、今、これから始まることはそれまでの剣の訓練とは違う。
ハーモニーは確かに「お仕置き」と言った。
僕が外に出たいという意志を明らかにしたことに対する……言い換えれば「制裁」だ。
そこには悪意や憎しみはなくとも、僕の身体になんらかのダメージを与える意図があるのは明白だ。
何があっても僕の身を案じ守ってきてくれた女神による「制裁」。
それは僕にとって…………
実は、願ったり叶ったりのことなのだ。
ハーモニーが問いかけてくる。
「さて夏希。これからお仕置きってことになるわけだけど、相手は私にする?それともミューズ?フォルテ?」
「うーん、どうしようかな。お仕置きって言葉からすると、それってやっぱり母親がやるのがいいのかな? ねぇどう思うミューズ?」
僕は母であるミューズに聞く。
「え、私? いやいいんだけどさ……ねぇハーモニー、本当にやるの? さっきフォルテも言ったけどさ、別にお仕置きなんて必要ないんじゃないの? どうせここからは出られないわけだし、夏希だって一時の気の迷いなわけだし、変にことを大きくする必要はない気がするんだけど」
「ダメよ。お仕置きっていうか、これは躾よ。言っちゃいけないことを言ったのだからちゃんとしなきゃダメよ」
「そうかなぁ。今まで夏希が何したって何言ったってお仕置きなんて話にならなかったわけだし、正直な話、夏希が私達を殺そうとしたって別に私達は怒らないわよね?」
「そりゃそうよ。夏希が私達に何したって怒る必要なんかないもの。夏希の成長を喜びこそすれ、ね。だけど今回は別。夏希はこの庭から出て行きたいと行った。これは例外よ。あなたも女神であり母親なら状況を考えなさい」
「そっかあ…どっちにしろ出られないにしろ、万が一、いや億が一ってこともあるかもしれないわけだし、そんであの連中に夏希を取られたりしたら終わっちゃうし……しょうがないか。うん、しょうがないわね。じゃあここは私が母親としてちゃんと躾をすることにするわ。夏希! あなたは刀を使いなさい。フォルテ、家から叢雲を取ってきて」
叢雲。
僕が生まれた時からミューズに守り刀として与えられている刀だ。
使い道といえば剣の訓練の時にたまに素振りする程度なわけだが。
剣の良し悪しなどよくは分からない僕ではあるが、この刀の凄さだけは分かる。
例えば石に叢雲をそっと触れさせる。
それだけでは何も起きない。
だが、僕が「斬りたい」という意志を持った瞬間に、石はバターを切るが如く両断される。
逆に、「斬りたい」という意志がなければ何も斬れない。
昔、ミューズにこれは剣としてどうなんだと聞いたことがあるが、そこらの切れ味だけいいただの凶器と一緒にするな、これはお前を守る刀なのだから、お前の意志によってしか効果は現れないしそれが正しいのだ、と言われた。
部屋の中で叢雲を抜けば、部屋全体の温度が下がり、空気全体がピンと張り詰める。
多分だけど、叢雲は僕みたいなのが持てるような剣ではないと思う。
それこそ剣聖やらそういう人が持つべき剣なのだ、きっと。
でも生まれながらにして僕の守り刀としてずっとすぐ横に存在していたので、愛着はあるし暇な時はミューズに教わった方法で手入れはしているけどね。
「ミューズ、夏希。叢雲を持ってきたぞ」
フォルテがほんの数分で家まで往復してくれて叢雲を持ってきてくれた。
一応訪ねてみる。
「ねえミューズ。僕は叢雲を使っていいの? 知ってるだろうけど、これ凄いよ? めちゃくちゃ切れるよ? これを母親に向けて振るうというのは常識的に考えてダメな息子になっちゃうと思うんだけど」
「全く気にしなくていいわ。これはあなたへの躾なのだから、そういうことは夏希は気にしなくていいの。もちろん夏希に抵抗する気は全くなくてお仕置きを受け入れるなら叢雲を振るう必要はないわけだけど……そうじゃないのでしょう?」
「うん、そうだね。僕はこのお仕置きに抵抗するよ。抵抗しないということは、この庭から一生出ないということを受け入れるということだからね。そこは譲れない。譲れないけど……叢雲じゃなくてもいいのかな、とはちょっと思うけど」
「それはあなたの守り刀。本気で抵抗したいのなら、振るうのはその刀しかないわよ」
「そっかぁ…そうか。そうだね。じゃ、全力で抵抗させてもらうよ。叢雲と一緒に」
「それでいいよ。じゃあ始めようか。あ、最初に言っとくけど、もし夏希が私のお仕置きに耐えきったとしても、別にここから出られるとかそういうんじゃないから」
「やる気なくしてくれるなあぁ。僕にとってメリットないじゃんか」
「忘れないで。これはお仕置きであり躾。じゃ行くわよ」
そう言ってミューズが僕に歩いてくる。
真っ赤な髪の毛を左右に束ね、フリルが付いた赤いドレスを揺らしながら、ミューズは僕にまっすぐに向かってきた。