封印と鍵
何を言っているんだろうかこのエリスという女神は。
頭が追い付かない。
思考が追い付かない。
いや、追い付かないのは僕の心だろうか?
僕が「迷宮、塔、城」の封印?
どういうことだ?
それらからはモンスターが這い出て、人間に害を為す存在。
それは分かっている。
実際に、ここトリネロでも地下迷宮からモンスターが這い出てくるのを、労務場で働いている時に目撃した。
外にいるツノウサギやゴブリンなどより格上の高レベルモンスターだ。
だが、それは本来の姿ではないとエリスは言う。
押さえつけられていると。
本来は更に危険な存在なのだと。
その押さえつけるための封印の鍵が僕なのだ、と。
「理解できたかしら。あなたがこうして自由に行動していることが、どれだけ世界にとって危険なことなのか。そしてそれを積極的に許している叢雲がどれだけ壊れてしまっているのか。理解できたかしら」
「……理解なんてできるはずがない。言っている言葉の意味が何とか分かるくらいのものです」
「そう。あなたは結構賢そうだと思ったのだけどね。残念だわ」
「賢いとかそういう話じゃないでしょう。いきなり自分のことを封印だの鍵だの言われて納得できるはずがないでしょう。僕からすれば、あなたが壊れていると言った叢雲の方がよほど信頼できるしマトモに思える。実際に僕は叢雲を信じていますしね」
「産まれた時からちゃんと少しずつ話して教育しておけばこんなことにならなかったのだと思うわ。確かに責任はミューズとハーモニーとフォルテにあるのかもしれないわね。あなたの責任ではないのかも」
「ミューズ達に責任なんてありません。表現が少し下手くそだっただけで、ミューズ達はとても深い愛情を持って僕を育ててくれました。封印とかの話なんかしなくても、僕達は幸せに暮らしていた。僕が庭から出たのは僕の我儘です。ミューズ達のことを悪く言わないで欲しい」
「そういうことを言うのは、結局は理解が足りないからよ。……そうね、分かりやすく説明しようかしら。あなたが封印の鍵という意味が分かりやすくなるように。具体的な話があった方がいいでしょう」
「具体的な話?」
「まず、あなたが子を成す前に死ねば、あなたの血脈に受け継がれている封印の効力は消えてなくなる。それがどういう事態をもたらすかと言うと……封印の名の通り、地下迷宮と塔と城が開放されてしまうの。今あなたの力……いえ、あなたの中にある力によって押さえつけられている者らが開放されてしまうの。あなたも見たでしょう、迷宮から這い出るモンスターを。あれらはあなたの目から見れば強力なモンスターに見えたかもしれないけど、実のところは迷宮のモンスターの中ではごくごく標準的なものなのよ。……あんなものとは比べ物にならない存在が、あなたによって封印されているの」
「開放……」
「迷宮の中でも強大な力を持つ存在は、あなたの力によって迷宮から出て来られない。確認したことのある人間はとても少数だけれど、そういった存在が迷宮の中にはいるのよ。恐らくは複数が」
「……」
「だから、あなたは安全な所で産まれ、育ち、そして子を作らなければならない。分かるでしょう。そして叢雲がいけないことをしているのも分かったでしょう。ミューズ達と離れてしまったあなたは、私が保護する。ミューズはハーモニーかフォルテとあなたを結婚させて子供を作らせるつもりだったのでしょうけど、もうそうする必要はないわ。あなた、私と結ばれなさい」
「僕が、何のために庭から出てきたのか……」
「あなたの意志は関係ない。これは決められていること。あなたの父も祖父も曽祖父も、それより遥か前のあなたの祖先達もそうしてきたの。この神殿はここ都市トリネロでも最も安全な場所よ。あなたは安全に暮せばそれでいいの。それ以外に何か他の行動をする必要は一切ない。……ああ、私があなたの好みでないのなら、他に人間の女を適当に連れてきてあげるわ。あなたは必要な時に私と子を作ればそれだけでいい。あなたの愛情は私も求めていないから」
「叢雲に……」
「え?」
「叢雲に会わせて下さい。叢雲と話をしたい。あなたと話していると頭がおかしくなりそうだ」
「言ったでしょう。叢雲は地下にいると。あなたはもう会う必要がない。叢雲の守り刀としての仕事は終わり。トリネロまで旅をする道中あなたを守ったのだから叢雲も良い仕事をしたのでしょうけど、もう必要がない」
「叢雲をこれからどう扱うつもりですか」
「叢雲は、害になる存在になると私は判断した。そしてそれはあなたにだけではない。あなたの子、子孫にも害になると判断するわ。つまり、世界にとっての害になる。叢雲はずっと子供達の守り刀として存在していたわけだけど、もうそうするのは終わりね。強固な封印布でぐるぐる巻きにした上で石棺に入れて、地下深くに埋めましょう」
「……そんなことは許せない」
「あなたが許すも何もないのよ。叢雲をこのままあなた達の守り刀として扱えば、いつかまた同じことを繰り返すかもしれない。まさか叢雲が子供達の自由意志を尊重する存在になるとはね。世界に対する反逆よこれは」
「反逆? 叢雲はただ僕に自由に生きても良いと、そう言ってくれただけだ。それが世界に対する反逆? 馬鹿げている」
「十分よ。それが世界への裏切りなの」
「叢雲は返してもらいます。そして、僕もこの神殿から出て行く」
「それを許すとでも思う?」
「僕も叢雲も、どう生きるかは自分で決めます。あなたが女神の仕事を大切にしていることは分かりました。分かりましたが……それだけです」
「足も手も……」
「はい?」
「別にあなたの足も手も無くても構わないのよ。歩けなくなっても起き上がれなくなっても、それでも別に何も問題ないの。あなたはただ子を作ればそれでいい」
「……」
「そうしてみる? 私は全然構わないわ。むしろ今後の憂いがなくなって良いこと……うん、そうするのがいいわね。自殺防止に何かしらの処置をする必要があるわね……」
身構える。
この女神は脅しでこういうことを言うタイプでも、ましてや冗談を言うタイプでもない。
やると言ったことはやる、そういう性格をしている。
対抗策はあるか?
ミューズと親子喧嘩して逃げて来られたのは、ミューズが本気の1%も出していなかったから、そして僕はただ逃げられればそれで良かったからだ。
本気の女神との戦闘で僕にできることはあるのか?
頭の中で何通りもの想定と、そしてそのどれもが絶望的な結果になることを予想し諦めの感情に支配されそうになった頃……
「殺すよ、エリス」
僕の後ろにある扉が開いた。
真っ赤な髪の毛、真っ赤なドレス。
僕にとって見慣れすぎている姿がそこにあった。
ついこの前まで、生まれてから1日も会わなかったことなどない、僕の母親が立っていた。




