庭から出た!走れ!
意識を取り戻す。
今まで何度もイメージの中で訓練してきた瞬間だ。
訓練の内容は、「目が覚めたらとにかく走れ。逃げろ」だけだ。
「は、走れ!!!!」
目標など何もない。
何も知らないのだから。
外の世界のことなど何も知らないのだから。
草が茂っている。
木もある。
今はそれだけしか分からない。
草と木の中を、とにかく走れ。走れ。走れ!!
追いつかれるな!
追いつかれたら、多分もう2度目はない。
ミューズ達はもう絶対に僕を逃がさないだろう。
それこそ、鎖に繋いででも逃げるのを阻止するはずだ。
2度目はない。
これが最初で最後のチャンス。
だから走れ。
身体が動かなくなるまで走れ。
肺が焼けるようだ。
足が命令を受け付けない。
だけど走れ。
限界まで走って、そこで倒れればそれでいい。
それまで走れ!!
「もうダメだ……」
気力では超えられない体力の限界を迎え、僕は膝をつく。
そのまま倒れ込む。
「ふーはー、ふーはー、ふーーー、はーーーー」
今、一瞬でも呼吸を止めれば意識を失うと分かる。
身体に全力で酸素を供給する。
「逃げ切った……?」
ミューズ達が追ってくる気配はない。
追いつかれるなら、走っている最中にとっくに追いつかれているはずだ。
今こうして倒れ込んでいる時にもミューズ達が近寄る気配はない。
これは、なんとか逃げ切ったと考えていいだろう。
本当に、本当に一か八かの賭けだった。
風魔法で自分の身体を強制的に移動させつつ、絶妙な威力調整でその間に仮死状態になり、「モノとして」箱庭の境を超えるというのが僕の考えた作戦の全て。
境を超えた直後に、ミューズが僕にかけておいてくれた自動回復が発動するかどうかは、自分でもそんな都合よくタイミングが合うのかどうか正直なところ自信がなかった。
タイミングが悪ければ境を超える前に自動回復が発動してしまい、それでは「モノではないので)境を超えることはできない。
また、境を超えた後に自動回復が発動するのが遅ければ、仮死状態はそのままただの死へと進行してしまう可能性もあった。
自動回復は蘇生魔法ではないので、死んでしまえば発動しない。
あくまで回復魔法での回復が可能な「仮死状態」でなければならなかったのだ。
「穴だらけだよね正直……よくもまぁ成功したものだ」
一か八かに賭けるしかなかったとはいえ、もし失敗すれば2度目はない。
ミューズ達は2度めのチャンスは許してくれないのだ。
本当に失敗しなくて良かった……
「えっと、叢雲は、と。あった。良かった」
夢中で走ってきたので気にする余裕がなかったのだが、幸いなことに叢雲はきちんと腰にぶら下がっていた。
これから見たことのない世界でサバイバル生活が始まる。
武器が何もないのでは話にならない。
魔法を少しは使えるとはいえ、未知の敵に僕の魔法技術が通用するか分からないし、外した時にリスクが大きい魔法というのはできれば使わないで済めばそれに越したことがないのだ。
単純に斬るという攻撃ができる刀剣の類は絶対に必要なのだ。
「これからも頼むよ叢雲。僕の守り刀さん」
ポンポンと叢雲の鞘を叩く。
「うむ了解だ主様。これから先もよろしゅうの」
……ん?
なんだ?
どこから聞こえた?
「いやはやしかし、上手くいったもんだの、のぅ主様。まさかあんな手があの女神どもに通用するとは思わんかったぞ」
あ、やっぱなんかこの刀喋ってる。
「あれじゃな。庭の境を超える時に、ドカーンって感じで吹っ飛ぶ位置がズレたのが勝因じゃろうな。そのまま真っ直ぐ飛び出しておったら女神どもがすぐに見つけたおったわ。今頃あやつらは明後日の方向を血眼になって探しておるだろうよ。ま、それでもずっとこのままこちらを探さないとは限らんから、できるだけ急いでこの場を離れた方がいいじゃろうがな」
そうだったのか。
確かに境を超えたとはいえ、僕がいる方向が分かれば見つからないわけがないもんね。
幾重にもラッキーが重なって成功した逃亡劇だったわけだ。
……いやそれよりも。
「叢雲さん?えーっと、もしかして喋れたの?」
「もちろんじゃ主様。儂をなんじゃと思うとる。主様の守り刀としてこれから先ずっとやっていくのじゃぞ。喋るくらいできんでどうするというんじゃ」
「え、確かに喋れるのは僕としてもありがたいけど、今までそんなことなかったでしょ」
「それはそうじゃ。主様はあのまま箱庭の中でずっと死ぬまで出られんでいると思うておったでの。主様を守るのはあの女神どもに任せておけばとりあえずは安心じゃし、喋って情が移るのも……辛いでの。主様がいなくなった時に」
「あぁ、そういう。確かにあの3人がいれば僕の身の安全は保証されていたものね。あの箱庭の中限定だけど」
「うむ。だがこれからは違うじゃろ。主様はあの狭っ苦しい庭から出て、世界を見たいのじゃろ。冒険したいのじゃろ。3女神ではない女とも仲良くなりたいのじゃろ。それなら儂の出番じゃ。これからは儂が主様の文字通り刀となり守ってみせようぞ。さて、刀のまま喋るというのも奇妙な絵じゃの。ちょいと主様下がっていてくれるかの?」
叢雲はそう言うと、なんかブルブルと震えだした。
刀って自分で震えるんだ……
そして、人間になった。
女の子になった。
なにこれ。
お爺さんが出て来るかと思ったのに。
「ふう。どのくらいぶりかのこの姿になるのは」
その姿は僕の叢雲に対するイメージを木っ端微塵にするのに十分なものだった。
まず、元が刀なのに金髪だ。
ハーモニーも白い髪の毛の中に少しだけ金色が混ざったような綺麗な色をしていたけど、叢雲のは本当に見事な金髪。
眩しいくらいに金髪だ。
その金髪を縛ることなく腰まで無造作に下ろしている。
お爺さんが出てくるかと思ったのに、背丈はミューズよりも低いくらい。
150センチくらいだろうか?
その小柄な体を上下ともに真っ黒な服に包み込んでいる。
短めなスカートに上着はタンクトップというか、肩紐が本当に紐しかない。
あれ、ちょっと動いたら紐がずり落ちちゃったりしないのだろうかといらない心配をしてしまう。
全体的な年格好としては僕より2,3歳くらい若い感じだろうか。
……でも、叢雲がミューズ達3女神と決定的に違うことがある。
胸が…………大きい。
あれ、何歳なのこの子。
今まで大平原な胸しか見たことのない僕としては未知の物体だ。
女の子の胸ってこうなんだ……
「主様。儂の胸をじーっと見ても何も出てこんぞ。儂としては別に好きにしてもらっても構わんのじゃが、主様が庭から出た目的のひとつに3女神以外の女と会いたいってのもあったはずじゃからの……今は我慢しておけ。それとも、選ぶ女は儂でいいと主様が決めたのなら、胸でもどこでも好きにして構わんぞ? どうする?」
「み、み、見てないし!!」
「よいよい。10代の半ば頃といえば、女の胸に興味がないといえばその方がおかしいというものじゃ。男子というものはの、そういう劣情を力に変えて何かを成す生き物なのじゃよ。よいのじゃよいのじゃ。可愛いのう夏希は」
「やめて達観しないで!というかその態度ミューズと被るから!母親に胸とかの話されてるみたいだから!やめてお願い!」
「あの女神と被る、か。確かにの。あの女神どもも儂も夏希が可愛くて仕方ないというのは一緒じゃの。主様との付き合いは長いしの」
「生まれた時からでしょ!分かってるよ。分かってるから、もう胸がどうとかの話はなしねおねがい!」
「分かった分かった。じゃあ胸の話はまた今度ということでの。さて、それよりも主様。差し当たってこれからどうするかの? 見たところこの辺は草原が広がっているばかりじゃ。居心地がいいといえばいいが、ずっとここに留まるわけにもいくまい?なにせあの女神たちがいつ来るかも分からんからのう。それに主様は食べ物も持っておらんし着替えもない。現実的に考えると、どこか人の集まっておるところに向かうのがいいと思うんじゃが、主様はどうじゃ?」
「うん。それでいいと思う。僕も人が住む街に向かうつもりだったよ。地図も何もないから勘で進むしかないのが辛いところだけどね。でも、それでいいんだ。僕はこういうことがやりたかったんだからね」
「そうじゃの。主様にしてみれば、女神と一緒じゃない生活というのはこれが初めてということになるんじゃな。ただ歩くだけでも楽しいと、そういう感じなのじゃろ今は。それでよいよい。楽しみながら行こうとしよう。儂も普段はこの姿のままでいるでの。話し相手には不自由させんぞ」
まず人が住むところに向かおう。
そして、人間と話してみよう。
全てはそこからだ。
何をして生活しよう。
僕はなにもできないから。
掃除の仕事でもしようか。
それとも雑用をやらせてくれる所はあるだろうか。
経験がなくても働かせてくれるところがあるといいな。
何も分からない。
本当に何も分からない。
赤ん坊と一緒だ僕は。
だけど、すぐそこに生えている草を見ても、心が浮き立つんだ。
庭の中にもあったのと同じ草だけど、それでも違うんだ。
なんだろうこの感じ。
見る物が全て新しく希望を与えてくれる。
叢雲と話すのが楽しい。
女神以外と話していいのだろうか?とちょっと怖くなるけれど、それが自由をより際立たせてくれる。
さて行こう。
でもその前に。
「ミューズ、ハーモニー、フォルテ。行くね。今までありがとう。多分また会うんだろうけど、それまで僕が自由にやらせてもらうよ」
多分庭があるであろう方向を向いて語りかける。
さて、出かける時に家族に言う挨拶をしよう。
「お母さん、行ってきます!」




