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――理論で殴れば大体勝てる―― 数理魔術師アルヴィスの旅  作者: Richard Roe
第一章 ゴブリンを一気に殲滅したり、ポーションを売ったりして荒稼ぎしていたら、いつの間にか国王(勇者)と戦うことになった数理魔術師
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2.冒険者ギルドで依頼達成報告をした後、酒場に向かったら面倒そうな手合いに絡まれている冒険者の女の子を発見したので、その子を助けるためにマーティンゲール法でギャンブル勝負をした話

「――確認が取れました。西部裏路地で活動中だった『スネイク一味』の一員に間違いありません」


 冒険者ギルドの事務員は、アルとラナからの報告書と、遺体を引き取った憲兵からの報告書を照らし合わせながら、そう説明した。

 遺体の損傷度が大きかったため、時間は少々かかったが、横たわっている男たちの体からスネイク一味に特有の刺青が確認できたので、確認作業は簡単に済んだという。

 それを聞いたアルは、少しだけ安堵した。


「では、依頼達成ということで、アルヴィス・アスタ様とラナウン・シー様のお二方には、当ギルドの方から成功報酬をお支払いいたします。今回は合わせて三名の討伐とのことでしたから、人数分に加えて少しだけ報酬に色を付けてお支払いさせて頂きます。

 伴いまして、依頼達成件数も規定数を超えましたので、お二方の冒険者ランクをE級冒険者からD級冒険者にお引上げすることが可能となりました。こちら、昇級試験はいつでも挑戦可能ですので、ご都合の付く日程を選んだ後、そちらをお申し込み下さいませ」


「分かりました」


 ギルドの事務員の説明は長かった。

 皮袋に詰められた金貨を受け取りながら、アルはラナに「行こうか」と促した。


 生憎、冒険者としての出世にはそこまで興味はない。E級冒険者と言われると、一番ランクが下の冒険者であるが、アルはそれでも十分に満足であった。冒険者ランクが一番低くても、生計を立てることぐらいはどうにでもなる。

 だが、ラナに何不自由ない生活をさせるためには、もう少しばかり稼ぎが欲しいところだ。


(冒険者としてランクを上げるのは、どうにも危険が伴う。できれば安全に稼ぎたい。何か他に良い副業はないだろうか)




 ◆ ◆ ◆




 迷宮都市モンドブルグの中央西区にある酒場『踊る子馬亭』といえば、口コミに上る程度には人気のある店である。

 モンドブルグ西部の『食い倒れ横丁』から少し離れた所に位置するこの店は、しかし、それでもたくさんのお客さんが酒と飯を目当てにここまでやってくる。


 料理は、端的に言うなら「濃厚」である。どういう訳だか分からないが、香辛料や調味料をふんだんに使用した料理が出てくるのだ。

 香辛料や調味料は高価なはず――とアルは思ったが、世界迷宮第二階層ではそういった香辛料がいとも容易く採れるためか、モンドブルグ内部で値崩れが起きているらしい。


 ラナは、そんな濃い味付けの料理を前に苦笑していた。


「うーん、贅沢だけど……濃いね」


「でも美味しいだろ? 俺は好きだけどなあ」


「私は、たまに食べる程度でいいかな。何だかずっと食べてると、舌が濃い味に慣れちゃいそう」


 んべ、と舌を出したラナは、濃いことを大袈裟に伝えていた。

 妖精族だからかもしれない、とアルは思った。妖精は基本的に、畔のそばで取れた野菜や木の実をそのまま食べる。そこにはこんなに濃い味の料理はなかったはずだ。


「でも、お酒は好き」と彼女はぶどう酒に口を付けた。甘い物好きの彼女は、果汁の甘味が爽やかに残っているぶどう酒がいたく気に入ったようだ。


「あまり酔っぱらうなよ? 誰が部屋に運ぶと思っているんだ?」


「えへへ、アルでしょー?」


「こらこら、このご時世、そんなに無防備にお酒に酔っ払ったらいけないぜ? 誰かに襲われでもしたら、ひとたまりもないだろ」


「またまたぁ、いつも襲ってくるのは誰かさんのくせにぃ」


 にへら、と頬を緩めた彼女はぶどう酒の残りを一気にあおった。

 なるほど、一理あるとアルは思った。「……誰か(・・)に襲われでもしたら、ひとたまりもない、だろ?」とアルが耳元でゆっくり囁くと「やぁ、もう、えっち」とラナが身を捩らせて、くすぐったい囁きから逃げる始末。


 端的に言うと、二人きりの世界であった。


 周囲の冒険者らは、胸焼けするようなものを見せ付けられたような気分になるものが約半数、

「へへへ、おい坊主、そのまま男見せたれ!」

バンシー(泣き女)を鳴かせてやんな! ぎゃはは!」

 と冷やかすものが約半数。

 そして、ごく一部のものは――。


「おい坊主、随分お楽しみじゃねえか。そんなに見せ付けて、当て付けてやがんのか? あ?」


「お! 因縁男のダグラスがまた立ち上がったぜ!」


「だははは! 坊主も災難だな! ダグラスの野郎、今日も女にフラれた分キてやがるぜ!」


 筋肉隆々の禿男が、頭に血管を浮かべて怒り心頭の様相で立っていた。

 周囲の観客はやんややんやと盛り上がっている。どうやら恒例の出来事らしい。


 アルたち二人の預かり知らないことだが、このダグラスという男、随分酒癖が悪く、こうやってカップルに八つ当たりする悪癖がある。

 今日は特に虫の居所が悪いらしく、アルをぶん殴らねば腹の虫が収まらないという様子であった。


「……ああ、そういえば」


 アルはしかし、そんな怒りと嫉妬に燃える男を前にして、随分と悠長に振り向いた。


「カップルに絡む因縁男、ダグラスにも懸賞金が掛けられていたかな。確か、お前にボコボコにされた男たちから」


「あ? 何だ坊主」


個人融資業(マネーレンダー)賞金稼ぎ(バウンティハンター)のアルヴィス」


 やや含みを持たせてひと言。


「百年前はな」


 アルのその一言に、ダグラスは鼻白んだ。


「……ふざけてやがんのか。何が百年前は、だ。毛も生え揃ってないような坊主が一丁前に」


「毛も生え揃ってない坊主はお前だろう、禿野郎? いい夢見させてやろうか」


「あ?」


「やるかい?」


 一触即発の空気に、周囲は待ってましたとばかりに息を飲んだ。だが、そのタイミングでラナが

「確かに、あんまり生えてなかったね」

と余計なことを言った。


「――――――」


 一瞬訪れる沈黙。


「――ぎゃははははははは!!」

「だはははははははははは!!」

「いひひひひひひひひひひ!!」


 店内を包み込む爆笑。アルは目を剥いて「お、おま、何てことを!」とラナの方に振り向いた。だが、当の彼女は何とも思ってないようでしれっとお酒を飲んでいた。


「ぶははははは!! 悪い悪い坊主!! すまんな!! 元気出せや!!」


 気付けばダグラスにも肩を叩かれて同情される始末。

 何故。どうしてこうなった。


 顔から火が出そうな思いをしたアルは、ラナの方をきっと見据えた。ラナは、あ、やっちゃった、と口元を押さえているだけだった。


(……いや、あいつは角が立たない方法で丸く納めてくれたのかもしれない。昔からあいつはそういう機転が利く奴だった)


 それにしても酷くないか、と彼女を睨むと、流石に申し訳ないのか、ちょっとばかりの反省を顔に浮かべている。

 可愛い、が、騙されるつもりはない。


 さてどんな方法で意地悪してやろうか――と考えている最中のことであった。


「――待てッ!」


 突如聞こえる、鋭い叫び声。

 同時に逃げ去ろうとする冒険者の女。

 先程皆が爆笑した隙を突いた、見事な逃げっぷりであった。


(騒ぎに乗じて、食い逃げか盗みかを働いたのか――)とアルは即座に判断し、その女に無詠唱魔術を撃ち込んだ。


「がっ!?」


 腹部に下級魔術・ウインドボールをまともに食らったその女は、そのまま顔から地面に突っ伏していた。下手に速度があった分、そんな崩れ方になったのだろう。逃げ足の早さが仇となった形だ。


 遅れて、黒服の男たちがその女を羽交い締めにした。


「っ! 離せ! 離しやがれ! この外道!」


「何が外道だ、この小娘! 温情の厚いジョザ様は、お前にチャンスを与えなさったのだ! これは正当な賭けをした結果だ!」


「嫌だ! 離せ! 身売りなんかしたくない!」


「お前も納得して勝負を受けただろう!さあ、大人しく捕まりやがれ!」


 黒服たちが躍起になって手足を抑えるなか、なおもその女は暴れ続けていた。随分と必死である。まるで捕まったら人生が終わってしまう――そんな悲壮な結末が何となく察された。


 女と目があった。彼女は涙ぐんでいた。


(え、おい、困ったぞこれは……。こいつは俺のせいなのか?)


 突然逃げだした女を引き止めたのは他ならないアルである。が、それは食い逃げかどうかだと思ったから引き止めたまでである。

 突然逃げ出す手合いにろくな奴はいない――そんな経験則からつい手出しをしてしまったに過ぎない。


 だが、事が人身売買だとかに及ぶのであれば話は異なる。


 目の前の事件の発端は、ある意味、自分がちょっかいをかけてしまったからだ――そう思うと、微妙に収まりが悪い。


 故に、アルは「あー、ちょっとすまない」と間に入ることにした。


「あ? 何だ坊主。お前のようなガキには関係ない話だぜ」


「正当な賭け、だったか? そいつにちょっと興味があるんだ」


「いきなり何だってんだ。ケチでもつけようって魂胆なら容赦はしねえ」


「金ならある」


 アルは金貨の入った皮袋を投げた。どす、と重そうな音を立てて皮袋は落ちた。

 黒服の男達は、話の展開が上手く飲み込めないようではあったが、金を持っているのであれば話ぐらい聞いてやろうじゃないか、としばし逡巡していた。

 その隙にアルは畳み込んだ。


「なあ、そこの女は一体いくらで身請けができるんだ? 俺が代わりに金主になってもいいだろう?」


 突飛な提案。

 アルのその有無を言わせない様子に、後ろでラナが「……はあ」と溜め息を吐いていた。




 ◆ ◆ ◆




「こいつの名前は、そうだな……差し詰め、『四枚のA』って名前をつけたほうが良いかも知れないな」


 机の上に並べられたのは四枚のAのトランプ。ハート、ダイヤの赤二枚と、スペード、クラブの黒二枚、と見るからにごく普通のトランプであった。

 そのトランプを裏返して並べながら、ジョザという身なりのいい男は言った。


「『四枚のA』のルールは簡単だ。このままお互いに一枚ずつ選ぶ。そして表に返したときに、赤赤、黒黒、というように色が一致したらお前の勝ち、一致しなかったら俺の勝ちだ」


 ジョザはそう言って、葉巻を深く吸い込みながら「ああ、美味いもんだ――」と一呼吸入れていた。


「赤赤、黒黒、赤黒、黒赤。全てで四通りしかない。そして、トランプをめくるのは同時、つまりトランプを入れ替えようにも相手の色が確認できない以上不正は不可能。――どうだ、フェアな勝負だろう?」


 じろり、と粘っこい視線を這わせるジョザは、そのまま例の逃げ出した女――ルッカと言うらしい――を()めつけていた。恐らくこの男は、この『四枚のA』という勝負でこの女ルッカを嵌めたのだろう。


(フェアなものか。こいつはモンティ・ホール問題の亜種だ。色を一致させるほうが難しいじゃないか)


 机の前に座りながら、俺はそのジョザという男を真っ直ぐと見据えた。

 なるほど、この男はどうやら賢いと見える。この確率の罠に気付いているから、『色が一致すれば相手の勝ち、一致しなければこちらの勝ち』というルールにしているのだ。


(赤と黒、で考えるからだめなんだ。ジョザと色が一致するかしないか、で考えれば明白だ。

 ジョザが一枚選んだ瞬間、残りのカードは三枚になる。仮にやつが赤を選んだとしたら残りのカードは赤、黒、黒、というように、色が一致しない確率の方が2/3になる。つまり1/3対2/3の戦いでこっちが不利――何のことはない、数学の簡単なトリックに過ぎない)


 数理魔術師のアルは、そのたくらみを一瞬で看破した。だからこそアルは、敢えてその勝負に乗ったのであった。


「で、坊主。お前も『四枚のA』の勝負、やるのか?」


「ああ。これ以上変なルールを追加しないことを条件に、だ」


 ぴくり、とジョザは眉をひそめていたが、アルが「当然だろ、後々お前たちが有利になるルールを追加しては敵わないからな」と言うと、しぶしぶその主張を認めたようであった。


 机に四枚のカードが並べられる。かくして『四枚のA』のゲームが開始された。


「じゃあ坊主、お前に先手を与えてやるよ。好きなカードを選びな」


(先手を与えてやるよ、か。よく言ったもんだ。不正を防止するために俺に先にカードを選ばせただけのくせに)


 しばらく考えて、アルは一枚のカードを選んだ。少し遅れてジョザも一枚カードを選んだ。この間、二人は自分がどのカードを選んだのか、お互いに分からない状態である。

 探りあいも心理戦も、最初の戦いには存在しない。まずは様子見である。


 ――ねえ、何であの子は見ず知らずの私なんかを助けようとしたの。

 ――分からない。きっとアルなりの考えがあるんだと思う。あの人、変な人だから。


 後ろでルッカとラナが声をひそめて会話しているのが聞こえた。知覚拡張アプリ【six sensor】によって、アルの聴覚は獣人族並に鋭くなっている。

(聞こえているぞ)とアルは思ったが、何も口にしないことにした。


 疑問に思って当然だろう。冒険者の女ルッカにしてみれば、見ず知らずの人間が自分を助けるために、お金を賭けて自分の代わりに勝負をしてくれるだなんて、にわかには信じがたい展開のはずだ。

 見捨てるのが普通――それをアルはあえて見捨てなかった。


「ショーダウンだ」


「ショーダウン」


 両者手札を開き――ダイヤのAとスペードのA、色が一致していないことを確認した後、ジョザは机の上の金貨を回収した。序戦はジョザが制した形だった。


「は。悪いな、坊主。まぁ、最初はこんなもんだ……」


 ふぅ、と煙草の煙を(くゆ)らせてジョザは余裕たっぷりに述べた。

 回収される金貨を眺めるアルも(まあ、こんなものだろうな)と、特に平静を乱すことはない。

 こういう時のアルは人一倍冷静である。即ち、物事にシステマティックに徹している時だ。一時の勝ちや負けに左右されることなく、勝ったらこう、負けたらこう、とシステム的にベットを動かすのみ。


「じゃあ、次は二倍だ」


「二倍?」


「ああ。さっきは金貨一枚だったから、今度は金貨二枚」


 つと、と机に置かれる金貨。その動作は淀みない。


(マーティンゲール法。負けるたび倍々に賭けていけば、いつかは勝てるという必勝法。例え、一枚、二枚、四枚、と負けて合計で七枚損しても、次に八枚賭けて勝てば、合計一枚得をする。……システムベット法の基本にしてセオリーだ)


「ショーダウンだ」


「……ショーダウン」


「負けたな。次は金貨四枚だ」


「……」


 何かに気付いたらしいジョザは、妙に渋い顔付きでアルのことを見ていた。


「……小僧、どうりで『変なルールを追加しないことを条件』だなどとほざきやがったわけだ。この戦法は、青天井じゃねえと意味がないからな」


「さあな? ……ほら、ショーダウンだ」


「……」


「勝ったな。回収するぞ。今度は金貨一枚にリセットだ」


 机の上の金貨を回収し、一枚を残して次のゲームに進む。こうなってくると、流石にギャラリーも、アルの意図に勘付いたらしい。負けたら倍々、勝ったら一枚に戻す。そうすれば高確率で金貨一枚ずつ得をするのだ。


「なあ、あれってもしかして」


「……あのガキ、恐らくはあのまま、ジョザの野郎をずっと毟るつもりなんだろう」


「おっかねえことを考えるやつだ……いや、賢いことは認めるが、それ以前にジョザを嵌めようって発想がもう、命知らずも良いところだ」


「あいつ、このまま勝つんじゃないか……?」


 ざわり、と浮き立つ周囲の観客に見守られながら、アルはジョザと二人勝負を続ける。

 負けが嵩んでも全く顔色を変えない。確率的にはいずれ勝つ。三分の一の勝率がどうしたというのか。四回勝負、即ち金貨一六枚になるまでに、およそ80%の確率(65/81)で勝利するのだから。


「ショーダウンだ」


「……小僧、あまり調子に乗るな」


「早く開け」


「……ちっ」


「勝ったな。ならまた一枚だ」


 あくまでシステマティックにゲームが進む。そこにあるのは、男たちの勝負というよりは、もはや一方的に徐々に毟っていくだけの作業。

 真ん中に座っているジョザが「これ以上は結構だ」と勝負の席を立たないことが、むしろ奇跡に近かった。敵ながら大した精神力であった。


「……嘘、でしょ」


 ルッカは呆然と呟いた。


「何あれ。馬鹿みたい。あんなにあっさり勝つなんて……」


 自分はあっさり負けたというのに、こんなの、まるで馬鹿みたいだ――そんな様子のルッカをよそに、隣に立っていたラナは少しだけ得意げに答えた。


「でしょう? でもアル、ああいう馬鹿みたいなこと、大好きなの」


 ああいう馬鹿なことを、数学と呼ぶらしいの――そんなことをラナはにこにこしながら口にしている。きっと深くは分かっていないのだろうが、好きな人の好きなものを答えるときのような嬉しそうな様子であった。


(だから聞こえてるってのに)


「ショーダウンだ」


「……」


「勝ったな。また金貨一枚からだ」


 後はひたすら繰り返すだけ。どちらが精神的に憔悴するのが早いのかの勝負だ。

 毎回一枚ずつ確実に儲けるほうと損をするほう。どちらの方に心理的な負担が大きいのかは、明白であった。


「……小僧。そんなにゆっくりと賭けていていいのか? 勝負が着く前に日が明けてしまうぞ」


「そうだな。じゃあグランド・マーティンゲール法で挑むとしよう」


 言い切って、アルの口舌は一気に滑らかさを増した。


「二倍プラス一枚ずつ、一、三、七、一五、三一、と賭けていく方法だ。こうすると、例えば三のときに勝てば二枚、七のときに勝てば三枚、一五のときに勝てば四枚、……勝負の回数×一枚だけ確実に手に入る」


「……」


「お前の命がもっと縮むってことさ」


 迷いのない、実に淡々とした宣告であった。

 動揺とうろたえを顔に出さず、沈黙を顔に貼り付けて勝負を続けるジョザの方こそが、大した勝負師なのかもしれない。

 ともかく、勝負はますますの加速を見せた。


 しかし。


「……は、やるものだな、坊主」


「何がだ?」


「お互い、厳しい勝負になった」


 ショーダウン。ジョザの勝ち。そんなやり取りが数度続いて、ようやく彼は口元を少し緩めて、こちらに向き直った。


「賭けられた金貨はいまや三一枚になった。お前の手持ちの金貨は一〇〇枚もないと見た。――つまり、もう負けられない勝負になっているだろう」


「何が言いたい?」


「今ならここで打ち切ってもいい。どうだ、坊主? 五体満足のうちに出直すこった」


 ジョザは既に、このマーティンゲール法の弱点に気付いているようであった。

 即ち、手持ちの資金による限界があるということに。




 ◆ ◆ ◆




「――ショーダウンだ」


 表に返されたカードは、ハートのAとスペードのA。即ち、またもやジョザの勝ち。

 勝負も決まったか、と思われたところで今度は六三枚の金貨が積まれた。


「次だ」


 なおも粘るアル。その涼しげな表情に一切の迷いは見られない。


(この野郎、随分と骨のある戦い方をしやがる。小僧かと思って舐めていたが、一端の勝負師だったらしい)


 内心毒づくジョザは、実のところ、顔色ひとつ変えないアルに焦りを覚えていた。

 それも当然である。毎回こちらの手持ちを確実に金貨一枚ずつ減らしていく戦いを挑まれているのだ。これを指をくわえて眺めているだなどと、耐えられるはずがない。


 だが、耐えた。ジョザにとってはこれに耐えきることこそが、正念場であった。


 ジョザはすぐに気付いたのだ。

 マーティンゲール法はあくまで、勝つ確率を高めるだけの確率遊び。勝負の期待値平均は変化しない。――即ち、負けるときは大きく負けると。


(まだ金貨を六三枚も持っていたか……。ここまでの累積で金貨一二二枚、まさかガキがそこまでの金を持ってるとは思わなかったが、もう流石に限界だろう)


 内、二七枚はジョザが負けて支払った金貨だったが、それでも金貨一〇〇枚近くを自前で持つなど、大それた金額である。


 だがもう、終わりのはずだ――とジョザは勝利を確信した。


 そう、次さえ勝てばこれで終わる。次さえ勝てば決着がつくのだ。長いようだった勝負もこれで終わりだ。


(悪かったな、坊主。変な義侠心なんか起こさなきゃ良かったんだ。精々、相手が俺だったことを恨むことだな――)


 ジョザは勝負師だ。つまり、勝つべき勝負に勝ってきた。

 無論、これまでの戦いにおいて、勝利を確実にするために入念に手を仕込んだことも幾ばくかある。

 ――即ち、イカサマである。


(ここで息の根を潰さなくば、お前にまたやられる。今が待ちに待ったチャンスだ。この機会を逃せば次はしばらくやってこない)


 次は恐らく、また二〇~三〇回先になる。即ち、二〇~三〇枚の金貨の損だ。


 金貨一枚の損失は少なくない。一枚もあれば一月は暮らせる。二七枚あれば二年分は賄えよう。――その上で、今回賭けられている六三枚という金貨は、異常な数字なのだ。


 ここまで積み重ねた金貨二七枚の損失は、全て、この次の勝負のための布石である。ジョザとて、更に三〇枚の損失を許せるほど余裕があるわけではない。

 つまり、この機は逃せない最大のチャンスなのである。


(仕込み時だ)


 ジョザはここで、トランプを配るディーラーに目配せをした。合図はしっかり伝わったようであった。


 即ち、右端に黒、それ以外を赤三枚に組み替えたのである。


(これで、右端にだけ注目すればいい。もしも奴が右端以外を選んだら、右端を選ぶだけで色違い、即ち俺の勝ち。逆に奴が右端を選んだら、俺は好きなカードを選ぶだけで色違いだ)


 勝利の確信。

 ジョザは湧き上がる笑みを、鉄面皮をもって抑え込んだ。


 見れば、例のあの女ルッカが蒼い顔で勝負の行く末を見守っていた。

 間抜けな女だ、とジョザは思った。最初から勝つ確率が三分の一しかない勝負に乗るような女だ。この冷血ジョザに目を付けられたが運の尽き。

 果たして、この女が『勇者』の血を引くようには到底見えないが――。


「さあ、選びな」


 勝利の確信を得たジョザは、それでも油断なくアルの手元を見た。カードのすり替えをされたら負ける可能性がある。それさえ防げば問題はない。


 果たして、アルは何の仕込みやすり替えを行うことなく、一枚のカードを選んだ。

 ジョザはそれを見届けてから、僅かな安堵を胸に、右端のカードに手を伸ばした。


 ――刹那。


「ジョザ。お前の負けだ」


「……何がだ」


「マーティンゲール法の目的は、勝つ確率を高めることじゃない。じわじわお前を削ることでお前を焦らせて、不正を誘発することだ」


「――!」




 ◆ ◆ ◆




 がば、と隣の黒服が立ち上がった瞬間、アルは魔術を撃ち込んで気絶させた。

 雷魔術は人間を気絶させるにはうってつけだ――命を落とすリスクを度外視すればの話だが。不幸中の幸いか、黒服は生きているらしい。タフなことだ、とアルは思った。


「坊主! 貴様は何てことを!」


「おっと、それはこっちの台詞だぜ」


 狼狽えるジョザを目の当たりにしつつ、アルは卓上のカードを全て表に返した。

 赤三枚、黒一枚、明らかな不正であった。

 周囲のギャラリーはそれを見てどよめいた。


「さあ、どう説明してくれる、冷血ジョザさんよ? 事と次第によっては、その首を貰うぜ」


「……っ」


 苦々しげな怨嗟を表情に張り付けたジョザの目の前で、アルは机の上の金貨を全て回収した。またもや勝負に勝った。ただそれだけだ。


 ジョザの後ろに控えている残りの黒服たちが身構えているのが分かる。戦闘の予感がした。アルもまた、背後にこっそり魔法陣を六つ展開して戦いに備えた。


 だが。


「……帰るぞ」


「! ジョザ様!」


「これ以上恥を晒す趣味はない。今日はガキに担がれた、それでいいじゃねえか」


「し、しかし! このガキはジョザ様の顔を潰しました! せめてもの見せしめをしないと!」


「くどい、帰るぞ」


 取り合うつもりはない、とばかりの厳しい断言。そのままジョザは葉巻をくわえて立ちあがり「そのじゃじゃ馬はくれてやる」と言い残した。


 あんまりにあっさり立ち去っていくジョザと黒服たちを、周囲の観客は思わず引き留め損ねた。


(あんなにあっさり立ち去るものなのか。面子もあるだろうに、意外だ)


 アルも思わず呆然としてしまった一人である。

 自分で言うのも何だが、不正を暴かれた勝負師ほど面子が潰れる者はない。もう二度と勝負ができなくなるのだ。

 あのまま激昂して死物狂いでこちらを殺しにくるのでは――とさえ、アルは考えていた。


 恐らくジョザは、無詠唱魔術を警戒したのだろう。黒服を一撃で気絶させるほどの腕前なのだ、警戒して当然であろう。それに、ガキの癖に妙にふてぶてしい、というアルの態度も不気味だったに違いない。

 それにしても、あの期に及んで警戒を忘れないあたり、ジョザは冷静であった。


「……嘘、でしょ」


 背後で誰かが狼狽している気配がした。振り返れば、先ほどの女ルッカであった。


「なあ、そこの君。ルッカと言ったか。約束通り身請けするぞ」


 忘れないうちに、アルはそう言い付けた。


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