10.ドワーフに事情を聞きにいって、『光の勇者』の娘がどういう境遇にいたか、などを根掘り葉掘り聞き出しつつ、防具も新たに手に入れるお話。
その隻眼のドワーフ、キュクロは、しばらく黙々と彫刻を入れる作業に打ち込んでいた。
三日かかるというのはあながち嘘ではないが、本当でもない。
並行して他の仕事もこなしつつ、という状態であれば三日かかる。
しかし、実のところアルたちの仕事の他には並行して進める仕事がなかったためか、既にラメラーメイルは完成していた。
「お前さんたちに三日かかるといったのはな、三日間はこの街に滞在してもらうための方便だったって訳だ」
「……キュクロさん」
「何せ、ルッカと一緒に他のところに逃げられたらまずいと思ってな。足止めだ。お前さんたちを信用してなかった訳じゃないんだが、悪く思うな」
乾いた音を立てて、ラメラーメイルに意味ありげな紋様が刻まれていった。
刻印魔術をかじっている人間なら、それが『硬化』の刻印であることに気付いたかもしれない。
「今日は、そのラメラーメイルを引き取りに来たのと、ルッカのことについて聞きたいことがあって、伺いました」
「そういや、そうだったな」
背後に立つアルとラナに対して、そのドワーフはぽつりと呟いた。
「……時の頃は、今から一〇年も昔。あの子がまだ、自分の立場に気付いていなかった頃の話だ――」
しみじみと語ったその台詞には、推し測りがたい万感の思いが込められている。
◆ ◆ ◆
ルッカ・リチュエール・アークライトは、【王国】の第二王女として生まれ、その幸せな半生を王宮の外で過ごした。
母は幼くして死んだそうだが、その理由はルッカには明かされなかった。その代わり、ルッカは父親に愛されて育つこととなった。
父はルーシェル・ラマン・アークライト。王家の血筋ではなく『光の勇者』アークライト家の嫡男として生まれながら、しかし迎え婿として王位に就くこととなった異例の王だ。
血筋を重んじる貴族たちと、父王ルーシェルの間に確執が生じたのは、確実にこの頃――即ち、父王ルーシェルが国王に即位した頃である。
【王国】に代々続いた名前はリーグランドン。リーグランドンとは【リーグランドン王国】のその名前の由来であり、かつ古の言葉で王国を意味する言葉でもある。
だからこそ、【王国】の国王は、代々誇るべくしてそのリーグランドンの苗字を名乗ってきた。
父王ルーシェルは、アークライトの名を捨てなかった。
アークライトとは偉大なる光である。リーグランドンに改名しては先祖への顔が立たない。
そういった理由で、『光の勇者』ルーシェルはその名をリーグランドンに改名しなかった。それは体面を重んじる貴族たちとの溝を十分以上に決定付けた。
「お久し振りです、お父様」
「ああ、ルッカか。久しいな。息災だったか?」
ルッカは、生まれて間もなくアークライト家に引き取られたためか、父王との交流は短かった。
だが、父王はルッカのことを深く愛している、ということだけはよく分かった。
いつも優しく撫でてくれること、よく抱き締めてくれること――そのたび少し悲しそうな顔をすること、それらがルッカの目に写って、ルッカは時々切なくなった。
(私は幸せなんだ)
妙なことではあったが、ルッカはこの時から薄々と、自分が恵まれていることを知ってしまった。
自分には悲しい過去があるらしい。父は、何も自分に悟られないように配慮しているらしい。アークライト家もまた、ルッカの境遇に同情して、優しく接してくれているらしい。
たくさんの"らしい"の仮定が、確信のないまま積み重なった。
ルッカには心当たりが多数あった。
自分の名前が、王族なのにリーグランドンではなく、父と同じアークライトだということ。
アークライト家の皆は、自分のことをお嬢様と扱って育てるが、"誰の"お嬢様なのかは決して語らなかったこと。
父はいつも、「ルッカ、お前ならアークライトを継ぐことができる。全てを教えられる」と繰り返し語ったこと。
母のことは未だにはぐらかされること。
髪の色が父そっくりなこと。
顔の作りが、父の他の妻たちとは少し似ていないこと。
王女様、と呼ばれたことが殆どないこと。
父と母の婚儀の記録などが、どこを探しても見当たらないこと。
ルッカの心のなかに、漠然とした思いが浮かび上がったのは当然のことであった。
「……私は、家を出たい」
月夜に一人、ベッドの上で沈みながら、ルッカはそんなことを呟いていた。
ルッカは、何度考えても幸せな子だった。
暮らし向きは、並みの平民がいくら頑張っても指先も届かないぐらいに豊かであった。
読書や娯楽も許されて、勉強もこよなくこなし、淑女としての教養も一通りは身につけた。
執事や乳母はとても心立てのいい人で、よく遊び相手になってくれたし、きちんと心の教育をしてくれた。
ルッカはとても幸せであった。
父は悲しいことを隠してくれて、優しく接してくれる。
お前ならアークライトを継げる、と信じていて、いつもルッカのことを希望を託すように見つめている。
時に優しくて、時に厳しくて、そして、ルッカのことを第一に考えてくれる。
暴力を振るったこともあまりない。叱ったときも、後でにこっと笑ってくれる。
父は、いつもちょっぴり疲れているけれど、ルッカはそんな父が大好きであった。
ルッカは、自分が幸せであることをとてもよく知っていた。
だが、時々何かが噛み合わなくなって、無性に切なくなることがあった。
『お前は、お前ならアークライトを継げる』
それは、父の呪いだった。
王という立場に苦しめられてきた父が、王家の血筋であることからルッカを必死に遠ざけようとしている、そんな悲鳴のようにも聞こえた。
或いは、アークライトでありたかったと願う父の、懇願のようでもあった。
そして、きっとお前ならアークライトの名前が似合ういい子に育っているのだろう、と託すような、憧れるような、そんな言葉のようでもあった。
ルッカは己を責めた。
年を経る度に、薄々と気付いてしまう自分の非才さ。
アークライトという名前の重さと、父の願いの重さ。
自分が幸せに育てられてきたことに伴う、義務感、あるいは期待感――のような何か。
『アークライトを継げる』
ルッカは悲しいことに、心が健康に育ってしまった。執事も乳母も、職務をしっかりと全うし、ルッカを健康に育てた。
ルッカには、盲信することや、病むように依存することはできなかった。
ただただ、ルッカは切なさに泣くことしかできなかった。
「お父様、私って、何……?」
ルッカの独り言は、この時からずっとルッカのことを縛り付けていた。
家を出たい。
外の世界を知りたい。
辛い世の中が待っていても、この場所にいるよりは、救われる気がする。
ルッカの辛さは、言葉にできないような何かであった。
センチメンタルな感傷だ、と人に一蹴されそうな些細な問題である。
"父に、道具と思われているのではないか"
"母は私を産んだせいで殺されたのではないか"
"アークライトを継げる、というのは、頼むからアークライトを継いでくれという願望なのではないか"
"父が、私に才能がないことを頑なに認めないのは、それを信じたくないからなのではないか"
"父は、魔力のない女性と不義を重ねて、魔力の乏しい私を生んだのではないか"
"私が何度も『アークライトを継いでくれ』と願われているのは、母の幸せのためではないのか"
"父は、私が出来損ないではないのだと証明するために、私が出来損ないではないのだと信じるために、アークライトを継がせようと必死なのではないか"
――そんな、些細なことである。
ルッカの知る限り、父は強くて、弱かった。
いつも優しくて、常に胸を張っていて、いつも正しくて、ルッカの味方でいてくれて――そして、時々願うようにルッカに『お前なら、アークライトを継げるんだ』と託すのだ。
ルッカは、自分が出来損ないじゃなければよかったのに、と思った。
何度頑張っても、ルッカは、出来損ないのままであった。
そのことがずっと、常に、ルッカを苦しめてきた。
(私は幸せなんだ)
(私は期待されているんだ)
(私は、親に出来損ないじゃないのかと疑われているんだ)
(私は、自分の母親が一体何者なのか知る権利がないんだ)
(私は、本当は、アークライトを名乗る資格が)
そこまで考えて、ルッカは全てを放棄する。
これ以上続けたら、自分の心が病んでしまう。そんな予感が、やけに実感を伴って心に蔓延っていた。
全ての思考を放棄する代わりに、ルッカはその間、光魔術と剣術の修行に打ち込んだ。
のめり込むように、或いは迷いを振り払うように、それらの修行に没頭した。
そうすることで、自分の体を内側からアークライトに作り替えていくのだ――そう願いながら、彼女は自分を鍛え続けた。
やがて、彼女の心は、少しずつ弱くなって、いつしか――。
◆ ◆ ◆
「目覚めたかい、ルッカ」
聞きなれた声が耳に届いて、ルッカは微睡みから目を覚ました。
知らない天井だ、ここはどこだろうか。
そんなことを思っていると、傍にいたリュータが覗き込んできた。
どうやらルッカの様子を案じているようで、心配そうな表情を浮かべながら、きゅ……と元気のなさそうに呟いている。
「ごめんねリュータ、心配かけて」と口にして、ルッカはようやく身を起こした。
まずルッカの目に飛び込んできたのは、何処かで見慣れた黒服の男たちだ。
恐らくは全員、ジョザの一味の手下たち。有象無象とはいえ、数の力は単純に侮れない。
当然のごとく勝負師ジョザもこの場に立ち会っていた。
「結局逃げ切れなかったか」と嘯きつつ、葉巻を吸いながら平然としている。
他にも、女冒険者のルヴィルが頭を押さえながら「あ゛ぁ゛……くそっ、頭いてえ」とぼやいている。
瞬間、ルッカは今朝のことを思い出した。
確か今朝、ルヴィルは、竜殺しの酔いから目を覚ますや否や、一瞬の隙をついて、背後から謎の薬品を嗅がせてルッカを気絶させてきたはずだ。
ルッカも何とか抵抗しようとしたが、思ったより強力な薬品のため、そのまま眠ることになったのである。
(ルヴィルが何故ここに……!)と、ルッカは思わず身を固くして警戒した。
そしてもう一人、ここには看過できない人物がいる。
「……お父様」
「久しぶりだな、ルッカ」
それは、父王ルーシェル本人である。
厳めしい顔付きと鎧姿のせいで、もはや冒険者にしか見えないが、しかし顔は間違いなく父王のものである。
王としての立場に疲れて磨り減り、それでもなお鋭利さと屈強さを残した、そんな険しい顔付きである。
だが、今ばかりは娘との久しぶりの会合に、その顔が優しく綻んでいた。
「ルッカ。もうお前が家出して二年経つな」
「……そう」
懐かしむような口調の父王ルーシェルに対し、娘のルッカは素っ気ない口振りであった。
それだけでもはや、この親子の間の関係が窺えようものであった。
「ルッカ。お前は、冒険者としてもそれなりに上手くやっていけてるらしいな。私はそれだけで、十分嬉しいよ」
「そんなことないよ」
ルッカの語調はやや落ち込んでいた。
「だって、私の冒険者ランクの査定とか、回ってくる依頼とか、全部、お父様が裏で手を加えてたじゃない」
ぽつりと語った言葉は、ルッカ自身の耳に、やけに重く聞こえた。
「私、ほどほどに環境を整えて貰ってたんだね。程よく、自立感とか、一人身の気楽さとか、そういったものを味わせてもらったんだね」
「ルッカ、それでも――」
「私ったら、一人で舞い上がってたの。ようやく一人って思ってたのに、その先でも私はみんなに迷惑かけちゃってたの」
悔し涙が一筋、ルッカの瞳からこぼれた。
「私って本当、馬鹿ね」
滴がそのままこぼれ落ちて、彼女の傍にいたリュータの鼻先に落ちて、細かく跳ねた。
くりくりと丸いリュータの瞳には泣いたルッカの顔が写っている。不細工な顔だ、とルッカは思った。
そこに、父から優しく諭すような声がかけられた。
「ルッカ。そろそろ戻ってくれないか?」
「……お父様」
「お前も二年間でたくさん勉強できただろう。そろそろアークライト家に戻ってあげてほしい」
「……どうして」
「お前はアークライトの娘だ。お前になら、アークライトを継ぐことができるんだ」
二年前に聞いたことのある言葉がもう一度繰り返されたとき、ルッカの胸の中で何かが切れた気がした。
この二年間が何にもならなかったのでは、という嫌な予感が、いよいよ現実味を増した。
「……私、無理だよ……」
「そんなことはないさ。お前には才能がある。血もしっかり流れている。誰がどう見ても、恥じないアークライトになれる」
「才能が、どうしようもないほど、ないんだよ……」
「私はそうは思わない。ルッカは単純に気負いすぎだ。私が皆を認めさせてやる」
「ねえ、お父様は知らないでしょ? ……私、アークライト家の人たちにも、可哀想な子、才能がないけど諦めない不憫な子って目で見られるんだよ」
「……もう、耐えられない」と呟くルッカの顔は、やや青白くなっている。
トラウマと直面した人間のように、目の焦点がずれており、額から汗を吹き出して、小刻みに震えてさえいた。
ルッカにとっての、父王とは、アークライト家とは、どういったものなのかが如実に現れていた。
「……ルッカ。私は手をあげたくないんだ」
「ごめんなさい、でも、私は、アークライト家を継ぎたくないの……」
「あまりわがままを言うな、ルッカ。今まで育ててきてもらった恩があるだろう。本当に、本当にアークライト家にはお世話になったんだぞ。孝行してあげなさい」
「ごめんなさい……」
「……私は、ルッカをアークライト家の一員にしてあげたいんだ。王族になったら、ルッカはもっと悲しい人生を送ることになるんだ。頼むから」
「頼まないで……!」
ルッカの語調が、混乱したかのようにやや強くなった。
頼む、という父王の言葉。
それはいつもルッカを切なくさせてきた言葉であった。
父の期待に添えない出来損ないであることを自覚させる言葉、
父が自分に願望を託していることを気付かせる言葉、
父が弱さを見せて娘にしがみついていることを思い知らされる言葉、
大好きな父をどんどん嫌いにさせていく言葉、
そして。
「わ、私、お父様に頼まれるの、ダメなの……」
「ルッカ……」
ルッカが最も苦しめられてきた言葉であった。
命令じゃなくて、頼むのは後ろめたいからなのか。なら、実の娘に対して何が後ろめたいのか。
そうやって弱さをさらけ出して欲しくなかった。父にはいつも通り立派でたくましくて、強くあって欲しかった。
アークライト家に迷惑をかけてまで、無理矢理に娘を跡継ぎにさせようとしないで欲しかった。
才能がないことを優しさでごまかさないで欲しかった。頼むという言葉で発破だけかけて、実の娘に才能がないことから目をそらして欲しくなかった。
ルッカは、最低なことに、良くしてくれた人たち、優しくしてくれた人たち全員に対して、もう顔を会わせられる自信がない。
全員いい人たちだと分かっているからこそ、ルッカは、申し訳なさで一杯なのだ。
才能がなくて、ごめんなさい。
迷惑をかけて、ごめんなさい。
そんな言葉がいつも、口から出そうになる。
しばらく、お互いに沈黙が続き、やがて先に父王ルーシェルの方が口火を切った。
「ルッカ、アークライト家は今、ルッカの婚姻の話を進めている」
「……何、それ」
心臓が痛んだ。
「ルッカ。家出した娘が、アークライト家にできる孝行といえば、これしかなかったんだ」
父の言葉は、更に心臓に刺さった。
家出した娘が、という言葉が、冒険者として頑張った二年間をそれとなく否定的に語っているように聞こえた。
人を傷物みたいに――と思って、ルッカはそもそも自分が傷物だったことに気付き、更に心を傷つける羽目になった。
「わ、私……」
無理、と口にしようとして、ジョザとルヴィルに睨まれていることに気付く。
軽蔑の瞳がそこにあった。
「そいつは流石に、甘えすぎだぜ。覚悟もないくせにわがままだけ言って、二年間も家出して、その間どれだけアークライト家と王家に迷惑をかけているのか分かっているのか?」
「アタシも情報屋ジョザの言う通りだと思うねえ。跡継ぎも嫌、結婚も嫌、じゃあお前なんだい、何ができるって言うんだい」
ルッカの心に更に痛みが走った。
何故彼らに軽蔑されなくてはならないのか――と思うと、涙がまた滲んでくる。
「私、は……」反論しかけて、言葉がでない。
ルッカはそのまま俯くしかなかった。
自分の子供っぽさを、これほどまでに噛み締めさせられることはなかった。惨めでさえあった。
わがままを言える身分でも何でもないのに、自分はわがままなことを二年間も続けてきただけだった。
「私、は……」
言葉が虚ろになっていく。
私は、私は。
私はという言葉が何度も口から溢れて、そして何も紡げなくなる。
私は何者なのか、ということがルッカ自身分からなくなっていた。
当然であった。
母は何者か分からない。アークライトにはなれない。王族にもなれない。父の子なのかも怪しい。
ルッカはそもそも、自分が何者なのかさえ分かっていない。
「私は……」
その時、ルッカの傍でこつんと何かが触れた。
リュータの鼻先。
見れば、優しく慮るような瞳がそこにあった。
訳もなく、ルッカの涙がまた一つ溢れた。
リュータだけは、この二年間ずっと相棒だったのだ。
興味本意で手に入れた竜の卵が孵ってから、リュータだけはルッカのことを、親だと思ってくれた。
ルッカはリュータにだけは、全てをさらけ出すことができた。
弱音も本音も、全部をリュータに見せることができた。
しかしリュータはいつも、ルッカのことを慰めてくれた。
涙をひっそり流したときも、リュータはいつも優しくいてくれたのだ。
リュータは、ルッカのこの二年間であった。
いつも餌を食べるだけの、可愛い食いしん坊だったけど、リュータはルッカにとって一番大事な何かをくれる子であった。
「私は……リュータの、親なの」
ぽつりと呟いた言葉。
だが、その言葉は、ルッカの紛れもない本心である。
そして、だからこそ、否定されたくはない。
ルッカは、ここにいる全員を睨んだ。
「私は、リュータの親よ」
二度重ねられた言葉は、そのままこの場にいる全員に余すことなく伝わった。
が、その言葉に賛同は得られなかった。
「……リュータの親か。ますます子供っぽくなってきたな。だからどうしたのだ」
「……。あんまりふざけちゃ、アタシも怒るよ。親を名乗る資格、お前にはあるのかい」
ジョザとルヴィルの二人は、予想通り冷たい反応であった。
子供のおふざけ、という態度を微塵も隠さない。ただそのまま、ルッカに呆れのような視線を投げ掛けるだけだ。
父王ルーシェルもまた、例に漏れなかった。
「ルッカ。その子が飼いたいなら、飼ってあげるとも。だから、戻っておいで」
「ごめん、戻りたくない」
「ルッカ。ちゃんとした形でアークライト家に戻るなら、今が最後だ。分かるな? リュータの親、それはそうだな。その子を家で育てるのは反対しない。だから戻るんだ」
「戻りたくないの」
「困ったさんだな、ルッカ。でもな、戻ってきてくれないか。二年間、私もルッカのために頑張ったけど、これ以上は難しいんだ」
「……今は、本当に無理なの。時間が欲しいの」
親子の議論は平行線を辿った。
その間もずっと、ルッカはリュータを抱えたままであった。
微かに震える身を、強く押さえつけて、我慢して――リュータの親であろうとした。
ルッカの涙はずっと止まらなかったけども、ルッカの言葉の強さは、リュータが傍にいるから、強くなった。
「私は、リュータの親なの」
一瞬だけ、沈黙が訪れた。
それは偶然のような沈黙の時間であった。
――だから、それはちょうどタイミングがよかった。
この時を見計らったかのように、「そこまで!」という声が割り込んできたのだ。
「! 誰だ!」
父王ルーシェルの鋭い声に「あら? ご存じない?」とマイペースな声が被さる。
「おやおや、困ったものだ、百年前は『仕事屋』アルヴィスって言えばちょっとは有名だったんだけど」
声の発生源が分からない、と全員が辺りを見回したその瞬間。
「それじゃまあ、消えてくれや」
ぱちん、と指の鳴る音がした。
そして突如、建物が急に崩壊し始めた。