第9話
「また知らない単語」
耳にするのは聞いた事のない言葉ばかり。
瞬時には理解出来ない結は苛立ちを感じながらボソリと呟く。
「アナタにもわかりやすいように日本語で言っているに過ぎません。私達は本来、人間のように言語を使用する種族ではありません。ですので説明が伝わりにくいかもしれません」
「それはまぁ、わかった。処刑執行者ってのは何なの?」
「私達の世界には魔獣が生息しています。それはこの世界の動物よりも遥かに強く強靭であり、明確な意思を持っています。アナタと同じように」
流れるような瞳で見つめられる結。
明確な意思、それを結は体験している。
人の形に擬態していたウソを付く裏切りのヘビ、その擬態に結は全く気付く事は出来なかった。
秋雨宇美と名乗ってきた少女は人間ではなく、結を殺そうとする魔獣。
見た目も自分より若い宇美に警戒心すら示さず、口車に乗せられてしまっていた。
その時の記憶を思い返して見るが、宇美の見た目も肌に伝わって来る体温も全て人間と変わらない。
見分けを付ける事など出来なかった。
「なら、これから先も奴らは人間に化けてアタシを襲ってくるのか!?」
「そうです。彼らの狙いはゲートの鍵を保有しているアナタの生命です」
「ゲートの……鍵?」
死ぬかもしれないと告げられる結。
どうする事も出来ず、毛布で包まっている体を両手で抱いた。
怖い目に会うのなんて2度と嫌であるが、魔獣が自身に近づいて来るのを回避する術すら持ち合わせていない。
そして再び聞かされた新しい単語。
どれもこれもが見に覚えのない事ばかりである。
「ゲート。それは世界を繋ぐ入り口です。アナタはゲートの鍵をその身に宿している」
「抽象的で意味がわからないんだけど」
「ゲートは私達の世界とこの世界を繋ぐ門です。開放する為には鍵が必要です」
「その鍵をアタシが持っている?」
「はい」
毛布の中からしなやかに伸びる右腕を出す。
結は自分の手のひらを見つめ、指を閉じたり開いたりした。
考えた通りに指は動いてくれるし、背中のキズ以外体の違和感も感じられない。
「感じ取る事は不可能です。それに鍵はゲートを開放する以外の使い道はありません」
「なら、その魔獣ってのは何でアタシを狙って来る?」
「ゲートの鍵は選ばれたモノにしか使用出来ません。私にも、アイツラにも、自由にゲートを開放させる事は出来ません。ここに逃げ込んだアイツラは、鍵を使用出来る人物を探した」
「アタシには鍵が使えるのか? 何で……」
「確かにアナタは鍵を使用する事が出来ます。ですがアイツラにとってそんな事は関係ない。例え使う事が出来ないとしても、鍵を宿す事は出来る。要するに誰でも良かったのです。アナタが選ばれたのは偶然に過ぎません」
結の視界に映る『翼を持つ魔剣士』と名乗った女は、眉1つ動かさず淡々と話を続けている。
涼しげな表情は彼女の容姿を引き立たせる一方、そこから感情を察する事は出来ない。
どうしてゲートの鍵を使う事が出来るのかも、どうしてこんな事態に巻き込まれて居るのかも、結にはわからなかった。
「偶然? 偶然でアタシは、こんな……」
生々しく残る背中の爪痕は消える事はない。
それはまだ10代の結には重い枷だった。
背中の肌を露出すれば嫌でも目に付く傷痕に、嫌悪感すら抱き始めている。
遊び盛りの結はこの事を誰にも知られたくなかったし、大好きだった服等の買い物にも制限が付く。
必然的に背中全体を隠せるモノしか選べない。
プールや海水浴に行くのも、もう嫌に感じてきている。
魔獣から無事に生き残った事で命を実感するが、これから先に生きていく事に不安が過ぎる。
「全ては不覚を取った私達の責任です。アナタは必ず守ると誓います。騎士の誇りと、主である『運命を司るヘメリズム』様の名誉に掛けて」
そう宣言する彼女を虚ろな瞳で見るしか出来ない。
今の結には傷を癒やし、状況を冷静に頭の中で整理する時間が必要だった。
このまま説明を受けていてもキチンと理解出来ない。
ぼんやりとコンクリート壁に入ったヒビを眺めていたら、朝の冷たい空気が鼻を付く。
「クシュンッ!! 少し、肌寒いかな」
「どうしました? お体に異常でも?」
「裸に毛布しかないから寒いだけ」
「あぁっ!? 申し訳ありません。気が付きませんでした。私の服で宜しければお譲りします」
慌てて着ている上着のスーツのボタンに手を掛けるのを毛布に包まりながら結は見た。
白い手袋を中指から引っ張りしなやかな指をあらわにする。
スーツのボタンに手を伸ばし、着ていたスーツを脱ぎ捨てた。
アイロンを掛けてシワ1つないYシャツ、柄のない透明で小さなボタンを襟元から外して行く。
胸元まで外されたボタンからは黒い下着がチラリラと見え隠れしている
「なっ!? どこまで脱ぐ気だ!!」
「ですので服を。私は裸でも構いませんので」
突然の行動に赤面する結。
話しながらも全てのボタンを外して脱ごうとする彼女を静止させた。
彼女の表情からは羞恥心を感じられず、涼しい顔をしたままだ。
常識とは外れた事をする彼女を結は怒る。
「こういう時は上着だけでいい!! 着てるモノ全部渡すなんて聞いた事がない!!」
「そういうモノですか? わかりました」
言われて服装の乱れを直す彼女を見て安堵する結。
床に落ちている脱ぎ捨てた服に手を伸ばし、暖かさが残っているスーツに袖を通す。
少しばかり暖かくなった体を抱いて話の続きを求めようとするが、名前の呼び方をわかっていない結は声を発するのを躊躇してしまう。
「あっ……その、何て呼べばいいんだろう?」
「私の事でしたら気にしないでください。今よりアナタ様に忠を尽くします。何なりとお申し付け下さい」
「流石に魔剣士だっけ? そう呼ぶ訳にもいかないしさ」
「私はそれでも構いません」
「それじゃあコッチが困んの!! 他の人に聞かれたら恥ずかしいってわかんない?」
「すみません。理解出来るように善処します」
礼儀正しいかと思い気や、こちらの常識がたまに通じない所に結は呆れてしまう。
謝罪の言葉を述べる彼女を見てもやはり涼しげな表情は変わって居らず、わかっているのかどうなのかが判断しずらい。
けれども1度その感情を頭の隅へ置き、彼女の呼び名を考える。
思い浮かぶのはテレビ画面に映る女優に少しだけ、見た目や雰囲気が似ていると感じた。
サラサラの髪の毛、スレンダーな体型、クールな面持ちが結の記憶の中の女優とマッチする。
「そうだ!! アンタさ、女優の釈 美由紀にちょっと似てるからそう言いなよ!!」
「釈 美由紀……ですか?」
「うん!! 似合ってるし、それで行こ!!」
「アナタ様がそう仰るなら、私はソレに従います」
「あとさ。その~、アタシの事を様って呼ぶの、何とかならない?」
見た目は年上の彼女に対して、にやけた笑顔を浮かべてお伺いを立てる。
結は自分の事をそのように呼ばれる耐性がなく、アナタ様と呼ばれる度に体の内側がむず痒くなってしまう。
いつまでも様付けで呼ばれていては周囲に目立ってしまうし、誰かに聞かれた時に答え方がわからない。
只でさえ異常な状態なのに、その上面倒な事は避けたかった。
でも彼女は、今この瞬間から釈 美由紀と名乗る魔剣士はいつもの表情と変わらず、結は考えている事を感じ取れない。
諦めた結は引きつっていた頬を元に戻し、口から大きく溜息を付いた。
「あのね、普通の人は様を付けて相手を呼んだりしないし」
「では、どのようにお呼びすれば?」
「香木原。香木原 結、それがアタシの名前。言いたいように言えばいいから」
ぶっきらぼうに名前を言う結。
呼ばれ方など自分で考えるモノでもないし、相手が言う事なので美由紀に任せる。
顎に手を当てて数秒の間だけ思考する美由紀を毛布の中で体育座りして待つ。
スーツのお陰で肌寒さは解消されて、落ち着いて見る美由紀のスタイルは同じ女性でもウットリする程に魅力的だった。
白いYシャツから透けて見える黒い下着と胸の膨らみ加減に憧れを抱くと共に、少し自身をなくしてしまう。
「それでは結、と呼ばせて頂きます」
「う、うん。それでいい」
「やはり気分が優れませんか? 先ほどより表情が良くないように見えます」
「だ、大丈夫だから。気にしないで」
「承知しました」
何ともない事を確認するとすぐに引く美由紀。
常識は通用しないのに、こういう所は機敏に反応する所に心の中で愚痴を溢す。
(何で感づくかなぁ~)
この声ですら気付かれそうな気がしてすぐに考えを切り離す結。
「話の続きなのですが、これからは24時間体制で私達が結を警護します。魔獣は必ず駆逐しますのでご安心下さい」
「え? 24時間って、学校と家に居る時はどうすんの?」
「勿論、ご同行させていただきます。魔獣は何時如何なる時に襲い来るかわかりませんので、毎日付きっきりで――」
「だから!! そんな事されたら困んの!!」
美由紀の声を遮断させ、結は慌ててその提案を拒否する。
危険なのは実際に体験して充分に理解しているし、1人になるのは危険だとわかっているが、24時間も一緒に居られたのでは心が休まる暇もない。
何処へ行くにも付いて来られたのではストレス以外の何モノでもなかった。
家に上がり込むにしても結はその事を親に説明する必要があり、美由紀に説明してもらった事をそのまま言う訳にもいかない。
(父さんや母さんに何て説明すればいいのさ!? 魔獣だなんて言える訳ないし。それに恥ずかしいし。学校にまで来られたら、マジどうすればいいの? 授業参観じゃないんだから!!)
真実を話しても信用してくれる筈もないし、漫画の出来事のような事を説明するのに羞恥心が纏わり付く。
血気盛んな結に24時間警護の話は受け入れられない。
「ですが、結を守る為には必要な事です」
「絶っ対ダメ!! ありえないから」
「ならどうするおつもりですか? これが1番有効な手立てだと私は考えます」
「少し離れた所から見てるとかじゃいけないの? 授業終わるまでは学校の外には出ないし、家に帰っても、特に何にもなければもう外に行かないから」
「う~ん」
この時ばかりは美由紀の表情が険しい顔に変わって見えた。
眉間にシワを寄せて顎に手を当てて考えている姿でさえ様になって見え、少しの間だけ悩んでいる美由紀を見つめる結はその表情を記憶に収める。
再びクールな表情が崩れるのを次に見れるのが何時になるのかわからない。
そして待つこと数秒、美由紀はいつもの調子に戻って結を真っ直ぐに見つめて来る。
「わかりました。結の提案に従います。他の者にもそのように伝えておきます」
「そう。良かった」
「しかし注意は決して怠らぬよう。今も仲間が街で捜索していますが、簡単に足取りが掴める相手ではありません……そろそろ時間です」
自分の提案が通った事に胸を撫で下ろす。
これで当面の不安要素は結の中では取り除かれた。
安心しているのも束の間、美由紀の声が途切れると同時に割れた窓ガラスに黒い影が映る。
ギョっと瞳を動かし視点をその影に合わせた。
心臓の鼓動が早くなり、ドクドクと血が流れる音が頭にまで響いて来る。
緊張に鳥肌が立つ。
瞬きの回数が増え、呼吸も少し荒くなる。
「んっ!?」
ゴクリと生唾を飲み込み、額に汗が滲む。
スーツの袖を握り締め体が震えようとするのを押さえ付ける。
結が見る先に立っているのは、死んだと思っていたストーカー男。
「お前!? アイツにやられて死んだんじゃ……」
結の呼びかけにも応じず、窓を潜って中の部屋に入って来る男。
ブーツで床に足を付けて170センチを軽く超える身長で結を見下してくる。
男は服装も変わっておらず、黒い革ジャンも結が最後に見た時と比べて新品のように綺麗になっていた。
重々しい空気の中で、男は口を開ける。
「誰が死んだって? あんな雑魚に負ける訳ねぇだろ!!」
結の想像とは裏腹に男はキズひとつとして負っておらず、ピンピンした状態で荒々しい声を出す男は何処かイライラした様子だった。
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