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第6話

幻覚に苛まれる結は目の前の居る宇美に警戒せざるを得ない。

魔獣へ变化した宇美は彼女を殺す気で襲いかかってきた。

そんな相手に、以前のように接する事など到底無理な話で、後ずさりして距離を離す。

逃げる結に宇美は1歩ずつゆっくりと足を運ぶ。


「何で離れていくの、お姉ちゃん?」


「一体お前は何なんだ!!」


「私はね、この魔獣に取り込まれちゃったんだ」


「取り込まれた!? もっとわかるように言え!!」


状況を理解しようと説明を求めながらも、結の足は止まらずに後ろへ後ろへ進み続ける。

闇に包まれた視界で、結に出来るのはそれしかなかった。

雨に濡れていた筈の宇美の制服は乾いている。

瞳に涙を浮かべて、震える声ですがるように擦り寄って来た。

前と変わっていない宇美の姿に、僅かだが警戒していた心にほころびが生まれる。


「あの魔獣は私の体を乗っ取ったの。人の体を転々と移動しながらでしか生きられないみたい」


「どうして宇美は、こんな体に!?」


「友達がそうなっちゃってたの。そうするしか出来なかった」


「その友達はどうなった?」


宇美の話を聞いている内に足の動きが止まってしまう。

それでも宇美は歩みを止めず、少しずつ少しずつ近づいて来る。

説明する宇美は遂には熱い涙を流して嗚咽を漏らす。

結の視線は、完全に泣きじゃくる宇美に釘付けになってしまった。


「うぅ、大丈夫だよ。い、今はまだ入院してるけど……」


「なら、アタシが変わりになれば宇美は―――」


そこまで口に出した瞬間、背後から人の気配を感じた。

声を閉ざし、意識を後ろに集中させる。

その人物は誰にも気が付かれない内に忍び寄り、結の肩へ手を置いた。

恐怖で全身の感覚が敏感になり、身の毛がよだつ。

鳥肌が立ち、動く事もままならない。

震えてくる体に歯がガチガチと音を立てる。

耳に入ってきたのは男の声。


「ソイツの言う事を聞くな」


「あの時のストーカー!?」


黒のレザージャケットを着ている男は、あの時に見たストーカーだった。

その男は結には見向きもせず宇美に向かって歩いて行く。

170cmは軽く超えている身長、成人した男性独特の血管が浮かび上がる手で宇美の顔面を無造作に掴む。

人間離れした握力は頭蓋骨の中身を圧迫させ骨ごと砕く勢いだ。


「ぐっ!! あぁ……ごのぉ!!」


苦しげに喉から呻き声を漏らす。

ガスによる幻覚で闇に包まれていた背景が、それと同時に元に戻った。

男は片腕で頭部を軽々と掴みあげトイレのコンクリートの壁へ思い切り押し付ける。

もがき苦しむ宇美の姿は人間からまた変化しており、白い肌と裂けた口から見える鋭い牙は男の手に噛み付く。

切られる筋、骨は万力に挟まれた木材のよう。

肉に喰い込む牙は容易く皮膚を引き裂き骨を噛み砕くが、男は魔獣を睨みつけたまま変わらない。

決して苦痛に表情を歪ませたりはしなかった。

魔獣を壁に押さえつけたまま男は立ち尽くす結へ振り向く。


「おい、女!! さっさと外へ行け!!」


「あ……あぁ。でもアンタは?」


「うるさい!! 無駄な事してないで速く―――」


結に対して声を荒らげて怒鳴るが、宇美の姿をしていた魔獣はさらに肉体を変化させていく。

頭部から生える2本の角、真っ赤に光る巨大な目玉。

結に潰された筈の左目は何もなかったかのように完治している。

豪腕が腹部を殴り、男は容赦なく後ろへ飛ばされた。

壁に叩き付けられる音と骨が何本か折れる音が聞こえてしまう。

結は自分の背中の痛みも忘れて男の安否を気にするが、魔獣の雄叫びがそれを許さない。


「グゥゥぅぅギャアアアァァァ!!」


「ひっ!?」


目前の死の恐怖に結は悲鳴を上げてしまう。

今の魔獣の姿は下半身だけスカートを履いた華奢な両足で酷く不格好である。

だが獲物を狩る事だけを目的とした魔獣の目はギラつき、結を視線から片時も離そうとしない。

巨大化した上半身とでバランスの取れていない体型で足を進め、1歩進む度にドッシリとした足音が鳴る。

後退る事しか出来ない、恐怖に震える事しか出来ない。

舌舐めずりしながら近づいて来る魔獣。

だが男は右手を噛み砕かれていようとも、体中の骨が折れていても魔獣に楯突く。

後ろから背中へ飛びつき魔獣の進行を妨げる。


「ギャアアアァァァス!!」


「このっ!!」


暴れる魔獣に人間の体では押さえつける事など無理だが、完全に変化していない体型のせいで姿勢が大きく崩れた。

ドスンと無様に床に尻を付いて倒れ、男は頭へ靴底を密着させる。

足を押し付けそのまま全身の力を作用させて魔獣を蹴り飛ばした。

個室のドアの金具がはじけ飛び、木製のドアがバリバリと裂ける。


「早く行け!!」


「わ、わかった。死ぬなよ!!」


姿が見えなくなった所で結はドアに向かって走りだす。

名前も知らない男にせめてもの言葉だけ残して。

男の背中を通り過ぎる際にチラリと見えた右手は、原型を保っておらず皮膚から折れた骨が剥き出しになっていた。

見るのもおぞましい無残な光景だが、その手から血が出ていない事に結は気が付いていない。

ドアを押し開き、1人でゲームセンターの出入口に走る。

その手にはまだ壊れた志保の長傘を掴んでいた。

結が逃げたのを確認した男は再び魔獣へ視線を向け、武器も持っていない状態で臆する事なく対峙する。

壊れたドアの上でジタバタと暴れる魔獣の腹を、何度も何度も踏みつけた。


「ギャシャアアアァァァ!!」


白い鱗と分厚い皮膚と筋肉に覆われている魔獣が割れんばかりの悲鳴を上げる。

骨が軋み、口から紫色の血液が逆流し白い肌が汚れていく。

だが魔獣はこと程度では到底死ぬような存在ではない。

何度目か腹に踏みつけた時、鉤爪の生えた手で足首を掴む。

鉤爪はズボンを突き破り骨まで到達し、決して外れる事はない。

肉が引き裂けた足から血は出てこなかった。


「コイツ!?」


「グゥゥぅぅギャアアアァァァ!!」


足を引いて逃れようとするが既に遅く、魔獣はモノを投げるかのように無造作に男を放り投げた。

抵抗する暇もなく壁に叩き付けられ、ぐったりと床へうなだれる。

立ち上がった魔獣は動かなくなった男の足をまた掴み、引きずりながらトイレから出て行く。

通路には逃げ出した結の血が転々とこぼれて床を濡らしていた。


「グルルゥゥゥゥゥ」


男を引きずりながらスタッフルームの通路を歩き、壊したカウンターの所まで来る。

腕を振り上げハンマーを振り下ろすように、力任せに男を床へ叩き付けた。

ヒビ割れるタイル。

叩き付けられた衝撃と共に浮き上がる体。

度重なる攻撃で男の肉体はボロボロになっていく。

砕けたタイルと埃により汚れていくジャケットに鉤爪に破かれたズボン。

至る所の骨がへし折られまともに動ける状態ではない筈なのに、男はそれでも立ち上がろうとする。

両手を付き、限界を超えた体に鞭打ち強引に動かす。


「クソ!! 動けよ!!」


「ギャアアアァァァ!!」


「くっ!?」


アンバランスだった魔獣の下半身が完全に変化し、巨大なヘビの尻尾へと変わる。

ギラギラと光る白い鱗。

口から吐き出す血とヨダレが入り混じりながら、魔獣は動きの鈍い男に近づいて行く。

睨みつけてくる男に魔獣は毛ほども何も感じず、圧倒的な力で人間を殺すのは赤子の手を捻るに等しい。

下顎が半分に裂けた口を大きく開き、凶悪な牙で男に喰らい付こうと飛びかかった。

それはひと口で大人を丸呑み出来るくらいに。

息が吹き掛かり、飛び散るヨダレはジャケットをベタリと濡らす。

死ぬ間際になろうとも男の目は魔獣を睨んだままだ。

だが魔獣の牙は寸前の所で止まってしまう。


「うりゃあああぁぁぁァァァ!!」


1人と1体は声が聞こえた方に振り向くと、そこには逃げたと思っていた結が居る。

弾き飛ばされたUFOキャッチャーに隠れていた結は長傘を両手で力一杯握り締め、全力で駆け抜けると長傘の先端をヘビの尻尾へ突き刺した。

鱗を突き破った箇所から紫色の血液が流血し白い体と傘を染め上げる。

結は突き刺さった長傘をさらに奥へ突くべく、力を弱める事なく両手、両足、全身を使って長傘をグリグリ押しこむ。


「グギャアアアァァァ!!」


「何をしている!? こんな所で!!」


悲鳴を上げる魔獣と怒声を上げる男。

逃げたと思っていた結がまだここに残っていた事に男は驚きを隠せない。

でも結にも揺るがない意思がある。


「アンタ1人残して逃げるなんて出来るか!!」


「無理だ、やめろ!!」


ケガをして疲労も蓄積している結の限界は近い。

それでも彼女に逃げるなどと選択肢はなかった。

先端をグリグリと押し込みさらに血を流させようと長傘を押し込む結は、そればかりに意識が集中しているせいで魔獣の動きが見れていない。

振り上げられる剛腕、真っ赤な鍵爪は空気を引き裂き結に襲い掛かる。


「キシャアアアァァァ!!」


男は急いで結に飛びかかり彼女を突き飛ばした。

突き刺さっていた長傘も引き抜かれ、キズの付いた魔獣の体から血が吹き出す。

男に押し倒される形で背中から地面にぶつかってしまう結。

興奮していてわすれていた背中の痛みが、再び鮮明に彼女に伝わってくる。


「いっ!?」


背中の血が地面を汚し、激痛に顔を強張らせ声を漏らしてしまう。

仰向けの状態でもがきながらなんとかもう1度立とうとする。

そして見開いた眼で結が見たモノは胴体を剛腕により貫かれていた男の姿だった。


「え……」


息を吸い込むのもやっとで思考がまともに機能しない。

でも確かに見えているのは魔獣の巨大で白い指が体を貫通している所だ。

魔獣の鉤爪の生えた中指が、体の内側から付き出している。

瞬間的に結は男が殺されてしまったと認識した。

ピクリとも動かなくなった男は力をなくし、人形のように手足をぶら下げているだけ。


(どうなってる……死んだのか? 死んだ、死んだ、死んだ、死ぬ!?)


間近で見てしまった人の死に結は頭の中が混乱してしまう。

魔獣と対峙するだけでも精神力をすり減らしていた彼女の心も限界が近い。

素性は知らないが唯一頼りに出来た人が、今目の前で死んだ。

それを認識してしまった瞬間に体が無意識に震え始める。

恐怖が結の精神を犯して行く。


「グガアアアァァァ!!」


「逃げないと。逃げるんだ」


かろうじて魔獣の雄叫びが耳に入った結は、生気のない声でつぶやき立ち上がる。

けれども震えの止まらない体で走るのは困難だった。

魔獣は腕を振るい指に突き刺さった男を吹き飛ばし強引に引き抜く。

生命力の感じられない男は無造作に壁へ投げ捨てられ、それから立ち上がる気配を見せない。


「まだ、死ねない。まだ!!」


「グゥゥゥゥゥゥ」


邪魔は居なくなり勝利を確信した魔獣はネズミを追い回すネコのように結を追い回す。

千鳥足になりながらも生きる為に逃げる結をヘビの尻尾で叩きつけた。

重たい衝撃に耐えきれる筈もなく、壁にぶつけられてしまう。

骨がきしみ、本来なら痛みを伴うがもう何の感覚も体は感じなくなって来ていた。

壁に両手を這わせてどうにか転ぶのは防ぎ、そのままゆっくりと出口に歩く。

意識も朦朧(もうろう )とし、視界も霞んでくる。


「はぁ、はぁ、あと少しで」


魔獣が吐き出した強酸性の体液によってゲームセンターの出入り口の扉はゲル状の物質へ変化していた。

今の結では扉を開けるだけの力も残っておらず、これが幸いして外へと出られる。

けれども魔獣が逃走を見逃す訳もなく、獲物を目前にした魔獣は舌なめずりし、ゆったりとした動きで彼女を握りつぶそうと右手を伸ばした。

しなやかな首筋に赤い鉤爪が触れ、力が加わっていないのに結は足を踏み外して転んでしまう。


「ぐぅ!? 逃げ……ないと」


結は長傘の持ち手を掴んだまま、這いずりながらヒビ割れたアスファルトを進んだ。

膝が擦れて、制服も土で汚れてしまうが気にしている余裕はない。

もはや彼女に出来るのは逃げる事しか残されていない。

長傘の先端に付着した魔獣の血が、結を少し進むにつれて線を引く。

外は雨が止んでおり、雨雲も引いて月明かりが夜空を照らしている。

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