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第5話

2階まで駆け上がった先のロビーにも重苦しい空気が充満している。

散らばる埃、スマートフォンのライトに照らされるのは何もないがらんどうな空間。

その奥で、壁の隅に縮こまってすすり泣いている姿が1人おり、俯いているせいで表情は見えないが間違いなく宇美であった。

居なくなってしまった宇美を確認出来た事で結は安堵し、胸を撫で下ろす。


「はぁ~、ったく。何やってるんだ、こんな所で」


スマートフォンの光りを宇美に当てながら、彼女に向かって歩き出す結。

近づくに連れてより鮮明に聞こえてくる宇美の鳴き声に、結は呼びかけるが泣いたまま返事を返してくれない。

冷たい床に座る宇美に片膝を付いて手を差し伸べる。

うずくまっていた宇美は結の存在に気がつくと一目散にその胸に飛びつき、細い腕を背中に伸ばす。

抱きつかれた勢いで結は姿勢を保てず尻餅を付いてしまい、朝の鈍い痛みがまた走る。

一瞬だけ痛みに顔を歪ませたが、泣きじゃくる宇美を落ち着かせようと慰めるように、けれどもウソ泣きには騙されないように気をつけながら話しかけた。


「うぅっ、ひっく……」


「ほら泣くなって。だいたい自分から入っていったんだろ? 何でこんな所に来たんだよ?」


「だ、だって!! だってね!! うああァァァん!!」


「だから泣くなって!!」


増々大声で泣き声を上げる宇美に苛立ちを覚える結。

年下の少女の扱いを知らない結は優しい言葉の1つも掛けてあげられず、不満気な声を出すも床に尻を付けた状態で治まるのを待った。

宇美の体温が熱く伝わり、締め付ける腕の力が強くなってくる。

圧迫される体、骨や筋肉が悲鳴を上げ、そのままへし折る勢い。

余りの力におかしいと感じた結は肩を掴み、自分から引き剥がそうとするが宇美の体はビクトもせず、焦りが生じる。


(く、苦しい。それに体が痛い!! どうしたんだ!?)


電力の供給されていない真っ暗な店舗は、視覚からの情報を伝えてくれないせいで宇美の変化にまだ気がついていない。

小麦色の肌は白く、華奢な腕は血管が浮き出る程筋肉質。

爪は人間の形状をしておらず、湾曲して鋭い鉤爪に変化している。

血のように赤く染まっている鉤爪。

いつしか泣き声は止んでいる。

その腕はもう人間ではなく、結は捕らえられた獲物。

ずっと俯き表情の見えなかった宇美が、ゆっくりと、顔を上げ肉が動く音が聞こえる。

暗闇でもはっきりと認識出来る白く変化した肌。


「なっ!?あ……あ……」


声にならない声を出し、今見ているモノに脳が瞬時に処理出来ない。

心が恐怖し、逃げる事どころか視線を反らす事も体が受付けず、さらに変化している宇美の顔はもはや人間ではなかった。

大きく開く目玉は白目が赤くなり、下顎が半分に割れる。

皮がガムのように伸びちぎれ、凶暴な口が牙を剥き出す。

肉を喰いちぎる牙は太く固い。

舌は異様に伸び、開いた口からは唾液がダラダラと溢れこぼれ落ちる。

息を吸い込み、本性を表した宇美は大きな雄叫びを上げ獲物の結に喰らい付こうとした。


「ギィィギャアアァァァァ!!」


「うあああああぁァァァァ!!」


でも結は違った。

腹から声を出し、逃げる事すら頭の中から消し去り無我夢中で右手を振り上げる。

握っているスマートフォンを全力で、大きく見開かれた宇美の左目に突き刺した。

ゆで卵くらい大きな目玉は突き破られ、体液が飛散し結の服に飛び散る。


「グァァァギャャャぁぁぁぁ!!」


「ぐぅっ!?」


生暖かい体液が手に付き気持ち悪く感じるも、結は立ち上がり前だけを見て走りだす。

今の結に恐怖すら感じる余裕はなく、動物として残っている生存本能だけが彼女を突き動かす。

悲鳴を上げる宇美は鉤爪の生えた右手で目に刺さったスマートフォンを引き抜き、無造作に投げ捨てた。

人間を遥かに超える力で投げられたスマートフォン、固い壁にぶつかって液晶画面はヒビが入り、持ち手のカバーも割れてしまう。

潰れた目から流れる血の色は、地球上のどの動物とも違う紫の色をしている。


「絶対に逃さない」


次に出した声はもう過去の宇美のモノではなく、地の底から鳴り響く魔獣の声。

もはや人間ではない宇美、全身の筋肉が増大し骨格その物も巨大に変化していく。

太い腕、広い肩幅、頭蓋骨からは2本のねじれた角。

下半身の両足はなくなり、胴体と同じ太さのヘビの尻尾が生えてくる。

ギラギラと光る白い鱗。

しなやかに伸びる尻尾は2メートルはあり、その姿はヘビ人間を想像させる。

異世界からの魔獣、『ウソを付く裏切りのヘビ』は擬態を解き本来の姿を表した。

ヘビの尻尾をうねうねと動かし『ウソを付く裏切りのヘビ』は音もなく、逃げる結を追いかけて行く。

走る結、生存本能に突き動かされている彼女に他の事を考えている余裕はない。

1階へ下る階段に足を掛けた結だが、相手の速度は人間を凌駕しており数秒で追いつかれてしまう。

豪腕を振りかぶり、小さな背中に赤い鉤爪が容赦なく襲い掛かる。

ブレザーとワイシャツは容易く斬り裂かれ、鮮血が飛ぶ。

2本の赤い線が浮かび上がる。

激痛が走り、焼けた鉄を押し付けられたように背中が熱い。


「いっ!?」


体験した事のない痛みに呻き声を漏らし、意識が全て背中に引きずられてしまい歩くのも出来なった結は階段を踏み外した。

受け身も取れずに階段へ転げ落ち、そのまま勢いを付けて下まで転がって行く。

階段の角へ腕や足をぶつけながら体中に遠慮なくキズが増える。

左肩に掛けていたスクールバッグが離れ置き去りにされ、けれども転がる体は止まらない。

視界がグルグルと廻り、上なのか下なのか方向感覚があやふやになる。

歯を噛み締めまぶたを固く閉じ、結は1階まで流れに任せて転がった。

数え切れない程に体を痛めつけた末にロビーに到達し、感覚のなくなってきた腕を動かし手の平を床に付け立ち上がる。

左手に志保に借りたボロボロの長傘を握りしめながら、開けたままのガラスドアの出口に向かって動き始める。

軋む骨、感覚の薄い両手足。

口から吐く息は荒く激しい。

背中のキズからは血が絶え間なく流れる。

粘度を持つ血液はワイシャツとブレザーに染み込み、背中全体にべたりと貼り付く。

けれどもこんな事は些細な問題で、目前に迫る死の恐怖が結の精神を震わせ前へ前へ進ませる。


(宇美はどうなった? あのバケモンは何だ? 死にたくない、まだ死にたくない!! 逃げないと。外まで逃げるんだ)


曲がった長傘の先端を引きずりながら、出口が近づいて来るに連れて心臓の鼓動が早くなり、精神の安らぎを求める。


「グルゥゥゥキシャアアァァぁぁぁ!!」


魔獣は自らの臓器から毒液を精製させ、大きく裂けた口から黄色の液体を2階から噴射した。

液体は出口の周辺に飛び散り、床やガラスドアが強酸性により煙を上げて溶かされる。

床の白いタイルが一瞬の内に液状に変わっていく。


(ここはダメだ。どこだ!? どこに行けばいい!!)


退路を断たれた結は立ち止まり急いで次に逃げる場所を探して顔を左右させ、奥にあるスタッフルームが目に止まった。


(アソコしかない!!)


「グァァァギャャャぁぁぁぁ!!」


次にやる事が決まり、結は振り返りスタッフルームに向かって走る。

魔獣も結を追いかけて階段を滑り降り、背中を見せる獲物に向かいヘビの尻尾が柔軟に動きまわる。

中身のないUFOキャッチャーを通り過ぎる結、魔獣は邪魔だと言わんばかりに腕で台を振り払った。

透明のアクリルが割れ、100㎏を超える台は意図も容易く宙を舞う。

反転し黒い埃にまみれた裏側が見え、力任せに投げられたUFOキャッチャーは爆音と鳴らして壁へとぶつかる。

コンクリートで作られた壁は欠け、地面に倒れると店舗を揺らす。

魔獣の鳴き声が耳に入り恐怖心を煽られる。

後ろを振り向く余裕すらなく、限界も考えずに結は走り続けた。

傷めつけられた体も、流れ落ちる血も一切気にはならない。

カウンターを抜け1度も入った事のないスタッフルームへ続く通路に駆け込んだ。

喉から唸り声を出しながら魔獣も飛び込み、カウンターを巨大な図体で吹き飛ばし入り口の結目掛けて突撃した。

口を開け真っ赤な歯茎から凶悪な牙が生えヨダレが滴る。

魔獣の白い頭部はスタッフルーム入り口へ入り込むが、肩幅が広いせいで体全体が中へは入れずに支えてしまう。

壁に上半身がぶつかって店が揺れた。

中へ飛び込んだ結は通路にうつ伏せになる。


「ぐぅっ!? 逃げないと」


「グルゥゥゥ」


「来る、アイツが」


振り向くと入り口に頭だけを突っ込ませ、結を喰らわんと口を何度も開閉し空気を噛む。

上下の牙がぶつかり合う度に音が鳴り魔獣がまだそこにいると存在を知らせてくる。

暴れる尻尾が床を叩き、白い豪腕は何度も何度も壁を殴った。

脳内のアドレナリンで痛みを忘れていた結だったが、失われている血は確実に彼女の体力を奪い動きを鈍くさせていく。

床に立つ結の足は震え、限界が見え始めてくる。

それでも彼女は生き残る為に足を前に進ませ、光の失われていない瞳で前を見た。

天井には蛍光灯が設置されているが勿論付いているはずもなく、暗い中でお手洗いを示す長方形の小さなプラ版が何とか映る。


「窓から……外に」


女性用の赤いマークを確認した結はソコへ向かって右足を引きずりながら、長傘を杖代わりにして扉の前に立つ。

倒れこむようにして扉を押し開け中に入ると、魔獣の視界から姿が途切れた。

トイレの中でも魔獣が暴れる音が空気を伝わって響いてくる。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ!!」


長傘の持ち手に両手を添えて体重を支えさせ、僅かに出来た時間で肺に空気を入れ込む。

全身から汗が吹き出し、いくつもの大粒の水滴が額から流れ落ちる。

体中のアザやキズ、背中の皮膚を斬り裂かれた痛みがヒシヒシと感じてきた。

どれだけ息を吸い込んでも休まる兆しもない。

魔獣は自身の体では入り込めないと諦め、再び臓器から体液を精製させ口から吐き出さんとする。

だが次に出すのは強酸性の体液ではなく、魔獣の血と同じ色をした紫の液体を誰もいない通路にぶちまける。

液体が床にビチャビチャと溢れる音が響く。

体液は空気に触れると瞬く間に蒸発し始め紫の気体へ変わり、気体はすぐに通路に充満していく。

紫の気体は結の逃げ込んだ女子トイレにも流れ込み、ドアの隙間から少しずつ入り込む。

溢れ出す紫の気体に気が付いた結は後ずさり、咄嗟に右腕の袖で口元を塞ぐ。


「今度は何だ? もしかしてガスか!?」


ゆっくりと充満して来るガスは床を這いながら結の革靴を覆う。

侵入して来るガスを見ながら外へと続く窓に向かい後退するが、魔獣が放つガスは通常で考えられる法則とは異なる。

体の中へ吸い込んでいなくてもガスの効果は現れ、結の瞳は虚ろになり視界がボヤけ始めた。


「くぅっ!? どうなってる? アタシは……」


体から力が抜け、目に見える背景も変わってくる。

幻覚に覆われた結の意識は自分が今どこにいるのかもわからなくなり、思考もハッキリせず、周囲が暗黒に包まれた。

光も影もない、完全なる闇の中。

呆然と立ち尽くす結の目の前には、人間だった頃の宇美が居た。


「お姉ちゃん」


「宇美、なのか?」


そこに居る宇美は前と同じようにしゃがみ込み、涙を流してうつ向いている。

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