第4話
「あ~~~」
熱々に蒸された白い生地、下にへばり付いている薄い紙を少し剥がし薄皮がめくれる。
白い湯気が昇り指に伝わって来る熱は程よく暑く、宇美は両手で掴んだ肉まんに大口を開けてかぶりつく。
中に包まれている餡が噛られた部分から顔を見せた。
肉と椎茸、筍が合わさった餡は絶妙で、宇美の空腹を満たしてくれる。
美味しそうに肉まんを食べる宇美を結はテーブルに肘杖をついて、心ここにあらずとピントをズラし無気力に眺めていた。
「ん。うんうん、はふっ!!」
「ぁぁ~~」
結の事など露知らず、宇美は肉まんを食べ続ける。
もぐもぐと顎を上下に動かし口の中の肉まんを味わう事に没頭しており、ストーカー被害から助けてくれた結の事は気にもしない。
口を半開きにしたまま声にならない声を垂れ流しながら、生気のない瞳は景色を映さず、結は壊れてしまった傘を諦めた。
アルバイトをしていない高校生に13900円は非常に高額で、彼女の財布にそれだけの金額は入っていない。
上下バラバラの1000円札が3枚と小銭が数枚入っているだけ。
ポイントカードが挟まれているだけで、キャッシュカードは厳重に母親の由紀恵に保管されており、自分の口座と言えども勝手に引き出す事は出来ない。
(しばらくは小遣いナシかぁ。ブランド物のバッグ買えなくなるし。クッソ~~!!)
以前から狙っていたバッグが買えなくなる事を悔しがる結。
この年代の女子に貯蓄するなどの考えはなく、さらに結は勉学にも全く励んでおらず自ら参考書を買った事もなかった。
渡された小遣いは全て遊びや趣味に使っているせいで蓄えはない。
そんな結にはもう諦めるしか出来なかった。
コンビニの暖房で少しずつ乾いてきたブレザー、宇美は最後のひと口を放り込む。
小さい体格の宇美にごくりと飲み込まれた肉まん、立ち上がり要らなくなった肉まんの薄皮の付いた紙を燃えるゴミと書かれたゴミ箱に捨て、やる気のない結へ話しかける。
傘が壊れてしまったのは宇美も少なからず加担しており、笑顔で近づいて来る宇美に大人げなく不満な表情を見せた。
「美味しかった。ねぇ、家まで付いて来てくれない?」
「あぁ!? もうストーカー居ないんだから自分で帰れよ」
「お願いぃ~!! 夜の道を女1人で帰らせる気なの?」
「アタシも女なんだけどなぁ~」
「だったら――」
否定する結の空いている左腕に強引に自分の両腕を絡ませる宇美は、満面の笑顔で答えた。
「2人で行けば安心でしょ?」
「コイツは……」
「んふふ~」
宇美の笑顔には一切の邪気がなく、整った顔立ちと合わせれば同級生の男子なら誰でも心引き寄せられてしまうだろう。
けれども同性の結にはソレほどまでの効果はないが、人としての良心を揺さぶるのには充分であった。
小悪魔のように心を惹きつける笑顔を振りまく宇美に結は逆らう事が出来ない。
生え揃った白い歯、二重の大きな瞳、染められていない髪の毛。
制服を着た姿はひと目で学生だと認識させ、150㎝くらいの背丈はか弱い小動物を連想させる。
知らず知らずの内に結も彼女の魅力に惹きこまれていた。
傘を壊してしまってから何度目かの溜息を吐いて、結は重たい体を立ち上がらせテーブルのスクールバッグを握る。
「わかったよ。付いて行くよ」
「本当に!?」
「本当に。で、家はどっち方面なの?駅からあんまり遠いと困るんだけど」
「いいよ、案内するから一緒に来て!!」
「おい、ちょっとまっ!?」
宇美は話も聞かずに強引に腕を引っ張ってコンビニから出て行こうとする。
体格が小さいながらもその力は予想以上であり、結は自分よりも小さい少女に引かれながら前のめり気味に、くたびれた革靴をズルズルと引きずらせながら進む。
ガラスの自動ドアが2人に反応して開き、アルバイトのやる気のない声を最後にコンビニから出た。
雨雲に包まれた空に月の光りは姿を現さず、いつしか雨も止んでいる。
けれども冷たい空気はそのままで、店内で温まっていた体が急激に冷やされてしまう。
完全なる夜の闇、人影はなく虫の声も聞こえない。
建てたれた街灯の光りがユラユラと揺れて2人を照らす。
水はアスファルトから汚れを浮かび上がらせ、雨独特の匂いが鼻を付く。
無音、暗闇、匂い、冷たい空気。
それは結の精神状態をかき乱し、けれども彼女は宇美を送り届けると言う使命感からいつも以上に強靭な精神が宿る。
光りの少ない路地で女2人は安全とは呼べず、だからこそ宇美を守ろうとする心が強くなっていく。
(さっきのストーカーが来たりしないだろうな?面倒な事にはなったけど、ほっておく訳にもいかないしな)
あれからストーカーの存在は跡を絶ち、現在も姿を表そうとはしなかった。
宇美に片腕を引かれながらも周囲を警戒し暗闇の先を見つめる結だったが、宇美の掴む力は次第に強くなり、冷えて反応の鈍くなった腕でも痛みを敏感に伝えてくる。
それが抱きついてくる宇美の体温による物なのか、もしくは痛みによる物なのかを、冷えて反応が鈍感になった肌では感じ取るのに普段よりも時間が掛かった。
宇美はずっと前を向いて振り向こうともしないせいでこの事に気がついていない。
暗い夜のアスファルトを街灯の光りだけを頼りにどこまでも進み続ける宇美。
ほとんど抱えて引きずっているくらいに、けれども歩く速度は衰えず、競歩のように早い。
次第にブレザーの制服の内側の柔肌は赤く腫れ、華奢な腕が反り返り骨がミシミシと悲鳴を上げた。
無我夢中の宇美は力加減と言う物を忘れておりもっともっと力を込め、結の表情は苦痛に歪み我慢も限界に達しようとする。
足でブレーキを掛けて前に進もうとするのを止めようとして、無邪気な顔の宇美に呼びかけた。
「ちょっと待て!! 止まれ!!」
「うん?」
声の届いた宇美は一步踏み出した状態でピタリと停止し、振り向いて痛みに我慢した顔を覗きこむ。
前のめり気味になった状態から掴まれていた自分の腕を振りほどき、赤く腫れて来た箇所を痛みが和らぐようにと優しく擦った。
シットリと湿った制服が、暑くなった結の腕を冷やしてくれる。
「痛って~、もうちょっと加減を考えろよ。あと歩くの早い。帰りたいのはわかるけどさ、これじゃほとんど運動だよ」
「うん……」
「別に急がなくてもちゃんと一緒に居てやるから」
「本当?」
「ウソ付いてどうする。ほら、ゆっくり家まで進む」
握られていた腕をまだ気にする結、けれどもそれがあったから夜の雨上がりの冷たさを感じなくなってくる。
早歩きで進んでいたのもあり体が温まって来た。
口で呼吸し肺に酸素を取り込む。
風が染められた結の長髪を揺らす。
前を歩く宇美の着ている制服のスカートが、足が動く度に軽く揺れて小麦色の太腿に触れる。
壊れた長傘とスクールバッグを抱え、背中を見つめながら進む結は変わっていく景色に疑問を覚える。
遠くにあったビルが今では見上げられる程近くにあり、車の交通量も増えてきた。
飲食チェーン店、自動車のディーラーショップ、DVDのレンタル店などが軒並み並ぶ。
各店の巨大な看板が光りを放って主張し合い、通り過ぎる車のヘッドライトと合わさって街の夜景を彩る。
「なぁ、道間違ってたりしてない?」
「うん、大丈夫」
「でもさ、この辺マンションも何もないぞ?」
「…………」
「大丈夫なんだろうな、本当に?」
土地勘の備わっている結は心配になって宇美に呼びかけるが、笑顔を崩さずに歩き続けて行く。
宇美の家の住所も何も知らない結は、自信満々の彼女の後ろから付いて行くしか出来ない。
結の言葉に宇美は反応せず、光り輝く夜の街を進む。
店の換気扇から排出される料理の匂い、自動ドアが開くと同時に漏れる大音量の店内BGM。
視覚と聴覚、嗅覚を刺激される結。
匂いは夜から何も食べていない胃を刺激させる。
テレビやCMで流れている歌が嫌でも耳に入り、自宅で過ごす自分の姿が頭に浮かび上がり、早く帰りたい衝動に駆られた。
(そう言えば何にも食べてない。今日はオカズ何だろ?志保ん家にチーズケーキもあるし、11時からはアラレトーク見ないと。あ~あ~、いつもならとっくに帰ってるのに)
「あっ!!」
「どうしたぁ?」
歩くのにも段々疲れてきた結は気だるく答え、いきなり声を発した宇美は走りだし、真っ直ぐに進んでいた道を左へと曲がってしまう。
入り口はチェーンがぶら下がっていて、車が間違って侵入するのを防いでおり宇美は軽くジャンプして飛び越えた。
「何処に行くんだよ!! 勝手に走るな!!」
後ろ姿が小さくなっていく宇美をイヤイヤでも追いかけ、駐車場の入り口のチェーンを跨ぐ。
駐車場に車は1台も止まっておらず、白線はひび割れて見えにくい。
整備されていないアスファルトからは雑草が生えており、誰にも使われていないのは一目瞭然だ。
「ゲーセン? 勝手に入っていいのか?」
何年も前に潰れたゲームセンター、電力は供給されていない。
壁面の塗装も剥がれてきて黒く汚れている。
音も光りも何もない。
闇に慣れていない目では前を進むのも難しかった。
小石の散らばっている駐車場で、宇美は暗闇を全く気にせずに颯爽と走り入り口まで来ると、入り口のドアの前に立つ。
潰れたゲームセンターのガラス製のドア、チェーンと南京錠で観音開きのドアの取手を固定されており、南京錠を外すしかない。
ゲームセンターの店内も明かりがなく真っ暗で、何があるのかも外から覗いたのでは見えないにも関わらず宇美は強引に中へ入ろうとする。
左右の取手を両手に掴む。
金属独特の冷たさが手の平に伝わり、外にドアを開けようと力を入れるが数センチ動くとチェーンと南京錠がそれを邪魔して鉄がジャラジャラとこすれ合う。
けれども宇美は腕と体全体に力を入れたまま決して手を離さず、小さい体つきからは考えられない力でドアを引く。
長時間雨風に晒されていたせいで茶色く錆びついており、金属疲労が蓄積しているチェーンの繋ぎ目の1つが真ん中からちぎれ飛んだ。
南京錠は付いたまま錆びついたチェーンは地面へ落ちる。
「あぁ……」
壊してしまった事への罪悪感、無断で敷地へ侵入する不安などは今の宇美には皆無であり、真っ暗なゲームセンターの中へ足を踏み入れた。
埃にまみれ、静寂した空気に包まれている中へ一切臆することなく進む宇美の後ろ姿は、まだ駐車場に居る結の視界から消える。
「ナニ考えてんだ、こんな所で!?」
暗くて見えない結はスクールバッグのファスナーを開け、グチャグチャの中身から手の感触だけでスマートフォンに触れて取り出した。
親指で液晶画面にさわり眩しい程に光る。
夜に慣れつつある目には強すぎて返って見辛く、顔から遠ざけながら画面を操作しスマートフォンの裏側のカメラ部分からライトが点灯した。
懐中電灯代わりにスマートフォンを握り、開放されたゲームセンターの入り口まで辿り着く。
照らされた内部は人が行き来していないせいで埃が溜まり、景品の入っていないUFOキャチャーやメダルゲーム用に改修されたパチスロ台が何台か残っている。
「んっ……」
生唾を飲み込みゆっくりと右足を踏み出し、慎重に中を覗き見る。
光りに照らされて舞う埃。
静かな空間は自分の呼吸と心音しか聞こえない。
耳に聞こえる微かな音が不気味に響く。
神経も過敏になり、いつも以上に警戒心が高まる。
勝ち気な結でもこのような空間に立ち入るのには躊躇してしまうが、宇美をそのままにもしておけず2歩3歩と足を踏み入れた。
「何処へ行った? 潰れたゲーセンなんかで」
無人のゲームセンターをスマートフォンを片手に徘徊し、宇美を探すが姿は見えない。
ゲーム機はほとんど撤去されており1階部分は入り口付近から簡単に見渡せる。
中へ入るとライトの光りの先がより鮮明に視覚へ入り、破けた壁紙や清掃されずに汚れているパチンコ台が目に付く。
「ここには居ない。2階か……」
静かな空間で結の独り言は反響し良く生える。
見渡しても何処にも居ない事がわかると、革靴の足音が響く床を歩き、次は2階へ続く階段に差し掛かり1歩づつ登って行く。
1段登る度に不気味な感覚に苛まれ、結は一刻も早くここから出たかった。
幽霊は心霊現象を信じていなくても、こんな埃っぽい真っ暗闇な場所になど誰も居たくない。
もう少しで階段を登りきれそうな所で、2階の奥から絹を裂くような女の悲鳴が響き渡る。
それは紛れも無く宇美の声。
「キャァぁぁぁぁ!!」
「アイツの声!?」
悲鳴が耳に届いた瞬間に結の中から恐怖心など消し飛び、余計な事など考えず一心に宇美を心配して階段を走って駆け上がった。
ご意見、ご感想お待ちしております。