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第12話

由紀恵に続いて結はトボトボ歩いてリビングに来た。

テーブルの上に置かれているリモコンを手に取り、左上の赤い丸ボタンを押して由紀恵はテレビの電源を切る。

画面の向こうでお笑い芸人が口を開けてゲラゲラ笑っている映像が遮断され、液晶画面は真っ暗になってしまう。

静寂が部屋を包み込む。

虫の鳴き声すら聞こえない。

由紀恵は握ったリモコンをテーブルに置き、イスに静かに座る。

結も俯きながら母親の真正面のイスへ座った。

対面しながら座る2人。

けれども誰も言葉を発さず、ゆっくり時間だけが過ぎて行く。

結は生唾を飲み込み母親の顔色を伺う。

由紀恵は真っ直ぐ真顔で結を見つめたまま、何も言おうとしない。

結は気がつかない内に両手を握り締め、目が泳いでしまう。

張り詰めた空気の中で始めに声を出したのは母親の由紀恵だった。


「結。アナタは昔からやんちゃだったから、ある程度は多目に見てきたけれど。でも、メールの1つもなしに朝帰りなんて!! 父さんも母さんも心配したんだから!!」


「ご……ごめん」


「他に何か言う事はないの?」


結は俯き小さな声でしか応えられない。

由紀恵の威圧感に縮こまり、どうすれば良いのか頭も回らなかった。

本当の事も言えず、誤魔化す方法も思い付かずジレンマになる。

体から血の気が引く。

助けを乞う事も出来ず、逃げ出す事も出来ない。

視線から逃れようとしても、由紀恵は一時も反らさずに結を鋭い目で見つめる。


「学校を留年になったりしたら、母さん許さないから。自分で何とかしなさいよ?」


「大丈夫だよ。留年なんて」


「またそう言って。遊ばせる為だけに学校行かせてるんじゃないんだからね」


「う……うん」


家でも勉強せず、学校でも授業中に寝たりしている結には耳が痛い話だった。

毎日遊ぶ事しか考えず、勉強など蚊帳の外。

取り敢えず話を合わせるが今日から真面目にするかと言われれば、すぐに思考を切り替えるなんて出来る筈もなく無理な話だ。

その場では相槌を打つ結だが、彼女にそこまで強い意思力はない。

結の反応を見て由紀恵は心を見透かして居るかのように、念を押して聞いて来る。


「本当にわかってるの?」


「わかったって」


「次にこんな事したら父さんにも言うからね!!」


「う!? うん、わかってる」


由紀恵は口から息を吐き動揺する結を眺めて来る。

額から滲む汗と肌に貼り付く黄色の合羽は、家のリビングで着ているには異様な光景だった。

緊張感で結はその事を忘れて居る。


「それよりも何なの、その格好?」


「えっ!? こ、これは~」


言われて結は苦笑いで返すしか出来なかった。

それを見て由紀恵はこれ以上追求はせず、軽くため息を付く。


「はぁ、シャワー浴びて着替えて来なさい。どうせご飯だって食べてないだろうから、その間に作っておくから」


「う、うん。わかった」


2人はイスから立ち上がり、由紀恵は料理を作る為に台所の冷蔵庫へ向かう。

結もリビングから出て扉を閉じ、早歩きで玄関へ行った。

ビニール同士が擦れる音が鳴り裸足のままで、細かい砂が散らばる玄関のタイルを歩きドアノブを掴む。

開けた先には両腕を組んだタツヤが仁王立ちして居る。


「入って」


「ようやくか。遅いぞ」


「しょうがないじゃん。それよりも静かにしててよ?」


「わかったよ」


タツヤは結が開けてくれたドアの隙間から家の中へ入ると、靴を脱がずにフローリングの床の上に上がってしまう。

ドアを閉めた結はタツヤを歩かせないように急いで呼び止めた。

それでも既に靴底と同じ形をした土汚れが2歩付いてしまって居る。


「おい!? 何してんだよ!!」


「何だ、もっとわかるように言え」


「靴ぐらい脱げ!! 常識だろ!!」


「そんなモン知るかよ。わかったよ、脱げばいいんだろ?」


眉間にシワを寄せ嫌そうな表情をして履いていたブーツのファスナーを降ろす。

脱いだブーツを片手に持ち、結の部屋がある2階へ続く階段へ足を掛ける。

結もタツヤに続いて階段を昇り切り廊下を数歩あるき、タツヤにわかるように自分の部屋を指さした。


「そこがアタシの部屋」


「おい、ドアはお前が開けろ」


「何で?」


「慣れてないんだよ。ぶっ壊してもいいなら俺がやる」


「わ!? わかったから触るな!!」


タツヤは銀色のドアノブに右手を伸ばそうとする。

結は慌ててタツヤを押しのけて前に出ると自分でドアを開けた。

部屋の中は2日前の結の記憶と比べて変わっており、綺麗に片付けられている。

脱ぎっぱなしで放置した服も洗濯しクローゼットの収納ケースに整頓して入れ、ゴミ箱の中へ無造作に詰め込んでいたお菓子のビニールや丸めたティッシュも処分されて空っぽだ。

勉強していない机の上にはノート、教科書、プリントが散乱していたが、それらも引き出しの中。

本棚の漫画や雑誌も順番に並べられている。


「母さん、勝手に掃除したな」


頼んでも居ない事をされて結はムスッと口を尖らせる。

床へ両膝を付き、ジャージを取り出そうと収納ケースを引き出す。

けれども普段の結の片付け方と違っているせいで、目的のモノがすぐには見つからず奥までかき分けて探さなければならない。

出しては戻し、出しては戻しを繰り返し、関係ない他の服も形を崩してしまい全体がグチャグチャになる。


「あった!! 後はシャツとパンツ」


紺色のジャージを取り出した結は、次に隣の収納ケースから白いシャツと水色の下着を手に取る。

それらを両腕に抱えた結はタツヤの方を見た。


「ねぇ、今からシャワー浴びて来るから」


「しゃわあ?」


ぎこちない発音で聞き返すタツヤ。

言っている事を理解していない様子のタツヤに結は簡潔に説明した。


「着替えて体洗って来るから。アタシが戻って来るまで絶対にこの部屋から出るなよ!!」


「わかったよ。さっさと何処へでも行け」


ベッドに腰を下ろしたタツヤはそう言い、物珍しい目で部屋の中を見渡す。

結はそれを確認してシャワーを浴びに自分の部屋から出た。

バタンとドアが閉じる音が鳴り、足を1歩踏み出すが頭に不安が過り止まってしまう。

時間にして3秒間硬直する。

結以外には誰も居ない2階の廊下では虫の鳴く声さえも聞こえてこない。

そして意を決した彼女はもう1度だけ自分の部屋のドアを開けた。


「物音も立てるんじゃないからな!! ってか何も触るな!!」


「どうでも良いからさっさと行けよ」


「ふんっ!!」


ドアを勢い良く閉じた結は着替えのジャージを抱えたまま階段を降りて行く。

廊下を歩き浴室まで来た結は、洗面所と白い洗濯機の隣にあるカゴの中へジャージを投げた。

汗で蒸し暑い合羽のファスナーを下ろし、同じ色をしたズボンと一緒に脱ぎ捨て着替えを入れたカゴの所へ一緒に置く。


「うわぁ、汗でベタベタ」


きめ細やかな肌から貯まった汗が数滴流れ落ちる。

腰には合羽のゴムの痕が少し赤くなって付いてしまっていた。

結は樹脂で出来た中折れ式のドアを押し開けてタイルに足を付ける。

浴槽の壁の暖房乾燥機のボタンを人差し指で押し込んでガスを使えるようにして、左手でシャワーヘッドを掴みお湯が出る蛇口を捻った。

水が高い水圧で吹き出しタイルと結の足を濡らす。

冷たい水には当たりたくないとシャワーヘッドを自分からは遠ざけて、ガスでまだ暖まっていない水が排水口へ流れて行く。


「もうそろそろかな?」


流れ出る水に指の先端を軽く触れさせる。

水がお湯に変わったのがわかった結は安心してシャワーヘッドを自分の体へ向けた。


「久しぶりのシャワー、暖かぁい」


血流が良くなるのを感じ、思わず声を出す。

全身へ滴り落ちるお湯からは湯気が上がり結の体を温める。


「そうだ、母さんの使っちゃおっと」


汗を落とした結は赤く染めた長髪を濡らし、1リットルボトルに入っているシャンプーは使わずに棚の洗顔クリームの裏に隠されている小さな入れ物を取る。

キャップを開き手の平に中身を少量取り出し、バレない様に元の場所へ戻した。


「良くはわからないけど、高いから髪がサラサラになるんだよねぇ」


濡らした髪の毛にシャンプーを付け泡立てる。

泡がシャボン玉になりふわふわタイルの上に落ちた。

バラの成分が含まれており、浴室を香りが充満する。


「良い匂い~。何か幸せ~」


香りを堪能した結は髪の毛を洗い流し、目の前の鏡にシャワーのお湯を当てた。

湯気の曇りが流され縦長の鏡が結の全身を映し出す。

隅は水垢でまたすぐに曇って行く。

蛇口を捻りお湯の流れを止めシャワーを壁に掛ける。

水の弾く音が消え、排水口を流れて行く音しか聞こえない。

結はゆっくり振り返り、鏡越しに自分の背中がどうなっているのかを見た。


「んっ!?」


生唾を飲み込み喉が動く。

目を見開き背中の傷をまじまじと見る。

柔肌に深く抉られた魔獣の爪痕。

背中全体に付けられた3本の傷はまだ生々しく残っている。

優しく指で触れるとデコボコとしており正常な肌と段差があった。


「隠せ……ないな。これじゃあ」


力なく腕を下げ、髪から水を滴らせながらドアを開けた。

浴室の入り口の茶色の足ふきマットが結の足の形に合わせて色が濃くなる。

洗面所の棚から真っ白なバスタオルを取り出し、手触りがふかふかのタオルへ顔を埋めた。


「うっ……っ……くっ!!」


溢れ出る涙と一緒にタオルが濡れて行く。

廊下の冷えた空気が当たり温めた体の温度が下がってしまうが、溢れ出る感情は内側から結を火照らせる。

泣き声はタオルが吸収し、くぐもった声が浴室に響く。

小刻みに震える彼女の体が収まるのはしばらく時間が掛かった。

髪の毛から漂う優雅なバラの香。

でも今は彼女に届かない。


///


Tシャツの上にジャージとラフな格好に着替えた結は母親の待つリビングへ行った。

テーブルには既に出来上がった料理が皿に盛り付けてあり、香ばしい匂いが食欲を唆る。

イスを引いて座った結は茶色に塗られた箸を右手に持ち、ニンジンとタマネギに入った焼きうどんを掴んだ。

出来たての焼きうどんは箸で掴み上げると醤油の匂いと一緒に湯気も上がる。

口元まで運び息を2、3回吹きかけ熱い麺を冷ましてから、1日ぶりの食事を体内へ取り入れた。

水すら飲んでいなかったので、久しぶりの食事に結はがっついて食べる。

柔らかく食べやすいうどんである事もあり皿の上の料理は見る見る減って行く。

けれども半分程食べた結は箸の動きを止め、台所で使い終わったフライパンをスポンジで洗っている由紀恵の方を見た。


「肉が何にも入ってない」


「贅沢言うな。それよりも頂きますはちゃんと言った?」


「いたらきまぁす」


「全く」


適当に言う結の姿を見て、由紀恵はひと息付く。

洗剤の泡が付いたフライパンを洗い流し、食器棚から樹脂製のコップを取り出す。

シンクの上にコップを置き、壁際に置かれて居る銀色の冷蔵庫を開け中から麦茶の入った容器を右手に持つ。

空いた手で冷気が溢れてくる冷蔵庫の扉をすぐに閉める。

コップと容器を両手に結のテーブルまで持って行き、麦茶をコップの7割程注ぐと皿の傍に置いた。


「はい、お茶。母さんちょっと出かけるから、食べ終わったらお皿洗ってね」


「うん、わかった」


「結も出かけるなら家の鍵ちゃんと閉めてよ」


「わかってるって」


焼きうどんを食べるのに没頭して話半分に由紀恵の声を聞く。

エプロンを外して向かいのイスの背もたれへ掛けた由紀恵は、結を残してリビングから出て行ってしまう。

1人になってっも構わずに皿の上の麺を啜り続ける。


「うんうん。旨いわ」


母親が作った料理を改めて噛み締めながら食していたら、出て行ったと思った由紀恵が勢い良くリビングの扉を開けた。

慌てた様子の由紀恵は少し早口になりながら要件を伝える。


「それから、家に居ても良いけどエアコンはまだ使っちゃダメだから。電気代高いんだし」


「わかったって。窓開けて適当にするから、早く行きなよ」


言われて由紀恵は今度こそ家から出て行った。

結も残り少ない焼きうどんを完食する。

用意されたコップの麦茶もがぶ飲みして1回で飲み切り、樹脂で出来た底がテーブルを叩く。


「はぁ~、お腹一杯になったし行くか!!」


イスから立ち上がり食べ終わった皿とコップ、箸を持ち台所に運ぶ結。

スキンに皿を置き蛇口のレバーを起こして水を出し、まだ泡の残っているスポンジで汚れた部分を洗う。

泡を洗い流し食器から滴り落ちる水。

食器乾燥器へ他のもまとめて入れ、結は足早に自分の部屋へ向かう。

階段を登りきりドアを開けるとタツヤがベッドに背中を預けて目を閉じていた。


「寝てるのか?」


「お前達人間と一緒にするな」


結の声に反応し目を見開き声を発するタツヤ。

背中を起き上がらせ入り口に立っている結を睨みつける。

けれども結は慣れた様子でこれを無視し、こちらを向くタツヤに話しかけた。


「これから出かけたいんだけど、どうせ一緒に来るんだろ?」


「何処へ行く気だ」


「あの潰れたゲーセン。カバンもケータイも、多分あそこに置いたままだろ?」


「この部屋に一杯あるだろ。それで我慢しとけよ」


「カバンは何とかなってもケータイの予備なんてねぇよ。新品買うと金掛かるしさ」


高校生の結にとって携帯電話は必需品だった。

手元にないと不安になってしまい、今も思い出すと体がソワソワしてしまう。

人の感情を理解出来ないタツヤに彼女の心情はわからず、大きな音を立てて舌打ちする。


「面倒な事を!!」


「アンタと違って女子高生には色々あるの。ほら、さっさと立つ」


タツヤはベッドから渋々立ち上がり、脱いだブーツを片手に結と一緒に部屋から出た。

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