第11話
男は言われて壊れた扉を立て掛けて中の様子は見えないようにした。
軽く押せば倒れる扉の向こう側では、全裸の結がクタクタの黄色い合羽を持って居るだけ。
結は素肌のまま合羽の袖に腕を通すと、ひんやり冷たい感覚が伝わって来る。
けれどもそれは最初だけで、スプリンクラーで濡れた肌にピッタリ纏わり付く。
「うえぇ~、嫌な感覚」
肌の色が透けているのではないかとドキドキしながら上着を着て、左指でファスナーを引っ掛け1番上の首元まで引っ張り上げる。
少し動く度にビニールのスルスル鳴る音が聞こえて、途端に下着1つ付けていない事に恥ずかしくなってしまう。
瞬く間に顔が真っ赤になり体も暑くなって行く。
渋った所で状況が変わる訳でもなく、結は床に置いたズボンを手に取った。
無駄毛の生えていない綺麗な脚線を大胆に動かし、片足立ちで右足を通し続いてすぐに左足もズボンを潜らせる。
くびれた腰にズボンのゴムが軽く喰い込み、柔肌に形を付けてしまう。
「取り敢えずは我慢するしかないけど、露出狂の変態みたいじゃないか!?」
肌の露出は隠されたが、雨も降っていない日に全身合羽で移動していれば他の人よりも少し目立ってしまう。
ビニールの内側には何もない状況がバレてしまうのが結はたまらなく怖かった。
恥ずかしさを瞬時に拭い去る事は出来ず、結は踵の潰れた革靴を履く。
裸足で履いた革靴の中も水で湿っており体温で蒸れてしまう。
気持ち悪さを我慢しながら床を歩き進めピチャピチャと足音が鳴る。
壊れた扉の前にまで来ると右手で2回、軽く叩いた。
「もう……良いよ」
「やっと終わったか。まずはここから出るぞ」
男の声が返って来ると、自立出来ない扉が重力に惹かれて結の方へ倒れて来た。
「いっ!?」
頭で考えるよりも早く体が反応し結は後ろに向かって走る。
数秒後には扉と床が激突した後、甲高い音が空気を揺らし鼓膜を刺激して来た。
緊張で心臓もバクバクと高鳴り、視線の先の男を震える声で怒鳴る。
「な……何考えてんだぁ!!」
「邪魔で通れないだろ」
「危ないだろ!! ちょっと考えればわかるだろ!!」
「ギャーギャーうるせぇ」
反省した様子の見えない男は結を放って置いて割れた窓ガラスの前まで来る。
乗り越える為に銀色の冊子に足を掛け、腰を捻り結へ振り向いた。
その目は容赦なく結を睨みつける。
「行くぞ。残りの2体を探す」
結は膠着した体を動かし、先へ進む男に続き窓ガラスの傍まで来る。
男は先に1歩踏み出し外へ出てアスファルトに足を付けた。
結も同じように冊子を踏み台にして、外の空気を浴びる。
太陽に暖められた空気が結の体を包み込む。
そして右足に力を込めて窓を踏み越え、結もアスファルトの上に着地した。
「よっと」
外に出た結は空を見上げると太陽は完全に頭上へ登っており、今はお昼時なのを知らせてくれる。
もうすぐ夏に差し掛かる季節で、燦々と太陽光が降り注ぐ。
うるさいエンジン音とマフラーから吐き出される排気ガス。
周囲では車が通り過ぎる音が頻繁に聞こえて来る。
結は昨夜までの非日常から一気に現実へ引き戻された。
「ねぇ、これからどうすんの?」
「さっき言っただろ。残ってる魔獣を探してぶっ殺すんだよ」
「探すってどうやって?」
「臭いでわかる。いいか、俺は窮屈な擬態でイライラしてんだ。余計な事をさせるな」
男はぶっきらぼうに質問に答え、ズボンに両手を突っ込むと勝手に歩き出してしまう。
怒気を孕みながら言葉を発する男に結は何も言えず、背中を見ながら後ろを付いて行くしか出来ない。
潰れたコンビニを抜けだして駐車場に出た先には大通りに繋がっており、トラック、軽自動車、企業用のバンなどがひっきりなしに通過して行く。
歩道に反って歩いて行く男の歩幅は大きく、5、6歩も歩くと後ろの結と差が出来てしまう。
差が開く度に結は軽く走って背中に追い付く。
前を歩く男は決して歩く速度を緩めず、しばらく歩いている内に結の息は少しずつ上ってしまう。
額から汗もにじみ出て、水分を全く吸収しない合羽のせいで中は汗だくで体全体にへばり付く。
その時になって結は自分の外見がどうなって居るのかを直視した。
「んん!? コレは~」
1度立ち止まって自分の体を見る結。
肌が透けたりはしていないが、へばり付いたビニールは体の曲線を鮮明に視覚させる。
望んでいもないのに体のラインを大衆に晒すのは年頃の結には当然恥ずかしい。
「なんか、裸よりもエロく見える。あのさ~!!」
距離を離して前を行く男に大声で呼ぶ結。
声に気が付いた男は足の動きを止めて振り返り、舌打ちをすると結の所にまで戻って来た。
「立ち止まってんじゃねぇよ。さっさとしねぇと時間が掛かる一方だろ」
「いや、魔獣を倒すのはアンタが勝手にすればいいしアタシは止めないよ。それよりもさ、1回家に帰ってもいい?」
「家に帰る? そんな暇ねぇよ」
余りに横暴な態度に流石に結も怒りを覚え、口調も荒くなる。
相手の様子を伺っていた目線も釣り上がり感情のままに言葉を投げつけた。
「下手に出てたら好き勝手言ってくれるな!! もういい!! そもそもアンタに付いて行く必要なんて始めからなかったんだしな。アタシは家に帰る!!」
激怒した結は踵を返し男とは反対方向へ歩いて行ってしまう。
それでも男は謝りもせず、鋭い眼光で睨みつけるだけだ。
頭に血が上った結は注意力が散漫になって居る。
眉間に皺を寄せて不愉快な表情を晒し、周囲の状況もよく確認せずズカズカと歩いて来た進路を逆走する彼女。
瞬間、タイヤのスキール音が大きく響き白い車線から大きく外れた乗用車が歩道の段差を乗り越えてきた。
「え……」
結が反射的に振り向いた時には既に遅く、車が2メートル先に迫る。
思考が停止してしまい、呼吸すら止めてしまう。
足を動かす事も出来ない。
怖いと恐怖する時間すらなく、車はノンストップで突っ込んで来た。
「バカやってんじゃねぇ!!」
耳に入って来た声が誰のモノなのかも自覚する暇はなく、彼女の体は背中から抱きしめられた。
結を庇うように背中を向け、車との壁を作る。
1秒も経過しないまま、車は爆音を響かせた。
加速していたせいで後輪が浮き上がり、フロントバンパーとボンネットが無残に拉げる。
フロントガラスにまで大量のヒビが入り、衝撃に強さを物語った。
激突と同時に動きを止めた車はハザードを点灯させて、運転席からドライバーが降りて来る。
「す、スイマセン!! 大丈夫ですか!?」
血相を変えた中年の男は結の所にまで駆け足で近寄る。
その時になってようやく、結は自分の体が何ともない事を自覚した。
頭を後ろに向かせて自分の体を両腕で力強く抱きしめる相手を見る。
それはついさっき喧嘩別れしたばかりの、名前も知らない男の腕だった。
「アンタ……」
男は何も言わずに腕の力を緩めて結の体を自由にする。
車をぶつけて来たドライバーを睨みつける男。
結は背中の影に隠れて様子を伺った。
「本当に申し訳ございません!! すぐに救急車を!!」
「オイ、おっさん。そんなモン必要ねぇから、さっさとここから失せろ!!」
「えぇ!? でも――」
「聞こえなかったのか!! 鬱陶しいんだよ、消えろ!!」
心配するドライバーを他所に、男はピンピンした様子で怒声を発し中年ドライバーの声を遮る。
後ろから見ていた結は男の体が瞬く間に変化して行くのがわかった。
衝撃で折れた骨も、ボディーにズボンごと引き裂かれたふくらはぎや膝裏の皮膚も、人間では考えられない速度で回復する。
10秒もすれば、キズ跡すら残さず完璧に元通りに戻った。
事情を知らずどうしたら良いのかわからないドライバーは、アタフタしたまま冷汗を垂れ流す。
地面に唾を吐き捨てた男は結の右腕を強引に掴み、勝手に歩き出してしまう。
「クソジジィめ。行くぞ」
「行くって……」
「お前の家だろ。道は知らねぇんだ、案内しろ」
言われて結は腕を掴まれたまま自宅へ向かって歩き出す。
そっと後ろを覗くと事故した車の周りにスマホを構えた野次馬が集まりつつあった。
隣を歩く男はさっきまでとは違い、歩幅は結に合わせ少し歩くのがゆっくりだ。
家に帰るまでの最中、結は話し掛ける。
「さっきは、ありがとう。助かった」
「あぁ、そんな事か。一々言わなくていい」
「アンタも、やっぱり人間じゃないんだな」
「何回も言ってるだろ。コレは擬態してるだけだ。それよりも――」
恥ずかしさを押し殺して感謝の言葉を述べる結に、男はいつまでも素っ気ない態度を取る。
結の体に密着する程近づき、周囲を警戒して鋭い目を利かす。
「臭いだ」
「臭い?」
「あのジジィから魔獣の臭いがした。ほんの微かに、だが確実に。ヤツが近くに居るかもしれん」
「臭い、ねぇ。加齢臭ならしたけど」
冗談を言う結に男は歓心を示さない。
進みながら結はずっと気になっていた事を聞いた。
「アンタの名前さ。釈さんに聞いたんだけど、鎧の龍だっけ?」
「しゃく? 誰だソイツ。それに俺の名前は鎧を纏うドラゴンだ。それがどうした?」
「ほらコンビニで一緒に居たじゃん。スーツを着た女の人」
2人きりの時に結が命名した『翼を持つ魔剣士』の現代での名前。
芸能人の名前をそのまま引用した彼女の新しい名前は釈 美由紀。
けれども事情を知らない男に結は簡単に説明する。
「うん。流石にその名前長いし、恥ずかしいから呼びたくないんだけど。何か別の名前ないの?」
「別の名前? んなモンある訳ないだろ」
「ならアタシが勝手に決めるぞ。え~とな~」
「ケッ!! 知るかよ」
表情に皺を寄せて不満顔になる男。
結は両腕を組んで新しい名前の作成に没頭する。
その時にふと視線を道路の向こう側に向けると、大手レンタルDVDの店舗が見えた。
時間帯は昼でも自動ドアからは客が何人か出入りしている。
この光景を見て結はインスピレーションを感じ取った。
「そうだ、タツヤにしよう!! それなら普通に人の名前だし、短くて呼びやすい。それにアンタドラゴンなんだろ? 龍はタツとも読むし」
「あ~、そうかよ。ヤツタでもタヤツでも好きなように呼べよ」
自分の事なのに男は無関心なままだ。
結にタツヤと命名された男は彼女の進路に従って付いて行く。
そして歩き続ける事30分が経過し、ようやく彼女の家に到着した。
住宅街に建つ一戸建て、入り口の表式には香木原と書いてある。
けれども結はすぐに家の中へ入ろうとはせず、入り口の玄関と扉を見つめて居るだけ。
「おい、ここがお前の家なんだろ?」
「うん、そうなんだけど……」
「ならさっさと行けよ」
タツヤに急かされても結は渋ったまま玄関を潜ろうとはしない。
次第に固くなる体。
生唾をゴクリと飲み込み、緊張から冷汗が流れる。
イタズラに時間が過ぎ、心境がさらに内向きになり入りにくくなってしまう。
そんな彼女を見ていたタツヤは次第にイライラして来る。
「こんな所でチンタラやってんじゃねぇ!! もう行くからな!!」
「わかった!! わかった行くよ!! だからそこでちょっと待ってて!!」
タツヤに急かされて結はようやく覚悟を決める。
タイルの上を歩き進み、手垢で少しくすんだ金色の玄関のドアノブを右手で掴む。
掴んだ手の平から冷たい感覚が伝わり、心臓の鼓動が激しくなる。
(母さん、家に居るかな? もう昼だし居るよな? 学校サボって朝帰りしたなんでバレたらどうしよう? やっぱ父さんにも言われるよな? そしたら怒鳴られて小遣い抜かれる!! はぁ~、どうか居ませんように!!)
心の中で唱えた結はゆっくりドアノブに力を込めた。
手前にドアをミリ単位で動かし、気付かれないように音を消す。
老婆みたいに腰を折り曲げ開いた隙間から体をねじ込む。
「たら~いま~」
冷えた手に息を吹きかけるように、虫の鳴くようなかすれた声を出す。
リビングからはテレビのワイドショーの音がくぐもって聞こえて来る。
握っていたドアノブから手を離し、静かにドアを閉じた。
息を殺しながら呼吸し、ペッタンコになった革靴から素足を出し廊下に足を付ける。
足音が出ないように1歩1歩慎重に歩き、2階に続く階段に差し掛かった瞬間、リビングのドアが勢い良く開かれた。
「っ!?」
時間が止まる。
恐ろしさで目の前の事すら直視出来ない。
ブリキ人形の如くぎこちない動きで正面を見ると、母親の由紀恵が立っていた。
「結。ただいま、は?」
「た……ただいまぁ」
「お帰り。さぁ、キッチリ説明して貰うから」
優しい声で話し掛けて来るが、結の体は次第に震えて来る。
由紀恵に導かれるがまま、結はリビングへ向かう。
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