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第10話

男は結の前を通り過ぎ、美由紀の所にまで来ると口を開く。


「女が目を覚ましたのなら、いつまでもここに居る必要はないな」


「えぇ、残りの魔獣を探しましょう。彼女の事はアナタに任せます」


「ちょっと待て!! 何で俺なんだよ!!」


結の警護を任された男は驚いた様子で美由紀に反論する。

どのような状況なのかわからない結には、その様子を眺めている事しか出来ない。


「アナタはこの世界の知識がほとんどない。何かトラブルを起こされでもすれば、捜索にも支障をきたします。結の警護と共に、少しはここの事を理解して下さい」


「結? この女の事か?」


結を見てくる男の目は鋭く、高圧的な雰囲気を漂わせて来る。

身に付けているシルバーの指輪やネックレスがそれをさらに強調させた。

言葉使いも乱暴で、今にも殴りかかって来そうな程に気性が荒い。

結は毛布の中で体を縮めて2人の話を聞いている事しか出来なかった。


「香木原 結、この方のお名前です。ヘメリズム様の名誉に掛けて、私達は彼女を守らねばなりません」


「だったらテメェが1人で勝手にやればいいだろ。俺は忌々しいアイツラを殺すだけだ」


「ですがその為には結を死守する必要があります。この世界でゲートの鍵を持つのは彼女だけです。結にもしもの事があれば、私達は戻れなくなる」


「尚更お前がやればいいじゃねぇか。その間に俺が敵を倒せばいいだけだろ」


平行線を辿る両者の会話はヒートアップして行く。

結の警護をさせたい美由紀と、そんな事はせずに敵を倒しに行きたい目の前の男。

互いに主張を1歩も譲らず睨み合う2人。

束の間の静けさが部屋を覆い尽くす。

窓の外から風が吹く音が聞こえて来る。

頭に血が上る男に対して、美由紀は至って冷静なまま口を開けた。


「弓を使う暗黒魔術士からも話は聞いています。アナタは物を壊して、それが迷惑になるのだとまだ理解出来ていない」


「何回も言わせるな。俺は擬態に慣れてないんだ。こんな所に居なければ、あんな奴ら簡単に始末出来る」


「ですがここでは違います。この世界の在り方に順応してもらわねば困ります。その為に結をアナタに任せるのだと、何故わからないのですか?」


「気に入らない」


最後の一言を聞いた瞬間に2人の眼の色が変わった。

美由紀は何もない空間に手を伸ばし、その先の空気がガスを充満させたように歪んで見える。

歪む空間へ手を突っ込み、何かを引っ掴むと同時に鉄を擦れ合わせる甲高い音が響いた。

彼女の右手にはいつの間にかレイピアが握られており、長い刃は男の右肩を根本にまで貫いている。

だが男の肩からは血の1滴も出ておらず、痛みを感じている様子も見受けられず唇がにやけた。


「いいぜ!! どっちが上なのかハッキリさせようせ!!」


「アナタは自分の感情に直線的すぎる」


「関係あるかよ!! 今ここで決着を付けてやる!!」


美由紀は目をすぅと細め睨みを利かせ、グリップを握る手に力を入れると刃が青白く発光した。

レイピアからは冷気が漂い、男の肩を骨まで凍結させていく。

見る見る内に氷と霜が肩から広がる。

でも男は不敵な笑みを崩さず、まるで楽しんでいるよう。

腕が凍っていく事すら気にせずに美由紀の右手首を開いた左手で掴んだ。

万力のように圧力を掛ける男の指に肉と骨は耐え切れずに音を立てて変形していく。

指が皮膚を突き破り骨をへし折っても、美由紀さえも苦痛を表さず表情はそのままだった。

そして男の握る手から炎が上がる。


「いいのか? 擬態を解かないのならこのまま燃やし尽くすぞ!!」


「アナタの方こそ。自分の右腕がどうなっているのか、わかっているのですか?」


両者は一切引かず、肉と骨が壊される音を平気で鳴らす。

見た目は人間でも中身はそうではない。

人智を超えた力をぶつけ合う2人を、結は声すら満足に出せず息を呑んで見つめているしか出来なかった。

男の右腕は氷漬けにされ肩から先は完全に固定され氷のギプスと化している。

これを解かなければ指すら動かせない。

にも関わらず男は自分の右腕を放置したまま、握った美由紀の手首を砕き炎で燃やすのを止めなかった。

火は服の袖を簡単に燃やし、黒い煙を上げて皮膚と一緒に焦がして行く。

美由紀も腕が燃やされているのに瞬きすら見せず、レイピアのグリップを掴んだままだ。


「原子の塵に消えろ!!」


「アナタの負けです!!」


腕を包む炎がより一層強く熱く燃え盛り、レイピアから放出される冷気が吐息すらも凍らせる。

勝負が佳境に入ろうとした時に突然天井から水が放水された。


「何だ?」


「スプリンクラー、まだ機能するのですね」


霧状に放水されるスプリンクラーの水を浴びても腕の炎は一向に衰える様子はない。

水は止まらず髪の毛から滴り落ちる程に、その場に居た3人をずぶ濡れにさせる。

床も全面が水浸しになり、結が借りたスーツと毛布も使い物にならなくなってしまう。

それでも戦いが終わるまでは緊張で結の体は動いてくれない。

結が見守る中、硬直する両者は力を抜き手とレイピアを引いた。


「興が醒めた」


「またモノを壊して。アナタの責任ですよ」


「テメェのせいだろ!!」


子供のように責任をなすりつけ合う様子を見て、結はようやく肩から力を抜く事が出来た。

スプリンクラーで冷やされた空気を口から飲み込んで、新鮮な酸素を肺に取り込む。

薄いピンク色をした口紅に水滴が弾く。

カラカラに乾いた喉から結は声を絞り出した。


「あのさ!! ……これ何?」


目の前で繰り広げられた見た事のない風景に、結はそう言うしかなかった。

まるで映画のスクリーンの向こう側の出来事を間近で見てしまい、すぐには理解が追いつかない。

何もない空間から武器を取り出すのも、手から発火するのも手品やアニメでの事としか認識して居なかった。

それなのに目の前の人の形をした魔獣は平然とそれをやってのける。

美由紀は少しはだけてしまったYシャツを襟元からキッチリと手でシワを伸ばす。

水で全身が濡れてしまい、上着越しに下着の色が透けて見えた。

砕かれた右手首の骨と黒く燃えた皮膚は、驚異的な再生能力で元通りに治って行く。

突き出た骨は触ってもいないのに手首の中に入る。

ボロボロと炭になった肉が剥がれ落ち白魚のような肌に戻り、男の指で力任せに破られた皮膚も修復し、グロテスクで剥き出しの内側の肉はあっという間に見えなくなった。

治った右手を閉じたり開いたりするとはまっていない関節が動いてボキボキと嫌な音が響く。

中指と薬指だけが曲がらず痙攣していたが、美由紀は強引に骨をはめ込んで動くようにした。

その時にまたゴキッと音が鳴り、結は痛みを想像してしまい鳥肌が立ってしまう。


「うぅっ」


美由紀は眉すら動かさず手の動きを確認し、正常に指が機能するようになると説明をして来る。


「擬態しているとは言え、少なからず本来の力を出す事くらいは出来るのです。私の場合は様々な剣を扱えます」


「それがさっきの?」


「はい、氷結晶のレイピア。ご覧になられたように、斬った相手を私の意思で氷漬けにさせる事が出来ます。彼は私のような事は出来ませんが、簡単な発火で燃やすくらいなら可能です」


「そう……なんだ」


生返事な言葉を言う結はもう片方の男の右腕も見てみた。

腕の氷はいつの間にか溶けて何でもない様子で立っている。

けれども肩に突き刺されたレイピアのせいで服は破かれたままだが、その奥の皮膚はキズもなければ痕すら付いていなかった。

血の1滴も出ておらず服も汚れてないので、鋭利な剣で刺されたとは見ただけではわからない。


「向こうも平気なんだ」


「頑丈だけが取柄の人ですから。結、彼をお願いします」


「お願いって、釈さんはどうするの!?」


「私は私で動きます。微かにですが臭いを感じるので、その方が動きやすい」


「臭い?」


試しに空気を嗅いでみるも結には何も感じられなかった。

天井のスプリンクラーから降る水も次第に弱まっていき、水たまりに落ちる雫の音も小さくなる。

美由紀は言葉の意味を教えてくれる事はなく、毛布の中で動けないでいる結を置いて歩いて行ってしまう。

ハイヒールの踵がカツカツ音を立てて離れて行ってしまう。


「ちょっと!?」


呼び止めようと声を出すが既に遅く、入り口のドアノブを捻って部屋から出て行った。

バタンと扉はしっかりと閉じられ姿を見る事すら叶わなくなる。

結は名前も知らない男とふたりきりにされてしまい気まずく感じてしまう。

だが彼女の心境など知らない男は結の元までやって来ると乱暴に声を出す。


「おい!! 俺達も行くぞ」


「行くって何処に?」


「敵を探しに行くんだよ。いつまでもこんな窮屈な擬態なんてしたくないからな」


そう言って男は水の染み込んだ毛布を引っ掴み引っ張り上げようとするが、結は寸前の所で両手を使って毛布を体に抱えて剥がされるのを食い止めた。

それでも10代の、しかもケガを負って弱っている結の腕からは毛布がすり抜けて行ってしまう。


「待て待て待て待て!!」


必死の抵抗と慌てて呼び掛けたお陰か、寸前の所で男は動きを止めた。

そして鋭い眼光で座り込んでいる結を見下してくる。


「何だ?」


「アタシは今服を着てないんだ。何か着れるモノない?」


「チッ、面倒だな。わかったよ!! 着れるモノを持ってくればいいんだろ!!」


イライラしながら男は握っていた毛布を結に向かって投げ捨てた。


「うっ!?」


水の染み込んだ毛布は思ったよりも重くなっており、突き返された時に声が漏れてしまう。

男も部屋の出入口の扉を開けて奥の部屋へ探しに行ってしまった。

静かになった部屋に1人残された結は、少しでも水の冷たさを紛らわそうと毛布で体全体を包み込む。

重く冷たい毛布の着心地は気持ちが悪かったが、何もしないよりかは体力を温存出来たし裸で居るよりかは遥かにマシだ。


(学校、サボっちゃったな。帰ったら母さんに怒られるだろうな。今日は数学があった筈だから、ヤナギンにどやされるだろうし)


落ち着いて物事の整理が出来るようになり、物思いに耽る結。

事情があるとは言え連絡もなしに学校を休んだのは本当の事だ。

けれどもその事情も、説明した所で誰も信じてくれる筈もない。

説明が出来ない以上、結は甘んじて現実を受け入れるしかなかった。

戻ったらどうなるのかが頭の中で泉のように湧き出て不安が募る。


(背中のキズも、聞かれたら面倒だし。志保には何て説明しよう? 時々勘が鋭い時があるから、変にごまかしたら怪しまれるかな?)


向かいの家に住んでいる幼馴染の志保の顔が脳裏に蘇る。

結は彼女が自分に向けてくれている笑顔を、危険に巻き込んで崩したくなかった。

嘘を付いて隠そうと考えるも、やり切る事が出来るのか心配になる。

結論も出ぬまま悩んで居たらドアが勢い良く破られた。


「な!? なに!!」


鉄が指の形にひしゃげ、ドアノブが180度以上回り在らぬ方向へ向く。

固定されている金具が壁から外れ、崩れたコンクリート片が床に落ちる。

男はノブを握ったままドアごと部屋の中へ戻って来た。


「どうなってんだよ、これは!! クソッ!! またアイツが付け上がる」


「ドア壊したの!?」


「壊してねぇ!! 壊れたんだ!!」


「それを壊したって言うの!! どうすんの!? もう直んないよ!!」


「脆いコイツが悪いんだろうが!!」


ドアを壊した事を認めない男に、つい声を荒らげてしまう結。

男は使えなくなったドアを壁へ立て掛け、左手に握っていた黄色いビニールの塊を無造作に結に向かって投げた。


「ほらよ。それで満足か?」


「おっと」


両手を取り出して宙に浮くビニールを受け止め、しわくちゃに丸められたそれを広げてみた。

重さがほとんどなくヨレヨレのソレは黄色の合羽。


「え~!! こんなのしかないの?」


「我が儘言うな。それ以外には何にもねぇよ」


本来の用途とは違う使い方に抵抗を示す結だが、他に変わるモノがない以上は渋々ではあるが合羽を着るしかなかった。

毛布を脱ぎ捨てて美由紀に借りたスーツから肌を露出させて、黄色いビニールに袖を通す。

着替えているのに視線すら反らさず真っ直ぐに見てくる男に向かって、結は羞恥心とデリカシーのなさに激怒した。


「早く外へ出てけ!!」

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