紫の目
彼は再び意識を取り戻した。相変わらず寝台の上にいる。周りを見渡せば、にやつくベルティーナの姿があった。
「何をした?」
「これであんたは、わたしの実験体よ」
女魔人は両手から魔力をほとばしらせ、鏡を作り上げた。エシオンはその姿を見てぞっとした。目が紫色になっていた。
「どうして……」
ベルティーナは大声を上げて笑った。
「あんたの中に魔人の精神体が入ったから変色したのよ。魔界の魔力をすすって、魔人の精神体は成長するのよ。どう? 産声が聞こえない?」
エシオンは恐怖と混乱の中に、赤ん坊の産声が聞こえるのを感じた。誕生を訴える大音声が。魔人の精神体が自分の中で誕生したのだ。それは、エシオンの正気の死を意味していた。彼は絶叫していた。魔人の産声をかき消そうとするかのように。
ベルティーナがさらに追い打ちをかけるようにエシオンの耳元でささやいた。
「しかもね、それの成長は精神だけに留まらなくなるわ。身体を蝕んで、あんたがいたという形跡を残さない」
エシオンは叫ぶのをやめた。その目は絶望が色濃く映し出されていた。
「もう、どうしようもないのか? こんな悪夢のような世界で、わたしはじわじわと死んでいくしかないのか?」
ベルティーナはうなずいた。彼女には人間の持つ慈悲はなかった。
「そうよ。でも、死というよりは転生よ。魔王エヴィレイにね」
「どれくらいの時間がかかる?」
「そうねえ、魔界の魔力を浴び続けていても、精神が二日、肉体がその後三日といったところかしらね」
「五日か……」
「逃げる算段でも立てているなら、無駄よ。あんたが生命界に戻る手段はない。それに実験対象は監視しているから」
ベルティーナが天井の隅を指差した。そこから赤い目がじっとエシオンを見ていた。
「逃げはしないさ。希望がないことくらい分かっている」
「あ、そう」
女魔人は部屋から出て行った。エシオンはまた横になった。これは悪夢か? 分かっている。信じがたいが、これは現実だ。たとえ、ベルティーナの根城から出たとしても、わたしは魔界から脱出する手段はない。そうベルティーナは言っていた。だがエシオンはそれは真実ではないと思った。なぜなら、魔人たちは契約を結ぶために生命界にやって来ることがあるではないか。異界を渡る方法はあるはずだ。エヴィレイから解放される方法も。だが、その手段を彼は知らなかった。五日の間にその手段が見つかるとも思えない。
〝身体が動かない〟
エシオンははっと飛び起きた。ベルティーナの悪戯か? 彼は恐怖からだんだん怒りを覚えていた。だが、冷静に考えてみるとエヴィレイの精神体は成長するという話をしていた。さっき産声を上げていた精神体が早くも言葉を伝えるまでに成長したということか?
〝これ、ぼくの身体じゃないの?〟
エシオンは右手が痺れて、感覚を失った。やがて自らの意思を反して拳を作った。
〝やっぱりぼくの身体だ〟
彼はぞっとした。もうエヴィレイはわたしを支配し始めているのか? このままわたしは自分を失っていくのか? 彼は自分の意思に反して腕を後ろに組み、横になった。
「でも暇だなあ。何かすることないかな?」
声も出せない。エシオンは必死に叫ぼうとした。
「それにしても、どうして人間の身体なのかな? 本当のぼくはこんなじゃないよ」
エシオンの身体を乗っ取ったエヴィレイは、両手を握って魔力に意識を向けた。エシオンは感覚を失っているはずなのに、痛みが全身を襲った。自分の身体が崩れ、魔人のものになっていく。
「やめろ!」




