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疑念と平和と壊された日常

結局家にたどり着いたのは、十一時を少し過ぎてからだった。

家に着くなり川凪さんは、

「はい、これが彼女の普段着で、これが制服、下着です。他の物については、後日日を改めて持ってきます。それでは」

と言うなりさっさと帰ってしまった。

残るのは僕と少女、二、三個の段ボール箱のみ。

あまりの薄情さにちょっと泣きそうになってしまったが、そこは何とか耐える。

頑張るんだ、僕。

君はやればできる子なんだ。

そう心の中で自分を鼓舞し、とりあえず少女をソファーに座らせた。

なんだかほんとに人形なんじゃないかと言うほど従順にソファーに座ると、じっと僕のほうを見つめてくる。

着替えもせずに連れてきてしまった少女は、未だ病衣のままだ。

しかしその姿は、まるでどこかの物語から抜け出してきたのではないかと思えるほどに絵になっている。

相変わらずの無表情で、しかし最初とは違う感情の見え隠れする瞳で見つめられ、思う。

うん、ごめん、少し周りにも興味を示してくれないかな。

なんだかすごく居心地が悪いんだけど。

無言の圧力に耐えながらお茶を入れ、彼女に差し出す。

彼女はこくりと頷いて受け取ったが、そのまま一口も口にせず目の前のテーブルに置いてしまった。

そして何事もなかったかのように僕を見つめる。

そのなんとなく彼女らしいといえば彼女らしい行動に、僕は軽く苦笑しながら尋ねる。

「とりあえず、夕食はどうする?おなか空いてるなら作るけど、食べる?」

「・・・」

ふるふると、無言で首を横に振る少女。

頭を振るたびに、銀髪がふわりと広がる。

「じゃあ、お風呂は?入る?」

「・・・」

今度はコクコクと首を縦に振る。

というか、しゃべろうよ。

一言も話さない少女に少しだけ不安を覚えたが、とりあえずは保留。

まぁ、いつか話すだろう。

「わかった。ちょっと待っててね」

僕は少女にそういうと、浴室のほうへ向かう。

バタン、とリビングの扉を閉めると、僕は肩で息を吐いた。

どうしよう、ものすごく疲れる。

せめて少しぐらいは視線を逸らしてくれればマシなのだろうが、如何せん、この家に着いてから一度も彼女は僕から視線を逸らしていない。

この短時間で、僕の精神力はすごく減った気がする。

ため息をつきながら浴室へ行き、お湯を沸かす。

浴槽はいつもお風呂上りに洗ってるから、特に洗う必要もない。

そういうわけで必然的に、すぐに準備など終わるわけで。

僕は深呼吸を一つして、リビングのドアを開ける。

じぃぃぃぃ。

開けた瞬間の視線の圧力に、僕は帰りたくなった。

いや、ここがもう家なんですけれども。

とうとう家にすら安らぎがなくなってしまったのかと、僕は悲しくなってくる。

それでも何とか対面のソファーに座り、話しかけようとしたところでふと気が付いた。

そういえば、まだ名前を聞いていなかった。

いや、普通は最初に聞くべきことなのだろうが、なんかいろいろあって忘れてしまっていた。

まぁ、出会い方からして名前を聞けるような雰囲気でもなかったのだが。

僕が勝手に気圧されていただけなのだけれど。

「そういえば、自己紹介がまだだったよね。僕は篠崎鏡夜。職業は学生兼殺人鬼兼魔法省の回し者。殺人鬼と魔法省の件については、一応他言無用でよろしく」

僕がそういうと、彼女はこくりと頷き返してくれた。

そして、その薄い小さな唇を開き、

「・・・蒼奈。霧白、蒼奈」

鈴を転がしたような声音で、そう口にした。

今まで彼女が言葉を発さなかったことも合わせ、その言葉はどこか神秘的に響く。

僕はその言葉に思わず聞き惚れ、言葉を失う。

しかし彼女はそんなことは意に返さず、もう一度口を開く。

「貴方も、そうなの?」

無表情に淡々告げる言葉には、あまりにも脈略がない。

しかし僕は、その一言だけで理解する。

あまりにも簡潔でストレートな物言いに、僕は苦笑で返す。

「そうだよ。少なくとも、去年までの僕はそうだった」

あのとき、視線を合わせたとき。

僕が感じたものを彼女も感じたのだろう。

僕と彼女はどこか似ている。

それは性格とかそういうものではなく、過去の経験が。

傷跡の大きさが、僕らを同士だと叫ぶ。

だから彼女は、ここにいる。

「僕もきっと、君と同じだ」

「・・・そう」

彼女は僕の言葉にそう答え、そして静かに目を閉じた。

しばらく考え込むようにそうしていたが、やがて目を開けるとしっかりとした意思のある瞳で僕を見る。

「これからよろしく、鏡夜」

「こちらこそよろしく、霧白さん」

はっきりと告げたその言葉に、僕も微笑みながら答える。

すると、表情は変わらないのだが、なぜだか彼女からむっとした気配が漂う。

「・・・蒼奈」

「え?」

「蒼奈」

彼女は淡々と、自分の名前を繰り返す。

無表情に、しかしどこか催促するような目で、見つめてくる。

その瞳の圧力に僕は半ば気圧されながら、

「ええと、蒼奈?」

「・・・ん」

僕が困惑するようにそういうと、満足そうに彼女はうなずいた。

つまるところ、呼び方が気に入らなかったと。

ずいぶんとまぁ、気難しいことで。

なんだかまじめに話を聞いていたのが馬鹿らしくなってきた。

はぁ、と僕が今日何度目かの溜め息を吐いたところで、ちょうど電子音が鳴る。

「ん?どうやら、お風呂が溜まったみたいだね。先に入っておいでよ。僕は後でいいから」

「・・・うん」

僕がそういうと、蒼奈は素直に頷いて浴室へ向かった。

パタン、というドアが閉まる音を背後で聞き、僕はほっと息を吐いた。

やっと一人になれたことに、僕は安堵する。

これからはもう家ですらゆっくりできないかと思うと涙が出てきそうになる。

いや、別にあの子が悪い子ではないのはわかるのだが。

沈黙が、こちらを無言で見続けるその圧力が、なんとも居心地が悪いというだけで。

だがまぁ、少しは目に感情が宿ってきたのだから、いい兆候だろうか。

・・・そういえば蒼奈は、数日前に実の父を亡くしてしまっていたのだったか。

それも、トラウマに残るような残虐な殺され方で。

しかし今日の反応を見るに、少しは立ち直れているのだろうか。

先ほどまでの会話では少し、感情が見え隠れしていた。

だがそれなら、最初の無感情なあの瞳はおかしい。

あの瞳は、間違いなくすべてを諦めきった瞳だった。

あるいは何か心境の変化でもあったのか。

「ま、考えても詮無いことだよね」

そう、詮無いことだ。

それに僕は、蒼奈の心境に変化を与えた原因について興味がない。

僕はそもそも、別のことに興味があるから今の状況を許している。

でなければ、気苦労の増える同居などしてたまるものか。

「目が、同じだった」

僕は自分に確認するように、ポツリとつぶやく。

あの時に見えた目。

何も写さない底なしの暗闇は、彼女の負った傷の深さをそのまま表す。

父親と母親が亡くなっていると聞いたが、それだけなのか、それだけではないのか。

僕は彼女のことを何も知らない。

でも、僕と同じ暗闇を持った少女に、少なからず興味が湧いた。

暗闇に沈みこんだ僕と、暗闇に立ちすくむ少女。

彼女は僕と違い、この暗闇を振り払うことができるのだろうか。

とてもとても、興味がある。

彼女の選択を、見守りたいとも思った。

・・・そのせいで、とんだ厄介ごとを押し付けられるとは思っても見なかったが。

肩をすくめ、僕は結局一口も飲まれなかったお茶を飲む。

一応蒼奈のために出したお茶ではあるけど、今はお客さまではなく同居者だし、飲みたくなったら自分で注ぐだろう。

というか、彼女が上がってきたらそのことについても話し合わなければならない。

・・・まぁそれは、明日でいいか。

もう今日は遅いし。

いろいろあったわけだし、こんな日は早く寝るのが一番。

さっさとお風呂に入り、ふかふかのベッドで眠りたい。

だるくなった体をソファーに凭れかけさせ、深く息を吐く。

目を軽く瞑り、そのまま蒼奈が上がってくるのを待った。

しかし数分経っても、蒼奈は上がってこない。

「・・・いくらなんでも、蒼奈遅くないかな?」

振り返り、リビングのドアを見つめるが、蒼奈が上がってくる気配はない。

少し考え込んでいたため気づかなかったが、三十分は経っている。

ちょっとばかり遅くはないだろうか。

しかし浴室にいけない以上、黙って待つしかない。

タイミングが悪ければ社会的に死ぬだろうから。

「あぁ、眠い、蒼奈早くしてくれ・・・」

眠気が全身を襲い、心地よい眠りへと僕を引きずり込もうとする。

僕が全身を襲う睡魔と死闘(?)を繰り広げていると、ガチャリとドアを開ける音が耳に入る。

どうやら蒼奈がやっと上がってきたようだ。

ぺたぺたとした足音が、静かな部屋にやけに響く。

「ずいぶんと長風呂だったね、蒼・・・奈・・・・・」

思わず笑顔で振り向いたが、目に映った光景に表情が凍った。

お風呂上りの肌を上気させ、輝く銀髪をしっとりと湿らせた彼女は、タオル一枚の姿で僕の前に立っていた。

肝心な部分はバスタオルで隠れて見えないが、真っ白な肩とすらりとした太腿は隠しきれていない。

雪のように白かった肌は、今は長湯で血色がよくなり僅かに赤みを帯びている。

バスタオルからはみ出る上気した肌が艶かしく映る。

しかも巻きつけられたバスタオルが水気を吸い、うっすらと透けているようで。

僕は顔を赤らめてどうにか視線を外した。

「その、蒼奈さん。なぜに服を着ていらっしゃらないのでしょうか・・・」

僕は目を逸らし、おかしくなった口調で言う。

それに蒼奈はピシリと腕を上げ、

「・・・着替え、ダンボールの中」

リビングに置きっぱなしになっていたダンボールを指差した。

そういえば、川凪さんからダンボールを受け取った後、リビングに置いたきりすっかり忘れていた。

それならば着替えられなかったのも仕方ない。

「とりあえず服を着ていただけると僕はすごくうれしかったりうれしくなかったり」

「・・・しゃがむと、見えるよ?」

「ごめんなさい僕がとりますから動かないで!」

僕は叫ぶと彼女のほうを見ないようにしてダンボールに飛びつく。

そしてダンボールをあけて、僕はさらに顔を赤くする。

目に飛び込んできたのは色鮮やかな・・・下着。

白に赤に黄色に黒。

さまざまな下着がダンボールにぎっしりと詰まっていた。

「平常心だ、僕。平常心を保つんだ・・・」

暗示をかけるように、自分にそう言い聞かせる。

そうだ、所詮はただの服、布じゃないか。

何をそんなに恥ずかしがる必要があるんだ、さっさと蒼奈に渡してしまえばいいだけの話じゃないか。

僕は勤めて無表情に、下着を持ち上げる。

ぴらり、目の前に広がる下着。

瞬時に僕の顔は茹で上がる。

「どうぞ、蒼奈さん・・・」

「・・・鏡夜、顔、真っ赤。なんで?」

「聞かないでくれると僕はとてもうれしい」

「・・・?」

蒼奈が首を傾げているが、説明できるほど余裕がない。

すでにもう僕は満身創痍だ。

今日で一番疲れたかもしれない。

違うダンボールからパジャマを探し出し、蒼奈に渡しながらそう思う。

蒼奈もあがったし、もう風呂に入って寝よう。

そう思った僕の横で、蒼奈がタオルを外しにかかる。

「何をしていらっしゃるのでしょうか蒼奈さん!」

「・・・着替え?」

「お願いですからこれ以上僕の理性を試すような行動はしないでくださいお願いします」

僕は頭を下げて蒼奈に懇願する。

そんな僕の様子を蒼奈はじっと見詰める。

「鏡夜、私を、襲う?」

「襲いません僕は自分の人生を棒に振りたくはありません」

「なら、安心」

「僕がちっとも安心できません。というかなんでここで着替えだしたの!」

「・・・なんとなく?」

「なんとなくで僕の精神がどんどん死滅しているわけなんですが!」

「・・・そもそも、鏡夜が部屋を出ればいいと思う」

「失礼しました!」

そういって部屋を飛び出し、浴室へ直行する僕。

僕は一応この家の主なのに、なぜ出て行かなければならないのだろうかと途中で思ったが、無視。

これ以上あそこにいれば僕は死んでいた。

いろんな意味で。

健全な高校生男子には少しばかり刺激が強すぎる。

僕は浴室の扉を勢いよく閉めると、そのまま脱力してドアにずるずると凭れかかる。

「もういやだ、こんな生活」

開始一日目にして音を上げる僕。

これが毎日とか僕は一体どうすればいいんだ。

三日と経たずに死んでしまう気がする。

ちなみに死因は衰弱死。

あまりにリアルにそれが予想できてちっとも笑える気がしない。

「いいや、もう。明日考えよう、うん」

このまま考え続けても悪い想像しかできなかったので明日に回す。

さしあたりのところ重要なのは、お風呂に入って寝ることだ。

明日は明日でまたいろいろ面倒ごともあるわけだから。

たとえば蒼奈の学校とか、学校とか。

考えるだけで憂鬱だ。

だから考えないようにしよう、うん。

僕は早めに入浴を済ますと、蒼奈に両親の部屋を使わせて眠りに付いた。

明日は平穏でありますように。

そう叶いはしないであろう祈りをささげながら。


唐突に鳴り響く目覚ましの音で、僕は目が覚める。

・・・眠い。

昨日はいろいろあったせいかちっとも寝た気がしない。

なんとなく全身にダルさが残っている。

ダルさと抱きしめる抱き枕の心地よさで、恐ろしいほどの眠気が襲ってくる。

あと五分寝よう。

そのぐらいならまだ学校にも余裕で間に合う。

このやわらかい抱き枕の感触を堪能しながらもう一眠りしようじゃないか。

そう思った瞬間、意識が睡魔に持っていかれる。

僕は無意識に抱き枕をぎゅっと抱きしめると、細くさらさらしたものが手に触れる。

・・・ちょっと待て。

手に触れたものの感触に、僕の意識は急速に覚醒する。

そしてなんだかいやな予感がする。

この手に触れているさらさらしたものは、絶対に抱き枕じゃない。

どちらかといえば高級な絹糸のような触り心地だ。

そしてそもそも、僕は抱き枕など持っていただろうか。

少なくとも、昨日までは持っていなかったはず。

そう、昨日まで。

そう思った瞬間、僕はいやな汗が頬を伝うのを感じた。

僕の中で最悪の予想が脳裏を掠める。

もしかして、このさらさらとした感触は。

このふにふにとしたやわらかい感触は。

・・・いや、まだ決まったわけじゃない。

もしかすれば、僕が忘れていただけでこんな抱き枕があったかもしれないじゃないか。

そうだ、目を開けてみればわかる。

恐れることはない、ただ目を開ければすべてわかることじゃないか。

そう自分を鼓舞し、僕はゆっくりと目を開けて。

・・・ゆっくりと目を閉じた。

落ち着け、落ち着くんだ僕。

大丈夫、何も怖がることはない。

きっと寝ぼけていて何かを見間違えたんだ。

いやそうに違いない。

だからほらもう一度目をあけてみると。

「・・・・」

目の前、息がかかるほど近くに蒼奈の寝顔があった。

いつもの無表情とは違う、穏やかな寝顔。

いつもはその無表情のせいで作り物めいた美しさを見せる顔は、今は年相応の少女のような可愛らしさに変わっている。

そして今右手に当たるさらさらとしたもの。

それはやはり蒼奈の髪だったようだ。

ふわりと、銀髪がベッドの上に広がっている。

そして左手は蒼奈の腰に回し、ぎゅっと抱きしめている。

蒼奈のほうも僕の服をしっかりと握っている。

そんな男としてはある意味夢のような状況。

なのに僕はどうすればここから出られるかしか考えられない。

すでに眠気などきれいさっぱり吹き飛んでいる。

とりあえず蒼奈が起きないうちにここから抜け出さないと。

僕は悪くないはずだけど、居心地の悪さと罪悪感で死にそうになる。

あとそれなりの恥ずかしさで。

蒼奈の掴んでる服をゆっくりはずすと、そろりそろりとベッドから抜け出し・・・。

ぱちり。

唐突に、蒼奈が目を開けた。

もぞもぞと動いていたせいで目が覚めてしまったらしい。

結局ほとんど動けず、至近距離で見詰め合う僕ら。

僕が理由もなくだらだらと汗を掻いていると、蒼奈が眠たそうに二、三度瞬きして。

「・・・おはよう、鏡夜」

いつものより若干緩い無表情でそう言った。


「・・・で、どうして僕のベッドで寝てたのかな?蒼奈は」

あのあとあまりにも普通にしていた蒼奈に毒気を抜かれた気分になり、普通に起きだした。

今はすでに二人とも着替え終わり、僕が作った朝食も食べ終わっている。

僕はコーヒーを、蒼奈には紅茶を淹れてやりながら朝のことについてたずねてみた。

「・・・昨日は、のどが渇いたから一回部屋を出た」

「ふんふん、それで?」

「・・・そしたら、部屋を間違えた」

「それはまた盛大に間違えたね。僕と蒼奈の部屋は大分位置的に違うと思うけど」

ソファーに座って相変わらずの無表情で答える蒼奈に、僕は苦笑してみせる。

まぁ、昨日は眠くて説明も曖昧だったし、しょうがないかもしれない。

蒼奈にとってここはまだ慣れないところなのだから。

「とりあえず。今朝のことはもういいけど、今度から気をつけてね。心臓に悪いから」

正直寝起きからインパクトが強すぎだ。

蒼奈は別にどうでもよさそうだったが、こっちとしては堪ったもんじゃない。

だからそう念を押すように言うと、蒼奈はこくりとうなずいた。

「・・・わかった。今度からは気をつける」

「うん、本気でよろしく。・・・はい、どうぞ」

蒼奈に紅茶を渡し、僕も席に着く。

僕はかなり熱めのコーヒーを一口飲み、人心地つく。

部屋は急に静かになり、たまにコーヒーと紅茶をすする音だけが部屋に響く。

そういえば、久しぶりの安らぐ時間だ。

あまりにも忙しすぎて、いろいろ余裕がなかったからだろう。

そう思えば、改めて昨日はいろいろ密度の濃い時間だったと思う。

僕としては、もっとこのままゆっくりしていたいが時間が生憎と許してくれない。

「さて、そろそろ行こうか。準備はできてるよね?」

「・・・うん」

そういって、蒼奈はかばんを手に立ち上がる。

ちなみにかばんの中にはしっかりと蒼奈の教科書が入っている。

朝一で教科書類が郵便で届けられたからだ。

差出人は魔法省になっていたが。

・・・。

気にしないことにした。

僕は二人分のカップを軽く洗って食器乾燥機に放り込み、蒼奈に弁当を渡す。

「はい、これ。お弁当」

「・・・?」

相変わらずの無表情で、しかしどことなく不思議そうにする蒼奈。

「いや、一応うちの学校は学食も売店もあるけど、初日はお弁当がいいかと思って。僕も普段はお弁当だしね」

そういって、自分の分の弁当を掲げる。

学食も売店もお金がかかるし、何よりあのバトルにはあまり関わりあいたくない。

学食や売店は結構おいしいため、一部では熱狂的に支持されている。

しかしどちらも数には限りがあるため、毎日昼時は戦争が起きている。

なかには魔法を使う人までいるし。

好き好んで戦禍の中に飛び込みたくはない。

「ま、学食とか売店がよかったらそのときは言ってね。お金渡すから」

「・・・わかった。ありがとう」

「いえいえ」

僕は肩をすくめると、蒼奈とともに学校に向かった。

何かを忘れているような気がしながら。


「おっす、おはよう鏡夜。今日は遅かったな・・・ってどうした?顔色が悪いぞ?」

僕が教室に入ると佐久間が声をかけてきた。

いつもより遅めの登校だったため、佐久間のほうが早く来ていたようだ。

どことなくげっそりした僕の様子に佐久間が眉を顰めている。

「なんか珍しく疲れきってるな。どうした?何かあったのか?」

「いや、ちょっとね。思わぬところでダメージを受けたというかなんというか。まぁ気にしないで」

「ふーん?」

佐久間がよくわからなそうな顔をするが、生憎それに構っている余裕がない。

僕は机に倒れこむようにして座ると、大きく脱力する。

・・・まさか、蒼奈と歩いているせいで視線の嵐にあうとは思わなかった。

いろいろあったせいで忘れかけていたけど、蒼奈はかなりの美少女だ。

人形のような整った顔立ち、腰まで伸びる輝く銀髪、紺色のブレザーに水色のネクタイ。

それらが蒼奈の無表情さとも相成って冷たい美しさを与えている。

まるで彫刻のような、完成された美術品。

すれ違う人が思わず目で追いかけてしまうほど、蒼奈はきれいだ。

その隣に立つ男を、思わず殺気を込めた目で睨んでしまうほど。

最初はみな、蒼奈に目を奪われて僕には気づきもしない。

そしてしばらくして我に返ったとき、その隣に立つ僕に気づき睨んでくる。

あまりの居心地の悪さに距離を置いて歩こうとしたら、蒼奈がわざわざ僕に歩く速度を合わせてくるため意味がない。

必然的に肩を並べて歩くことになるから、蒼奈に目を奪われた人数分だけ僕を睨む。

つまり通りすがる人すべて。

学校までの二十分の距離が二時間に感じた。

一日分の体力が浪費されてしまった。

ああ、眠い。

「ま、よくはわからんがそれはいいとして。朗報だぞ、鏡夜」

佐久間はどうやら僕が疲れきっているのは気にしないことにしたらしい。

特に気にした風もなく肩をすくめ、そう話しかけてくる。

「なに?」

「どうやら今日転校生が来るらしい。しかも女子で、結構可愛いらしい」

「へぇ、そうなんだ」

それは多分、蒼奈のことだろう。

僕としてはすでに知っていることだが、ここは話を合わせていたほうがいいだろう。

うっかり知り合いだなんてばれると大変だ。

だがまぁ、あまりその心配はないだろう。

蒼奈の歳までは知らないが、まさか九分の一の確立を引き当てはしないだろうから。

何にせよ何も知らないふりをしているのが一番だ。

僕はあたかも興味があるような素振りで話を続ける。

「それにしても、珍しいね。転校生なんて」

「たしかに、変な時期ではあるよな。今は五月だろ?ついこの間新学期が始まったのに、何で今なんだって思うよな」

「たしかに。でもどうせ別のクラスなんでしょ?特には興味ないなぁ」

「いや、何を勘違いしてるんだ?転校生は・・・」

ガララ。

唐突に教室の扉が開かれ、佐久間の台詞が遮られる。

「おーい。お前ら席に着けー。ホームルームすっぞー」

入ってきたのはダルそうな雰囲気を出す教員。

その声に生徒たちは話を止めて席に着く。

佐久間も何かを言いかけていた口を閉じ、前に向き直った。

ちなみにここまでみんなの反応がいいのは、この先生が生徒たちの間で『悪魔』と呼ばれるほど怒ると恐ろしいからだ。

まぁ、ほかにも理由があったりするが。

とにかくその通称『悪魔』と呼ばれる高梨先生は大きな欠伸をしながら教卓に立つ。

「あ~、とりあえず、おはよう。今日はちょっとしたサプライズがあるから、とりあえず出席は省くぞ。というか、みんな来てるよな?」

眠そうな目で教室を見渡し、欠席がいないのを確認すると満足げにうなずく。

その際、揺れる頭に呼応するように揺れる二つの山。

白いシャツをだぼっと着こなした彼女の胸元に、男子生徒の目は吸い寄せられる。

これが彼女、高梨陽子二十三歳が生徒たちに悪魔と呼ばれる所以のひとつだったりする。

ま、どうでもいいけど。

「よしよし、オッケーだな。んじゃ、早速。あ~・・・ごほん。喜べ諸君!このクラスになんと、転校生が来たぞ!」

「「「うおおぉぉぉぉぉ!!!」」」

高梨先生はわざとらしい咳払いをすると、なぜか無駄にテンションをあげた。

先程までの眠たそうな目はどこへやら、目を輝かせて無駄にノリノリだ。

それに触発されて生徒たちもテンションを上げる。

そしてそれと反比例するように下がる僕のテンション。

というか、なんだか嫌な汗が背中を伝うのがわかる。

このクラス。

転校生。

・・・蒼奈。

まるでパズルのピースのように僕の中ですべてが組み合わさっていく。

もしかして、もしかすると、蒼奈のクラスってここかもしれない。

なぜだか怖くて断定したくはないけれど。

現実を認めたくない僕とは裏腹に、話はどんどんと進んでいく。

「しかも喜べ男子!転校生は女子だ!しかも飛びっきりの美少女!!」

「いやっほー!!」

「今まで生きててよかった!」

「この幸運を神に感謝します!」

「あはは・・・どうしてかな。視界が滲んでよく見えないや」

「俺、このホームルームが終わったら告白するんだ・・・」

「落ち着けそれはフラグだ!!」

高梨先生の言葉にテンションがおかしくなる男子生徒たち。

中には涙を流している生徒もいる。

ちなみに女子はそんな男子を見て「チッ・・・」と舌打ちしている者までいる。

なんだかずいぶんと温度差がある。

「さて、テンションが上がったところで!ゲストの入場だ!」

ガラリとドアを開ける先生。

それに男子がまたわっと歓声を上げようとして。

入ってきた人物に言葉を失う。

教室中の視線が集まる中、堂々と入ってきたのはやはりというべきか、蒼奈だった。

ふわりと銀髪をたなびかせながらつも通りの無表情で高梨先生の隣に立ち、じっと教室の中を見渡す。

そして蒼奈は、教室のある一点に目を留めながら自己紹介をする気配がない。

しかし誰も、その違和感に気づけない。

はしゃいでいた男子も、それに呆れていた女子も、一度は姿を見ているはずの先生も。

教室中の人間が蒼奈に見惚れていた。

現実離れした人形のような少女に、言葉もなくただ見つめるのみ。

蒼奈の姿に見惚れて、誰も蒼奈が見ているものに気付けない。

いや、約一名を除いて、蒼奈が見ているものに気付けない。

僕を除いたみんなが蒼奈に見惚れ、蒼奈が僕を見ていることに気付けない。

だから僕はいつこれが朝の繰り返しになるかわからなくて蒼奈に目で懇願する。

頼む、僕から目を逸らしてくれ。

そして普通に自己紹介して、無難に乗り切ってくれ。

僕の日常を危険にさらさないでと、蒼奈に目だけで訴える。

周りが蒼奈に見惚れてる中、見つめ合うこと数秒。

わかったというように蒼奈が頷いてくれた。

助かった!と僕が心の中でガッツポーズをとっていると。

なぜか蒼奈が一歩、こちらに向かって足を踏み出した。

不思議に思い僕が首をかしげているうちに蒼奈はどんどん近づいていき。

ぎゅっ、と僕の服を掴んできた。

途端に我に返るクラス一同。

そして僕と蒼奈を交互に見て、蒼奈につかまれた僕を睨んでくる。

・・・ああ、まあ、うん。

このまま何事もなく終わるとは思ってなかったけどさ。

寂しかったんだよね、生活環境が変わって次の日にいきなり転校とかしたから。

そこは僕も配慮が足りてなかったんだろうけどさ。

この状況はあんまりだと思いませんか蒼奈さん。

『・・・おい、またあいつかよ』

『俺らのアイドルの如月さんだけでは飽き足らず、転校生にまですでに手を出していたとは、なんて羨m・・・・羨ましい奴め!』

『節操がない奴め。俺にも一人ぐらい分けろよ』

男子の刺し殺さんばかりの視線と恨み言のような呟きが聞こえてくる。

女子は女子で生暖かい視線を送ってきて地味に辛い。

「えぇ~と・・・。この子は霧白蒼奈っていって、僕の親戚の子なんだ。箱入り娘だったから世間知らずなところもあるし、何より緊張してるみたいでさ。大目に見てやってくれないかな」

僕は状況がこれ以上悪くなる前につらつらと嘘を並べ立てる。

その言葉を聞いてみんなは本当か?というように蒼奈を見る。

僕も期待を込めて蒼奈を見るも。

ふるふる。

と、僕の言葉に首を横に振って否定して見せた。

「何で余計に混乱を招くようなことするかな!?」

「・・・嘘は、よくない」

「うん、でもね蒼奈、嘘も方便って言葉を知らないかな?」

「・・・私は、鏡夜の親戚じゃない。ただの居候」

「なんで僕をスルーして話を進めちゃいますか蒼奈さん!!」

僕の努力の甲斐もなくあっさりと事実を蒼奈は口にする。

そして再び教室にざわめきが。

しかもここで間が悪いことに、隣で呆然としていた佐久間が我に返る。

そして僕と蒼奈を見て、一言。

「お前、一人暮らしじゃなかったっけ?」

「ここでそんな余計なことを言いますか佐久間君」

どうしてこう佐久間は空気が読めないのか。

佐久間の余計な一言のせいで、男子が身近なものを片手に立ち上がろうとしたところで。

「あ~・・・、うん。とりあえず落ち着け、お前ら」

我に返った高梨先生が場を沈静化してくれる。

おかげで立ち上がろうとしていた男子たちも舌打ちしながらしぶしぶ座る。

・・・おお。

先生が救いの女神に見える。

「で、まぁ、なんだ。正直よくわからんが、どうやら篠崎は霧白の知り合いみたいだから面倒見てやってくれ。おい、お前」

おもむろに先生は僕の隣、佐久間じゃないほうの席に座っている生徒を指差す。

「えっと、おれですか?」

「そうだよ。お前以外に誰がいる。ちょっとお前、席を移動しろ。で、霧白。お前そこの席に座れ。そのほうが何かと都合がいいだろ」

救いの女神に見えたのは気のせいだった。

席が離れていればまだ何とかなると思ったのに。

なぜ余計なことをするかな。

「さて、何か意見がある奴言ってみろ。捻じ伏せるから」

そういって教室内を見渡す高梨先生。

たちまち不満そうな顔をしていた生徒はさっと顔を逸らす。

ちなみに僕も顔を逸らした。

「よし、何の問題もないな。じゃあ、時間も迫ってるからホームルームはこれで終わりな。授業がんばれよ~」

そういって手をひらひらさせながら、高梨先生はさっさと教室を出て行った。

そして再びよみがえる視線地獄。

どうしてくれるんだ、先生。

まったく事態は収束せずかき回すだけかき回して去っていくなんて。

相変わらず、みんなからの視線は消えていない。

正直に言って、すごく居心地が悪い。

ああ、この時間は一体いつまで続くのだろうか。

とりあえず、明日からは胃薬を持ってくるとしよう。

リアルに僕の胃袋に穴が開くのも時間の問題だろうから。


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