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殺人鬼は運命と出会う

彼女・・・川凪渚にあってから数分後。

「・・・なぜ、僕はこんなことになっているのでしょうか」

両手に手錠をかけられた状態で、僕は隣にいる川凪さんにおずおずと尋ねていた。

目の前には、かの有名な魔法省の省庁が見える。

手錠のかけられた殺人鬼と、目の前の魔法省本拠地。

隣には、有能そうな魔法省特別対策課所属の女性。

・・・あれ、もしかして僕は、絶体絶命?

「何を言ってるの。貴方が・・・鏡夜君が魔法庁の鷺沼大臣に会いたいというからわざわざ連れてきてあげたのよ?感謝して欲しいくらいだわ」

「いや、確かに頼んだけど・・・。手錠をするなんて聞いてないよ?しかもこれ、魔法が使えなくなる特別製のものだよね?」

そういって澄ました顔をしている彼女に、僕は手錠のかけられた両手を掲げる。

僕としては、甚だ不本意な状況なんだが。

これじゃいざという時に逃げにくいだろうし。

しかし彼女は、当然という顔をして、

「さすがに、殺人鬼を何の処置もなく魔法省には通せるわけないでしょう。いくら貴方が、人畜無害そうな少年に見えても」

当然という顔をした彼女を前に、僕はがっくりと肩を落とす。

これじゃあまるで捕まってるみたいで嫌だったんだけど。

「人を信じられないって、悲しいね」

「その前にまず、人を信用させる行動をとるべきだと思うわよ。特に、そんなことやってるんならなおさら、ね」

「ごもっともで」

正論だった。

僕は返す言葉もない。

「さ、行きましょうか。そんな格好の人物を、魔法省の前に立たせてるわけにはいかないから」

そういって、彼女はそのまま中に入って行く。

僕も仕方なしに、黙って彼女の後ろをついていく。

魔法省内部は別段変わったとこのない、普通の役所のようなところだった。

しかし、皆一様に僕のほうを見て固まっていたが。

視線に質量なんであるんだ・・・。

何か新しい発見をしながら、疲れてすでにぐったりしている僕をよそに、彼女は眼前の扉を開く。

「大臣、例の少年を連れてきました。・・・大臣?」

ノックもせずに入っていくと、そこには若い男が一人でシュークリームを食べていた。

男は僕らに気づくと慌ててシュークリームを飲み込み、咽ていた。

なんというか、微妙に身構えていた僕としては、非常に脱力する光景だった。

日本の将来は、大丈夫だろうか。

本気で海外移住とか考えたほうがいいかもしれない。

「や、やぁ、川凪君。ずいぶんと早かったじゃないか。それで、それがあの?」

なにやら男は冷や汗を流しながら、必死でさっきのことをなかったことにしようとしている。

しかし川凪さんは、そんな男を冷たい表情で見つめるばかり。

なんとなく、ここでの力関係がわかった気がした。

「そういう貴方は、随分と寛いでいるんですね。私が死ぬところだったというのに、シュークリームですか。今度、私が手作りのシュークリームでも送って差し上げましょう。職員たちの目の前で、からし入りシュークリーム五十個を食べさせてあげます」

「いやほら、私も君から報告を受けた時は緊張してね?これでも心配していたんだよ?そしたら大丈夫そうだと聞いて、緊張が解けたら急にお腹もすいてきて、そういえばシュークリームがあったような~、と」

「貴方の分のボーナスは、皆で分けておきますね?」

「ごめんなさい」

男が土下座しているのを見て、僕はぼんやりと考える。

なんだろう、この茶番。

おそらく夫婦漫才を繰り広げているこの二人は、僕のことなど忘れてしまっているに違いない。

まさか殺人鬼がこれほど空気になろうとは、僕でも予想だにしなかった。

とはいえ、このままじゃ話は進まない。

「あの、取り込み中悪いんだけど、いいかな?」

「?・・・ああ、そういえば、鏡夜君がいたんでしたね。すっかり忘れていました」

「そういえば、ここには殺人鬼君もいたんだったね。すっかり忘れていたよ」

いつのまにか土下座をやめていた男を含めて、二人で思い出したようにぽんと手を打つ。

・・・帰っていいだろうか。

反射的にそう思う気持ちを押し込めて、僕は何とか言葉を続ける。

「僕が殺人鬼の、篠崎鏡夜といいます。以後お見知りおきを、鷺沼大臣」

そういって一応頭を下げる僕に、男・・・鷺沼大臣もさすがに表情を改め、僕のほうを真剣に見つめてくる。

「・・・ふむ」

ひとしきり僕の顔を眺め回すと、納得したように頷き一言。

「よし、勝ったな。私の方がイケメンだね」

「何を言ってるんですか、貴方は。というより、十七歳の少年と張り合わないでください。そんな歳でもないでしょう」

僕を見てふふんと鼻を鳴らしている鷺沼大臣に、川凪さんが呆れたように言う。

頭痛でもしてきたのか、こめかみを押さえる彼女に、彼は心外だという顔をする。

「何を言っているんだい?川凪君。私はまだ二十代だよ?しかも四捨五入すればまだ二十歳なんだ。男として張り合わなくてどうする。君も男ならわかるだろう?」

「残念ながら、私は女です」

「ふむ、そうだったか。しかしまぁ、そんなのは些細な問題だ。大事なのは、私が彼よりイケメンだというところだよ」

「それは些細な問題じゃありません。それに、貴方よりも鏡夜君のほうがイケメンです」

「・・・そうか。川凪君、君、年下好みだったのかね?」

「大臣、本日限りを持って、辞めさせていただきます」

「そうか、それは残念だ。では、私も大臣職を下りるか。後任は鏡夜君、君がなってみるかね?」

そう言って僕のほうを見る鷺沼大臣。

僕にいったいなんと答えろというのか。

そして僕は何しにここへ来たのだろうか。

なんだか頭が痛くなってくる。

僕は痛み出したこめかみを揉みながら、とりあえず、一言。

「・・・話進めても、いいかな?」

「・・・そうだね。そろそろ、真面目に話そうか。それで?鏡夜君。大臣になってみる気はあるかね?」

「・・・・」

「いや、悪い川凪君。謝るから手に持った灰皿を置いてくれ。シャレにならん」

だらだらと冷や汗を流す大臣を見て、無表情で灰皿を机に戻す川凪さん。

さすがにふざけるのはまずいと思ったのか、ゴホンとひとつ咳払いをしてこちらに向き直る。

「さて、さすがに本題に入ろうか。私もまだ、命は惜しいのでね。・・・で?君は何をしに、私に会いに来たのかな?」

先ほどと少しも変わらず、おどけた口調で両手を広げる。

なるほど、これは食えない男だ。

僕はその様子に薄く笑う。

「まぁ、大した用件じゃないですよ。僕もあなたと同じで、自分の命が大事だというだけです。ですから、ちょっとした提案をしに、ここへ来たんです」

ここでいったん話を区切ると、話題を微妙に変える。

「ところで・・・。狩人に必要なものとは、一体なんだと思います?」

「狩人?」

よくわからないといった風に首を傾げる彼に、僕は「ええ」と頷く。

「そう、狩人。獣を狩り、常に危険の中に身をおく彼らは、何が必要でしょうか?」

「普通に考えたら、武器ではないのかね?」

「その通り。どれだけ知恵が働く者も、最後の最後で役に立つのはその身を守る武器になる。では、狩人が狩るものが人間だったとしたら?それも、法律の隙間を縫い、人を騙す知恵をつけたものなら?どうすれば狩人は、そんな人間を狩れるでしょいうか?」

わざと含みを持たせた言い方をすると、彼は不審そうな顔をする。

そんな顔をしたまま、少し逡巡すると、

「知恵、かね?武器で殺せないなら、やはり同じ知恵で勝つしかないと?」

そう口にする彼に、僕は笑って首を振る。

僕の話にうまく誘導されている回答に内心でほくそ笑みながら、しかし表情には出ださない。

「半分、正解です。ですが、残念ながら百点じゃない。知恵者を殺すほどの知恵など、現実的ではないですから。正解は、やはり武器です」

僕がそう自信を持って答えるが、彼は顔をしかめて反論してくる。

「しかし、それだと狩人が悪になるぞ?法に触れていない人間を狩れば、狩人が法を犯すことになる。それでは駄目なのではないかね?」

彼のもっともな意見に、僕はもちろん肯定する。

余計にわけがわからないといった顔をする彼に、僕は一拍おいて、答えを口にする。

「もちろん貴方の言うとおり、狩人が殺したとなれば、狩人が悪になる。では、狩人が悪にならないよう、狩人が殺したとわからない武器でならどうです?凶器はわかっていて、それでも狩人には結びつかない。いや、結び付けられない、意思を持った武器」

「だが、そんな都合のいいものはないだろう?それはあまりにも現実的ではなさ過ぎる気が・・・」

「猟犬ですよ」

彼の言葉を遮り、僕はそう口にする。

「これ見よがしに武器なんかちらつかせていては、誰にだって警戒される。しかし、武器を持った人間を警戒はしても、いるかもわからない猟犬を警戒はしない。しかも、狩人が猟犬を飼っていることを誰も知らなければ、それはただ野犬に襲われただけということで片付けられる」

「・・・つまり、どういう意味かな?」

「僕を使いませんか?大臣」

そう、つまりはこういうことだ。

敵の多い魔法省なら、非合法な牙が欲しいはず。

そこにうまくはまれば、僕は一先ずのところ安泰だ。

しかし、大臣は面白そうな顔をして僕を見るだけで、何も言ってこない。

川凪さんも目を丸くして、僕のほうを見ている。

「ええ、と・・・。駄目ですかね?少しは使えるつもりですよ?これでも」

僕が戸惑ったようにそういうと、大臣が声を上げて笑った。

お腹を押さえて、爆笑している。

・・・これは、交渉決裂という意味だろうか。

なら、逃げ出す算段もしていたほうがいいだろうか。

僕が真剣に検討していると、彼は涙を拭きながら謝ってきた。

「いや~、悪かったね。まさか、殺人鬼が魔法省と手を組もうと言い出すとは。あ、いかん、思い出すとまた笑いが・・・」

くくくくく、と大臣が笑いながら涙を拭いている。

川凪さんも川凪さんで、既に驚きから冷めてはいたが、なにやら複雑そうな、困ったような顔をしている。

一体、何だというのだろう。

何か僕は思わぬミスをしてしまったのだろうか。

それともそもそも、魔法省にこんな提案をすること自体間違いだったか。

僕は少々不安に駆られたが。

「くくくくく。いや、久々に心から笑ったよ。まさか君から、そんな提案がされるとはね。しかし君は、この提案の意味を理解しているのかな?」

「というと?」

「君も察しのとおり、近年の治安は悪く、組織として大きな我々には敵も多い。その駒として動くというのは、君が流してきた以上の血を見るかもしれないよ?もちろん、死の危険も」

「構いません。それであなた方から狙われなくなるのであれば」

「信用は?」

「これでどうです?」

そういって、僕は何の枷もなくなった両手を掲げる。

それを見て、彼らは驚愕に目を見開く。

「いや・・・、これは驚いた。その手錠、どんな人間でも外せないようになっているのだけれどね。そもそも、魔法さえ使えなかっただろう?」

「使えましたよ?僕はほら、例外中の例外ですから」

面白そうに、僕は小さく笑う。

そしてそのまま、わざとらしく一礼して。

「いかがでしょうか、鷺沼大臣。僕を雇ってみませんか?きっとお互いに、悪い取引ではないと思いますが」

僕は、大臣のほうを伺う。

彼はわざとらしく腕を組み、ふむ、と少し考えるような素振りを見せる。

そして僕のほうを見て、片目を閉じてウインクしてくる。

「いいだろう。君と手を組めば、なかなかに面白いことになりそうだからね。魔法省と殺人鬼、手を取り合っていくのもまぁ、悪くはない」

「大臣!?」

川凪さんが驚いたように声を上げるが、彼は少しも意に介さない。

それどころか、彼女を面白そうに眺めている。

「どうしたんだね、川凪君?むしろこれは、君も予想していたことじゃないのかね?そうでなければ、こんなところにまで殺人鬼を・・・失礼、協力関係にあるのだから、言い方を改めようか。・・・もし取引が成立しないと思っていたのなら、鏡夜君をこんなところにまで連れてくることはなかったはずだろう?」

「私は、取引の内容までは知らされていませんでした!それに鏡夜君は一応、殺人鬼ですよ!?仮にも魔法省が、稀代の大犯罪者と手を組むなんて・・・」

「そうだね。法的に見れば悪だが、しかし、一応節度は守っているだろう?鏡夜君はいままで、真っ当な人間は殺していない。そうだね?鏡夜君」

「ええ、その通りです」

全く持って、その通り。

これがあったからこそ、今回の会合はあったといっても過言ではないだろう。

僕の殺害対象は、一般人じゃない。

僕には僕なりの基準があって、基準をクリアした人しか殺さない。

それはすでに、テレビでも報道されている周知の事実のはずだ。

だから大臣のほうも、僕の返事をさほど聞いてる風もなく、話を続ける。

「だからね、川凪君。彼と手を組むというのはそう悪いことでもないのだよ。それに彼は、その気になれば僕らを殺すこともそう難しいことじゃないはずだよ」

彼はそう川凪さんを説得するように言っているが、僕はその言葉を聞いて笑い出しそうになった。

何を言ってるんだか、この男は。

そんなこと、これっぽっちも思っていないだろうに。

実際こんなとぼけた態度をしているが、いざとなれば僕を殺すことだって厭わなかっただろう。

でなければ、十人の人間をこの部屋の外に配置したりはしない。

その数は、あまりにも異常だ。

しかも、こちらがそれに気づいていることにすら気づいているのだろう。

本当にこの男は、食えない。

僕は彼らの話を聞きながら、そう考えていた。

「・・・さて、待たせたね。こちらは一応まとまったよ。それで最後に確認なんだが、本当にいいのかね?我々に雇われても」

「これを逃したら、僕は一週間後にはここにはいませんよ。天国の知り合いに会うのは、もう少し先がいいですね」

「またまた、心にも無いことを言うね」

「そう見えますか?」

「・・・ま、いいさ。さて!それでは改めて、契約を交わそうじゃないか。君が我々の指示通りに動く限り、我々は君に手を出さない。契約内容は、これでいいかね?」

「ええ、構いません」

「そうか。それでは、この紙に名前を書いてもらえるかな」

そういって彼は、一枚の紙を僕に差し出す。

そこには達筆な文字で『契約書?』と書かれている。

「いや、何で最後疑問系なんですか。それに、いつの間にこんなものを?」

「さっき私が魔法で作ったんだよ。私はほら、よく気の付く男だからね」

「こんなものにまで貴方の性格が滲み出ているんですからすごいですよ。ある意味尊敬できますね」

「ふふんっ。ま、当然のことだね!」

「いえ、大臣、それは褒められてないと思います」

さりげない川凪さんの突っ込みを華麗(?)にスルーして、胸を張る鷺沼大臣。

さすがに川凪さんも、そんな彼の様子に呆れて首を振っている。

ま、そんなことはさておき。

差し出された紙に、僕は自分の名前を書く。

そして未だにふんぞり返っている彼に渡してやった。

彼はそれをいちいち偉そうに受け取ると、僕の名前を確認してひとつ頷く。

「うむ、ばっちりだね。では、写しを持ってこよう。それまで、応接室のほうで待っていてくれたまえ。応接室は、この部屋を出て右にある。それでは失礼」

そういって彼はおもむろに立ち上がり、川凪さんを連れて出て行ってしまった。

ついでに、部屋を取り囲んでいた気配も消えている。

突然一人部屋に取り残され、騒がしかった部屋が急に静かになった。

「あ~・・・。なんか、信用されてるんだかされてないんだかわからないよね」

彼のペースに見事にはまっていたようだ。

見事につかみ所の無い性格をしている気がする。

狸なのは間違いないだろうが。

なんとなく僕は溜め息の変わりに呟くと、彼らの出て行ったドアを開ける。

僕、方向音痴なんだけどな・・・。

さすがに今回は迷子になるのは不味いだろうと少しばかり不安になるが。

「え、まさか、こんなところにあっていいものなの?応接室って」

まさかの隣の部屋だった。

それでいいのか、魔法省。

少しセキュリティが心配になるレイアウトに僕驚愕。

とはいえ、ここは仮にも魔法省なのだから別段気にする必要は無いだろう。

てか滅んでくれてもかまわない、むしろ滅べ魔法省。

若干今から手を結ぶ相手に向ける感情じゃないな~、と思いながら応接室のドアを開けると。

「・・・・っ」

「・・・・」

僕は思わず息を呑み、無言で立ち尽くしてしまった。

部屋の中には、なぜか銀髪の少女がいた。

いや、銀髪、なのだろうか。

染めたようには見えない長い髪はもしかすれば白なのかもしれないが、部屋に差し込む光に反射し、輝いている。

きらきらと輝いて見える髪は、なるほど、一見すれば銀髪のように見える。

歳は同い年くらいか、それとも年下か。

そのぐらいの年齢に見える少女はソファーに座ったまま、入ってきた僕をじっ、と見つめてくる。

病院の患者が着るような、場違いな白い服を纏い、笑えばおそらく美人であろう整った顔を無表情にして、闖入者である僕を見つめる。

すらりとした鼻梁、整った柳眉、いっそ完璧ともいえる、どこか人間離れした美貌。

触れれば壊れてしまいそうな、どこか危うい美しい少女。

しかしその表情は、まるで人形のように感情を窺わせない。

輝く銀髪を腰まで伸ばし、不釣合いなはずなのにどこか似合っている病衣を身につけた少女は、まるで本の中から切り取られた存在のようだ。

だが、僕が思わず息を呑み黙り込んでしまったのはそんなことではない。

彼女と目が合った瞬間、僕は息が詰まるようだった。

どこまでも人形であるかのような少女の雰囲気を作り出しているのは、その容姿ではない。

目が。

深く、感情の欠落した目が、少女の雰囲気を形作っていた。

突然の闖入者に興味が引かれたわけでも、驚いたわけでもなくただ見ているだけのその目。

感情の無い、ただ生物としての反射だけで僕を見ている目。

感情を失った死んだようなその目は、まるで去年までの僕を見ているようで・・・。

「ふむ、これはなかなか面白いことになっているね」

「うぉわ!?」

突然後ろから聞こえてきた声に、僕は心臓が止まるかと思った。

未だばくばくとなる胸を押さえながら振り返ると、そこには予想通り鷺沼大臣の姿があった。

彼はいつに無く真面目な顔で僕らを見ていたが、僕の視線に気づくと軽く苦笑して見せる。

「やぁ鏡夜君、さっきぶりだね。それにしても、私は確かに応接室で待っていろといったが、別に座っていてもよかったのだよ?」

「いえ、まぁ、僕もそうしようと思ってたんですけどね。それより、あの子は?」

僕は曖昧に語尾を濁らせると、後ろにいる少女を示した。

少女は突如入ってきた大臣のほうには目もくれず、未だに僕のほうを見つめている。

なんとなく居心地が悪く視線をそらすと、そこにはニヤニヤとしたもっと居心地の悪くなる顔があった。

「ふむ、そうか。やはり鏡夜君も健全な男子高校生。小難しい取引の話よりも、年の近い女の子のことのほうが気になるのかな?」

「いえ、別にそういうわけでは・・・」

人の悪い笑みを浮かべた彼から顔を逸らしながら、僕は先ほどの不用意な発言を後悔した。

しまった、軽率だった。

これじゃ苛めてくださいと言っているようなもんじゃないか。

そんな僕の後悔を知ってか知らずか、彼はさらに言葉を続ける。

「いやいや、恥ずかしがることは無い。私だって君ぐらい若いころは、よく外を歩いては女の子の姿ばかり追いかけていたものさ。それどころか風が吹いた時なんかは思わず携帯を痛い!?」

「大臣・・・。頼みますからこれ以上恥をさらさないでください。ただでさえあなたは魔法省の恥なのですから」

意気揚々と語りだした彼の足を踏みつけながら、遅れて川凪さんが姿を見せた。

足を抑えて蹲る彼を見下ろしながらため息を吐き、僕に一枚の紙を差し出した。

「これが先ほどの契約書の写しです。しっかりと保管しておいてくださいね。それと、大臣が粗相をしてしまい申し訳ありません。彼にはよく言い聞かせておきますから」

「はぁ・・・」

淡々と語る彼女を見て、彼がどんな風に言い聞かせられるのかは考えないことにした。

明日のニュースで彼の死が報道されたら、きっと彼女のせいだろう。

彼が不慮の事故で死なないよう、僕は心の中で合掌。

「さて、車のほうはもう準備ができてますから、いつでも送っていけるんですが・・・。彼女のこと、気になります?」

「えっと、一応人並みには」

表情を一転、なんとも難しそうな顔をする彼女に僕は頷く。

僕の返事を聞いて、彼女は難しい顔をしたまま、

「・・・本当は、こんなこと部外者に話してはいけないのですが。・・・彼女、数日前に、目の前で実の父親を殺されているの」

辛そうに、そういった。

「えっと・・・。それなら彼女は、どうしてこんなところに?」

「本当なら今頃、彼女はカウンセリングを受けている最中なのだけれど。ちょうどその頃、思わぬハプニングが起きてしまって」

「思わぬハプニング?」

なんだろう、一体。

魔法省が対応に追われて被害者を蔑ろにするなど、よほどのことだ。

同時多発テロ並みの事件でもおきたのだろうか。

僕が困惑して首を傾げると、彼女が僕のほうをじっと見つめて。

「魔法省に連続殺人犯が来訪するなんてことが起きたものだから、みんな慌ててしまって」

「本当に、申し訳ありませんでした」

僕、土下座。

いや、実際にはしていないけど、それぐらいの気持ちで謝った。

思わぬところで、思わぬ迷惑をかけていたようだ。

今度ここに、菓子折りもって改めてお詫びに来たほうがいいだろうか。

そんな、第二の惨劇を生みかねないことを僕が考えていると、蹲っていた大臣が起き上がってきた。

まだ目の端に涙を溜めていたが。

「ああ、痛い。川凪君、少しは手加減してくれてもいいんじゃないのかい?危うく僕の足に穴が開くかと思ったよ。ところで、何の話だい?」

「彼女の話をしていたのですよ、大臣。ついでに、空気を読んでもう少しだけ蹲ってくれていてもよかったです」

地味に毒のある言葉とともに、彼女は僕の背後を示す。

それに彼は一瞬で理解を示し、同時に顔を歪めた。

「・・・彼女か。それは確かに、少しは空気を読むべきだったかな」

事件が事件なだけに、さすがにこんな時ばかりは彼もまじめな顔をしている。

「対策課の人間が到着した時には、すでに父親は事切れていたらしい。あわや彼女も、というところで、犯人を取り押さえられたらしくてね」

そこで彼は、少し顔を俯かせ、唇を噛んだ。

「何か薬をやっていたらしく、拷問するようにすぐには殺さず、彼女の前で殺戮を楽しんでいた。すでに動かなくなった体に、何度も、何度もナイフを突き立てるようにして・・・」

そこまでいうと彼は頭を振り、すぐにいつもの表情に戻った。

そしてそのまま、この話題は終わりとばかりに話を変える。

「さて!とにかく今日はもう帰りたまえ。鏡夜君も高校生なら、明日は学校だろう?いつまでもだらだらしていたら、明日になってしまうよ?」

「それもそうですね、大臣。では鏡夜君、行きましょうか」

鷺沼大臣と川凪さんの連携に、思わず僕は苦笑する。

気を使わせてしまったのだろうか。

一応僕も殺人鬼だから、慣れているといえば慣れているのだけれど。

まぁ、ここは甘えておこうか。

そう思って、僕も前へ一歩進もうとした。

「そうですね、帰りま・・・?」

しかし、くいっ、と服を引っ張られる感覚に、僕は思わずそちらを見る。

するとそこには、視界いっぱいの輝くような銀が広がっていた。

端的にいえば、例の少女が僕の服の袖を摘んでいた。

というか、いつの間に来たのだろうか。

まったく気配というか、足音一つ無かったのだが。

「・・・おや」

「・・・まあ」

二人がなぜかこちらを見て、目を見開いている。

正直、表情は変えていないとはいえ、僕も同じ心境なので気持ちはわかるが。

「・・・まさか、その子から動くなんて。話しかけてもずっと、何の反応も示さなかったのに」

川凪さんが僕らのほうを見て、信じられないというように首を振る。

その言葉を聞いて少女のほうに目を向けると、相変わらずの無表情でこちらを見ていた。

しかしその瞳は空虚ではなく、何か感情がちらついているように見える。

その瞳の奥にある感情を見極めようと僕がじっと覗き込んでいると、鷺沼大臣がポツリと一言呟く。

「愛・・・か」

なぜかその一言で、状況が悪い方向に転がっていくだろうとこの短時間で本能的に理解した僕がいた。

あわてて彼のほうを見るが、もう遅い。

「そうか、あれほど感情を表さなかった少女も、一目惚れという若さゆえの情熱を凍らせるほどではなかったか!」

なんか既にして疲れてきた気がするが、彼が止まる気配は無い。

むしろ目を輝かせて自分の世界にどんどん入っていっている。

「突然の不幸に心を凍らせてしまった少女の元に現れる、一人の少年。『僕が君の、心を溶かしてあげるよ』。優しく微笑まれた少女は、自分が恋に落ちたのだと悟る」

「すごい過去の捏造ですよ!一言もこの子と言葉を交わしてないのに!」

「しかし運命は残酷だ。二人の恋人を、別れが引き裂こうとする。去り行く少年に、思わず少女は手を伸ばす」

「・・・・」

「怖い!なんかこの子の無言がすごく怖い!」

「ああ!少女はもはや、少年からは離れられない!死が二人を別つそのときまで、彼らはもはや、恋の魔法から目覚めることは無いのだ!」

「とりあえず貴方が戻ってきてくださいお願いします!」

僕は心の底から懇願する。

僕はもうどうすれば貴方を止められるのかわかりません。

ああ、神がいるのなら僕をお救いください。

「というわけで、少年。恋のキューピットたるこの私が、最寄りの無い恋する少女を君の家に送り届けてあげよう」

神は死んだ。

いや、むしろ神はいなかった。

僕は絶望に顔を染めながら、それでも反論してみる。

「でも、その子の母親は・・・」

「数年前に事故で死んでいるよ。ちなみに、親戚はこの子の受け取りを拒否してる。だからもはや、君の家以外に行くところは無い」

「いやそもそもその結論に至るのが早すぎないですか!?それにほら、僕の家には家族が・・・」

「鏡夜君は一人暮らしでしたよね?」

「ここでまさかの裏切り!?」

まさかの川凪さんの裏切りに、僕はもう逃げ道を塞がれた。

心なしか二人とも表情が明るい。

いやむしろ輝いている気がする。

もしかして川凪さん、乙女チックな心を持っていたのでしょうか?

お願いですから正気に戻ってください。

「僕一応、殺人鬼ですよ?」

「なるほど、それならそこらの強盗やチンピラ風情にはやられないね。防犯面はクリアか」

「なんでもポジティブに考えればいいってもんじゃないですよ!?」

「ま、細かいことは気にするな。川凪君、鏡夜君とこの子を、鏡夜君の家に送り届けてやれ」

「わかりました」

「あれ、いつもの反論がない?」

こんな時ばかりは、川凪さんも彼に従順だった。

僕と少女は川凪さんに引きずられるようにして運ばれる。

しかも、こんな細腕のどこにそんな力があるんだっていうくらいの異常な力で。

「あ、そうだ鏡夜君。ひとついい忘れていたことがあったよ」

彼は引きずられていく僕らを見てぽんと手をひとつ叩き、

「その子、明日から君の通う学校に編入させるから、よろしく頼むよ。制服は、川凪君が渡してくれるだろう」

「なんか絶対に不条理だ!!」

僕が大声で叫ぶ中、少女は相変わらずの無表情だった。


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