慣れない言葉、そして日常は変化する
一話の長さ、長すぎですかね?
放課後、僕は机に凭れるように死んでいた。
「ほら、学校は終わったぞ。そろそろ復活しろ」
「・・・もう、むり、動けない・・・」
結局あの後、実技の時間丸々使って僕の魔法の練習をしていた。
魔法は地味に体力を使うため、それはもう長距離マラソンをしてきた後のようなダルさがある。
それに輪をかけて、女子の好奇の視線と男子の射るような殺気が僕の精神も削る。
あの時間を形容するなら、まさに地獄の一言に尽きる。
というか、他に形容の仕様がない。
これ以上あの時間を的確に形容するには、ちょっとだけ言語の限界を超える。
それだけのことをしたのだから、午後の授業は勿論死んでいた。
「・・・佐久間。・・・頼みが、ある」
このまま死んでいたい気もするが、早々世の中はうまく出来ていない。
あらかじめ対策を練っておかないと、死んだ先も地獄になってしまう。
「なんだ?通夜の準備なら、とっくに出来てるぞ?」
「・・・それを僕が頼むだろうと考えてる時点で、すでに間違っていると思う」
「そうか、そうだよな。葬式って、地味に金かかるもんな。いや、悪かった鏡夜。ちゃんと遺体は東京湾に沈めておく」
「何の話!?」
「鏡夜の死後についての話?」
「それ本人を前に言う話じゃないよねぇ!?」
「大丈夫、鏡夜にはまだばれてない」
「ずいぶんと幸せな思考回路ですね!」
佐久間のボケに、つい僕は大声を上げてしまう。
ああ、盛大に人選をミスった。
佐久間に頼みごとをすると碌なことがない。
残り少ない僕の体力がさらに減ってしまった。
過労死したら佐久間の所為だと遺書に書いておこう。
遺書を書く気力もないが。
「ま、それだけ元気なら心配要らないな。遠慮なく死んで来い」
「・・・まさか、事情を知っててこんな仕打ちをしたと?」
「俺が聞いた話が正しいなら、寧ろ喜ぶべき事態だと思うけどな」
「今なお浴びせられる男子からの殺気と、長距離マラソンを全力疾走したような疲れを含めてなお同じことが言えるならね」
「少なくとも、他の男子諸君はそれでもお前がうらやましいんだろうけどな。ところで、いいのか?」
何が、と僕が聞き返そうとした瞬間。
「えっと、篠崎君って今教室にいるかな?」
教室の入り口から、如月さんの声が聞こえた。
まさか、と思い時計を見てみると、すでに約束の時間になっていた。
僕は首だけを動かし佐久間を振り返り、恨みの籠もった目で見据える。
「佐久間、僕を、嵌めたな・・・!」
「人聞きの悪いこと言うなよ。意図的に時間を教えなかっただけだ」
「それを嵌めたっていうんだよ!他人事だと思って!」
「他人事だしな。せっかく面白くなりそうなのに、お前を助けるわけないだろ」
飄々とそう応える佐久間。
そのしれっとした顔を無性に蹴りつけたい衝動に駆られたが、そんなことをしている余裕はない。
こうしている間に、鼻の下を伸ばした男子から僕の居場所を聞き、如月さんがこっちに向かってきている。
僕は必死に頭をめぐらせるが、時間は僕の意思とは関係なく無常に過ぎ去っていく。
さして間を置かず、如月さんは僕のところにやってくる。
「ゴメンね、授業が長引いてちょっと遅れちゃった。待った?」
「いや、こっちもついさっき終わったところだよ」
まるで待ち合わせしていた恋人同士のような会話。
なのに僕の背中は冷や汗でぐっしょりだ。
僕は引きつったような笑顔しか浮かべられない。
「そっか。準備はもう出来てるよね?早速実技室にいこっか」
「いや、そのことなんだけどさ」
「うん?どうしたの?」
「悪いんだけどさ、明日にまわしてもらうわけにはいかないかな?今日はちょっと急よ・・・」
「お、なんだ鏡夜如月さんと待ち合わせしてたのか。いや~残念だ。今日は何も予定がないって思ってたから久しぶりに遊びに行こうかと思ってたのに」
「・・・・」
今までニヤニヤと僕らの様子を眺めていた佐久間が、僕が逃げようとすると自然を装って邪魔してきやがった。
取りあえず、近くにあった佐久間の足を如月さんから見えないように踏みつける。
佐久間の顔に脂汗が浮かんでくるのを見て、少しだけ気分が晴れる。
ざまぁみろ、天罰だ。
「あ、ごめん篠崎君。最後のほうよく聞き取れなかったんだけど、なんて言ったの?」
「・・・・いや、なんでもないよ。行こうか、如月さん」
もともと如月さんに悪意がないのを嘘をついて断ろうとしていたのだ。
一度嘘が使えなかったら、また嘘を重ねるのはどうにも忍びない。
それをわかった上で妨害してくる佐久間も佐久間だと思うが。
既にもう、ここから逃げるのは諦めている。
死地に向かう覚悟は決まった。
やけくそと言い換えてもいいが。
取りあえず、生きて帰ったら佐久間だけはぶちのめすと固く誓った。
実技室についた僕たちを迎えたのは、午前中とは比べものにならない静けさだった。
「まぁやっぱり、誰もいないか。放課後だし。それにしても如月さん、よくここの使用許可が下りたね。危険だからってなかなか先生たちも許可してくれないのに」
「え、そうなの?私が言ったらあっさりOKしてくれたよ?『如月さんなら大丈夫だろう』って」
「教師陣から物凄い信頼を得てるね」
普通の生徒が束になっても下りない許可も如月さんなら顔パスとか。
今更といえば今更だが、如月さんはやっぱり優等生なのだとしみじみ思う。
授業中居眠りして、教師から拳の制裁をいただいている僕とは大違いだ。
「そうでもないよ。さすがに一人だと許可は下りないだろうし。篠崎君のおかげだね」
「おかげも何も、僕の練習のために来ているわけだから、寧ろ感謝するのは僕のほうだと思うけどね」
「教えるのだって、復習としては効果的なんだよ?ギブアンドテイクよ」
そういって、なんでもないような顔をしている如月さんに、少しばかり感謝する。
如月さんは人当たりはいいが、あまりこういうことに積極的な行動は起こさない。
特に相手が男子なら、普通に話す分にはいいようだが、深くかかわろうとはしてこない。
何の気まぐれかはわからないが、それでもありがたいことには違いない。
たとえそれで、男子やファンクラブの面々から恨まれるようなことになっても。
ちょっと尋常じゃないほど殺気を放たれても。
きっと、ありがたい、はず。
「・・・それにしても、なんで練習に付き合ってくれるんだい?」
「ん?何でって、何で?」
「いや、如月さんが男子と一緒にいるところをあんまり見ないからさ。意外に思って」
そんな僕の疑問に、如月さんはちょっと苦笑する。
「だってさ、他の男の子ってなんだか私を見てボーっとしてるか、カチコチに固まって緊張してるかなのよ?それって嫌じゃない?篠崎君は私と話してても普通だし、面白かったから。それじゃだめ?」
「いや、別にいいけどさ・・・」
如月さんの応えに、ぽりぽりと頬を掻く。
正直、わからなくもない。
実際に如月さんに微笑みかけられて、平然としている男子は二人しか知らない。
もちろん僕と佐久間だ。
佐久間のほうは美人に慣れてるだろうから耐性があるんだろう。
僕はどちらかといえば苦手意識が先行してるため、特に効果がない。
でもまさか、その所為で目をつけられるとは思ってなかったが。
というか、僕は絶対見ていて面白いような人間じゃないと思うが。
「で、どうする?昼間みたいに、また適当に僕が魔法を練習する?」
「ううん。それじゃ効果はなかったしね。やっぱり、イメージトレーニングが大事じゃないかしら。沁句は特に間違ってないし、イメージとの齟齬があるんじゃない?」
如月さんがそう提案してくる。
それは僕も以前から考えていたことではあった。
だがこればかりは本当にどうしようもない問題だ。
自分の中の認識と結果の違いなんて、どうやって把握しろというのか。
自分は認識通りの結果を出そうと沁句を繋いでいるのに、その沁句が別の形に発動しようとしているのでない限り誤差は起きるはずもない。
ましてや沁句に問題がないなら尚更わからない。
僕はやれやれと肩をすくめる。
「イメージの問題っていわれても、どうやって練習するんだい?瞑想でもする?」
「ナイスアイデアだよ、篠崎君!」
「いや、冗談なんだけどね・・・」
成る程とばかりにぽんと手を打つ如月さん。
そこは少し疑いを持ってくれ、将来が心配になってくる。
なんだか如月さんの親の苦労が見える気がする。
「でも、実際いいアイデアだと思うよ?逆に何も考えずに魔法を使うと成功することもあるっていうし。やってみたら?一時間ほど」
「絶対にちょっとやってみるって時間じゃないと思う。それに」
そこでいったん言葉を区切ると、すい、と僕は教室の入り口に視線を向ける。
そのまま何もない空間を見据えたまま、言葉を続ける。
「それに、静かならまだしも、こんな人気の多い場所ではちょっと出来ないかな。さすがに無用心すぎるよね」
「え?私たち以外は誰もいないよ?」
「いや、いるよ。そうだよね、君たち」
首を傾げ、意味がわからないという風に僕を見つめる彼女を手で制し、誰もいないはずの入り口に向かって声をかける。
返答は無し。
どう見ても誰もいないようにしか見えないが、僕は確信する。
いる。
それも数人。
多くはないが、魔法無しではちょっとキツそうかな、と思いながら。
「隠れて盗み聞きっていうのは、ちょっと感心しないかな。・・・正直、不愉快なんだが」
少しだけ声に怒りを込めて、見えない彼らに話しかけると。
これ以上隠れる意味がないのを悟ったのか、彼らが姿を現す。
ゆっくりと、まるで消しゴムで消したかのように、見えていた視界に違和感が生じる。
今までは誰もいない空間を映していた瞳は、浮かび上がるようにして現れた六人の影を映し出す。
見覚えはないが、来ている制服を見るに上級生なんだろう。
彼らはニヤニヤとした嫌な笑みを浮かべて、僕の後ろの如月さんのほうを見ている。
いきなり現れた彼らを見て、如月さんが横で息を呑むのがわかる。
全く、下衆な奴らもいたもんだな。
今時こんな風に女性を襲おうとするなんて。
しかも集団で、力ずくで。
そんな奴らには不快感しか感じない。
というか、学校で何をしようと思っているんだこいつらは。
そもそもこの魔制は全国的に知名度が高い。
魔法を扱う学校が全国にまだ数えるほどしかなく、中でも魔制は日本初の魔法を専門教育として作られた学校。
勿論倍率も高く厳選された人間しか入れないとはいえ、新入生の受け入れ人数が1000人を超える規模になると、当然治安も悪くなる。
ゆすり、恐喝、果てには殺人なんて事例もある。
教師などの管理にも限界があり、少なくは無い問題を抱えた高校。
だから当然、考えられなくは無い事態。
僕はさりげなく如月さんをかばうように移動すると、僕のことなど眼中にないという風に如月さんばかりを見ている連中に声をかける。
「ふうん、透明化か。なかなか高度な魔法を使うね、先輩方。ところで、先輩方はこんなところに何の用かな?」
僕がよくわからないという風に首をかしげると、彼らが始めて僕のほうに視線を向ける。
しばらく全員で僕を鬱陶しそうに見ていたが、僕が話さないとわかると、彼らの中の一人が進み出て口を開く。
「・・・如月に少しばかり、用事がある。すまないが席をはずしてくれるか?」
鬱陶しそうな表情で、しかし声だけは冷静にそう話しかけてくる。
ふむ。
こんなわかりやすい嘘ではいそうですかと席を外す奴がいると思って言ってるんだろうか。
いると思ってるなら馬鹿で、いないと思ってるなら時間を無駄にする馬鹿だ。
ていうか、明らかに下心丸出しの野郎共の話を誰が信用するというのだろうか。
「残念ながら、先に僕が如月さんと約束していてね。先輩方、諦めて今日は帰ってくれないかな?」
僕はそういって出口を指し示してやる。
これで出て行くとは思えないが、先に手を出すと後々厄介そうだから仕方がない。
決して彼らのような馬鹿とは一緒にしないでくれ。
そんなことを考えながら、しばらく待っていてやる。
彼らは僕の言葉に無言でこちらをにらんでいたが、唐突に表情を和らげる。
「・・・そうか、ならば仕方がないな」
連中のその台詞を聞き、如月さんが安堵の溜息を漏らす。
しかし男は、そのままの表情で、
「仕方ないから、力ずくで連れて行くことにしよう」
そういって、沁句をつなぎだす。
「我は願わん。彼の者の拘束を。風よ、我が願いを聞きいれよ」
突然の魔法に、如月さんは咄嗟に対応できない。
僕は為す術もなく風に拘束され・・・。
「先輩、対人への魔法の行使は校則違反ですよ。僕だったからよかったものの、以後気をつけてくださいね?」
「な!?」
平然と、何事も無いように立っている僕を見て男は目を見張る。
無理もないことだが、その隙を利用しない手はない。
連中が動揺している隙に、僕は彼らの元へ走り出す。
彼らもその行動に慌てて魔法を使おうとするが。
「遅いよ」
既に間合いの範囲内。
連中には僕が唐突に現れたようにしか見えなかっただろう。
そのぽかんとした顔で僕を見る先輩に対して僕は、
「少し痛いですけど、我慢してくださいね」
勢いをつけた右ストレートを鳩尾に叩き込む。
それだけで先頭の男はそのままの表情で意識を失う。
のこり、五人。
「っ!貴様!」
「やっぱり馬鹿ですか、貴方達」
この距離なのにまだ魔法を使おうとしてくる馬鹿共に強烈な回し蹴りを放つ。
一人が吹き飛ばされ、一人がその下敷きになる。
これでもう、残り三人。
とはいえ、もうそこからは瞬殺だった。
というか、この距離なのにタイムラグがある魔法を使おうとしてる時点で勝ち目はないだろう。
最後の一人だけは殴りかかろうとしてきたみたいだが、あっさりかわされお返しのカウンターを食らってK.O。
殴り合いすら出来ないんなら、そもそも僕を近付かせてしまった時点で勝機はない。
女性を襲おうとしていたくせに、驚くほど弱い。
六人がかりなんだからせめて僕に一矢報いろよ、とそう思ってしまう。
ま、なんにせよ、片付けは終わった。
僕が手をぱんぱんと叩きながら後ろを振り返ると、そこには目を丸くした如月さんが。
「あ、怪我はない?如月さん」
僕が声をかけると、如月さんはハッと僕と連中との間で視線を彷徨わせる。
そして僕のほうを見て目をぱちぱちさせると。
じわっ。
「え!?ち、ちょっと、どうしたの!?」
「う・・・・ひっく、ぐす・・・・」
唐突に目に涙をためると、如月さんが泣き始めてしまった。
僕は慌てる。
連中が現れたときよりも絶対動揺している気がする。
こんなときどうすればいいのか全然わからない。
僕は何も出来ずわたわたと如月さんを見て慌てるしかない。
「・・・ごめん、篠崎君・・・・ごめんなさい・・・・」
僕が一人で慌てているのをよそに、如月さんはただ泣きながら謝るばかり。
それを見て、僕はさらに動揺する。
そして僕が慌てると、如月さんはさらに激しく泣き出す。
僕はどうすることも出来ず、この悪循環は続いていく。
・・・結局事態が収束したのは、部活帰りの佐久間が様子見に来るまで続いた。
その後、取りあえず落ち着いた僕らは、さっきの六人組を先生に引き渡した。
事情を聞いた先生は、受け取った六人組を乱暴に生徒指導室に放り込むと、こちらを気遣わしげにみて言う。
「・・・わかった。こいつらの処分はこっちでしとくから、お前たちはもう帰れ。なんなら、送っていこうか?」
「いえ、結局何もされませんでしたから、大丈夫です」
「そうですよ、先生。それに、二人のことは俺が責任もって送り届けますから、大丈夫です」
先生からのありがたい提案だったが、僕らは断っておく。
まだ如月さんも落ち着いてないし、先生が介入すると余計如月さんの負担になるだろう。
実際本当に被害はないので、如月さんのことを考え、僕は断った。
佐久間もこう言ってるし、僕と同意見なのだろう。
「そうか。佐久間がそういうなら安心だな。だがまぁなんにせよ、こんなことがあった後だ。さすがにこんな馬鹿はもういないと思うが、時間ももう遅いからな。気をつけて帰るんだぞ」
「わかりました。それでは失礼します」
そういって、僕らは教員室を後にする。
途端、僕らの間に沈黙が漂う。
僕は助けを求めるように佐久間を見るが、佐久間も同じように僕を見返す。
如月さんは顔を俯かせたまま、何も言ってこない。
沈黙が、物凄く息苦しい。
何だが僕らの周囲だけ、くすんだオーラを発している気がする。
「ああ、と。そういえば如月は、どこに住んでるんだ?先生にも言ったが、よかったら送っていくぞ?まぁよくなくても送るが」
「・・・大丈夫。心配しなくても一人で帰れるから。・・・本当に、迷惑かけてごめんなさい」
佐久間が気を利かせて会話をしようとするが、如月さんはますます顔を俯かせてしまう。
僕が責めるように佐久間を見ると、佐久間がだらだらと冷や汗を出している。
佐久間なら何とか出来ると思っていたが、無理だったようだ。
まったく、役に立たない。
「あのさ、如月さん。迷惑だなんて思ってないから、謝らなくてもいいんだよ?」
「・・・だってあの人たちは、私を襲おうとしてたんでしょ?それなのに、篠崎君にまで迷惑かけて。本当に、ごめんなさい」
そういって、また目に涙が溜まってくる篠崎さん。
それに僕は思わずたじろぐ。
正直僕は女の子を慰めるなんてやったこともないし、出来るとも思わないんだが、
肝心の佐久間はあらぬ方向を見つめて口笛を吹いているし。
やっぱり僕が、やるしかないんだろう。
心中で、こっそりため息。
「・・・確かにさ、あいつらは如月さんが目当てで、僕は巻き込まれたほうなんだと思う。それは間違ってないよ?」
「・・・うん。だから・・・」
「だけどさ」
涙を堪え、悲観的な態度を崩さない如月さんの台詞を、僕はさえぎる。
小さくなり、顔を俯かせたままの如月さんに、僕は慎重に言葉を選ぶ。
「だけどさ、如月さんも僕も、誰も傷つかなかったんだから、それでいいじゃないか。別に僕は、如月さんを悲しませるために助けたわけじゃないよ?それに・・・」
そういって僕はいったん言葉を区切り、右手を如月さんの頭の上に乗せる。
びくり、と体を震わせる如月さんの頭を、僕は優しくなでてやる。
「こういうときは、ごめんなさいじゃなくてありがとう、だよ」
言いながら、ゆっくりと安心させるように頭を撫でる。
撫でながら、僕は顔を真っ赤にする。
こういう気障な台詞は、僕じゃなくて佐久間に似合うと思うのに。
本当に役に立たない男だ。
というか、何しに来たんだよ。
最初に僕らを落ち着かせたこと以外、結局何もしていないじゃないか。
そんな風に佐久間への小言を考えながら、今の恥ずかしい状況に目をそらしていると。
「・・・篠崎君」
やっと、如月さんが顔を上げてくれる。
涙目で僕を見上げ、何度か迷うように口を動かした後。
「・・・ありがとう」
小さく、僕以外には聞こえないような声でそういって。
同じくらい小さく、如月さんは微笑んでくれた。
その後僕らは、特に重い空気にもなることはなく、そこそこに楽しく帰ることが出来た。
唯一つだけ、驚く点があったといえばあった。
如月さんの家が驚くほど、それこそ僕の家の五倍ぐらいの大きさを持っていたこと。
そういえば如月家は、商業でも魔法でも頭一つ分飛ぶ抜けた家だった。
如月さんがそこのお嬢様だったことなど、既に僕の頭の中からは抜け落ちていた。
そのため、門を開けた如月さんを「お帰りなさいませ、お嬢様」なんて、大勢の執事やメイドに言われているとき、僕と佐久間の頭は文字通り固まっていた。
そんな僕らの様子に、如月さんは恥ずかしそうに顔を赤らめていたが。
そんなこともあって、帰ってきたのがつい先程。
僕は玄関先で死体となっていた。
「・・・なかなか、ハードな一日だった・・・」
呻くように僕はそう呟く。
本当は今日の夜も走り回ろうと思っていたのだが、悲しいかな、体がこれ以上動かない。
どちらかというと精神的に疲れた一日だった。
僕は穏やかな日常で満足なのに。
「まぁ、殺人鬼が何を言ってるんだかって話だけどね・・・」
余程疲れているからか、僕はちょっと自嘲気味にそう呟く。
でもそう考えると、今日は殺人鬼が珍しく良いことをした一日だったのか。
蜘蛛を助けたカンダタのように、僕も助けてもらえるのだろうか。
神も仏も信じてはいないけど。
疲れて回らない頭で、いろいろ考えてしまう。
でも最終的に、結論。
「・・・あ、もう無理、寝る・・・」
家に帰って安心した途端襲ってきた疲労感が、今では猛烈な眠気に変わっている。
僕はふらふらとした足取りで自分の部屋まで歩いていくと、今度こそ完全に意識を手放した。
次の日、僕は登校した途端眠りについた。
昨日寝れなかった分を取り戻すためだ。
登校して無言で席につき、佐久間の挨拶も先生の怒鳴り声すら無視して眠りについていた。
それはもう、死んだように昏々と。
そもそも僕は一日二十時間ほど寝れる奴なのに、昨日の睡眠時間で足りるわけがない。
普段なら目を覚ます先生の拳すら、僕の睡眠を中断させるには至らなかったようだ。
結局目が覚めたのは、ちょうど昼休みに入ってからだった。
授業が終わったばかりだったのか、まだ教科書を片付けている隣人の姿を目を擦りながら眺める。
そして思わずポツリと一言。
「眠い」
「一生寝てろ」
「そして痛い」
「教科書で殴られてたからな」
「じゃ、お休み・・・」
「いやいい加減起きろよ!!」
おお、佐久間がとっても元気がいい。
いやはや、最近の若者は元気だなぁ。
そうやって閉じられていく視界で考えていると、唐突に頭が揺さぶられる。
「起きろ、もう昼飯の時間だぞ」
「わかった、起きるよ。だからあと五時間待って・・・」
「それは決して起きるとは言わん」
「・・・おお!」
さすが佐久間、なんて頭が良いんだ!
だから僕を寝かせておくれ。
「おい、もうほんとに起きろよ。大体お前、如月と約束があっただろうが」
「へ?そうなの?」
「・・・やっぱりこいつ、覚えていなかったか・・・」
何故だか佐久間が、頭痛を抑えるようにこめかみを揉んでいる。
ふむ、今度頭痛薬でもプレゼントしてやろうか。
無理は体に毒だし。
っとまぁそんなことより。
「僕別に今日は、如月さんと約束した覚えないんだけどなぁ」
「ああ、安心しろ、このクラスの奴全員が証人だ。お前は今日如月と約束がある。お前の命を賭けてもいい」
「いや、勝手に僕の命を賭けないでよ?」
「じゃあ、有り金全部を賭ける。勿論鏡夜の」
「さっきから僕しか損してないよ!?」
「馬鹿だな鏡夜。俺が損してまで賭け事するわけないだろ?」
「言い出したのは佐久間だからね!?」
やれやれというふうに首を振っている佐久間に、僕は軽く殺意が沸いてきた。
眠気?
佐久間への怒りでそんなもの吹き飛んでいる。
「まぁ、落ち着けよ。実際嘘はついてないぞ?単純にお前は身に覚えがないだけだ」
「なのに僕と約束したと?意味がわからないんだけど」
「そりゃそうだろうな。お前寝てたし」
「・・・は?」
ますます持って意味がわからない。
佐久間は僕をからかっているのだろうか。
それなら心置きなく佐久間をミンチにしてやるのに。
誰が寝ている人間と約束を交わすなんてするんだろうか。
物理的に不可能だと思うんだけど。
「いや、な?二限目の終わりに如月の奴が来てな、お前が寝ていると気づかずに話しかけたんだよ」
「・・・いくら僕でも、寝ている人間に話しかけて気づかないような奴はいないと思うんだけど」
「・・・それがな。如月の奴顔を俯かせたままお前に話しかけていたもんでな。お前が寝てることにいまいち気づいていなかったみたいだ」
「珍しいこともあるもんだね。昨日の今日だから無理もないかな?」
昨日は最終的に立ち直ってくれたとはいえ、やはりまだ自分の中で折り合いがつけられないのだろうか。
僕が少しだけ思案顔になって黙り込むと、佐久間はそうじゃないというふうに首を振り。
「俯かせているとはいえ、如月の奴が耳まで真っ赤になってたのは傍から見てもわかるくらいだったぞ。絶対に昨日のことは気にしていない」
そう真面目な表情で言ってくる佐久間に、僕は、はぁ、とだけ返す。
意味がわからない。
というか、話のつながりがよく見えてこない。
自己完結させずに、ちゃんと話してほしいんだが。
「まぁよくわからないけどそれは置いとくとして。僕は如月さんとなんて約束をしたことになってるの?」
「お昼」
「はぁ?」
「お昼ご一緒しても良いですか、だとよ」
「・・・」
なんとなく、話が見えてきた。
だから僕は、耳を塞ぎたくなってきた。
というか、このまま狸寝入りすればどうにかならないだろうか。
・・・無理だろうなぁ。
八割以上諦めながら、それでも最後の抵抗とばかりに僕は佐久間に尋ねる。
「でもさ、僕は寝てたわけだろ?どうして如月さんは、僕と約束したと思い込んだの?」
「それはな、お前が本当に絶妙なタイミングで、寝言を言ったんだよ」
「・・・なんて?」
「『わかった、ちゃんと約束は守るよ』。本当に絶妙すぎて、一瞬お前が起きてるんじゃないかと思ったぞ。その様子を見る限り、本当にただの寝言だったみたいだが」
詰んだ。
完全に詰んだ。
それはもうシューティングゲームで残機がゼロのときのように。
または初期装備でラスボスに挑むときのように。
・・・少し違うか?
兎に角、わかったことは一つ。
「如月さんとの待ち合わせ場所は?」
「屋上だ。いかにもおあつらえ向きな場所だな」
今すぐ僕は、如月さんのところに行かなければならないってことだ。
頼むから佐久間、そんな面白そうに僕を見ないでくれ。
そして教室にいる男子諸君、そんな親の敵のような目で僕を見ないでくれ。
僕は基本的に無実だ。
『ちっ。この女誑しめ』
『自覚がないのが一番性質が悪いよな』
『天然の女誑しか。滅びれば良いのに』
『リア充め!イケメンめ!』
・・・うん。
言葉の暴力って、いけないと思う。
僕の胸はいまざくざくと切り裂かれている。
というか、最後の言葉だけは全力で否定させていただく。
そういうのは佐久間にいってやってくれ。
僕は弁当箱をつかんで教室から逃げるように立ち去りながら、そう考えていた。
屋上の扉を開けると、すでに如月さんの姿があった。
如月さんのほかに、人の気配はない。
屋上といえば密かな人気を呼びそうな場所だと思うんだが、この学校の屋上には鍵がかかっている。
それはつまり、先生から鍵を貸してもらえるほど仲がいい、あるいは信頼されている生徒か、
先生直々にかけた魔法を解ける実力者でない限り不可能。
よって屋上とは、ある意味生徒たちの間で伝説になっていたりする。
曰く、あそこには何かあるだとか。
曰く、あそこで告白すれば恋がかなうとか。
曰く、あそこに入れるものは、それだけで高校卒業の権利がもらえるとか。
それほどの場所だ、人がいるはずはない。
まぁ如月さんの場合は、先生たちと仲もよく、信頼されている所為だろう。
だから僕も今こうして、堂々と屋上には入れているんだろう。
僕はドアを閉めると、如月さんの方に歩き出す。
ドアの音で気がついたのか、如月さんが僕の姿を確認して微笑する。
少し申し訳なさそうに、そして何かに緊張するように固い笑顔だ。
僕はそれに右手を上げて応えると、如月さんのところまで行き、隣に腰掛ける。
「ごめん、ちょっと待たせちゃったみたいだね」
「・・・ううん。私も今来たとこだから」
如月さんが小さく首を横に振る。
・ ・・何故だろう、このやり取りつい最近した覚えがあるんだが。
唐突に頭に浮かんだ雑念をとりあえず振り払う。
「ま、取りあえずお弁当にしよっか。お腹空いちゃったからさ」
なんだか僕が黙ったままでいると如月さんも黙っていそうだったから、僕は食事に逃げることにする。
「うん」
如月さんがこくりと頷き、僕らは自分たちの弁当箱を開く。
そして、如月さんの弁当箱を見て、少し驚く。
「なんというか、すごくおいしそうなお弁当だね。如月さんの」
「え?そ、そうかな・・」
今まで少し固い表情をしていた如月さんが、急に照れたように顔を赤くする。
「私お弁当は、前の日の夜に準備だけしておく性質だから。それに、手の込んでるように見えて、結構簡単なものばっかりだよ?」
「いや、それでもすごいよ。僕が作ったって、ここまでおいしそうには出来ない、というかそこまで弁当に力を入れてないし」
僕の弁当は作るのに下ごしらえなどいらない。
玉子焼きとか、唐揚げとか。
なんというか、オーソドックスなものばかりだ。
変わり映えのしないメニュー。
面倒くさいから変える気も起きないけど。
「え?篠崎君もお弁当自分で作ってるの?」
僕の言葉に、如月さんがこてんと首を傾げる。
「うん、まぁ。僕の家族ってさ、今家にいないんだよね。実質一人暮らし」
「そうだったの?・・・偉いんだねぇ、篠崎君。大変でしょ?一人暮らし」
「そうでもないよ。掃除が大変ってことはあるかもしれないけど、食器も洗濯も一人分だしね。たいした苦労じゃないよ」
実際、一人暮らしの苦労といえば掃除と、毎日の食事くらいか。
こればかりは流石に、自分ひとりのために手の込んだ料理を作る気にもなれない。
それでもやはり、毎日メニューは変えていかないと飽きが来てしまう。
こればっかりはめんどくさい。
後は、一人暮らしにしては家が大きすぎるってことくらいか。
贅沢な悩みだとは思うけれど。
「ふ~ん。そんなものなのかな?」
「そんなものだよ、きっと」
「そっか。・・・ところでさ、篠崎君。篠崎君の玉子焼き、一つもらっちゃだめ、かな?」
「ん?いいよ?」
如月さんが少しばかり、遠慮がちに尋ねてくる。
僕としては、あんまり自分の料理を人に食べさせることもないので嬉しい話だ。
僕が勿論とばかりに快諾すると、如月さんが恐る恐る玉子焼きに箸を伸ばし、ぱくりと一口に口の中へ。
僕は思わず顔を綻ばせながら、如月さんが玉子焼きを食べている様子を眺める。
如月さんはゆっくりと咀嚼しながら、次第に眼を大きく開いていき。
「・・・おいしい」
一言そういった。
「よかった」
僕はその言葉に目を細めて笑う。
「・・・こんなにおいしかったら、お弁当作ってあげるとか、料理を教えてあげるとか、出来なくなっちゃう・・・」
ぶつぶつと、如月さんが小さく呟く声を聞いて、その笑顔も凍りついてしまったが。
こんなときばかりは、料理が得意だったことに少しばかり感謝する。
よくやった、僕。
「・・・ところでさ、僕も一つ貰っていいかな?如月さんのもとってもおいしそうだし」
僕は取りあえず、聞かなかったことにして話を続ける。
やっぱり世の中、触れてはいけないこともあるだろう。
そう思って振った話題なのだが。
「・・・え、えっと、私の?食べたいの?」
途端にキョドキョドと挙動不審になる如月さん。
僕は意味がわからず、ただこくりと頷く。
それを見て如月さんは、顔を赤らめてさらにわたわたと少し慌てた後、意を決したようにぎゅっと一瞬だけ目を瞑る。
そして、如月さんのお弁当の中でも特においしそうな酢豚を箸で掴むと、僕に向けて差し出してくる。
・・・箸ごと渡されても、困るんだけどなぁ・・・。
そう思って、僕が少しだけ戸惑っていると。
「・・・あ、あ~ん・・・」
プルプルと腕を震わせながら、目を瞑ったまま真っ赤になった顔でそう言ってくる。
そのなんとも恥ずかしげな、それでいて一生懸命な様子に僕も顔を赤らめてうろたえる。
「う・・・、え、と・・・」
僕は視線を彷徨わせながら、必死に善後策に頭を巡らせる。
しかし考えれば考えるほど、頭の中は真っ白になっていく。
如月さんも如月さんで、そのままの姿勢で頑なに動こうとはしない。
最初から、選択肢などはない。
だから僕は早々に思考を放棄する。
結局はこの、何かの罰ゲームのような、ご褒美のようなことをしなければいけない。
「・・・あ、あ~ん・・・」
如月さんと同じようなことを口にして、僕は如月さんの酢豚をぱくりと銜える。
お互いに顔を赤らめ、なんとなく恥ずかしい沈黙の中、僕は酢豚を飲み込む。
「・・・おいしかったよ、如月さん」
僕はそう感想を口にするが、実際のところ味なんてわからなかった。
というか、そんなものを感じる余裕なんて無かった。
だから僕は取りあえずそういったのだが。
「ほんと?おいしかった?」
如月さんが頬を赤く染めたまま、上目遣いに尋ねてくる。
僕が無言で頷くと、如月さんは顔を俯かせて押し黙る。
そしてそのまま、また箸で今度は違うおかずを掴むと。
「・・・あ、あ~ん・・・」
「・・・・」
こと此処に至って、僕はようやく悟った。
これはご褒美ではない、やっぱり罰ゲームだ。
だって一回でも恥ずかしくて死にそうなのに、これがきっと昼休みの間中続くのだろう。
のぼせてしまいそうな思考の中で、僕は遺書の用意を本気で検討していた。
「・・・ぷっ、くくくくくくく・・・・」
教室に戻った僕がことの顛末を話すと、佐久間は押し殺すように笑った。
必死に笑いを堪えようとしているようだが、それでも笑いが漏れてしまっている。
僕は天を仰ぐようにして眼を閉じると、佐久間に一言。
「・・・笑いたければ笑え」
「ぎゃははははははははははは!!」
僕が諦めたように呟くと同時、佐久間が腹を抱えて笑い出した。
その声を聞いて、僕はどうにも情けない気持ちになってくる。
「そんなに笑わなくてもいいだろうに。ていうか、佐久間は僕の苦労がわからないからそんなに笑えるんだ」
「くくく・・・・、だって、お前らが、そんな中学生みたいな初心なカップルをやってたかと思うと・・・ぎゃははははは!」
どうやら笑いは止まらないらしい。
いっそのことそのまま笑い死にでもすればいいものを。
「くくくくくく・・・・、あ~腹いてぇ」
「で?言うことはそれだけ?」
「ご馳走様でした。最終的には胸焼けしそうなくらいの甘さでした」
「笑い事じゃないよ、全く。藍凪のおかげで僕がどれだけ苦労したか・・・」
「お?お前ら、もう名前で呼び合うような仲になってるのか?」
その言葉に僕は思わず顔を赤らめる。
相変わらず、嫌なところに気のつく奴だ。
「・・・帰り際に言われたんだ。僕のことは鏡夜と呼ぶから、私のことは藍凪って呼んで欲しいって」
「おーおー、なんともお熱いことで。火傷しちまいそうだな」
他人事だと思って、佐久間の奴はなんとも楽しそうだ。
僕としてはなんとも頭の痛い状況だというのに。
「あのさ、佐久間。吊り橋効果って知ってる?」
「とはいえ、満更でもないんだろう?付き合っちまえばいいんじゃないのか?」
「う・・・。でもさ、藍凪も今は、気持ちの整理がついてないだけだって。時間も経てば、冷静になるんじゃないかな?」
「だから怖くて付き合えないって?」
「いや、そうじゃなくてさ」
佐久間の言葉に、僕はふるふると首を振る。
そして、一呼吸置いて。
「藍凪と付き合って、僕はそれでいいかもしれない。でも、藍凪はそうじゃないだろ?一時的な感情に身を任せるもんじゃない」
そう、僕はいい。
藍凪は学校のアイドルだ。
そんな彼女と付き合えるなんて、これで文句を言えば罰が当たるだろう。
でも、藍凪は?
客観的にみても、僕と藍凪は釣り合わない。
そんな関係だといつか、破綻してしまう。
間違いだと気づいておきながら、間違えるべきじゃない。
「・・・それはだいぶ、自分のことを過小評価しすぎだと思うがねぇ、俺は」
佐久間がどこか呆れたように呟くが、その言葉を僕は否定する。
「客観的にみた、的確な評価だよ。それに、僕は藍凪と付き合いたいとは思ってないからね」
「早速名前を呼び合うほど親密になってる奴が言っても、説得力はないな」
「うっ・・・」
佐久間の言葉を否定できない僕が居た。