〜幻精国〜回り始める車輪
「蒼き精霊」、「岩男」、「英智の花人」
ー太陽王の城で暮らしていた頃、精霊女王の三人の守護者はそれぞれこう呼ばれていた。
王の軍と共に戦場を駆けた彼らだったが、その行く先が分かれてからもう長らくたつ。
岩男はその溢れる正義感故に、王の政治手腕を嫌い城を去ったし、英智の花人はとある商人の男と恋に落ち、隣国へ嫁いでいった。ただ一人、蒼き精霊だけが女王の側に残ったのだ。
ーイエーネ、見て。王のためのお守りを作ったのよ。
ー花の香りと気がこめられているの
ー私王のことが愛しくてたまらない。だから死んで欲しくないの。人は自然に還ることができないでしょう
そしてあの惨劇をむかえる。
王の死の後、蒼き精霊も女王の元を去った。幻精族を虐げるようになった人間。彼らが絶対に踏み込めない世界という名の国を造るため。そのためにイエ=エネは人柱として長い眠りについたのだ。
ーイエーネ、大好きよ
ーごめんなさい。ああ、でも、どうか、
私を一人にしないでっ……
ーイエーネ…
ー……
ー…
ー…
ーイエ=エネ、蒼き精霊、君にアゲル
ー全てを無に還す力。
母から、父からモラッタ光。
僕が、ヒトが、想いが、穢したソレ。
ー僕に本来人格はなく、私の人格は世界の
写し絵。だから俺は現れたのさ。
目に狂気を宿らして。
ー君が決めればいい、アゲル。
ー今度こそ守ろうぞ
ークリス、私があなたを救ってみせる
ー彼はある意味では潔癖症なのです
ーエランデ、君が
* * *
「久しぶりだな、いや、おはようと言うべきか?」
「なぜお前がここにいる」
精霊女王の居城の一室、着替えようと胸元の合わせ目に手をかけたイエ=エネの後ろ、なぜか岩男がいた。
「ひでぇな。九十年ぶりの逢瀬だっていうのに。あ、照れ隠しか?素直じゃないからな、お前」
それに対し眉をよせると、顔を覗き込んだ岩男がおかしそうに笑い出す。
「大丈夫だ。ちゃんと女王の許可は得てここにいる」
許可と聞いて、一瞬まさか部屋に忍び込む許可か、と馬鹿な考えが浮かんだが、そんな訳がない。幻精国に、女王の膝下にいることを許されたということだろう。
「それはよかったな。着替えるから出て行け」
未分化者といえど、この男にだけは肌をさらしたくない。
「えー、銀の嬢ちゃんには見せたんだろ。いいじゃん、裸の付き合い!凹凸のないお前の白い肌を俺にも見せろ」
「異常性欲保持者が。言葉がおかしいぞ。付き合い……まさか脱ぐ気か」
お望みならな、と服に手をかけまた笑いだす。
「それより何の用だ?」
「ヤマト衣。着替えるのに必要だろ」
実にさらりと言われたその単語に、心臓が跳ねる。
「お前が自己犠牲という、馬鹿をやったと聞いた時にな。お前のヤマト衣のことを思い出したんだ。ちゃんとした管理が必要なんだろ?なのにお前は案の定、誰にも託さず行っちまった。ったく。で、仕方ないから俺が預かっていたんだ」
嬉しいと、珍しく素直にそう感じた。しかし、同時に混乱して眩暈がする。
「すまない、助かった。だが、だかな、そなた何故わたしが起きると?その言いようはまるで知っていたかのようだ。あのまま朽ちたかもしれないわたしだ、なのに」
「朽ちらせて、たまるかよ」
「言っとくが、俺一人じゃねえぞ。案外お前も愛されてるんだよ」
* * *
濃紺の地に映える黒、紫の花々。金色の刺繍も美しい。
「まあ綺麗!それも長襦袢と同じ衣なのですね」
銀の娘、ジルが目を輝かせて見つめる先、ヤマト衣に角帯をしめたイエ=エネがいた。
「ああ。わたしの故郷の品だ」
まあ、と声をあげさらに嬉しそうに見つめる。
「ジル殿、女王への謁見はいつ頃に?」
「それが、明日の夕暮れ時、招集がかけられることとなりました。イエ=エネ様だけでなく、幻精族全てに伝えるべき大事がおありのようで」
「そうか。ならばそれまで出かける。この国を見たい」
翼を広げ窓から飛び出した。金色に輝く鱗粉だけがその場に残される。
国中に森や川が広がっている。そして耳を澄ませば、風の音と共に同胞のざわめき。
「蒼き精霊?まあ、懐かしい」
「お、蒼さま。起きなさったか」
「イ、ネ?クオン、トイ!!」
たちまち静寂を切り裂き、ざわめきが大きくなる。獣達の足音や咆哮、揺れる木の葉まで。皆が迎え入れる。
そしてもう一つ、世界さえ切り裂きそうな一人の娘の声。
「あれが噂の蒼き精霊?本当に起きたのね。でもこれでようやく始められますわ。クリス。優しいあなたに代わって私が戦を始めてあげる」
娘は小指にはめた、赤い石の指輪に口付け微笑む。もう一つ、耳に赤と青のピアスを揺らしながら。