その2
2
「えぇーっ! 消えたっ?」
適当に四つの机を寄せ合った小島の中、早速大好物のコーンマヨパンを頬張った葵が、喉を詰まらせつつ叫ぶ。
「消えたって、意味ワカンネー……ヤバイ、ウケる……ハハッ!」
飲みかけのコーラをスプラッシュしかけたウメは、両手で口を抑えてうつむき、笑いを堪えてぷるぷる震えている。
「あ、このチョコ美味しいね」
水瀬さんはマスクを外し、一口大のチョコ菓子を嬉々として摘んでいる。「葵ちゃんもどう?」なんて小箱を差し出したものの、葵はパンをごくんと飲み込み「ごめん、今ダイエット中だから」と、若干矛盾したことを口にして突っぱねた。ウメも俺も甘い菓子に興味がないため、首を横に振る。結果、水瀬さんは「やった、一人占めだ」と幸せそうに微笑んだ。
……どうやら水瀬さんは、意外と天然キャラらしい。
それとも、俺のためにわざと話題を逸らそうとしてくれ……いや、それはないか。
俺はスポーツドリンクを勢いよくあおると、三人を見つめながら状況を語った。
「俺が靴箱の前を離れてから上履きを取りに引き返すまで、正確には分からないけど、ほんの一分ってとこだと思う。ゴリゴは職員室に行くってのんびり歩いてったし、往復でも五分くらいはかかるだろ? だからゴリゴが来る前にブツが消えたんだよ……まあ証拠隠滅したのは、おおかたこの悪戯を仕掛けた犯人だろうけど」
俺の視線を受けて、ウメが大げさに両手を横に振った。
「おいおい、オレのことまだ疑ってんのかよー」
「どー考えても、容疑者はお前しかいねーし」
「でもさぁ、良く考えれば不思議じゃない?」
パンを詰まらせた喉をオレンジジュースで洗い流した葵が、神妙な面持ちで眉根を寄せながら身を乗り出した。なんとなく全員、そっと顔を寄せ合う。
「あの靴箱、最後に使ったのって大木クン本人でしょ?」
「もちろん」
「それって、昨日の夕方だよね?」
「そうだな」
「そのとき、靴箱には何か置いてあった?」
「いや、別に何も……」
「ちゃんと鍵もロックして帰ったんだよね?」
「ああ。俺、最近上履き買い換えたばっかだし、そこは注意してたから」
「他に合鍵を持ってる人は?」
「はぁ? 居るワケねーだろ。おい葵、まさかそれって……」
葵の追及の意味が、俺にもようやく分かった。
探偵ばりのニヒルな笑みを浮かべ、ふっくらした頬にコーンの欠片をくっつけた葵が、皆の目の前にビシリと人差し指を立てる。
「昨夜鍵をかけてから、今朝開けるまで……あの靴箱は、完全な密室だったってことよ!」
密室!
……に、パンツとウンコ!
「葵……それ当事者としては全然面白くねーし……」
一気に脱力する俺の肩を、身を乗り出した葵がバンバン叩きながら。
「まあいいじゃない。あれを死体に例えたら一気にミステリーでしょ! 密室で死体が発見された直後に、一瞬で消えちゃったって話なんだから!」
「死体って……パンツと、ウンコがっ……ハハッ!」
勝手に盛り上がる葵と爆笑するウメ。そして、ぱっちりした目を細めて小刻みに震えている水瀬さん。
俺は深い溜息と共に、マトモな推論を告げた。
「まあ、ゴリゴが途中でビニール袋を見つけて、すぐ戻ってきたせいかもしれないし」
「――おいっ、大木いるか?」
ナイスタイミング、と囁く葵。
教室の後方ドアにもたれかかるようにして、軍手をはめたゴリゴが白いビニール袋をヒラヒラと振っていた。
「さっきのアレ、大木が自分で片付けたのか?」
ゴリゴが片付けたという俺の説は、その一言であっさり覆された。
俺は目まぐるしく変わる状況に適応すべく、必死で頭を働かせる。自分にとって最も都合が良い返答を導き出すと、さも相手のためにやったんだという体で告げた。
「……あっ、はい、そーです。すみません。先生の手を煩わせるのもナンなので、俺の方で処分させてもらいました」
「そうか……パンツの方は犯人探しに使えると思ったんだがな」
「あのっ、俺本当にいじめられたりとかしてませんから! きっとアレも仲良いヤツの悪戯なんで、今回は見逃してやってくださいっ!」
俺は速やかに立ち上がり、ペコッと頭を下げた。そして切々と訴える。
「あまりオオゴトになると、俺マジで『パンツ』とか『ウンコ』とかあだ名つけられて、いじめられかねませんので。これから進路決める時期ですし、煩わされたくないんです」
「フムン……そうか。分かった」
筋骨隆々の腕でドスンと胸を叩くと、ゴリゴは言った。
「まあ、大木はしっかりしてるし大丈夫か。もし何かあったら、いつでも相談に来なさい。また同じような目にあったらな!」
ガハハッという豪快な笑い声が遠く消えていき……俺は溜息を吐きつつ着席。するとウメが、俺を尊敬の眼差しで見つめてきた。
「やっぱスゲーな、凡ちゃんの処世術」
「別に、フツーだろ?」
「オレはああいう暑苦しいヤツって苦手。鳥肌立つわ。中学んときも逃げ回ってたし」
大げさにガタガタと震えてみせるウメに、俺は苦笑を返す。
「そー言われりゃ、俺は昔からあの手の先生は得意だったかな。特に小学校低学年の頃とか、俺もかなりの悪ガキで何度もやり合ってきたから。先生の方も、悪さすりゃガツンと拳骨落とすようなタイプだったしさ」
何の気なしにそんなことをしゃべると、葵が身を乗り出してきた。
「へぇー、大木クンって悪ガキだったんだ。あんまり想像つかないなぁ。なんとなくオッサン臭いっていうか、落ち着き払ってるイメージだもん」
「オッサン言うな。でもまあ、俺もだいぶキャラが変わったかもな。当時は泥んこでそこらじゅう走り回ってた。蛙やら虫やら捕まえては、女の子に放り投げて泣かせたり、スカートめくりしたり……うーん、まあその辺は、あんまり思い出したくないっつーか、苦い記憶っつーか……」
不意に脳裏をよぎる、一枚のパンツ。
お尻の真ん中に茶色いクマのイラストが描かれた、小さな白いパンツ。
俺のイタズラ戦績のフィナーレを飾るそのパンツが、今朝下駄箱で見かけたパンツと一瞬だけ重なった……そのとき。
「ふぅん。その頃の写真、見たいな」
ああいいよ……と生返事をしかけて、俺の口は『あ』の形で固まった。視線が右へ左へと忙しなく彷徨う。
聴こえたのは、女の子の軽やかな声。しかし今、葵はジュースを飲んでいて声を出すことはできない。
つまり『俺の写真を見たい』と発言したのは……。
「それナイスアイデア! っていうか、皆で見せ合いっこしない? アタシ、ミナのちっちゃい頃の写真見たい」
「ハーイ、オレも幼女時代の水瀬さん見たいっ」
葵の提案にすかさず便乗するウメ。水瀬さんは口元に手を添え、クスクスと楽しそうに笑いだす。
「別にいいけど、皆ビックリすると思うよ? あの頃はいつも半ズボン穿いてて、良く男の子に間違えられてたから」
「うっそ、想像つかなーい。超楽しみ!」
ハイテンションではしゃぎ始める葵に、ウメがチャチャを入れる。
「ついでにオレ、葵が昔痩せてたって証拠写真も見たいわ。あ、デジカメの画像はナシな。それぜってー嘘だから。フォトショで加工しまくりだから」
「あっそう、だったらアンタも『元ヤンだった』っていう証拠写真出しなさいよね! ゴリゴ先生の前でガクブルしてるくせに、説得力なさすぎだし」
そうして始まった恒例の口げんか。俺はソイツをスルーして、水瀬さんに話しかける。
「さて、そろそろ委員の仕事すっか。水瀬さん、その空箱くれる?」
「あ、うん」
ヒートアップするウメと葵をよそに、せっせと机の上を後片づけする。普段なら「お前らも手伝え」と文句を垂れるところだが、今の俺は水瀬さんと初めての共同作業……本当にお腹いっぱいだ。
机の上がキレイに片付くと、葵が白紙のルーズリーフとシャーペンを取りだした。
いざ本題の『クラスの出し物について』に取りかかるのかと思いきや……葵は堂々と宣言した。
「では、今から本題の――推理を始めます!」
「はぁっ?」
「まずは、密室に現れたパンツとウン……これ人前で連呼するのもなんだから、イニシャルにしよっか。えー『密室、消えたP&Uの謎』と」
そう言って、紙の中央に四角を書き『P&U』と記す。
「ねえ葵ちゃん、文化祭のことは……」
「いいのいいの。今日の招集はウメへの嫌がら……じゃなくて、メンバーの親睦が目的だったんだから。なにより、こんな面白いことってめったに無いじゃない?」
学年一のお祭り女、葵が言いだしたらもう誰にも止められない。美術の成績も良い葵は、せっせと校内の見取り図らしきものを描いていく。
昇降口を中心に、左側にはゴリゴの向かった職員室。右側には、水瀬さんが向かった用務員室。保健室はその隣だ。下駄箱のすぐ裏手には、葵が向かった女子トイレ。そしてトイレの先に、ウメが向かった教室へ繋がる階段。
こうして図にすると、見事に五人がてんでバラバラな行動を取ったことが分かる。
俺たちが感心して眺める中、葵は胸の前で腕組みをし、力強く告げた。
「まずは、密室の謎ね。P&Uが、いかにして下駄箱に閉じ込められたか……は置いときましょ。考えたって分からないもの」
「葵は諦めが早いなー。ダイエットもその調子で諦めてるんだなっ」
「もぅ、ウメは黙ってて! あんたも重要参考人なんだからねっ!」
ガウッと威嚇した葵は、ボブヘアの横髪をきっちり耳にかけ直すと、空白部分に人の形を描き足した。
「では先に、消えたP&Uの謎について検証しましょう。事件発覚のとき現場付近に居たのは、うちら四人。その近くにゴリゴ。今のところ容疑者はこの五人ね。では、今日の行動を再確認します」
女子二人の頭にはリボンを、ゴリゴのマークだけゴリラ顔とスネ毛を描いて皆を一笑いさせてから、葵が言った。
「ねえ、ミナ。今日は学校に来てからうちらに会うまで、どーしてたの?」
「うんとね……最初は教室に行って、ロッカーに鞄置いたの。その後熱測ろうと思って保健室に行ったのね。保健の先生はまだ来てなかったから、用務員室で鍵借りて。熱測って教室戻るとき、玄関で葵ちゃんたちの声がしたから向かった……って感じ、かな?」
「そっか。その間に誰か見かけた? 用務員のオジサン以外に」
「ううん。誰も見なかったよ」
葵が、校舎二階にある教室、一階右翼に位置する用務員室と保健室、さらに昇降口までのルートにバツ印を付けて行った。
「誰かが隠れてたって可能性も考えなきゃいけないけど、まずはシンプルにね。えっと、アタシが着いたときは、玄関前には誰もいなかった。トイレに行こうと思ったら、ちょうど出てきたウメが声かけてきて……その後は、皆も知っての通り。解散した後も女子トイレ寄ったけど、個室は全部空いてたし、その後教室に戻るまでの間も誰とも会わなかった」
言いながら葵は、玄関奥の女子トイレにもバツ印を付けた。
本来このトイレは、来賓客も使うからあまり一般の生徒は使ってはいけないと指導されているが、葵やウメにとっては関係ないらしい。もっともウメは、ウンコをしたくて焦っていたという理由もあるのだが。
「それで、ウメは?」
「オレが男子トイレに寄ったときは……必死だったもんで曖昧だけど、別に誰もいなかったかな」
「他には? 教室来るまでに誰か見なかった?」
「見るわけねーだろ、何時だと思ってんだよ。運動部のヤツらだってまだ来ない時間だっつーのに……しかしゴリゴはなんでこんな早くから学校来てるんだ? 怪しくねぇ?」
「ゴリゴは、毎日こんなもんらしいよ? 『明け方に全裸でグラウンドを走るゴリゴ』って七不思議知らない?」
「知るかよ……オエー。想像したくねぇ」
ぶつぶつ言うウメを無視し、葵は俺のことをじいっと見つめてきた。
ぽっちゃりしてるけど実は可愛い……そんな評価を受けている葵の、珍しく真剣な面持ち。こんな風に上目づかいに見つめられると、女子に免疫の無い俺はドキッとしてしまう。
若干挙動不審になった俺の目の前に、ぷくっとした人差し指が突き出された。
「分かったわ――犯人は、貴方ね! 大木広人!」
「……はぁっ?」
「ほら、その動揺っぷりが犯人の証拠!」
「何だよ、その大雑把な推理……」
「っていうか、どう考えても大木クン以外無理なのよねー。密室の話だって、大木クンが嘘ついて自分で仕込んだなら簡単でしょ? ついでに消えたときも、一番近くに居て“消えた”って主張してるのは大木クン。つまり……自作自演? 愉快犯?」
葵だけでなくウメまでも、俺のことを疑惑の眼差しで見てくる。俺の肩を抱き寄せ、あたかも敏腕刑事のごとく囁きかける。
「なあ、凡ちゃんや。吐くなら今のうちだぞ? 田舎のお袋さん、泣いてるぞ?」
「ちょっ、待てよ! 俺はやってねぇし!」
思わず腰を浮かせた俺は、白々しい視線を浴びてスッと冷静になった。ムキになって否定するほど、ますます怪しまれてしまう。
葵の描いた図を見ながら、俺は落ち着いて自分の意見を述べた。
「確かに俺は、昨日の夜に靴箱を閉めた。でも中には何も無かったし、しっかり鍵もかけた。その後はコイツと一晩中一緒に居たし……今朝来たらあんなことになってたんだ。嘘じゃねーよ」
「信じるよ」
それは、鈴が鳴る様な声。
一人の天使――水瀬さんが俺に向かって微笑んでいた。うっとりと彼女を見やれば、その唇にチョコのかけら。
ああ、こんなとき彼氏彼女だったら、この指でそっと拭ってあげるのに……。
俺の甘い妄想を遮るように、葵が冷たく言い放つ。
「それで、こんなアホな悪戯した動機はなんなの? 大木クン」
「お前なぁ……人の話を聞けって!」
「お生憎様。純粋なミナは騙せても、このアタシの邪気眼はごまかせないわよ? さあ吐け!」
「良く見ろ! その邪気眼に俺の純白な心が映るだろうっ?」
全力で否定するも、のれんに腕押し。調子に乗ったウメが、葵の追及に便乗する。
「どーせ親友のオレを笑わせたかったんだろ? さっき凡ちゃんは、わざわざ両手に荷物持って、オレに鍵開けさせたんだからさ。どこであのパンツとウンコ手に入れたんだかワカンネーけど、そのお笑い魂は認めてやろーぜ?」
「そうねぇ。パンツはネット通販でも買える時代だしね。ウンチは……良く覚えてないけど、ちょっと小さくて細かったよね。猫かなんかの拾ったの? 昔うちでも猫飼ってたけど、時間が立つとアレ固くなって案外匂いも無くなるし、持ち歩いてても別に不都合は」
「待て、冤罪だっ!」
ニヤニヤ笑う二人を、俺は容赦なく睨みつけた。
「そんなこと言ったら、お前らだって充分怪しいんだぞ? トイレ行った話も嘘で、ウメと葵でこっそり示し合わせて、俺をハメる相談してたかもしれないだろっ?」
苦し紛れに放った台詞に、ウメが「まあまあ」となだめてくる。
「凡ちゃん、嘘に嘘を重ねるほど苦しくなるんだぞ。俺が他人の家ではウンコ出なくなる習性は、凡ちゃんも知ってるだろ? あと俺がウンコしたって証拠は、便器の縁にしっかり残っ」
「汚ねぇ話すんな、アホウメ!」
純粋な水瀬さんを気遣い、俺はウメの赤裸々なアリバイ告白を強制終了させる。
と、対面に座った葵と目が合った。葵は爆笑しているかと思いきや、なぜか真顔でこう言った。
「……そっか、盲点だったわ。もしかしたらこれ、単独犯じゃなくて共犯者がいるかもしれないんだ。例えば、P&Uを仕込む係と、撤去する係。となると、ウメと大木クンがうちら女子を笑わせるために仕込んだって説も、案外信ぴょう性があるかも?」
「いや、それも無いって!」
「……ま、さすがにそれは無いか。シラッと嘘つく大木クンはさておき、ウメは嘘つけない性格だし」
さりげなく俺のイメージダウン工作を図ると、葵は細い眉をクッと寄せ「うーん」と唸り始めた。天才探偵の推理タイムとばかりに、大仰に腕組みをして……たっぷり十秒後。
「もうメンドクサイから、大木クン犯人説でいんじゃない?」
「オイ!」
と、葵に詰め寄りかけたとき、ウメがナイスアイデアを閃いたとばかりにポンと手を叩いた。
「ヨシ、てっとりばやく自白させるか。凡ちゃんの弱いところ、オレは全て知っている……」
ズザッと身を引く俺に、ウメが両手をワキワキしながらにじり寄ってくる。そんな姿をニヤニヤしながら見つめる葵。
俺は藁にもすがる思いで、斜め前の水瀬さんを見やった。
しかしバラの花弁のごとき唇が開かれる気配は無い。もう一度「信じるよ」の台詞を聞きたかったのに……むしろ葵と同じように、この展開を楽しむかのごとき微笑を浮かべている。
クソッ!
このままじゃ俺はくだらない悪戯の犯人にさせられてしまう!
「――俺はやってない! だから、真犯人を捕まえてみせる……じっちゃんのナニかけて!」