令和の恋愛小説に残る謎の身分制度 (。´・ω・)?
現代の中学校や高校を舞台にした恋愛小説を読んでいると、以前から妙に気になることがある。
男子生徒が女子生徒を呼ぶときは、名前を呼び捨て。
一方、女子生徒が男子生徒を呼ぶときは、なぜか「君」づけ。
おやおや?
ここは令和の日本ではなかったのか。
男女平等が叫ばれて久しい。教育の機会も、職業選択の自由も、男女の対等な関係も、現代社会では当然の理念として扱われている。
ところが恋愛小説の教室に足を踏み入れると、どういうわけか男子だけが呼び捨ての特権を与えられているのである。
まるで男子には爵位でも授けられているかのようだ。
男子爵、女子平民。
いや、待ってほしい。
いつから日本の高校は封建制度に戻ったのだろうか。
もちろん、呼び方には個人差がある。
昔からの幼なじみなら、男女ともに呼び捨てということもあるだろう。女子が男子を呼び捨てにすることもあれば、男子が女子に「さん」をつけることもある。
それなら何の問題もない。
私が疑問に思うのは、そうした人間関係とは無関係に、男子は女子を呼び捨てにし、女子は男子に「君」をつけるという、お決まりの構図である。
それがあまりに自然なこととして描かれている点なのだ。
考えてみれば、実に不思議な話ではないか。
同じ教室で、同じ授業を受け、同じ制服を着て、同じ試験に苦しんでいる。
にもかかわらず、名前を呼ぶ段階になった途端、男子だけが一段上に立ったような扱いになる。
もしも学校の先生が、男子は全員呼び捨て、女子には必ず敬称をつけるという運用をしていたら、何らかの政治的意図があるのかと疑われるかもしれない。
ところが恋愛小説では、その逆の非対称性が、青春の甘酸っぱさを演出するための便利な道具として使われている。
男子が女子を呼び捨てにする。
女子が男子を「君」づけで呼ぶ。
なるほど。どうやら恋愛においては、男子が主導権を握り、女子が一歩引くのが美しいということらしい。
……実に奥ゆかしい。
ついでに女子は三歩下がって歩き、男子が帰宅したら三つ指をついて出迎えれば、昭和どころか明治の恋愛小説としても通用するのではなかろうか。
もっとも、女子が男子を「君」づけで呼ぶこと自体が、男尊女卑というわけではないかもしれない。
呼び捨てが必ずしも上位者の振る舞いとも限らない。
問題は、なぜその組み合わせばかりが、繰り返し選ばれるのかということである。
創作物には、書き手が当たり前だと思っている価値観が、本人も気づかないまま表れることがある。
男性は脱法的なくらい積極的で、女性は控えめ。
男性は少々乱暴なくらいが魅力的で、女性は丁寧で慎ましい方がかわいらしい。
そんな古い男女観が、異世界恋愛どころか異世界ファンタジーにまで染みついているのではないか。
ましてや、物語の舞台の多くは現代の学校である。
今や厳しく男女平等を教わっているはずの生徒たちが、恋愛を始めた途端、なぜか伝統的な主従関係を再現してしまう。
いったい何の授業を受けてきたのだろう (。´・ω・)?
公民の教科書は、下駄箱にでも忘れてきたのか。
無論、作者の表現には自由がある。
古風な女性を描こうが、亭主関白な男性を描こうが、それは創作の自由だ。
……しかし、自由であることと、無自覚であることは違う。
登場人物の性格や関係性を考えた結果ならともかく、一辺倒に、ただ男子だから呼び捨て、女子だから「君」づけというのでは、人物造形として少々安易ではないだろうか。
令和の恋愛小説を書くのであれば、そろそろ名前の呼び方くらい、明治以来の帝国主義の慣習から卒業してもよいのではないだろうか。
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