緑は増やせたが…私の心は乾燥していた。
これまで色んな人生を見てきた。
ミュージシャン、留学、旅人、起業家、お笑い芸人、他の人と結婚する人生、研究者
このうち選ぶとしたらどの人生なのか…。
どれも受け入れやすい人生ではなかった。
ふと会社の窓から外を見る。
街路樹が風に揺れていた。
そうか…。
環境問題に興味を持ったことがあったな。
あの時、環境問題にはまっていたら、いまごろ俺の人生はどうなっていたのだろう。
そう思った。
そしてまた帰宅後
俺はタブレットを舐めた。
意識が――――
…
気が付くと
薄汚いプレハブ小屋にいた。
作業着を来た男が
パイプ椅子に座り
扇風機にあたりながら
汗をふいている。
外にでる。
すごい熱気だ。
砂漠…ではないな。
荒地のようだ。
男はぐたっとして、足を別のパイプ椅子にかけて
ぼーっとしている。
男いがいにスタッフなどはいないようだ。
俺は男に触れる。
男の記憶が入ってくる。
大学時代に
俺は一冊の本に出会った。
そして
俺は環境問題に心を奪われNPO活動家を目指した。
そして理想と情熱に燃えて社会貢献の道へと進む。
「誰かの力になりたい」
「社会にはまだ救われていない人がいる」
それが俺の行動原理だった。
環境問題に従事しだし
人手不足や予算不足。
そして…
感謝されにくい構造に気が付いた。
1年365日
ほぼ休むことなく働いた。
みんなが休むことなく働いていた。
休むことも仕事のうちだと
口では言いながら
誰もが休むことが“裏切り”のように感じられる
歪んだ場所だった。
住民や自然のケアについては
真剣に向き合うが
自分のケアは常に“後回し”だった。
実際あちこちケガをしていた。
気づけば恋愛も家庭もなかった。
自分が誰かに支えてもらった記憶がなかった。
助けてばかりで、誰にも助けられていない事に気が付いた。
同僚は
「人を助け続けていれば
きっと神様が私を救ってくださる」
そう言った。
しかし彼女は事故で亡くなった。
予算獲得にほうぼうを回った。
ある時
高額な寄付をしてくれる援助者が現れた。
寄付の条件は
〇〇〇〇プロジェクトと援助者の名前を
プロジェクトに入れることだった。
私達は賛成した。
そして
2年半後
プロジェクトは成功した。
あらゆるメディアが援助者を称えた。
私達の存在は大きな光の影にすぎなかった。
当初メンバーは一人また一人と消えた。
―――――
そして今
男は薄汚いプレハブ小屋にいる。
パイプ椅子に座り
扇風機にあたりながら
汗をふいている。
壁には○○○〇プロジェクトを書かれた新聞記事の切り抜きが貼ってあった。
そこには援助者の顔しかうつっていなかった。
俺は辛くなかったのか?
そう考えた。
「はじめは
プロジェクトが成功すれば
それでいい。
俺らは裏方でいい。
そう思ったんだ…
でも
実際にこう援助者だけが
前にでて評価されると…
言っちゃいけねぇことだと思うんだけどさ―――
なんか手柄を横取りされたみたいで
辛いだよ。
そうやって
みんなやめちまった。
一応プロジェクトとしては動いちゃいるが
もうこのシステムは終わったんだよ」
そういい。
肩を落とした。
俺は言葉を失った。