研究者のどこが将来安定してるわよだ!
目覚めるとコーヒーとトーストのニオイがした。
あれいつもより少し早いな。
キッチンがなにか騒がしい。
キッチンを覗くと
妻の様子が少しおかしい。
「どうしたの?」
「急にあんバタートースト食べたくなったから作ったの」
とニコニコ顔
俺は少し混乱しながらソファーに座る。
あんバタートーストとコーヒーが運ばれる。
我が家ではあんこ系の時は決まってコーヒーだ。
あんことコーヒーの組み合わせは最高だと俺は思う。
食事を済ませ
会社に向かう。
今日は高校生が目につく。
高校生の集団から
「進路どうする?」
「ぜんぜん考えてない」
「お前頭いいからなんか学者とかいいんじゃね」
「嫌だよ。学者なんか…給料低いじゃん」
そんな声が聞こえた。
そうか。
学者は給料が低い。そんな認識なんだ。
俺はなんだか微妙な気持ちになった。
俺も親の勧めで、研究者になりかけたことがあったのだ。
――――――――――――
そして今晩も俺はタブレットを舐める。
意識が―――――
深夜
大学の研究室で一人顕微鏡を見ている男がいる。
ネル地のボタンダウンシャツに白衣をはおり、
じっと見てはメモを取っている。
近くによるとカップラーメンのニオイがした。
名札がある。
そこには俺の名前が書かれてあった。
この男が俺なのか?
良くみると父に似ているかもしれない。
俺は男に触れる。
男の記憶が流れ込んでくる――――――――
うちは教育熱心な家庭だった。
いわゆる学術エリート家系だ。
兄も研究者だった。
俺も多少頭がよかった。
親は
「せっかく頭がいいんだから研究者に」
「将来安定してるわよ」
と言った。
俺は意志薄弱で
気持ちが曖昧なまま“進学”をした。
そのまま流れで、大学院・研究室配属される。
俺は基礎研究の道へ進んだ。
この基礎研究の分野ってのは
特にすぐに成果が出るわけではない。
しかもいわゆる花形に比べると
“社会に役立ってる実感”がとても薄かった。
20代の頃はまだよかった。
やる気と若さでなんとかなったからだ。
30代以降の“揺らぎ”はきついものがあった。
・論文がアクセプトされない
・ポスト(任期付き職)で不安定
・同期は企業や起業で活躍
「自分のしてることって、何になるんだろう…?」
これは常に疑問だった。
やめる勇気も、続ける誇りも持ちにくい。
もちろん家族にも相談できない。
“自分が選んだ道じゃなかった”なんて口がさけても言えない。
基礎研究の辛さは『成果』だ。
たとえば
この物質はAという病気には効かない。
というのも効かないことがわかったわけだから
実際には成果と言える。
しかし誰も、その“効かない”に拍手はくれなかった。
現場では
どの物質がAという病気に効くか?
それだけが問われる世界なのだ。
何年も何年も繰り返しているのに
何も起きていないその事実が
ゆっくりと
あらゆる機能を蝕んでいく。
知らない人からはよく言われる。
「学者っていいよな。好きなことだけをずっと研究し続けれるんだから」
もちろん善意なのだろうが…
本当にそんなに恵まれた学者…。いったい何人くらいいるのだろうか?
――――――――――――――
俺は男から離れた。
男は黙々と作業をこなす。
1時間ほどして男はデスクから離れて
インスタントコーヒーを入れる。
だれもいない深夜のキャンバスを窓から観察する。
引き出しからアンパンを取り出し食らいつく。
アンパンにはスーパーの値札と2割引きのシールが貼られていた。
ふとなにか思い出したように
冷蔵庫にちかづき
バターを取り出し
アンパンのなかに差し込む。
賞味期限をちらりとみた。
もうすでに1か月以上過ぎている。
そして
何もなかったように
バター入りのアンパンを
おいしそうに食った。
コーヒーを飲み干し
うがいをし
また作業に戻った。
俺は退屈な毎日のくり返しだと思っていた。
しかし俺以上に、この世界の俺は…
単調なくり返しを送っていた。