人生の振り返りと、その他の選択の振り返り
「あっいけない。こんな時間…」
と妻は食事の支度を始めた。
「喉スプレーとトローチを買ってくるよ」
と声をかけ
近くのドラッグストアに向かう。
俺はタブレットのことを考えていた。
あれはたしかにトローチに似てるよな。
そうか…
あの一粒は妻が舐めたのか。
なぜだか少し笑いが込みあげてきた。
これまでタブレットで8の人生を経験した。
今の人生を合わせると9つだ。
どの人生が一番よかった?
そんなことは簡単だ。
俺はポケットのタブレットを取り出し
ゴミ箱に捨てた。
昔は『たわいもない幸せ…』という言葉を聞いても、鼻で笑っていた。
そんなものに価値はないと…
そう思っていた。
そんな言葉は
成功を諦めたものの
戯言だと…
そう思っていた。
まったく
俺は…
どこまでも
傲慢で
偏見で
そして愚かだった
今はそう思う。
そしてそんな自分さえも
愛おしく感じる。
そんな愚かな俺でも
大きな成功があっても、
たわいもない幸せがない世界線があると知った今
果たして
以前のように
不敵な笑みで笑えるのだろうか?
俺には
たわいもない幸せが
とてもとても
愛おしく見えた。
なぜだろう。
感情があふれだす。
涙の気配があふれだす。
日常への感謝があふれだす。
この日常の
退屈さが
とてもとても
愛おしく感じた。
妻の笑顔
妻の料理
妻の小言
同僚の気遣い
68円の缶コーヒー
たまに褒めてくれるツンな上司
自販機の下で拾った百円玉
アイスの当たり棒
そんな小さな幸せが
俺の心の支えになっていた。
プロによる愛想笑い
一流シェフによる料理
すべてに同意する部下
指示待ちの部下
豆からひいた炭火焼コーヒー
いつも褒めてくれる部下
取引先から貰った高級時計
なぜか当った有名ミュージシャンのコンサートチケット
大きいはずの幸せが
なぜだか
虚無的に感じられた。
俺の幸せには
いつのころからか
前提条件がついていた
但し…
俺と妻が幸せであること
と…
全ての幸せを共有したくなる
かけがいのない存在がいること
それこそが
俺にとって最重要だったのだと…
そう気が付いた。
他のどのルートを見ても妻はいなかった。
だから俺は妻のいるこのルートを選ぶ
ぱっとしない日常かもしれないけど…
あんだけあった可能性を蹴ってまで
選んだ人生だ。
これからもっと面白いことがあるに違いない。
それに
妻のことを愛しているからな。
妻とのことをナシにはできない。
俺はドラッグストアで
のどスプレーとトローチ
そして新作のスイーツがないか探した。
おいしそうなプリンがあったので
一つ買って帰ろう。
帰ったら、プリンを半分こしよう。
そんなことが、すごくすごく楽しみに思えた――。