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第3話 契約の影

第3話


 目の前の異形――ロギュルは、まるで舞台の主人公のように遥斗を見下ろしていた。

 耳まで裂けた口が、今度は皮肉げな笑みを浮かべる。


「そんなに怯えなくていい。私は君に危害を加えるために来たんじゃない」


 その言葉に、遥斗は本能的な反発と好奇心の両方を感じていた。

 恐ろしいはずなのに、彼の声や仕草にはどこか人間臭い温度がある。

 まるで、舞台役者が客席にウィンクを送るような、芝居がかった親しみ。


「あなたは……人間、なんですか?」


 ロギュルは、その問いにひどく愉快そうな笑いを漏らした。

 裂けた口が大きく歪む。 


「かつては、そうだったこともある。今は、さあ――何と呼べばいいかな。魔人、でどうだろうか?」


「……夢じゃないですよね」


「おや、夢だと思いたいのかい? だが、君が今“異端の書”を手にしている時点で、ここはもう君の知っている世界とは違う。夢でもあり、限りなく現実だ」


 遥斗は、机の上の“異端の書”をじっと見つめた。

 その本の存在が、静かに自分の日常を侵食している。

 心の中の“現実”と“非現実”の境界が、わずかに滲み始める。 


「君は、“英雄になりたい”と願ったことがあるかい?」


 ロギュルの問いに、遥斗は言葉を失う。

 誰にも話したことのないその焦燥――本当は、ずっと胸の奥に隠していたものだった。


「どうして、それを……」


 ロギュルは肩を竦めてみせる。 


「本を通して全てを見ていた。観客席から舞台の登場人物を見守るように、ね。君の願いも、孤独も、感じ取っていたよ。私たちはよく似ている。本の虫だなんて、不名誉なあだ名が付くくらいにはね」


 遥斗は、知らず身を固くしていた。

 誰にも触れられないはずの心の内側を、見透かされている――そんな感覚。


「だけど、英雄になるというのは、孤独なものだよ。誰もが求めて、誰もがなりたくない。君は、その代償を払う覚悟があるのかい?」


「……覚悟なんて」


「まあ、今はなくても構わない。英雄になりたくてなった人物なんかいないさ。だが、君は選ぶことができる。ひとつは、ここで“異端の書”を閉じて、今まで通りの日常に戻ること。もうひとつは、このページの先へ踏み出して手を伸ばすこと」


 ロギュルは机の上に置かれた“異端の書”を指で軽く叩く。

 ページがわずかに揺れ、その隙間から、先ほどのカードが覗いていた。


 「君が選ぶんだ。これは物語の“分岐点”だ。――さあ、どうする?」


 図書館の空気が、どこまでも深く、静かに沈み込んでいく。

 遥斗は拳を握りしめた。

 本当は怖かった。何もかもが変わってしまいそうな予感に、震えが止まらなかった。

 けれど、それ以上に――

 “何者かになりたい”という願いを、このまま無かったことにしてしまうのが、何よりも恐ろしかった。 


 遥斗は、ゆっくりと“異端の書”のページをめくった。


 その瞬間、視界が揺らぐ。

 白と黒のコントラストが反転し、紙の上の文字が夜の水面のように歪んだ。 


「……ようこそ、“こちら側”へ」


 ロギュルが芝居がかった一礼をする。

 その声は、図書館の静寂に不思議な残響を落とした。 


「契約は成立だ。だが、契約とは本来、形も意味も一つではない。私が君に与えるのは、物語に介入するための力。君が望むなら、君の身体を借りて、世界の歪み――すなわち“悪魔”を討つことができる」


「僕が、戦う……?」


「その通り。もっとも、私ひとりでは何もできない。私の力は、物語の“内側”に肉体を持つ君――バディの存在があってこそ働く。君の体を“受肉”して、共に戦う。それが我々の契約だ」


 遥斗は息を呑んだ。

 まるでフィクションの主人公になったような言葉――だが、その響きは妙に現実的だった。


「受肉……」

 


「詳しいことは追い追い説明しよう。何、難しいことじゃない。要は、君が“異端の書”を開くとき、私もまた、この世界に存在できる。

 ただし、私が君の肉体を借りられるのはごく短い時間だけだ。代償として、君の精神は少しずつ私の世界――“外側”に侵食されていく」


 ロギュルは、まるで演目のプロローグを語る役者のように、静かに両手を広げた。


「代償は大きいが……後悔しても遅いぞ。契約は既に成った」


 静寂が、遥斗の鼓膜を打つ。

 夕焼けの色が図書館の隅に滲み、現実と非現実の境界が、わずかに溶け合う。


 遥斗は、喉の奥から絞り出すように言った。 


「……後悔は、しないです。僕は、誰かを――自分を、救いたい」


 ロギュルはしばし黙り込んだ。 

 やがて、裂けた口元にかすかな笑みを浮かべて頷く。


「いい返事だ。ならば、最初の“試練”だ」 


 その言葉とともに、図書館の空気が一変した。

 天井の蛍光灯がかすかに明滅し、どこからか風の音が忍び込んでくる。

 本棚の間、闇の隙間が不自然に膨らみ――

 そこに“何か”が、蠢いていた。


 遙斗は、無意識に椅子から立ち上がる。

 “異端の書”のページが、ひとりでに捲られていく。

 その間を縫って、黒い靄のような影が這い出した。 


「――これが、悪魔……?」

 

「そうだ。物語に巣食う“悪魔”だ。君が契約したからこそ、今ここに顕現した。

 さあ、行こう。英雄の最初の一歩は、いつだって恐怖の中から始まるものだよ」


 ロギュルの声は、どこまでも芝居がかって響く。

 朝倉遥斗は、息を呑み、拳を握りしめる。


 現実と物語の境界線が、音もなく崩れはじめていた。

 

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