その後のエテル
こんこんと扉がノックされて、どうぞと言えば入ってきたのはエテルだった。
校長と友達とはいってもやはり学生と教師、本当の意味で友人同士という関係にはまだ少し遠い。それでもモカは全クラス何かしらの教科を教えているので生徒との仲はかなり良い。エテルとも自然に話せている。
「あの、実習でクッキーを作ったので。おすそ分けです」
「ありがとう」
若干視線を彷徨わせながらそう言ってくるエテルにモカは笑顔だ。魔力の底上げを研究する授業で、食べ物を作るのは恒例の実習である。お茶やクッキーなど何気なくつまめるもので、一時的な魔力増加ができないかという研究をモカが数年前から始めていた。
それを学校で行うことで魔法協会にも情報提供をしている。皇帝となった元第三王子もこの研究には注目していて、国そのものでガイドラインを作ろうかという方針で話が進んでいる。
「美味しそうだね」
「あ、はい」
どこかそわそわしているエテルに小さく笑いながら、モカは真ん中の一枚をつまみ上げた。それを見てエテルはハッとした様子でじーっと見つめる。
「これ」
「はい?」
「エテルが食べて」
「え」
明らかに顔が引きつった。とうとう我慢できなくなってプッと吹き出してしまう。
「クッキーの中の一つにヒヒ草が混ざってるのはわかるよ。明らかに異質だ。僕は物の弱点や違和感を見抜くことができるって話しただろう」
「あ!」
忘れてたと顔に書いてあるかのようだ。おそらくエテル以外のメンバーによるちょっとしたいたずら。校長先生はすごい魔法使いだから、そういう罠にも気づいて取り除けるかちょっと見てみようぜという悪ノリが始まってしまったのだ。
エテルが行かなきゃ意味ないよと半ば強引に持たされたのだが。引き受けたのは笑い転げるモカを見てみたいという、ちょっとした下心もあった。失念していた、こういうのも彼の特技に引っかかってしまうのか。
「まだ君の笑った顔見てないからねえ」
「う」
楽しくないわけでは無いのだが、十年ほど紛争地域や争い事に巻き込まれながら生きてきた。騙される、盗まれる、利用されるのが当たり前で荒んだ。他人を一切信用しないと心に誓った。そのため心から笑うことがまだできない。
仲良くなった子たちの事は好きだし、先生のことも信頼しているが。どうやったら笑えるんだろうとぼんやりと考える日々だ。夜寝る前に鏡の前で笑う練習をしているのは内緒である。
モカを罠にかけようとしたのは自分だ、観念して食べようとしたがあっさりとクッキーは机の上に置かれてしまった。
「え?」
「笑うっていうのは無理矢理やることじゃない。焦らなくてもいつか本当に心から楽しいと思って笑える時は来る」
「……気づいていたんですか」
「君が苦労してきたっていうのは聞いたから。入学してまだ二ヶ月、無理する事は無いよ。時間はたくさんあるんだから」
そう言って今度こそ本当に何の効果もないクッキーを一枚取って食べ始めた。ボリボリ、とエテルにも聞こえるくらい大きな音がしている。
「ちょっと硬いかな。小さな子やお年寄りには噛みづらいと思うから柔らかさを工夫してみて。目的別で硬さを分けて二、三種類作るのもありかもね。味は甘くてすごくいい、お茶に合いそうだ」
この学校は年齢制限がないのでかなり幼い子供もお年寄りも幅広く入学している。彼らに試食を頼むといいよ、と提案した。
商品開発がうまくいくと商標権も獲得できる。そうすると自分たちで売り上げを管理するなど、商売の授業もやることができる。自分で作ったものを自分で売って自分のお金になる。この授業は結構人気だ。次々新商品ができるので地域の活性化にもつながっている。そのため遠方の魔法学校が視察や勉強会に来るくらいだ。
「……」
何かをずっと考えているようなエテル。どうしたんだろうと思っていると、一瞬で机に置いてあったクッキーを奪って勢い良く食べ始めた。
予想外の行動にモカでもポカンとしてしまう。「今回」のエテルは、だいぶアグレッシブなようだ。紛争地域から来たのだから仕方のないことだが。
ボリボリと音を立てて勢いよく噛み砕くと一気に飲み込んだ。そして。
いたずらっ子のように歯を見せてニヤリと笑う。美少女であるため一応様にはなっているが。穏やかに微笑んだ方がみんながキュンとするというのに、なんだか小悪魔のような悪そうな顔だ。魂の記憶から、ロジクスがよくこんな顔で笑ってたなと考えていると。
「一回くらいはいいかなって。どんな理由でも思いっきりバカ笑いしてみるのも」
「確かに。効果が現れるのは夜だと思うから、一緒に過ごす子は厳選してね」
「あ」
「うん?」
「あなたと、一緒が良い……モカと」
今度こそ、本当に。穏やかににっこりと笑った。少し緊張した様子が、今の言葉を言うのにどれだけ勇気をふり絞ったのかがわかる。
自分から人間関係を広げるための第一歩を選び、実行した。十年以上も人間不信だったと思えないその勇気ある行動に、モカも微笑む。
「今すごく嬉しかった、ありがとうエテル」
「校長が女の子に手を出したっていう噂が立たないように気をつけてよね」
いつの間にか敬語が抜けているエテルにモカもふふんと笑う。
「一言余計だよ。まあでも確かに年頃の女の子だもんね。ダガーとアリスも呼んでおこうかな」
「うん、その二人だったら私も大歓迎歓。ちょっとモフモフしたいし」
「僕も」
エテルだからという理由で特別扱いはしない。そもそも記憶が消されている彼女は、自分たちが仲良くなったエテルとは別人だ。同じ人として接するのは彼女に失礼だと三人で決めたことだ。
入学してひと月ほどはエテルは無表情でしゃべらなかった、それはそうだ。特に大人には嫌悪を隠そうともしなかったので教師の声かけは一切無視だった。
それでも二人の陽気な性格は徐々に心を許し始めていった。ダガーもアリスも子供や孫がいる身だ。年頃の女の子の扱いには長けているし、いろいろな経験をしてきているので話のネタは尽きない。今この二人にエテルはちょこちょこ話しかけに行っている。
紛争地域に獣人がいたらしく、ずっと毛並みを触りたいと思っていたのだとか。好きに触っていいよと言ってくれるので、それもまた彼女が気を許す理由だ。
翌日。顔面が筋肉痛になりいつも以上にしかめっ面しているエテルに、友人たちは大慌てだった。昨日校長から叱責されたのか、本当は心底嫌なのにしぶしぶ行ったのか。せっかく仲良くなったのに怒らせたんじゃないか、などなど。
友人たちは大量のヒヒ草を持ってきて、お詫びに自分たちも食べるから! と言い出して。エテルが必死にみんなの誤解を解くのに半日かかった。
ちなみにモカにはヒヒ草は効果がないということが後に判明する。高い魔力を持っているので、魔法の効果などを全て超越してしまうのか、やっぱりすごいやという噂が学校内で持ちきりとなった。
本当に凄い人なんだなとエテルが思っていると、モカはこんなことを言った。
「いや、子供の頃に食べ過ぎて耐性ついただけ」
「は?」
「農作業してるとお腹空いちゃってたまに食べてた。笑って死ぬわけじゃないからいいかなと思って。比喩抜きで文字通り道草食ってたんだ」
「確かに文字通り……」
「その後僕は笑わなくなっちゃった時期があって。父さんが笑い方忘れないようにこれ食えって送ってくるから二ヶ月毎日食べてたら効果なくなったよ」
「……」
凄いんだか馬鹿なんだか……思ったが、今は言わないでおこうと心に決めた。
この人といると本当に退屈しないなあと。次はどんな素敵な時間が過ごせるだろうかとワクワクしているから。




