最終章 終わったよ
初めて他者から怒鳴られた。他人から悪意を向けられたことがない叡智はそれだけで固まってしまう。知らない、こんな感情は。感情なんて愉悦だけあれば事足りていたのに。
「お前の無限の知識のひとかけらでも、お前はお前だ。だから、僕は小さな叡智と言っていい」
人の形をしている叡智と、叡智の要素である人。全く違う存在でありながら、一番近い存在。かつて人びとから消した「科学」「錬金術」を理解できる存在。
「作り出すのが魔法、分解するのが魔術。魂を数値化して、それを魔法と魔術で組み合わせて操るのが錬金術」
――馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な! 何故その答えにいきついたのだ! 人間に与えないために消し去ったのに!
「人は自らものを作るのが得意なんだよ、一度や二度なくなったくらいで消滅させたつもりか? 人の一生は短い、だからこそ先人たちと同じようなものを研究して作り出していく。先人たちは言葉で、書物で後世に引き継いでいく。お前は歴史から何も学ばなかったのか、暇人の分際で」
人はいつも同じことを繰り返してとても退屈だった。
正義だ悪だ、戦争だ、そんなことを繰り返して国が生まれ国が潰れていく。
飽き飽きしていた。だから他に別の面白さがないか求めた。
それがこんなことになるなんて。自分と同じ存在? 同等? それ以上の存在が――
「認めない!!」
「好きにしろ。それはお前の感情の話であって事実じゃない。事実と私情を混同するな」
叡智のいう事は全て「事実」だった。情報、データ、真実。事実以外で自分の想像で物事を行うなど人間のやることだ。それは叡智が大嫌いなことだった、はずなのに。
「特大の教科書があるんだ、ありがたく学ばせてもらおうか。どうせ不老不死の方法もあるんだろ。そしたら永遠に僕はお前から知識を吸収できる。完璧な叡智になれるには、ざっと計算すると」
「やめろ」
「八万年くらいあれば足りるかな?」
「やめろ!」
「さて、不老不死に関わる魔法と魔術はどこかな」
「やめろおおおおおおおお!!」
ゴウ、と突風が吹き荒れる。
「出て行け、お前は嫌いだ! 私を奪うな、理解するな! 知識は私、私は知識! 嫌い、大っ嫌い! 出て行け出て行け出て行けええええ!!」
目が開けられないほどの閃光。さすがにモカも腕で目を隠す。すると断絶された空間の外に放り出されていた。
叡智がいたのは誰も到達できない、ここではない別次元だ。そこに入れたのもエテルの魂を持っているから。叡智のもとへの入り口はおそらくこの世界に数百か所以上ある。そこから一番近い場所を選ばせてもらっただけだ。
その場にいた者達がモカを見てほっとした様子だ。真っ先に駆け寄ってきた大切な仲間にモカは笑いながら声をかける。
「ありがとうダガー」
ダガーと仲間たちが叡智の作った人形たちの相手をしてくれていたからモカは叡智とたくさん会話ができた。ダガー達の周辺には戦った痕跡が残っている。抉れた地面、破壊された壁。
ここもまた叡智が作った特殊な場所だ、空中に浮かぶ庭園。特殊な視覚効果が施されており外から見れば透明だ、絶対に見つからない。モカの魔法により辿り着くことができた、普通の人ではたどり着けない場所。人形たちは跡形も残らないので死体などはない。それでも激しい戦いだったのはわかる。
「まったくだ。中年のおっさんに無茶させんなよ」
そう言いながらもダガーは笑っている。獣人は普通の人より老化が早い。数え年なら三十四歳だが、人でいうところの五十代ほどだ。獣人族は一夫多妻が普通なので、ダガーにはひ孫まで合わせると八十人近くの家族がいる。実は入学当時妻子持ちだったのだ。一族総出で助けてくれた。
「親父ー、もう終わりか?」
「ああ、ご苦労さん」
「じいちゃん片付いた!」
「じいじ、あたしね。十人を十回分ボコボコにしたよ!」
「よくやった。十一から先、数えられるようになろうな」
「勉強きらいだもーん」
きゃはきゃはと無邪気に笑うひ孫の一人。ダガー直々に戦闘訓練をつけているので獣人の中でもかなり強い方だ。その子の頭を撫でながら周囲にモカは声をかける。
「みんな、ありがとうね」
「モカの頼みじゃしょーがないねー!」
「ねー!」
家族ぐるみで付き合ってきたのでダガーの家族とは仲がいい。今回の計画を聞いたら俺も行く、私も行く、と全員でついてきたくらいだ。
「んで、どうなったんだ?」
「馬鹿を連呼して意地悪したら癇癪起こして引きこもった。予想通りだ」
「どうにかするのは、やっぱ無理か」
「生命でもないものをどうにかするなんて奢りが過ぎる。それができるのは神だけだ、人が手をだす相手じゃない」




