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『家鳴』

 家に帰ると「シロスジ」に出迎えられた。

 外見はフェレットかイタチか──茶色い毛並みに木苺みたいな目、頭には名前の由来になった一筋の白。

 ちなみにペットではない。そもそも大野木家ではペットを飼っていない。

 この子もまた私にしか認識できない〈彼ら〉の仲間だ。 

 本当は〈彼ら〉に家の中まで出てこられるのは気が引けるのだけれど、「シロスジ」は愛嬌のある見た目をしているせいか追い出す気になれないでいる。

 慌てず騒がず悟られず、私は視界を切り換えた。

 少しばかり遅めのティータイム。

 私たちの前にはミルクティと、等分された苺のロールケーキ。ロールケーキのほうは春季限定という響きに釣られて思わず買ってしまったというから、なんともまこ姉さんらしい。

「ふう、ようやく一息つけたわ」

 まこ姉さんはミルクティを一口飲むと、どこか艶っぽい溜息交じりに言った。

 やわらかくカールしたロングヘアはオレンジがかった茶色。フリルの付いた薄桃色のブラウス。春らしく白いシフォンスカート。……うん、やはり雰囲気的にも「母さん」より「姉さん」の方がしっくりくる。

 私の左隣ではヒナちゃんが、黙々とフォークで切り分けた苺のロールケーキを口に運んでいる。何だかリスみたいだと思いつつ、私は紙ナフキンでヒナちゃんの膨らんだ頬に付いたクリームを拭った。

 ヒナちゃんははにかんで「ありがとう」と言うと、再びロールケーキを減らす作業に専念する。

 私はミルクティに少し口をつけてから、笑いかけた。

「ヒナちゃんのペースで食べればいいからね」

 ヒナちゃんは手を止めて、私の方を見てから「うん」と頷いた。

 ただ、ヒナちゃんの気持ちもわからないこともない。

 苺のロールケーキは、私ならどれだけ時間をかけたって十分足らずでなくなってしまう。

 でも、ヒナちゃんはまだ四歳だ。当然、食べるのは私たちよりも遥かに遅い。

 その当たり前に、ヒナちゃんは周りを待たせているのではないか、という負い目を感じてしまっている。

 この歳でそこまで周囲に気を遣えるのは、立派というよりちょっと胸が痛む。

 ヒナちゃんのペースは気持ち落ちたように見える。ほっとしてヒナちゃんから視線を外すと、まこ姉さんがこちらを見て微笑んでいた。

「えっと……何?」

「愛娘の成長を噛み締めていたところ。ココちゃんもすっかりお姉ちゃんだな~ってね」 

 愛娘。

 頭の中で復唱すると、顔が熱くなってくるのがよくわかる。

 まこ姉さんに褒められるのは嫌じゃない。嫌じゃないけど──苦手だ。

「……こんなお姉ちゃんで良かったら、これからも頑張るよ」

「こんなお姉ちゃんで充分よ。ねえ~、鏡花ちゃん」

「そこでどうして私に振ってくるのよ……」

「どうしても何も鏡花ちゃんはココちゃんの義妹じゃない。ココちゃんがイイお姉ちゃんかどうか、意見を聞くには最も適した人物だと私は思うわ」

 鏡花さんは渋い顔で小さく唸ると、ティーカップをソーサーの上に置いた。

「そうね。……私もココはいいお姉さんだと思うわ」

「……あら、それだけ? 感想は良いから、具体例が欲しいなぁ~」

「具体例も何も──私が他の義姉妹との付き合いに積極的でないことくらい、まこも知っているでしょ?私がココのことをいいお姉さんだと言ったのは、ヒナの立場から言ったまで。それなのに具体例を求められたって、私とココには特に何もないのだから話しようがないわ」

「え、でも最近は──」

「ココ」

 鏡花さんのお願いだから今は黙ってて、と言わんばかりの視線に、私は慌てて口を噤んだ。

 ふぅん、と意味深に笑うまこ姉さん。

「なるほどねぇ、じゃあこれから鏡花ちゃんのことについて何か訊きたいときは、ココちゃんに訊けばオッケーってことね」

「……何よ、それ」

「だって鏡花ちゃんって色々難しいことは訊けば教えてくれるのに、自分のことは訊いても全然教えてくれないんだもの。まあ、そこが鏡花ちゃんの可愛いところではあるんだけど、やっぱり母親として自分の娘の好きな食べ物すら知らないっていうのは、ちょっと寂しいかな~ってね」

 鏡花さんが眉根を寄せた。しばらくすると何かを諦めたかのような、深い溜息をついた。

「……それくらい」

「うん?」

「……好物くらいなら──そのうち教えるわ」

 伏し目がちな鏡花さんに、

「ええ、そのうちにね」

 と、どこか満足げなまこ姉さん。

 鏡花さんが、主にまこ姉さんにこういう対象にされるのは、単純に鏡花さんが他人に対して自分のことを打ち明けないというのもある。

 でも本当のところは、単に真面目過ぎる鏡花さんの反応を楽しみたいだけではないのだろうか。というか、間違いなくそうだと思う。

 ……とりあえず、今は鏡花さんの好物が甘いもの──それも甘さ控えめではなく、しばらくは舌に残るような甘ったるいヤツ──だってことは、黙っておいた方が良さそうだ。

「あー……、ちなみにここにいる晶さんは、まこ御姉様の作るロール白菜が大好きです。あっ、コンソメもいいけど私はトマト派だから」

 晶が挙手して言った。「ここにいる」の部分を強調したのは、多分疎外感を感じていたからだと思う。

 私はそんな晶の口許──もう頬と言ってもいいだろう部分にクリームが残っているのを見つけた。……なんというか、幼児みたいだ。

「晶ちゃんは自己開示しすぎー。つまんなーい」

「詰まんないって何だよ。わかりやすくていいだろ?」

「晶ちゃんくらいの年の女の子なら、もうちょっとミステリアスな側面があってもいいと思うんだけどねぇ。晶ちゃん裏表なさ過ぎて歯ごたえないっていうか」

「散々な言われようだな。私がぐれちゃったらどうすんのさ」

「都会ならまだしも、こんな田舎でぐれたって浮くだけよ?」

「……まあ、言えてるわな」

 でも頬にクリームが付いているのなら、やることは一つ。

 少なくとも、人間は頬じゃケーキは食べられない、と思ったら紙ナフキンが手許にない。

 別にいっか。これくらい素手で充分。

「晶」

「ん?」

「じっとして」

 私はそう晶の耳元で囁く──身長差のせいでどうしてもこういう形になるのだ──と、人差指の腹で晶の頬に付いたクリームを拭う。うん、クリームを頬に伸ばすことなく綺麗に取れた。

「子どもじゃないんだから」

「ああ、悪い」

 私はその指を口に含んだ。甘い──のは、当たり前か。

 改めて紅茶に手をつけようとしたところで、向かいに座るまこ姉さんと鏡花さんにじっと見つめられていることに気付いた。いや、これはむしろ、睨まれている?

「……こういうのを巷では『バカップル』って言うのかしら鏡花ちゃん?」

「さあ、人目を憚らず情を交わし合うことを馬鹿と言うのならそうなんでしょうね」

 バカップル? ……いや、もちろん私だってそのちょっと懐かしい響きの言葉が持つ意味はわかってる。でも──

「……どういうこと?」

 呼ばれた理由まではわからないので、晶に訊いてみた。……え? 何でそんなに赤くなるの。

 あ、でも晶ってどちらかというと日焼けしてる方だから、紅潮してもあんまり目立たないんだ。素直に羨ましい。

「素だったの?」

 鏡花さんが何故か心底訝しげな眼つきで、私に訊いた。

 もう一度晶の方を見るけど、何故か私と目を合わせないようにして頬をポリポリと掻くだけ。

 何か心当たりがありそうな顔はしているけれど、話してくれそうな気配はない。

 まあ今晩にでも憶えてたら訊けばいいか。

 まこ姉さんがわざとらしくこほんっ、と咳払いをする。

「とりあえず、まこお姉ちゃんは食卓で遊んだりえっちぃことするのは感心しませーん。晶ちゃんもココちゃんも、あとヒナちゃんもそこまでにしなさい」

 ……えっちぃ要素なんてあったっけ。

 ん? 晶はともかく、ヒナちゃん? 見るとヒナちゃんの頬にはクリームで出来た小さな水玉模様。

 仕上がりから明らかにわざとやったとわかるそれを、ヒナちゃんは「えへへ」と恥ずかしそうに笑いながら紙ナプキンで拭っていた。

 何でまた晶の真似を……? でも、なんか癒されたからいっか。

「おー、怒られた怒られた。どーするヒナ? 行儀が悪いと〈お化け〉が出るぞ」

「〈おばけ〉? ほんとにでるの?」

「ヒナちゃーん、そこは目を輝かせるところじゃないわよー。……ちなみに晶ちゃんの場合は〈お化け〉よりも分かりやすい〈罰〉が発生するので心に留めておくように」

「──なあ、今のオブラートに包んだDV宣言だよな?」

「よくわかんないけど、多分晶が悪いんじゃない?」

「鬼かお前」

 ちなみにここで言っている〈お化け〉だけど、単なる子ども騙しと思わせながら実はちゃんと元ネタがあって、名を「おさき」という。

 何でもおさきは行儀の悪い人間のご飯をこっそり食べてしまうらしく、まこ姉さんが幼少の頃は食事のマナーが悪い子どもを脅かすための決まり文句だったらしい。

 でも、少なくともヒナちゃんにとっては、おさきの存在は喜ばれているようだ。

 ヒナちゃんの悩みは食が細く遅いことだから。

 ……本当はそんなこと、悩み事でも何でもないのに。

「──随分楽しそうね」

 頭痛に堪えるかのように頭を押さえながら、ささめ姉さんが渋い面持ちでダイニングに入ってきた。

 黒のフード付きカットソーに、紫のチェックショートパンツ。

 普段ふわふわとしている亜麻色の髪はほつれ気味でまだ眠り眼のところを見ると、ついさっきまで昼寝をしていたようだ。

「あら、ささめちゃん。おそよう。何か飲む?」

「はい、おそよう。いいよ、自分で珈琲淹れるから」

「おそよーささめん。何だよ、珈琲とはアダルティですなぁ」

「そうでもないわよ。さすがにブラックは飲めないし」

 寝違えでもしたのか、首を捻りながらささめ姉さんが言った。

「……悪ぃ。今のは突っかかってきてほしくて、わざと意地悪く言ったつもりなんスけど」

「そう? ……ごめん。反応できなかった」

 まっ、次からは巧くやるわ、と軽く笑ってささめ姉さんはキッチンに姿を消した。

 少し、驚いた。〈あの一件〉以来、ささめ姉さんがこの時間ここに来ることはほとんどなかったから。

 しかも食卓につくとなると今日が初なんじゃないんだろうか。

 しばらくするとささめ姉さんがマグカップ片手に戻ってきた。

 食卓にあるポットから湯を注ぎ、ティースプーンでかき混ぜる。

 紅茶派が多数を占める家では紅茶を淹れる際はわざわざティーポットを使ったりと本格的だけど、飲む人が二人しかいない珈琲は基本インスタントだ。

「ああ、ささめちゃん。ケーキなら冷蔵庫に入っているわよ」

「あー、……いいや。今食欲ないし。誰か私の分いる?晶以外で」

 言いながら、ささめ姉さんがいつもの席に座る。

「ちょっと待て。何で私がすでに除外なんだよ」


「他の三人の義妹を差し置いて、ケーキ食べるのが晶お姉ちゃんなワケ?」


 ──三人。さんにん。サンニン。

 ささめ姉さんは、顔色一つ変えず、何の躊躇いもせず、その人数を口にした。

 私は、私自身の息を呑む音を、聞いた。

 急にリビングが、暗くなった。

「……嫌な空気。まるであの娘が腫れものみたい」

 今のは普通に流すとこでしょ、とささめ姉さんが自嘲するように笑った。

「お、おい、ささめ……」

「ねえ、何でこうなの?」

「え……?」

「何でつくしと一番一緒にいた私がこうなのに……っ、あんたらがずるずるずるずる引きずってんのかって訊いてんのよっ!」

 ささめ姉さんが苛立たし気に声を荒げた。

「つくしのことは全部私に任せっきりで、あの子が何したら笑うとか、怒るとか、拗ねるとか、何一つ知らないくせに……っ。アンタら揃いも揃って、──一体あの子の何を引きずってるの……?」

 ささめ姉さんの声は幽かに掠れ、震えている。

「一番つくしとの思い出が多い私が、あの子の死を受け止めて、今まで通り頑張って振る舞おうとしてるときに……何であの子とのロクな思い出のないアンタたちがこうなわけ? おかしいでしょ? 死んでからようやく家族の大切さに気付いたとでも言いたいの? いくらなんでも──」

「うぜぇ」

 低い声だった。

 私はびっくりして、晶を見た。

 晶が怒気を湛えた眼でささめ姉さんを睨みつけていた。

 その鋭い視線に、ささめ姉さんもいくらか気圧されていた。

「ささめが一番つくしとの思い出が多いってところは、まあ認める。けどな、私らにアイツとのロクな思い出がないっていうのはどういうことだよ。『ロク』って何だよ『ロク』って。何でお前に私らの思い出まで品定めされなくちゃなんねーんだよ。あれか? 思い出とやらが一番豊富なささめねーちゃんってのはそんなに偉いのか?」

 晶は辛辣な調子で、さらに続ける。

「ま、何がうぜぇかって言えばよ。その自分ひとりの力でつくしをデカくしたみたいに思ってるところが、とてつもなくうぜぇ。今みたいに引き籠るにしたって、家がなきゃ籠れないんだぞ」

「引き籠ってなんかないわ。勝手に決め付けないで」

「似たようなモンじゃん。休みの日はずっと不貞寝ふてねでやり過ごしてるんだろ?」

 ささめ姉さんが唇をきっ、と結んだ。

 それを見て晶は勝ち誇ったように笑う。

「巧くやれないってんなら、そっちの方が助かるけどな。今みたいに空気も悪くならなくて済む」

 それは──いくらなんでも言い過ぎだ。そう思ったときにはもう、晶の腕を掴んでいた。

 晶が驚いたような表情で私を見る。

 私は……何も言えなかった。気の利いた言葉が思い浮かばなかったというのもあるし、舌の根が乾き切っていて上手く回らなかったというのもある。

 だから、眼だけで気持ちを訴えようと試みた。


 ──もう、それ以上は言わないで。


 晶は不服そうな面持ちで私、まこ姉さん、ささめ姉さんの順に視線を移す。最後にもう一度私の方を見て、それから目を伏せると溜息を吐いた。そして、ぐしゃぐしゃと後頭部を掻いて、

「……萎えた」

 誰に言うわけでもなく、呟いた。

「──ねえ、ささめちゃん」

 まこ姉さんが口を開いた。

「私はね、できたらささめちゃんに協力してほしいの。人の死を受け止め理解する時間には、どうしたって個人差があるものでしょう。その時間は、周りの協力によって短くもなったり長くもなったりする。『協力』なんて言うと、少し響きが固いかもしれないけど──」

「わかってるわよ、そんなこと」

 ぽつりと、ささめ姉さんが落とすように言った。

 それは呟きにもかかわらず、まこ姉さんの言葉をぴしゃりと遮った。

「わかった上で今、こうしてるのよ」

 ささめ姉さんの薄い唇は、どこか笑っているように見える。

 そこで私はようやく気付いた。

 ささめ姉さんの腫れぼったい瞼に。

 目の下に浮かぶ痛々しい隈に。

 弧を描く唇の血色の悪さに。

 まるで──幽霊に取り憑かれているみたいだ。

 悪い予感。ささめ姉さんの毒々しい笑みに、それはますます大きくなる。

「羨ましいわね、晶」

「……何がだよ」

「アンタにはまだ、ココがいるものね」

 胃の辺りが、さっと火で焙られたように熱くなった。それって、つまり──

「……それはアレか? 私がココ以外の義姉妹なら死んでも心痛まない人間だって言いたいのか?」

 晶が不快感を剥き出しにして言う。

「当たってるじゃない。アンタはつくしの死を悼むことよりも、可愛いユキンコちゃんに発情するので忙しいもんね」

「っ……!」

「狼狽える辺り自覚はある、と。じゃあ、これは気付いてる?傍から見ててベタベタベタベタ気持ち悪いのよ、アンタたち」

 えっ、と思ったときには手遅れだった。

 晶の袖を掴んでいた私の手は、強引に払いのけられていた。

 がしゃんっと甲高い音がした。

 落ちたカップが無残に割れ、フローリングに珈琲がぶちまけられた。

 晶がテーブルに身を乗り出して、ささめ姉さんの胸倉を掴んだ。

「──殺すぞ、お前」

「晶ちゃんっ!」「晶!」

 まこ姉さんと私の、悲鳴に近い声が重なる。

 拳を握り締め今まさにささめ姉さんを殴らんとばかりに振り上げられた右腕が、しかしささめ姉さんの頬を打つことはなかった。 

 それは、私たちの声で止まったわけじゃなかった。

 ささめ姉さんはこの状況下で、何故か晶ではなく天井を見ていた。いや、見ていたなんてものじゃない。まるで晶なんて目の前にいないかのように、天井を凝視していた。その肩は幽かに震えている。

 釣られて私も天井に目をやる。

 と、突然。

 ごとごとごと! がたがたがたっ!と天井が鳴り出した。

 よく聴けばそれは、誰かが二階の廊下を、どかどかと無遠慮に走って行くような音。

 ああ、……またこれか。最近深夜に鳴っては、私の睡眠を妨げている〈家鳴〉だ。

 恐らく私にしか聞こえていない。

 どうせこれも〈彼ら〉の仕業だろう……いや、今はそうじゃなくて。


 ささめ姉さんが天井を注視ている。


 それは今まさに、〈家鳴〉が聞こえてくる天井。

 まさか、聞こえてるの……?

 よく見ると、ささめ姉さんの唇が声にならない言葉を結んでいる。


 ──つ・く・し……?


 ささめ姉さんが音もなく崩れた。

 頭だけは打たないようにとか、そういう自分への配慮が一切ない倒れ方。

 晶はささめ姉さんの只ならぬ様子に、襟首から手を離していたのだ。

 ささめ姉さんの元に駆けつけたまこ姉さんが、耳元で名前を叫ぶ。

 私もそれに続こうとしたけれど、ヒナちゃんが私の袖を強く握っていたせいで動くに動けなかった。

 ヒナちゃんに一声かけてからその手を放してもらおうとしたところで、ヒナちゃんの目頭に涙が盛り上がっていることに気付き、考え直して止めた。

 ……いや、仮にこの手がなかったとして、ささめ姉さんのもとに行ってどうなるのだろう?私には多分、何もできない。

 ヒナちゃんの頭を撫でながら、晶を見やる。晶はただ呆然と立ち尽くしていた。

 続いてその視線を鏡花さんへと向けて、ぞくりとした。鏡花さんもまた天井を見ていたからだ。

 ごとごとごと! がたがたがたっ! ごとごとごと! がたがたがたっ────

 しばらく続いていた〈家鳴〉は、やがて治まった。

 鏡花さんはそこでようやく天井から視線を外した。偶然にしては出来過ぎたタイミング。

 そして、目の前の惨状などどこ吹く風とばかりに、優雅な所作で紅茶を嗜む。

 天井を見詰めていた鏡花さんの眼は、(ぼう)としていた。

 ──下らないバラエティ番組を見ているときの眼だった。


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