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『眩しさを失う日』

 こうしていると、三年前までは外出すら辛かったという事実がにわかに信じられない。陽の光に透ける若葉を眺めている自分には、今でも偶に違和感を覚えるくらい。だってあの頃の私には、外に出ることすらうんざりすることだったから。

 診療所の先生が言うには、私には生まれつきメラニン色素とやらが不足しているらしい。だから肌は紫外線に対して免疫がないし視力も低い。試したことはないけれど、視力に至っては眼鏡やコンタクトによる矯正も、ほぼ無意味だそうだ。

 肌については長袖を着るとか、日傘を差すとか、紫外線防止用のクリームを塗るとか、そもそも極力外出を控えるとか、いくらでも手を打つ方法があった。でも視力ばかりはどうしようもなかった。

 特に厄介なのが「眩しさ」だった。普通の人は物をはっきり見るために、色素によって目に入る光の量を調整している。でも、私の眼にはそれがないから必要以上の光が眼に入ってしまう。とどのつまり、天候や場所を問わず日光は私の天敵だった。

 にもかかわらず、私は中学に入ってから早朝の散歩を日課としていた。決まったコースはなかったけど、極力クラスメイトと鉢合わせになりそうなところだけは避けていた。散歩というのはどうしたって、お年寄りのイメージが付き纏う。やっとクラスでの外国人扱いが治まったのに、都合悪く髪が白いことも重なっておばあちゃん扱いだなんて御免だった。

 それでも散歩を続けていたのは、別に健康に気を使っていたからでも、散歩道を彩る草花に興味があったからでもない。ただ引き籠っているよりは独り散歩をしている方が、同じ孤立でもいくらか絵になるような気がしたからだ。


 ──今思えば、散歩に晶たちが付き添ってくれるようになったのはいつからだろう。


 気が付いたら一緒にいて、肩を並べて歩いていた。晶と一緒に歌を歌ったり──もっとも流行りものに疎い私のせいで、歌は校歌だったり童謡だったりした──ヒナちゃんのスキップの練習に付き合ったり、鏡花さんの道端に並ぶ樹木に関する学識に耳を傾けながら散歩するのは、楽しかった。

 誰にも付き添いなんて頼んだ覚えはなかった。そもそも自分はそんなことを頼める身分じゃないと思っていた。皆の厚意を嬉しく思う気持もあった。でもそれよりもずっと、私に気を遣ってくれる皆に申し訳ないという気持のほうが当時は勝っていた。

 だからどうしても、散歩の代わりになる日課が欲しかった。

 インドアといえばやっぱり読書だろう、と思い付いたまでは良かったけど、あいにく私は普段から本を読む娘ではなかった。我慢できないほどじゃないけど、本の白いページは光を反射して眩しいのだ。

 試しに学校の図書室で本を借りてみた。どんな本が面白いのか本気でわからなかったので、適当に鏡花さんに選んでもらった。

 学校からの帰り道、鏡花さんは私の方を振り向きもせずにこう言った。


 私のような朴念仁に期待なんてしていないとは思うけれど、甘えるなら私以外の義姉妹にしてね。私そういうのは──上手じゃないから。


 その日の晩、晶とテレビを見るともなしに眺めていたとき、私は散歩を止めることを晶に話した。

 晶はテレビに視線を止めたまま、「そっかー、ザンネンだな」とだけ言った。

 それだけ?と、思わず訊き返しそうになったあたりで、気付いてしまった。

 散歩の代わりを探しているだなんて嘘。読書を日課として定着させる気なんてさらさらない。

 散歩を止めると言ったのは、自分が皆に愛されていると確認したいがための作業。

 私はただ、「可哀想な女の子」として、皆にかまってほしかっただけ。

 それは一番──私がそう思われたくない姿だったはずなのに。


 そのとき、私はこの家の義娘()になって初めて泣いた。


 晶はそんな私を、戸惑いながらも何も言わず、ただ抱きしめてくれた──までは良かったのだけれど、その場を通りかかった鏡花さんとささめ姉さんに、その……あらぬ疑いを掛けられてしまった。

 事態は落ち着いた私が説明することで収拾がついたのだけれど、今思えばあれは、あの二人なりに気を遣ってくれたのだろう。あの二人があの状況を有り得ない風に解釈することで、結果私は涙の理由を語らずに済んだのだから。

 そして、私の日課は散歩に戻った。

 三日どころか一日とさえ持たなかった。

 その日久々に一人で歩く散歩道には、なんとも言えない懐かしさのようなものを感じた。相変わらず外を歩くにはスキンクリームを塗るのが必須だったけど、そんなこと気にならないくらい風はふわりと心地よくて、ああ、こういう風のことを昔の日本人は「風光る」と表現したんだろうな、なんて感慨に耽るほどだった。

 それまでずっと下り坂だった食欲が嘘のように湧いてきたので、今日のおやつは何だろう、とその時の私は柄にもなく胸をときめかせていた。

 きっと今日食べるお菓子の味は生涯忘れることはないだろう、と思ったくらいに。

 相変わらず忌々しいほどに煌めく太陽を、止せばいいのに睨みつける。

 ──紫外線の多い時期、日中、アップルグリーンの陽光、眼に受ける刺激。

 そこで、初めて気がついた。

 何故私の眼は太陽を睨むことができるのだろう?

 一瞬──こことは違うどこかが見えた。

 あかい。アカイ。赤い。紅い。(あか)い。

 全てが──この世の全てが、赤に埋もれている。

 訳も分からぬまま目を擦って、瞬きを繰り返した。


 散歩道に、立っていた。


 その日、おやつだったブルーベリータルトの味はよくわからなかった。

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