夜の道案内
だんだん雨が強くなってきた。
ぼくは暗くなった道を急いで歩いている。
遅くなってしまった。つい友達とのゲームが面白くて、時間を忘れて遊んでしまった。
友達はお母さんと二人暮らしで、そのお母さんはいつも、夜遅くに帰ってくるから、注意してくれる人がいなかった。
いや、人のせいではなく、時間を忘れて遊んでいた自分が悪いんだけど。
「暗くなるまでに帰ってくるのよ。帰ったら鍵をきちっと閉めてね。ちゃんと一人でごはんも食べるのよ。なるべく早く帰るようにするけど、何時になるかわからないから」
お母さんとお父さんは、ぼくが出た後、知り合いのお通夜に行くのだ。
夜にぼくを一人にするのは、初めてのことで、お母さんはちょっと心配そうだった。
けれど、お父さんは、
「タクヤはもう、小五なんだから一人で留守番ぐらい大丈夫だよなあ」
と、気楽そうにぼくの方を見て笑った。
「うん、平気さ」
ぼくは早く友達のところへ行きたくて、気もそぞろで返事をした。
「鍵は持ってる?」
「うん、持ってる」
ぼくはポケットをポンと叩いた。
「行って来ます」
「行ってらっしゃい。気をつけて」
今日はちょっとぐらい遅くなっても、怒られない最高にいい日だったけれど、八時はちょっと遅すぎた。
遊び過ぎて疲れているのに加えて、雨のせいでてくてくと三十分も、歩かなければならない。自転車だと十分で帰れる道のりなのに。
人通りのほとんどない住宅街の道を歩く。街灯が明るいので怖いとは思わなかった。
ただ、早く帰って、汗と雨に濡れたシャツとズボンを脱いで、クーラーのきいた涼しい部屋でくつろぎたいと思った。
それももうすぐ叶う。ほとんど家の近くまで来ているから。足の運びが早くなる。
ふと気がつくと、いつの間にかぼくの前に男がいた。横道から入ってきたのだろうか。
男は黒い傘を揺らし、なんだか楽し気に、リズムをとってすごくゆっくりと歩いている。
こんな土砂降りの雨の中、変な人だなあとぼくは思いながら、男を追い越した。
すると、
「あのお、すみません」
男がぼくを呼んだ。
ぼくが立ち止まると、男がスススッとぼくの前まで歩み寄った。
男は作り笑いをしているように、口を曲げてにやりと笑っている。
すごく背が高い。それに手足が長い。
縮れた長い黒髪に細い目、大きな口。黒いスーツを着て、黒いネクタイをしめている。今日、出がけに見たお父さんと同じ格好だ。
男は、笑顔を絶やさず、
「ちょっと家を探していましてえ、この辺だと思うのですがあ、見当たらなくてねえ。清家さんというお宅なんですがあ、ご存じないですかあ?」
と、間延びするような話し方できいてきた。
ぼくの隣のおばあさんの家のことだ。清家と言う名前はあまりないから、まちがいないだろう。
「えっ、ああ、知ってます。ぼくの隣りの家です」
ぼくは言った。
男の目がキラリと光ったような気がした。
「そうですかあ、よかった。それじゃあ、ご一緒に」
男はそう言うと、ぼくの横に並んだ。
傘を打つ雨の音が激しくなった。雨は一段と強くなったようだ。
「よく降りますねえ。気持ちがいいくらい。雨はお嫌いですか? 私は好きですよ。雨が続くと憂鬱になるでしょ。それがいい」
ぼくの横で男がクククッと笑った。
変な男だ。こんな男をおばあさんの家に連れて行ってもいいのだろうか。と歩きながら考えた。でも、家はもう目の前だ。
「ここです」
ぼくは足を止めて言った。
男は家の表札を見てうなずいた。
「ありがとうございましたあ。助かりましたあ。私はまだこの仕事を始めたばかりで、なにぶんにも不慣れでして。本当にあなたのような親切な方にお会いできてよかったあ」
男は大げさにぺこりと頭を下げた。
ぼくは、なんとなく嫌な気がした。仕事でおばあさんの家に来たのか。いったいなんの仕事だろう。
男は玄関を見てから、ゆっくりと視線を二階に移した。二階の窓に電気がともっている。
それからまた振り返り、にやりと笑って、また頭を下げた。
ぼくも小さく頭を下げて、自分の家の敷地に入った。そして、玄関には向かわずにそっと戻って、塀の陰から男の様子を見た。
黒いスーツの男が立っていたところに、黒いマントの男が立っている。あれ、どうゆうことだ?
ぼくは目を凝らしてそこにいる男を見た
その男は地面まである黒いマントを着ていて、マントについているフードをかぶっている。フードが陰になって顔はよく見えない。男はただぼんやりとそこにたたずんでいるように見えた。
男の頭の上の方に、何か光るものが見えた。それは街灯の明かりに照らされて、輝いている。鋭い三日月のような形。
ぼくはそれが何かわかった。鎌だ。男はすごく大きな刃がついた長い柄の鎌を持っているんだ。
「ヒッ」
思わずぼくは声を出してしまった。
マントの男が振り返った。
二つの真っ黒い穴のような目、肉についていない顔は白く、口を開けてもいないのに、大きくきれいな歯が並んでいる。ガイコツ!?
ぼくはあまりにも驚いて、その場に固まった。
ガイコツはぼくの方に体を向け、クワッと大きな口を開けて大鎌を振り上げた。
殺される! あの鎌でぼくの首は切り落とされる!
ぼくはギュッと目を閉じた。
一秒、二秒、三秒・・・・。何も起こらない。
ぼくはそっと目を開けた。そこには誰もいなかった。
慌ててぼくは自分の家に逃げ帰った。心臓がドキドキしている。
死神だ。死神だったんだ、あいつ。人間に化けた死神だったんだ。清家のおばあさんの命を取りに来たんだ。死神の道案内をするなんて、ぼくは・・・。
ぼくは恐ろしくて、座布団を頭にかぶって震えた。暑くて汗びっしょりになっても、座布団を離さなかった。
その後のことは、あまり覚えていない。お父さんとお母さんが帰ってきて、大騒ぎをして水を飲ましてくれたのは覚えている。
気はついたら病院のベットの上だった。救急車で運ばれたらしい。高い熱が出て、二日間意識がなかったそうだ。
お父さんとお母さんは、何があったのかとか、どうして座布団をかぶって倒れていたのかとか、きかれたけれど、熱のせいにできそうだったから、覚えていなことにした。本当のことなんてとても言えない。
お母さんは何もいわないけれど、きっと、清家のおばあさんは、もう死んでいるだろう。あの恐ろしい死神の鎌で、命を持っていかれただろうと思う。ぼくが死神に家を案内なんてしたから、ぼくのせいで。おばあさん、本当にごめんなさい。
でもまさか、死神だったなんて思わなかった。わかっていたら教えたりなんてしなかった。
「明日、退院だけど大丈夫なの?」
お見舞いに来たお母さんがベットの横に立ってきいた。
「うん、大丈夫だよ」
「本当に?」
元気がないように見えるらしい。お母さんは心配ばかりしている。
「ああ、そうだ。清家のおばあさんがタクヤにって、お菓子をくれたの」
かばんをゴソゴソやりながら、お母さんが言った。
「えっ」
ぼくは小さい声を出した。
「ほら、えびせんに、ポテトチップス、チョコレート。タクヤの好きな物ばっかり」
お母さんは小さなテーブルの上にお菓子を並べた。
「おばあさん、死んでないの?」
寝ている体をベットから起こして、ぼくはきいた。
「何を言っているの。変なこと言う子ね。縁起でもないことを言わないの!」
「で、でも・・・」
てっきりおばあさんは死んだと思っていた。絶対に死神に命を持って行かれたと。
失敗したのだろうか。この仕事を始めたばかりで、不慣れ、なんて言っていたから。それとも、ぼくに正体を見られたから? でも、そんなことで、あきらめたりするものだろうか。
でも、まあ、いいや、おばあさんが死ななかったのなら。
ぼくはほっとして、またベットに横になった。
「清家のおばあさんは元気だけどね」
シーツのしわを伸ばしてお母さんがいった。
「清家さんの裏に住んでるおばあさん、亡くなったのよ」
「えっ!」
「清家さんと同じ一人暮らしで、歳も一緒で、二人は仲が良かったから、清家さん随分ショックだったみたい」
「いつ、亡くなったの?」
「タクヤが倒れていた晩に亡くなったらしいわ。元気だったのに、急に亡くなるなんてね」
お母さんが窓から外を見ながら言った。
どうして、清家さんじゃなく裏のおばあさんが。まさか、清家のおばあさんと間違えて? いや、あの時、死神は表札を見てうなずいていた。
もしかして、ぼくが死神を見てしまったから? 正体を見られたから、ちがうおばあさんの命を奪ったというのか。まさか。
裏のおばあさんが亡くなったのは、ただの偶然だったら?
死神はぼくに正体を見られて、清家のおばあちゃんの命を取るのをやめた。そして、その日、偶然に裏のおばあさんが死んだ。
裏のおばあさんもお年寄りだもの。急になくなってもおかしくない。
そうだ、ただの偶然。偶然に裏のおばあさんは、その日に亡くなったんだ。きっと、そういうことだ。
でも・・・。
「さあ、お母さんは、もう帰るわね。お菓子食べ過ぎると、夕飯が食べられなくなるから気をつけて」
「えっ、帰るの?」
「そりゃあ帰るわよ。何? 一人で寂しいの?」
「ううん、そうじゃないけど」
ぼくは布団を口元まで、引き上げた。
「じゃあ、明日、迎えにくるから」
お母さんは部屋から出ていった。
静かになった病室。
四人入れる部屋だけど、なぜかぼく一人しか入っていない。
ぼくは通路になっている、足元の方を見た。
夜中、目が覚めると、そこにあの時の死神が立っていて、ぼくに向けて大鎌を振り上げている、そんな恐ろしい想像をした。
外から救急車のサイレンが聞こえる。
窓は空いていないのに、カーテンがゆれた。
死神の笑い声が聞こえたような気がした。
最後まで読んで頂いて、ありがとうございました!