薔薇に想いを
好きな人のことを、ただ好きなまま、その幸せだけを願う。そんな簡単なことができない程に人間の心は弱い。
あるいは、恋だの愛だのと呼ばれるこの感情は、自分自身の願いすら簡単に踏みにじってしまう程に強い。
しかし、まぁ、蓋を開けてみれば愛と呼ぶにはあまりにも醜い感情だ。あまりにも一方的で、こんなものが人を幸せにできるというのなら、世界はきっともう少し優しい。
真っ赤な花束を抱えて、たまにしか着ない上等のスーツに袖を通し、重い足を必死に引きずって歩く。花束があんまり甘く香るから、感傷的にならざるを得ない。
「よぉ、二人とも久しぶり」
緊張しすぎて声が裏返りそうになる。
「おぉ!お前も来てくれたのか!」
「いや、招待状出したのお前らだろ!」
「そうなんだけどね」
好きな人と、好きな人の好きな人。昔馴染みの二人との久しぶりの再会を、素直に喜べるか不安だったが、どうやら杞憂だったようだ。
少しだけ息苦しいのは慣れない正装のせいだ。
「お、そういえばこれ、新郎新婦のお二人にプレゼント。薔薇の花なんて買うの初めてで恥ずかしかったわ」
「あら、キレイね。ありがと!」
「もうちょい実用的なもん無かったのかよぉ〜。花ってお前なぁ〜」
「おーおー。どうせ俺は気が利かなくてモテない男ですよーだ」
軽口を叩き合って笑い合う。大丈夫。今までと何ら変わらない。鏡がないから分からないけど、きっと上手く笑えてる。
「それなぁ、なんか本数に意味があるらしいぜ?確か〜、十三本で永遠の友情!小っ恥ずかしいけど、お前らが結婚しても少なくとも俺は友達だと思ってるから、子育てとかいくらでも頼れよー?」
「お前ほんと恥ずかしいな、式前から酔ってる?」
「うるせぇ、素面だわ」
「でもらしいっちゃ、らしいよね〜。ほんとお人好しなんだから!……んー?あれ、これ十二本しかないわよ?」
「うぇ!?まじかよ!これじゃダメじゃん!」
「それはやばいわ、お前」
「ほんと相変わらず締らないわね」
三人で顔を見合わせてゲラゲラ笑う。だから、胸がズキズキと痛むのは気の所為だ。薔薇の棘でも刺さったのかもしれない。
「新郎新婦は他にも挨拶しなきゃ行けないとこあるんだろ?じゃあな、また後で」
そう言って二人の傍を離れて、式のざわついた雰囲気の中に逃げるように紛れる。
それからどうやって式をこなしたのかは覚えていない。友人代表のスピーチも余興も、その一切が気づいたら終わっていて、倒れ込むように帰宅し、そのまま自宅のベッドに横になっていた。
夜中に喉の乾きで目を覚ました。
水を求めてリビングに入った時、そこに鎮座する一輪の花が目に入った。
十三本目の赤い花。
酷く甘いその花を花束から取り除いて、でも、どうしても捨てられなかった。色褪せて、萎んで、枯れていく様を見れば、きっとこの感情にも区切りをつけられると思ったから。
数年が経った。逃げて、逃げて、逃げた。意図的に仕事を増やして、日々を忙殺されることで、手の届かないそれについて考えることから逃げた。そのおかげで随分と地位は上がったけれど、虚しさばかりが飽和する。
久しぶりに開けた郵便受けに、広告チラシ以外のものが入っているのが目に留まる。宛名も自分宛て、リビングに入りながら開封する。中には数枚の便箋と写真、何やらご当地もののグッズ。
『家族旅行のお土産、送ります。
次はお前も来いよな!
おじさんはどこ?って子どもがうるさいんだよな。
PSまだ結婚しないの?』
連名で綴られた手紙はとても幸せそうだった。喜ばしいことだ。
「だれがおじさんだよ、お兄さんって教えろよな、バカップルが……」
写真も、便箋も、視界も、何もかもが滲んでいく。その中でも赤い花は嗤うように変わらぬ姿で咲き誇る。ドライフラワーだか、ブリザードフラワーだか、気づいたらそういうのを取り扱っている会社に送っていた。彼らの結婚式の日から、その花は変わらず咲き続けている。
「お前しかいなかったんだけどなぁ……」
小さなつぶやきは独りぼっちの部屋で嫌に響く。乾いた笑いと、生ぬるい涙ばかりが溢れる。
永遠の友情だなんて投げやりな嘘だ。心の底からそんなことを言えるのなら、こんなことにはなっていない。
十三本なら永遠の友情、十二本なら私と付き合ってください、一輪なら……あなたしかいない。
本当は、好きな人の好きな人は自分でいたかった。好きな人と、好きな人の好きな人との子どもなんて見たくもなかった。
好きな人を幸せにしたいなどと、高尚な願いはなかった。
好きな人を自分のものにしたいなどと傲慢な願いはなかった。
好きな人とただ隣にいるだけでいいだなんて、穏やかな願いでもなかった。
この醜い感情は名付け難い。複雑怪奇極まりないそれは、簡単に姿も形も変わってしまう。でもきっと、誰もがそれを、その感情を知っているのだろう。きっと同じものなんてこの世に二つとない。それでもそれを同じ名前で呼ぶ。
それでも人は敢えてそれを「恋」と呼ぶのだろう。